2012年1月25日水曜日

生徒との話から思ったこと - ストレスについて(2)

前回に引き続き、ストレスについて考えてみたいと思います。

■ストレスは良いもの?悪いもの?
前回も、ストレスは悪いものとは限らんちゃないかっていう話を書きましたが、
ストレスって本来は価値中立的な言葉だと思うんですよね。
Wikipediaの「ストレス」の項目の記事を見ると、こう書いてあります。
「ストレスとは、生物学的には何らかの刺激によって生体に生じた歪みの状態を意味している。元々は材料力学上の言葉で例えばスプリングを引き伸ばしたり、ゴム球を押し縮めたりした時にその物質の内部に生じた応力の事を言う。」
引用元:Wikipediaの「ストレス」の項目の記事(2012年1月25日 8:30取得)
(なお、Wikipediaの記事の信頼性をどう考えるのかっていう論点はありますが
今回は論点からずれますので置いときます。
今回はまあそんなに気にしなくて良いかなと思います)

ここにも書いてあるように、元々は物理用語で良いも悪いもないですね。
ただ、自分もそうですが、通常はネガティブなイメージがあると思います。

それは、「ストレス」という言葉が生物学に応用されて、
その後メディアとかで色々取り上げられるようになったからだと思うんですが、
いずれにしても今は「ストレス」というと、
無い方が良いものというイメージがあると思います。


■ストレスは環境のせい?自分のせい?
こうした背景を踏まえた上で
「ストレス」という言葉の遣われ方を考えてみると、
「私はストレスを感じています」と言うことは、
「大変なんです」ということをアピールしているようにも聞こえます。

そして、単に大変ですとかいった話ではなく、
「ストレス」という言葉を使うということは、
それによって、自分がこんなに大変なのは「ストレス」のせい、
もっと言うと、ストレスの元凶となっている「〇〇」のせい、
という考え方が、意識的にせよ無意識的にせよあるようにも聞こえます。

穿ち過ぎでしょうかね。
でも、違和感があった一番のポイントは、ここのような気がしてきました。
ストレスを感じる原因っていうのは、周りの環境なんでしょうか?
それとも自分自身に原因があるんでしょうか?


■環境との相性
僕の考えとしての結論から言うと自分次第だと思ってます。
ただ、もちろん、環境との相性っていうのはあります。
環境の中で一番大きなものは人間関係だと思いますが、
「良い」友達もいれば、「悪い」友達もいるかもしれません。
「良い」先生もいれば、「悪い」先生もいるかもしれません。

例えば、仲の良い人や好きな先生が多ければ
ストレスを感じることが多いでしょう。
逆に、仲の悪い人や嫌いな先生が多ければ
ストレスを感じることが多いでしょう。

でも、それって結局自分にとってどうかっていうところがベースです。
自分にとってはストレッサー(ストレスの原因)となっている人や物事が
別の人にとってはストレッサーではないかもしれない。

結局のところ、ストレスの話っていうのは
ある意味自己中心的な話であって、
自分にとってどうなのかっていうところに帰着すると思います。

ここで「自己中心的」と書いたのは別に悪い意味ではなくて
人間っていうのは基本的に自己中心的なもんやから
それは別に問題ではないと思ってます。

ただ、気になるのは、「ストレス」という言葉を使うことによって
自分主体の判断で考えていくというプロセスにならずに、
自分以外の人や物事のせいにして思考停止してしまうんやなかろうかということです。

ということで、また長くなってきたのでこのへんで。
次回は、自分以外の人や物事のせいにして思考停止してしまうことが
なんで問題だと考えるのかについて書いていきたいと思います。

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