2012年4月9日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(3)

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー第2弾、田部篤太郎さんの話の続きです。
前回は五ヶ瀬に入学してから中学校くらいの話でしたが、今回はその続きです。
特に勉強についての話が中心です。

前回までの記事はこちら↓




―ところで、1期生の先輩はおれらが中3になる時に卒業していくやんね。中3から高校くらいはどうやってたの?

1期生の先輩がおらんでも2期生の先輩がおるからさ(笑)


―なるほどね(笑)

1期生の先輩や2期生の先輩は、同じか先に入っているからすごく頼らせてもらってた。逆に、僕らが中3の時に高1で入ってきた先輩たちとは一緒にいろいろできた先輩が少なかったかな。あの頃、ごちゃごちゃしたこともあったやんか。


―あーそうやったかねー。確かにそういうのがあったかもな…でもまあ2期生の先輩も卒業していくわけでしょ?

そうやねー。でも、そん頃には受験勉強も忙しくなってきたし。


―なるほど、ブログのコメントでももらってたけど、勉強が面白くなってきたプロセスってどんな感じだったの?

そうそう、勉強が面白くなってきたのは、できるようになったからかな。


―おー、それは大体いつ頃どんなふうに?

たぶん中3と高1の間やと思う。


―それは徐々にって感じ?それともなんかきっかけがあった感じ?

いや、急に上がった覚えがある。


―点数が?

点数が。もともと僕は中1の頃はそんなにできんかったからね。だから、英語でしゃべるようにしたりとかボキャブラリーを覚えるようにしたりとか地道にやってきたものが、点数っていう数字に結びつくのに2年くらいかかったんやと思う。


―おー、それはじゃあ中1からずっとやってて、中3くらい?

中1っていうか中2からか。中1でずっと点数悪かったから。中1はね、ホントに点数悪かったよ。中2から意識してずっとやって、中3~高1くらいからちゃんと数字に表れるようになってきた。

逆に、高校に入ってから新しく詳しくなってきた日本史とか世界史とか地理とか、細かく分かれたりしたものは、勉強の素地がなかったから悪かった(苦笑)。


―面白いね。自己効力感というか、やったことが結びついているというのがモチベーションになってるんやなー。

そうね、そうなったね。逆に理科系の生物とか化学とかはそれで上がらなかった。
あと、僕は社会は良くなくて、その後いくら勉強してもなかなか上がらんかった。


―それはやる気が起きなかったの?

うん、あまりやる気が起きなかった(苦笑)谷口先生(※)には悪いけど、授業はおもしろくても日本史そのものへの関心は低かったな。だから、覚えられなかった。

(※)日本史の教科担任の先生。ちなみに以前の記事で書いた、面白い日本史の授業をやってくれたのもこの先生。人によって面白さが違うところもまた興味深いですね。


―それはなんでなん?

なんでやろ。関心もたんと身につかんのかね…
ドン君(※)とかはどうやったん?

(※)インタビュアー(松本暁義)の五ヶ瀬時代のあだ名です。大きくなった今でもいまだにドン君呼ばわりです。たぶん墓場まで…


―うーん、たまたま田部の英語のパターンが最初からずっと続いていたのと、全教科わりと当てはまったんで、ラッキーやったんやね。

だから結構面白かったもん。結果が出て、やったらできるみたいな感じやったから。
そうよね、あなたは英語にしても、楽しみながら勉強してたもんね。Z会にしても。


―あー、でもZ会は結構辛かったんよね…今思い出したけど、モチベーション2.0と3.0の違いの話と一緒で、Z会の勉強って大学に入るためにやってたんよね。東大に入るためにというか。報酬があって、そのためにやるみたいな。だから義務感的なところでやってたんだけど。他の普通にやってた勉強は普通に面白かった。テストとかも結構楽しみにしてたし。だからラッキーだったよね。

そっか。あと何やろうな…、勉強で面白いのって。人に教えられるようになるっていうのは良かったね。


―おー、それはおれもあるな。それはどのへんで教えてたんだっけ?

数学なんかは日々課題とかあったやんか。あの時に解き方とか教えたりとか。


―それは違う種類のモチベーションやね。

中学から高校になるまで、僕は自分の役割的なものというか、自分の理想とする像と実際の自分がずれてたところがあって。

例えば、原田君(※)の部屋にみんな休みの日に集まったりとか、あんな感じで人が集まってくるのを見て、自分にはないものを「ええなぁ」とか思ったり。

(※)同級生。なぜかいつもみんなこの人の部屋にたむろしていた。しかし、原田君はいつも寝るのが早いので、たむろしていた人も消灯時刻の1時間くらい前には追い出されていた。


―あー、それは分かるなー。

グループを作る時、修学旅行とかで集まる時に、この人のところには集まるなとか。ああいうのみると羨ましいなとかはあった。そういうところで言うと、高校にあがって勉強の部分で教えたりとか、そういうところでの自分の役割(人との関わり)に、自分自身の理想像を落とし込めたから、余計に面白かったのかもしらん。


―あー、そうか、写真とかも結構いっぱい撮ってたやん?あれもそういうところに関係するんやろか?

そうね。写真なんかも、別に僕は正英(※)みたいに写真自体にこだわることもなかったからね。

(※)同級生。写真部に所属してアサヒグラフとかを読んでいた。


―そうそう、そこが違うやん。田部は人のために撮ってたよね。正英は自分の興味やったけど。だからそういうのが役割を見つけたいっていう今の話に通じるんやない?

そういうところで自分の役割とかを持てたっていうのは良かったのかなって。逆に、それをみんなが認めてくれたからなんやろうけど。


―それすごい大事やね。五ヶ瀬で過ごす6年間がうまくいくかって結構それにかかってるよね。クラス内のポジションというか。40人しかいないし、固定やからそこで失敗してしまうと結構大変やん。うちの学年は比較的それぞれの人にうまくポジションがあったような気もするけど、そういうのが見つけられないと結構辛いかもね。

ただ、逆にいうと6年間っていう長いスパンがあるから、役割も変わったりもするね。例えば、中1から入る時に大学受験のことなんてあんまり考えへんしさ。

高校に上がったときに持つ役割と、中学校の頃に最初に集まった人たちで自然にできた役割付けっていうのは、変わる人は変わってることないかしら。


―そうやね。おーなるほど、それは面白いね。そういうふうな役割を意識するようになったっていうのはなんでやろか?元から?

それはたぶんそれまでの環境ちゃうかな…。
例えば、それ以前に自分の持ってる役割が、自分自身の中でうまいことしっくりきてなかったりとか。隣の芝は青いとかじゃないけど。


今回は以上です!

続きはこちら↓

0 件のコメント:

コメントを投稿