前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)
前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「はじめに」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「中学・高校の一貫教育への期待」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」
前回に引き続き、五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られていますが
設立の検討の様子がドラマチックに描かれています。
<松形知事の決断>
折角意気込んで作成した予算案は、財政課長査定で没になる。知事に話だけでもさせて欲しいとねじ込んで、強引に知事査定の場で説明だけすることを許された。県教委の予算査定を終了した所で、説明に移ったのだが途中から意図的に予算要求に切替えた。
当然財政課長からストップがかかったけれども、無視して説明を続けた。同席している知事部局幹部も、当初予算額は勿論、後年度負担額と遠隔地で全寮制であることから、応募者に自信がもてないなどの理由で反対である。
半ばあきらめ、半ば投げ遣り状態で、県政の柱の一つである「人づくり」は、学校教育が基本になる、国際社会で活躍する人間は、豊かな人間性としっかりした人生観をもった者でなければならないなど……。
ようやく座が白けたと気付いた時はすでに遅かった。完全に諦めてしまった所に、知事から「どんな人を育てるつもりか?」と下問があった。既に、言いたいことは言い尽くしていたので、これ以上何も言うことはない。期待している生徒像も説明ずみである。その間、知事は提案について種々考えをめぐらし、説明の全部を聞いていなかったのだと後で思ったのだが。
仕方がないから宮崎県は神代の昔、日向(ひむか)の国と言った。後の神武天皇は、此の地から東征されて、わが国の体制を築かれたという言い伝えがある。そこで、21世紀中に卒業生の中から、一人で良いから第二の神武天皇を世に送り出したいと言ってしまった。
並居る県幹部も県教委の職員も、これで一巻の終りと思ったという。私もつまらぬことを言い過ぎた。遂に夢は消えたと思った。しかし、次の瞬間「児玉さん、やろうよ!」と知事の目が輝いた。
やっと陽の目を見た思いで、国との折衝に入ったのだが時機が悪かった。既に、中・高一貫教育を取り入れていた私学に、受験競争の低年令化が生じ、これが社会問題に発展していたのである。
加えて、法的根拠を欠く計画であることから、理解はおろか全く問題にされなかったのだが、一部若手関係者からは陰ながら支援を受けたけれども、結局は中学校に属する施設・設備、教員等はすべて県単独事業にならざるをえなかった。
幸いしたのは、知事がこの事業に積極的に打込んでくれたことである。後に国も研究開発校に指定して、現行法規の枠内での配慮をしてくれるようになった。
今回は以上です。
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