2012年1月27日金曜日

生徒との話から思ったこと - ストレスについて(3)

以下の続きです。

■周りを変えるのは大変
前回、「ストレス」という言葉を使うことによって
自分主体の判断で考えていくというプロセスにならずに、
自分以外の人や物事のせいにして思考停止してしまうんやなかろうか
という懸念について書きました。

では、それだと何が問題なんでしょうか。
別に周りの人や物事のせいにしてうまくいくのであれば
それはそれで良いと思います。
(ここでは、周りの人の気持ちとかは捨象してますが)

でも、結局のところ、外に原因を求めてもなかなか解決しづらいですよね。
それは、周りの物事を変えるのってものすごいエネルギーが必要だからです。
特に、人を変えるっていうのは生半可なことじゃうまくいきません。

しかも、うまくいかなければそのこと自体がストレスになって
ストレスの原因を解決しようとするそのプロセス自体でストレスを感じる
という悪循環に陥ってしまいます。

なので、自分以外の人や物事のせいにしとっても
結局自分が大変なのは大して解決せんので
違った考え方した方が良いっちゃないかなーと思います。

■変えられるもの、変えられないもの
ここで、1つ参考になる考え方があります。
松井秀喜さんの「不動心」という本でも紹介されてたんですが、
松井さんは、自分にコントロール可能なものとそうでないものに分けて
コントロール可能なものに集中すると述べられています。

本も面白いのでオススメですが
手っ取り早く読める資料としてここにインタビュー記事があります。
松井秀喜 『不動心』|新潮社

この中で、以下のように述べられています。
相手の投手が、僕をどう打ち取ろうとしているか、それを僕自身がコントロールすることはできません。僕をどういう球で、あるいは、どういうコンビネーションで打ち取ろうとしているか、それは、僕にとってはどうしようもないのです。でも、僕にもコントロールできるものがあります。
相手が投げてくる球をどういう風に待って、あるいは、どういう身体の使い方をして、または、どういうスイングをしていくか。これは、自分で考え、そして練習することによって、自分自身をコントロールし、打つことができるように持っていく可能性も出てくるわけです。
相手がいいボールを投げてきたからどう打つかではなく、打つために自分はどうしたらいいか、何をすればいいのかということです。僕は、このことを常に考えてきました。

http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/610201/interview.html より(2012年1月25日 8:30取得)

これを、例えば学校で友達と話をする場面に置き換えてみると、
友達が、自分に対してどういう話し方をしているか、それを自分自身がコントロールすることはできません。自分にどういう言葉で、あるいは、どういう話し方で話しかけようとしているか、それは、自分にとってはどうしようもないのです。でも、自分にもコントロールできるものがあります。
相手が話しかけてくるのをどういう風に待って、あるいは、どういう身体の遣い方をして、または、どういう反応でいくか。これは、自分で考え、そして練習することによって、自分自身をコントロールし、良い話ができるように持っていく可能性も出てくるわけです。
相手が仲良く話しかけて来たからどうこたえるかではなく、仲良く話すために自分はどうしたらいいか、何をすればいいのかということです。
という感じになると思います。

なお、この例で話を聞く練習!?って思った人もいるかもしれませんが、
実際に企業でも話の聞き方研修とかあるんで
まったく変なことではありません。
むしろ、それだけ大事なことなのです。

■自分はコントロールできる、変えられる
さて、話を戻すと、コントロール可能なものかどうかという観点からいっても
やっぱり人はコントロールできないですよね。
(マインドコントロールでもすればできるのかもしれませんが、
少なくとも僕はやりたくありません)

まず第一にコントロールできる、変えられるのって自分だと思います。
周りを変えようとするより自分を変えた方が速いです。

これは会社でも一緒です。
一緒に働く人っていうのはそうそうは変えられません。
人自体も変えられませんし、その人の考え方もなかなか変えられるものではありません。
そこに労力を割くより、自分の考え方ややり方を変えていった方が
速いし労力も少なくて済みます。

