2013年1月4日金曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「中学・高校の一貫教育への期待」


前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。

前回の記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)


今回は、「中学・高校の一貫教育への期待」という内容です。これからの教育のあり方として、「押しつけの教育」ではなく「じっくり待つ教育」への転換が必要であり、そのために中高一貫にして「ゆとり」を生み出すことが提唱されています。


<中学・高校の一貫教育への期待>


多感な少年期から青年期にかけて、年令相応の倫理観を培い、お互いが切磋琢磨し、自己啓発と同時に人生観の芽を育むこと、強制されてではなく、自らやる気になって学ぶ態度を養うこと、更には、体験的な知識・技能の習得を通して創造性を養うことなど、今の中等教育が見失っている部分に挑戦する所に、問題解決の糸口があると考えている。

そして、これらを期待する教育の在り方としては「押しつけの教育」ではなく、相手がその気を起こすまで「じっくり待つ教育」への転換が必要だと思っている。

しかし、それにはかなりの時間的余裕を要するわけだが、中学・高校の教育内容を整理統合して接続することによって1年から1年半の余裕時間が生み出せると試算している。そしてこれを6年間に割り振れば、全体として「ゆとり」のある教育を可能にする。

かつての旧制中学校は5年制であった。旧制中学時代、最も悪童ぶりを発揮したり、逆に、興味・関心のある教科や技能を、自分なりに徹底して追究したり、文学書に耽溺し、哲学的思索に耽ったのは、第3学年であったと記憶する。この学年は学校の雰囲気にも慣れ、進学にはまだ間のある学年であって、5年間で最も弛んだ学年であった。今に思えば、この時期を経験したことが、後の人生にかなりの影響を受けたと思っている。

それに比して現今の中学生、高校生は、それぞれの受験が重くのしかかった6年間を過ごしているわけである。常に何者かに急き立てられながら生活した者に、個性豊かな、創造的発想をもった人間を期待するのは無理である。余裕をもって、生徒の内面的な成長を待ち、生徒自身を自立した健全な体質に変える努力を怠ってはならない。

学習指導面から言えば、受験のための「詰込み教育」が問題である。強制的に詰込まれる側には、限界を超えるものが出てくる。知能を磨くにしても、受動的にではなく能動的にじっくり磨き上げることが大切である。と同時に個々の学力差に応じた教育が必要であると考えている。

「差別」という概念ではなく、特定の期間に獲得できる知的学力には、明らかに個人差があるという実態に立っての考え方である。学力別学級編制のほかに、個別のカリキュラムの導入や個性に応じた選択教科・科目の開発・導入が考えられなければならない。

21世紀を目前にして、現行の教育制度だけでは、現代から未来にかけての少年達を満足させることも、時代の期待する人材の育成も困難であると言わざるをえない。




今回は以上です。

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