以下の続きです。
■周りを変えるのは大変
前回、「ストレス」という言葉を使うことによって
自分主体の判断で考えていくというプロセスにならずに、
自分以外の人や物事のせいにして思考停止してしまうんやなかろうか
という懸念について書きました。
では、それだと何が問題なんでしょうか。
別に周りの人や物事のせいにしてうまくいくのであれば
それはそれで良いと思います。
(ここでは、周りの人の気持ちとかは捨象してますが)
でも、結局のところ、外に原因を求めてもなかなか解決しづらいですよね。
それは、周りの物事を変えるのってものすごいエネルギーが必要だからです。
特に、人を変えるっていうのは生半可なことじゃうまくいきません。
しかも、うまくいかなければそのこと自体がストレスになって
ストレスの原因を解決しようとするそのプロセス自体でストレスを感じる
という悪循環に陥ってしまいます。
なので、自分以外の人や物事のせいにしとっても
結局自分が大変なのは大して解決せんので
違った考え方した方が良いっちゃないかなーと思います。
■変えられるもの、変えられないもの
ここで、1つ参考になる考え方があります。
松井秀喜さんの「不動心」という本でも紹介されてたんですが、
松井さんは、自分にコントロール可能なものとそうでないものに分けて
コントロール可能なものに集中すると述べられています。
本も面白いのでオススメですが
手っ取り早く読める資料としてここにインタビュー記事があります。
これを、例えば学校で友達と話をする場面に置き換えてみると、
なお、この例で話を聞く練習!?って思った人もいるかもしれませんが、
実際に企業でも話の聞き方研修とかあるんで
まったく変なことではありません。
むしろ、それだけ大事なことなのです。
■自分はコントロールできる、変えられる
さて、話を戻すと、コントロール可能なものかどうかという観点からいっても
やっぱり人はコントロールできないですよね。
(マインドコントロールでもすればできるのかもしれませんが、
少なくとも僕はやりたくありません)
まず第一にコントロールできる、変えられるのって自分だと思います。
周りを変えようとするより自分を変えた方が速いです。
これは会社でも一緒です。
一緒に働く人っていうのはそうそうは変えられません。
人自体も変えられませんし、その人の考え方もなかなか変えられるものではありません。
そこに労力を割くより、自分の考え方ややり方を変えていった方が
速いし労力も少なくて済みます。
ただ、仕事の場合、学校に比べると、環境を変える(=転職)
という選択肢がとりやすいので、学校の方が大変かなとは思います。
特に、五ヶ瀬の場合、周りの環境って変えづらいです。
全寮制ですし、少人数なのでクラス替えとかもなくて顔をあわせる人は変わりません。
でも、だからこそ、五ヶ瀬で生活する中で
自分を変えながら物事に取り組めるようになると
後々どこに行っても楽しく前向きにやっていけるんじゃないかと思います。
そこの発想って切り替えるのが大変ですし
自分も日々努力している最中ですが
こうして書いてみると改めてやっぱりそうだよなーと思います。
がんばろー。
ここまで書いてきたんですがもう少し書いてみたいことがあるので
次回もまた同じ話題で投稿します。
たぶん次で終わるかな…(といいな…)
■周りを変えるのは大変
前回、「ストレス」という言葉を使うことによって
自分主体の判断で考えていくというプロセスにならずに、
自分以外の人や物事のせいにして思考停止してしまうんやなかろうか
という懸念について書きました。
では、それだと何が問題なんでしょうか。
別に周りの人や物事のせいにしてうまくいくのであれば
それはそれで良いと思います。
(ここでは、周りの人の気持ちとかは捨象してますが)
でも、結局のところ、外に原因を求めてもなかなか解決しづらいですよね。
それは、周りの物事を変えるのってものすごいエネルギーが必要だからです。
特に、人を変えるっていうのは生半可なことじゃうまくいきません。
しかも、うまくいかなければそのこと自体がストレスになって
ストレスの原因を解決しようとするそのプロセス自体でストレスを感じる
という悪循環に陥ってしまいます。