ただ、仕事の場合、学校に比べると、環境を変える(=転職)
という選択肢がとりやすいので、学校の方が大変かなとは思います。

特に、五ヶ瀬の場合、周りの環境って変えづらいです。
全寮制ですし、少人数なのでクラス替えとかもなくて顔をあわせる人は変わりません。

でも、だからこそ、五ヶ瀬で生活する中で
自分を変えながら物事に取り組めるようになると
後々どこに行っても楽しく前向きにやっていけるんじゃないかと思います。

そこの発想って切り替えるのが大変ですし
自分も日々努力している最中ですが
こうして書いてみると改めてやっぱりそうだよなーと思います。
がんばろー。

ここまで書いてきたんですがもう少し書いてみたいことがあるので
次回もまた同じ話題で投稿します。
たぶん次で終わるかな…(といいな…)

2012年1月25日水曜日

生徒との話から思ったこと - ストレスについて(2)

前回に引き続き、ストレスについて考えてみたいと思います。

■ストレスは良いもの?悪いもの?
前回も、ストレスは悪いものとは限らんちゃないかっていう話を書きましたが、
ストレスって本来は価値中立的な言葉だと思うんですよね。
Wikipediaの「ストレス」の項目の記事を見ると、こう書いてあります。
「ストレスとは、生物学的には何らかの刺激によって生体に生じた歪みの状態を意味している。元々は材料力学上の言葉で例えばスプリングを引き伸ばしたり、ゴム球を押し縮めたりした時にその物質の内部に生じた応力の事を言う。」
引用元:Wikipediaの「ストレス」の項目の記事(2012年1月25日 8:30取得)
(なお、Wikipediaの記事の信頼性をどう考えるのかっていう論点はありますが
今回は論点からずれますので置いときます。
今回はまあそんなに気にしなくて良いかなと思います)

ここにも書いてあるように、元々は物理用語で良いも悪いもないですね。
ただ、自分もそうですが、通常はネガティブなイメージがあると思います。

それは、「ストレス」という言葉が生物学に応用されて、
その後メディアとかで色々取り上げられるようになったからだと思うんですが、
いずれにしても今は「ストレス」というと、
無い方が良いものというイメージがあると思います。


■ストレスは環境のせい?自分のせい?
こうした背景を踏まえた上で
「ストレス」という言葉の遣われ方を考えてみると、
「私はストレスを感じています」と言うことは、
「大変なんです」ということをアピールしているようにも聞こえます。

そして、単に大変ですとかいった話ではなく、
「ストレス」という言葉を使うということは、
それによって、自分がこんなに大変なのは「ストレス」のせい、
もっと言うと、ストレスの元凶となっている「〇〇」のせい、
という考え方が、意識的にせよ無意識的にせよあるようにも聞こえます。

穿ち過ぎでしょうかね。
でも、違和感があった一番のポイントは、ここのような気がしてきました。
ストレスを感じる原因っていうのは、周りの環境なんでしょうか?
それとも自分自身に原因があるんでしょうか?


■環境との相性
僕の考えとしての結論から言うと自分次第だと思ってます。
ただ、もちろん、環境との相性っていうのはあります。
環境の中で一番大きなものは人間関係だと思いますが、
「良い」友達もいれば、「悪い」友達もいるかもしれません。
「良い」先生もいれば、「悪い」先生もいるかもしれません。

例えば、仲の良い人や好きな先生が多ければ
ストレスを感じることが多いでしょう。
逆に、仲の悪い人や嫌いな先生が多ければ
ストレスを感じることが多いでしょう。

でも、それって結局自分にとってどうかっていうところがベースです。
自分にとってはストレッサー(ストレスの原因)となっている人や物事が
別の人にとってはストレッサーではないかもしれない。

結局のところ、ストレスの話っていうのは
ある意味自己中心的な話であって、
自分にとってどうなのかっていうところに帰着すると思います。

ここで「自己中心的」と書いたのは別に悪い意味ではなくて
人間っていうのは基本的に自己中心的なもんやから
それは別に問題ではないと思ってます。

ただ、気になるのは、「ストレス」という言葉を使うことによって
自分主体の判断で考えていくというプロセスにならずに、
自分以外の人や物事のせいにして思考停止してしまうんやなかろうかということです。

ということで、また長くなってきたのでこのへんで。
次回は、自分以外の人や物事のせいにして思考停止してしまうことが
なんで問題だと考えるのかについて書いていきたいと思います。

2012年1月24日火曜日

生徒との話から思ったこと - ストレスについて(1)

