2012年4月14日土曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(5)

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー第2弾、田部篤太郎さんの話の続きです。
前回までで五ヶ瀬時代の話を聞いて来ました。
今回は五ヶ瀬を卒業した後の大学時代の話についてです。

前回までの記事はこちら↓


―そんな感じで大学までなんとか行ったとして、大学入ってからはどうしたと?寮の友達とかはいなくなるやん。どういうふうに過ごしてたん?

えっとね…みんな東京と福岡に行っちゃって関西はあんまりおらんかった。
最初は友達といっても五ヶ瀬の友達しかおらんかったしね。上水先輩とかとは仲良くさせてもらったけど。


―そういえばお前卒業してから、五ヶ瀬のこと結構拒絶しとったやろ?

うん。甘えの続きの部分だね。五ヶ瀬の人たちと連絡とる時、おらんのになんか隣におるような感じで、頼っている自分が寂しすぎるなと思ってね。

そういったものに頼らないといけないこと自体が嫌になってた。そういう部分では、言い方は悪いけどリセットしようと。関係を一回絶ってしまおうと自分勝手に思ったんよね。

僕は別のところで新しいつながりの中でやっていきたい、生き直しをしたいと。そういうところで一回関係を完璧に遮断したね。そん時も怒られたけど(苦笑)

遮断しようとしても中途半端で、やっぱり会いたい人とは会ってたりしてた。それがバカやったなっていうのに気付くのにも2年ちかくかかったね。


―それはどうやって分かったと?

最初、距離のとり方が最初分からんかったのが、大阪で関係が増えていく中で、ある程度距離がとれるようになったっていうのがある。

それと、自分にとって五ヶ瀬の関係っていうのはすごい大事やったんやな、助けられてたんやなっていうのを感じて、それをバッサリ切ったっていうところでまたバカをしたなと思って。

そこで関係をとらなくするか、謝って戻るかという選択肢で、頭下げてでも取り戻したいってほうを選択した。


―それはどうやって?徐々に連絡とって?

そうね、徐々にやね。自分で関係を絶った人に連絡をするようにした。そんな感じでまた関係を作り始めたね。


―まあ確かにバカっちゃバカやけど、思考のロジックは通ってるよね(笑)言ってることは分からんでもないよ。

いやいや、周りからすると振り回されてたと思うよ。今だからこうやって話せるんだろうけど。


―それはそうやけど、でも本人の中ではそういうロジックで1回つきつめないとっていうのはあったんやない?

たぶんそう思う。そういう意味では、大阪でできた友達も、ものすごい良い人達やったっていうのもあった。

どっかの歯車が狂ってたら、今頃僕は社会不適応とか精神面で病気、障害に入っていたのかもしれない。人を振り回してしまう病気とか、そういう分類かもしれんけど。

―まあでもそれは濃淡の問題であって、「個性」とかっていうのとあんまり変わらない領域になるよね。

そう言われれば、そうかもしれんけどね。


今回は以上です!

続きはこちら↓

0 件のコメント:

コメントを投稿