なので、自分以外の人や物事のせいにしとっても
結局自分が大変なのは大して解決せんので
違った考え方した方が良いっちゃないかなーと思います。
■変えられるもの、変えられないもの
ここで、1つ参考になる考え方があります。
松井秀喜さんの「不動心」という本でも紹介されてたんですが、
松井さんは、自分にコントロール可能なものとそうでないものに分けて
コントロール可能なものに集中すると述べられています。
本も面白いのでオススメですが
手っ取り早く読める資料としてここにインタビュー記事があります。
相手の投手が、僕をどう打ち取ろうとしているか、それを僕自身がコントロールすることはできません。僕をどういう球で、あるいは、どういうコンビネーションで打ち取ろうとしているか、それは、僕にとってはどうしようもないのです。でも、僕にもコントロールできるものがあります。
相手が投げてくる球をどういう風に待って、あるいは、どういう身体の使い方をして、または、どういうスイングをしていくか。これは、自分で考え、そして練習することによって、自分自身をコントロールし、打つことができるように持っていく可能性も出てくるわけです。
相手がいいボールを投げてきたからどう打つかではなく、打つために自分はどうしたらいいか、何をすればいいのかということです。僕は、このことを常に考えてきました。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610201/interview.html より(2012年1月25日 8:30取得)
これを、例えば学校で友達と話をする場面に置き換えてみると、
友達が、自分に対してどういう話し方をしているか、それを自分自身がコントロールすることはできません。自分にどういう言葉で、あるいは、どういう話し方で話しかけようとしているか、それは、自分にとってはどうしようもないのです。でも、自分にもコントロールできるものがあります。
相手が話しかけてくるのをどういう風に待って、あるいは、どういう身体の遣い方をして、または、どういう反応でいくか。これは、自分で考え、そして練習することによって、自分自身をコントロールし、良い話ができるように持っていく可能性も出てくるわけです。
相手が仲良く話しかけて来たからどうこたえるかではなく、仲良く話すために自分はどうしたらいいか、何をすればいいのかということです。
という感じになると思います。
なお、この例で話を聞く練習!?って思った人もいるかもしれませんが、
実際に企業でも話の聞き方研修とかあるんで
まったく変なことではありません。
むしろ、それだけ大事なことなのです。
■自分はコントロールできる、変えられる
さて、話を戻すと、コントロール可能なものかどうかという観点からいっても
やっぱり人はコントロールできないですよね。
(マインドコントロールでもすればできるのかもしれませんが、
少なくとも僕はやりたくありません)
まず第一にコントロールできる、変えられるのって自分だと思います。
周りを変えようとするより自分を変えた方が速いです。
これは会社でも一緒です。
一緒に働く人っていうのはそうそうは変えられません。
人自体も変えられませんし、その人の考え方もなかなか変えられるものではありません。
そこに労力を割くより、自分の考え方ややり方を変えていった方が
速いし労力も少なくて済みます。
ただ、仕事の場合、学校に比べると、環境を変える(=転職)
という選択肢がとりやすいので、学校の方が大変かなとは思います。
特に、五ヶ瀬の場合、周りの環境って変えづらいです。
全寮制ですし、少人数なのでクラス替えとかもなくて顔をあわせる人は変わりません。
でも、だからこそ、五ヶ瀬で生活する中で
自分を変えながら物事に取り組めるようになると
後々どこに行っても楽しく前向きにやっていけるんじゃないかと思います。
そこの発想って切り替えるのが大変ですし
自分も日々努力している最中ですが
こうして書いてみると改めてやっぱりそうだよなーと思います。
がんばろー。
ここまで書いてきたんですがもう少し書いてみたいことがあるので
次回もまた同じ話題で投稿します。
たぶん次で終わるかな…(といいな…)