昨年(2011年)12月に五ヶ瀬に行った時に生徒と話した内容から感じたこと。
今回の記事は、「ストレス」について。

■「ストレス」という言葉が出てきてびっくり
食堂で生徒と話をしている時に
「ストレスを感じる」という話が出てきました。

五ヶ瀬にいるとストレスを感じていて、
実家に帰った時にそのストレスを発散し、
また五ヶ瀬に戻ってきてストレスをためて、
また実家に帰ってストレスを発散し…
の繰り返しだと言うのです。

自分はちょっとびっくりしました。
自分達が生徒の頃って「ストレス」って言ってたかなーっていうのが
あんまり思い出せないんですが、妙に違和感がありました。

■なんで違和感があったのか
なんで自分が違和感を感じたのかなと思って考えてみたんですが
ストレスをためる、発散するというサイクルが
なんか疲れ果てたサラリーマンみたいやなーと思ったからかなと思います。

仕事に疲れ果てて、休みの日でストレスを発散し、
また仕事に戻ってストレスをため、
次の休みが来るのを待ち遠しく思いながら毎日を過ごす…
そんな感じかなと。

サラリーマンに悪いイメージがあるというのではなくて、
「疲れ果てた」サラリーマンみたいなのが残念だなと思います。
毎日を楽しんでない、というか、むしろ日々の生活がストレスの根源
という感じですが、それだと人生面白くないですよね。

■毎日を楽しまんともったいない
自分もサラリーマン(給与所得をもらって仕事をする人間)ですが
仕掛かりの仕事で熱中しているものがある時は
月曜日が来るのが楽しみな時もあります。

もちろん、つまらない仕事とか、大変な仕事も時にはありますが
総じて仕事は面白いなと思っています。

つまらない仕事とかがあったら
いかにそれを効率化してやる時間を短くしてやりたいことをやるか、
あるいは、つまらない仕事をどうやったら面白くできるか
そういうことを考えたりもしていて
そのプロセス自体が自分にとってはチャレンジで面白いなと思っています。

生徒の話に出てきた「ストレス」という言葉や、
ストレスをためる・発散するのサイクルに違和感があったのは、
「ストレス」という言葉によって思考停止してないかなと思ったからかもしれません。

ストレスを感じるなら感じるで
いかにそれに対処していくかがチャレンジングで面白いところであって
それを実家に帰ることで解消っていうのは
そんな人生つまらんちゃないかなーと。

五ヶ瀬での生活に大変な部分があることは分かりますが
面白い部分もたくさんあると思いますし、
それをどうとらえてどういう行動をとるかが大事だと思うんですが
そういう話をしたら良かったかなともちょっと思ってます。

■ストレスって悪いもの?
あと、「ストレス」=「悪いもの」
という感じでとらえている感じがしたんですが
そんなことはないですよね。

筋トレを考えると分かりやすいですが、
筋力をつけるには、トレーニングで筋肉に負荷をかける必要があります。
すなわち、筋肉に「ストレス」をかける必要があります。

その後、超回復することによって前よりも筋力がつくわけですが
一度負荷をかける、ストレスを与えることをしなければ
筋力は伸びないわけです。

もちろんかけ過ぎると筋肉を破壊してしまったりするので良くないですが
力を伸ばすためには適度なストレスは必要です。
筋肉に限らず、勉強とか仕事でも大体そうだと思うんですよね。

そこが「ストレス」=「悪いもの」として
思考停止になっちゃうと、成長する機会がなくなってもったいないですよねー。

なんだか長くなってきたので今回はこのへんで。
まだストレスについて考えたいことはあるので、次回も引き続きストレスについて書きたいと思います。

2012年1月23日月曜日

生徒との話から思ったこと - 聖夜祭について


講演は、拡大LHRということで2コマ分を使って行われましたが
その後夕食を寮で食べさせて頂き、その時に何人かの生徒と話をしました。
その時に話を聞いて面白かったこと、感じたことを書いておきます。

■気合いが入った聖夜祭
まず、聖夜祭の話。
ちょうど聖夜祭が翌日に迫っているということで、みんなそれにかかりっきりのようでした。
聖夜祭は、僕らが学校にいた頃より規模がだいぶ大きくなってるみたいです。
僕らの頃は、食堂のテーブルを集めてそれをステージにして
そこでバンドやったり出し物したりといった感じでしたが
今は体育館でやるみたいです。
それにともなって、規模、というか、気合の入れようがかなり大きくなってるみたいです。

