前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)
前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」という内容です。
五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られています。
<五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え>
以上述べてきた考えを実現しようと模索し始めたのは、学校教育課長時代(1983)である。県立中学校を新設して、既存の高校に付属させる方法を始め多角的に検討したのだが、常に肝心な所で、現行法規の壁に阻まれて行き詰っていた。
ところが、1985年に臨時教育審議会が発表した一次答申の中で、6年生中等学校の設置に言及した部分があり、中・高一貫教育に一つの光明を見出した。その後(1987)宮崎県では、県北西部山間地帯(五ヶ瀬村)に「人間性回復の森」として、山村の有効利用を理念とするフォレストピア構想が策定された。
この構想の中に「学びの森」ゾーンが位置づけられ、林務部から全国に向けた少年自然の家を想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の施設との関係で、有効利用の目途が立たないとしてこれを拒否した。
最後には、教育長に一任するということにまでなってしまった。臨時教育審議会の一次答申に力を得ていた後でもあり、即座に中・高一貫教育の学校を設け、森林とその空間を媒体とした教育を展開したい旨口頭で回答した。林務部がこれを了承したので、直ちに新年度の予算要求に踏切った。
今回は以上です。
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)
前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」という内容です。
五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られています。
<五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え>
以上述べてきた考えを実現しようと模索し始めたのは、学校教育課長時代(1983)である。県立中学校を新設して、既存の高校に付属させる方法を始め多角的に検討したのだが、常に肝心な所で、現行法規の壁に阻まれて行き詰っていた。
ところが、1985年に臨時教育審議会が発表した一次答申の中で、6年生中等学校の設置に言及した部分があり、中・高一貫教育に一つの光明を見出した。その後(1987)宮崎県では、県北西部山間地帯(五ヶ瀬村)に「人間性回復の森」として、山村の有効利用を理念とするフォレストピア構想が策定された。
この構想の中に「学びの森」ゾーンが位置づけられ、林務部から全国に向けた少年自然の家を想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の施設との関係で、有効利用の目途が立たないとしてこれを拒否した。
最後には、教育長に一任するということにまでなってしまった。臨時教育審議会の一次答申に力を得ていた後でもあり、即座に中・高一貫教育の学校を設け、森林とその空間を媒体とした教育を展開したい旨口頭で回答した。林務部がこれを了承したので、直ちに新年度の予算要求に踏切った。
今回は以上です。
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