2012年4月10日火曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(4)

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー第2弾、田部篤太郎さんの話の続きです。
前回に引き続き、五ヶ瀬時代の話です。受験や寮生活での友達との関係についてです。

前回までの記事はこちら↓



―そっから受験っていうのが一大イベントになってくるよね。そこはどういう感じやったん?

中村先生覚えてるかな?一回国際関係の話で僕らが高校2年生の時に講演に来てくれた中村安秀先生(※)。

JICAで勤めててインドネシアとかに行ってた人。あの人にはまったのが進路のきっかけだね。
元々英語が好きやったっていうのと、できれば青年海外協力隊とか国際公務員とか国際関係で行きたいなという気持ちが、中村先生の話を聞いたときに出てきた。

その後、いろいろ話を聞いて、面白いな、こういう道もあんねやと思って。そこからJICAとか国際関係の方に目がいくようになった。

(※)プロフィールはこちら

そう考えた時に、大学どこ行こうかっていうのは単純やった。中村先生の研究室がある阪大の人間科学っていうところが一番ええなぁ、と。あとは僕はあんまり東京に対する関心がなくて。逆にうちの父方が滋賀やったから、親戚の近くでおると楽やなと思って。関西圏域におると、なんかあった時に頼れるし、時々行ってるところやから、まだ雰囲気が分かるし。

だから、志望校は全部関西圏にしてた。そのなかで大阪府立大学を入れててさ。一応、社会福祉系も関心があったから、社会福祉系と心理学系とあと国際関係とという形で志望は定めたの。

センター試験の結果、その中で書いていた大阪府立大学が一番確実やから「そっちにせい」ということになった。


―それは何?先生から言われたの?

先生から言われたね。


―言われた時はどう思ったん?

もう喧嘩したよ(笑)。僕はセンター試験でそんなにミスをしなくて、予想以上に点数がとれてたのよ。それで、とりあえず阪大受けられるわと思った矢先に先生から言われたのが、「府大があるやないか」やったからね。

そこで結構もめたし、当時は浪人してもいいから阪大を受けたい気持ちがあったけど、結局、いろんなところに相談して、府大を受けることにした。


―それは上水先輩とかと?

そうそうそう。


―それはどういうふうに気持ちが変化したと?

確かに精神的にも参ってた頃やったから、僕が一浪するのは精神的に持たんのちゃうかなという先生の気持ちとか親の気持ちとかも分かるからさ。

そこんところで受けることを決めた。ただ、意地があるから、前期が落ちたときの後期は必ず阪大を受けようと思ってたね(笑)。


―結局じゃあそのまま府大に入ったの?

そう。ただ、府大に入っても、最初は編入で阪大を目指そうかとか、大学の2年のはじめくらいまでは考えてたよ。編入試験とかもあるよなという話を聞いたりとか。

やけどね、それもまた大学に行くとまた変わるんよ。


―おお、それはまたじゃあ大学編で聞くとして、高校編の最後として聞きたいのが、精神的に参ってたっていうのは何でやったんやろか?

なんやろうね…今考えるとわからへんね。たぶん、なんやろう…、のめり込み過ぎたのかもしらん。


―それは勉強に?

勉強のことについても、自分のことを考えることについても。

例えば同室だった松葉君はよく知ってるんやけど、その頃、僕哲学にハマってたのかなんか知らんけど、松葉君に千円札を見せて「なんでこんな紙切れで生きていかないかんねん」とかいう話をしたこともあったね。

「これはただの紙と思えばただの紙やないか」と。でもこれで人はものが買えたりほしがったりする。ゴミ箱に捨てたらどうするかとか。で実際にゴミ箱に捨ててみたりとかさ。後でとるんやけど(笑)そんな感じのことをやってたりとかしたね。

そういうことを松葉君に問いかけたりして怒られたりとかしてさ。高校の2年とか3年で、こんだけ勉強しても何か意味があるのかとか、自分がここにいることといないことの差とかさ、そういうところで完璧にノイローゼになってたね。


―それは何ていうのかな?良い悩みやと思うんよね。お金に話なんかは大人になっても学者とかも一生懸命考える話やん。
それとか自分がいる意味とか哲学的なことも皆一度は考えるような問題やと思うんよね。おれも考えたことあるし。それが、思いつめすぎて、重荷になってしまったのはどこにポイントがあったんやろか?

悩み方を僕が間違えたんやと思う。社会と自分を考えたときに、もうちょっと客観的に見れたら良かったんやけど、自分の内面の方に向かっていったからさ。そうなると、自己否定とかマイナスの方に働いたんやね。今でこそ、こうやって客観的に言えるけど、当時は歯車が完璧に狂ってたよ。

それを戻そう戻そうと助けてくれたのも同級生の人たちやったから、そういう意味でも本当に感謝しているし、頭が上がらんね。特に近い人達にはすごいお世話になったなあ…助けられた。話を聞いてくれたし、バカなことをしてるとバカって言われたし。


―そこに反発みたいな気持ちはなかったの?素直に聞けた?

無かったね。僕からもSOS出してたし。そういう意味では、僕は一番奥の端っこの部屋で一人部屋やったけど、そうやって助けを求めたし、よう助けてもらってた。


―いやー、そこで思いつめすぎなくて良かったね。

そういう意味では、さっきの話とも通じるけど、最初は先輩たちとの付き合いでおったけど、高校に上がる中でちゃんと同級生の中で支えてもらう人とか、助けを求められる人たちができたことっていうのは、とてもとても良かったと思う。


―いやー、しっかり寮生活を送ってるなあ(笑)人生の危機を乗り越えたっていうのが大事やね。

今でこそ、こうやって話をできるけど、周りにしてみればいい迷惑やと思うよ。


―まあそうやけど、そういうもんだって。

「そういうもんや」って周りが思ってくれるから、なおさらありがたいです。

当時にしてみると、すごくひっちゃかめっちゃかになってた部分が、ある程度年数過ぎてきちんと振り返ったときに、つながってる感覚をもてているっていうのが良かった。

ただ、当時は助けてもらってるけど、それでもバカなことはするし、それでも甘えてしまう部分があるし、それは正直言うと大学入ってもしばらく続いていたね。

今回は以上です!

続きはこちら↓

2 件のコメント:

  1. うーん。深いね。
    哲学的見地に立って思い悩む経験は、人生において大なり小なり誰しもが考えるんだと思う。それがどれだけ深いかはその人次第だし、深く悩んだ人ほどその後の人生に良い影響を与えていると思う。

    人はなぜ生きるのか的な事から、なぜ勉強しないといけないかとか、考えても正しい答えがないことに見切りを付ける自分みたいな人を、世の中では楽天主義者というのかも。

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  2. ご無沙汰しております。
    個人的には、哲学という自分自身の肩幅を大きく超えたものに目が向いてしまったのは反省も含めて振り返っています。
    もっと、身近な物事を出発点にして、悩みながら、その疑問の指標として学びが得られれば、それは非常に有意義なものだろうし、そこに人との関わりがあることが非常に有効だと思いますね。
    いい体験を寝かし、今になって練ることができていると思います。

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