必ずオシャレしていかなければならないだとか
変な「ルール」がありそうな感じなのは気になりましたが
まあ中高生ってそういうもんな気もします。
それはそれとして、生徒と話をしていて面白いなと思ったことを2つ書いておきます。

■普段やることと特別にやること
先生方からは、聖夜祭の準備に夢中になりすぎて
他のこと、例えば勉強や部活がおろそかになっている
ということで心配の声もあるようでした。

個人的には、学生時代にそうやって夢中になって
物事に取り組む機会があるっていうのは良いんじゃないかなと思いました。

まあ、だからといって普段やっていることをおろそかにして良いというわけではなくて
両方きっちりやっていくっていうのが大事かなとは思います。

このへんは社会に出ても同じですよね。
普段ルーチンでやっている仕事をやりながら
プロジェクトとか一時的なタスクをやることはままあります。
どっちかのせいでどっちかがおろそかになったら普通の人ですよね。
というか、会社や仕事の内容によっては評価されないと思います。
両方きっちり仕上げることが求められることが多いと思いますし、
やりきることが評価にも自分の自信にもつながると思います。

そういう意味では、上の心配の声も分かるんですが
だからこそ、普段やっていることの質を落とさずに
特別なこともやり遂げるという意味ではやはりいい機会なんじゃないかと思います。

■リーダーシップの練習の場
あと、もう1つ別の観点から見ても意義があるんじゃないかと思いました。
これはある生徒の話を聞いて気づきました。

生徒と話をしている時に、率直に
「聖夜祭ってどうしてそんなに気合い入れてやると?
そこまでせんでもいいっちゃない?」
といったニュアンスの質問をしました。
(具体的に発した言葉は覚えてませんが…)

それに対する答えとしてまずあがったのは、
先輩たちが盛り上げて来たからとか、自分達が楽しいしとか
女の子達はここでしかオシャレする場がないから大事
みたいな意見でした。

それらについては、自分としてはふーんという感じで
やる意味について正直なところあんまり面白みを感じませんでした。

それは、上であがっているものは
単にこれまでそうだったからやってるっていうことで自分なりの意義付けがなかったり、
あるいは、自己満足でしかないなーと感じたからですね。
まあこれも、中高生の時はそういうもんだと思うので
卒業生としての手前勝手な意見だとは思いますが…

そこで、とりあえずもう少し聞いてみると、
別の生徒からこういう意見が出ました。
「5年生になったらフォレ祭があって
その時にみんなを引っ張っていかなければならないので
その練習の意味もあると思います」
「おー、なるほど」と思いました。そう口に出して言ったかもしれません(笑)
確かに聖夜祭は4年生が中心になってやるので
いろんな人をまとめて1つの物事を進めてやりとげる
という意味ではリーダーシップの発揮の場になっていい機会だなと思いました。
その経験は翌年度のフォレ祭でも生きてきますし、
これは将来的にも意味のある経験になるんじゃないかなと思います。

そして、何よりも素晴らしいなと思ったのは
そういう意義付けをその生徒自身が持っていて
それを僕に対してもきっちり伝えられるということでした。
ひょっとすると、そう思っているのはそう言ってくれた生徒だけかもしれませんが
それだけでも十分意義のあることじゃないかなと思います。

■今後の聖夜祭
最後に、こうなってほしいなというのを付け加えるなら、
自分達で盛り上がるだけじゃなくて、普段お世話になっている寮職員の方々やそのご家族、
先生方やそのご家族、地域の方々も含めてみんなで楽しめるような会になるともっと良いなと感じました。
あの情熱とエネルギーはすごいと思うので、それをもっと多くの人と分かち合えるようにできればなと。

ただ、それは自分達もできていたことではないので、欲張りというもんでしょうね。
しかしながら、それができると、全国にもそんな学校そうそうないと思うんで
学びの森の特色をつくる(ひょっとすると伝統を新たにつくっていく)プロセスを
体験できると思うので面白いと思うんですよねー。

そんなことを思ったのでした。
次回は、「ストレス」に関する話について書きたいと思います。

2012年1月19日木曜日

卒業生が語る会の続き(自分がしゃべった内容)


前回の内容の続きです。
(前回の記事:「卒業生が語る会」(仮称?)に行ってきました

■自分が話した内容
さて、後輩に向けて自分が話した内容ですが、以下のような内容です。

プレゼン資料を最初に作った時は、伝えたいことを盛り込み過ぎたので今回伝えたいポイントを1つに絞りました。元の資料でリハーサルしたところ、5分の1くらい読んだだけで持ち時間に達してしまったので…(^ ^;)

元々伝えようと考えていたポイントとしては以下のようなことがありました。
  1. 進路や人生の考え方には山登り型と川下り型がある
  2. 自分のアタマで考えよう
  3. 五ヶ瀬にいることの意味
  4. インターネットの変化が与える影響 - 情報を使いこなす力を身につけよう 
■山登り型と川下り型
その中で、今回は1つ目のポイントに絞りました。
すなわち、以下のような2つの考え方があるよという話です。
  • 山登り型
    …目標を設定して、それに至るまでのステップを整理し、1つずつクリアしていく
  • 川下り型
    …今自分が置かれている環境や今持っている自分の興味・能力に応じて物事を判断し、進めていく
基本的に学校から就活に至るまでで教えられる考え方っていうのは、山登り型の考え方がベースだと思うんですよね。目標を設定してそれに頑張りましょうという。でも、自分自身が山登り型の考え方にとらわれ過ぎて一度失敗した経験があったので、それを踏まえて、川下り型の考え方もあるよ、山登りでうまくいかなかったら川を下ってみたらいいんじゃないの?っていうことを伝えたかったのです。

自分は、どこでこういう考え方を知ったかというと、新卒で入った会社を4カ月で退社してしまい、人生に挫折していた時期でした。友達の家に行った時に、たまたまそこに置いてあった本を読んだところ、川下りっていう考え方もあるという話が書いてあったのです。

就職活動中は、ずっと、自己分析とかをやって自分のキャリアとか将来像とか夢を作って、そこに至るステップとしてどういう会社を選ぶべきかみたいなことばかり考えていて、結局それに則って会社を選んでいたのでその時の自分にとっては目から鱗でした。山登りの考え方で一度失敗していたので、 川下りの話が心に残ったのかも知れません(新卒時に読んでいてもスルーしていたかもですね)。

そんなわけで、今すぐには関係なくても、生徒の誰かが山登り的に考えていて失敗した時に、そういえばあの先輩がああいうことも言ってたから、山登りでうまくいかなかったからといって人生終わりじゃないよなと思ってくれればなと思って伝えることにしました。

もちろん、どちらが良い悪いという話ではないですし、人生のあるフェーズにおいては山を登ることが必要ですし、別のフェーズにおいては川を下るように考えた方がうまくいくこともある、ということだと思っています。ただ、山登りの考え方しか知らず、それにとらわれ過ぎているとうまくいかないこともあるので、両方知っておけるといいんじゃないかなーというのがポイントでした。

■講演の感想
まず、上の話は、そんなに響く内容じゃなかったかなと感じました。反応がちょっと鈍い感じもしたので。質問もそんなになかったです(残念!)。講演の時にも言ったんですが、4年生というよりは、5、6年生の向けの内容かなと思って作ったものを、いけるかなーと思って話してみたんですが、もう少し別の内容の方が良かったかなと思っています。

講演後に別のところで話した時は、これから5年生になるにあたって、後輩のまとめ方とかそういう話も悩んでるみたいだったので、リーダーシップの話とかをしたら良かったのかなとも思っています。次回機会があったらそういう話もしてみたいと思います。

話している時の様子を見る感じでは、女子の方が真剣に聞いている感じでしたね。前の方に座っていたからかもしれませんが、若干男子の方が頼りない感じというか、質問とかをしてもウケねらいで聞いているというか…まあ自分達もそんなだったような気がするのでそういうもんかなとは思います(笑)

あと、この講演会を企画した先生が1期生の卒業生だったということもあり、その先生が在学中はどういう人だったかみたいな興味が結構強いみたいでした。正直、もっと別のことを聞いたら良いのにとは思いましたが、それは卒業生視点ですかね…(^ ^;)

講演の後、夜に食堂でご飯を食べながら4年生や6年生の生徒と話をしました。その時に感じたことはまた次の記事でまとめたいと思います。