五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー第2弾、田部篤太郎さんの話の続きです。
前回から大学時代の話です。今回は、大学で勉強した内容についてです。
前回までの記事はこちら↓
―ところで大学に入ってから福祉系に関心が移ってるわけでしょ。元々は国際関係とかやりたかったわけやん。それはどう転換したの?
何やろうね。うちの大学の特徴なんやろうけど。うちの大学はしっかり勉強させてもらえたんよね。
日本で社会福祉の理論を確立したの一人に岡村重夫っていう人がいいるんだけど、うちの大学の前身のときの先生なんよね。理論も実践もしっかりと教えてくれる大学だった。
(※)詳細はこちら: Wikipedia 岡村重夫さんの記事
―大学ではどうやったん?
理論的なこともみっちり教わったけど、それにあわせて実際に動いていくことができたのがよかった。最初は大学1年の冬にホームレス調査になぜか誘われて。ホームレス調査の調査員で回ってた。
―それはどんな調査なん?
5年に1度ある国勢調査の一貫の生活実態調査。それを大阪府立大学と大阪市立大学の先生がやってて、講義の受講生や希望学生が調査員として入るの。
一軒一軒テントを回って、路上生活している人の様子を確認したり話を聞かせてもらったりした。
―それは怖くなかったの?
調査前は怖かったけど、話を意外と聞かせてくれる人達も多かったね。調査をしていく中で社会福祉に面白さを感じた。
バブル当時の頃にめっちゃ建築とかやってた人達が今畳の上にも上がれずに、こういう状況にある。
今の社会を築いてきた人たちがだよ。そういうことを考えることができたのがよかった。その頃も先輩達と朝方までずっと大学まで先輩たちと思想、哲学なんかの話をしたね。立岩信也とか(笑)。
―なんじゃそら。
ネットで調べればたぶん出てくるよ。障害概念や自己決定について論じている。難しくて僕もきちんと理解できていないけど。。自分自身に内在する差別や偏見なんかも含めて、話をすることができた。
―それは高校の時に考えてたような問いの立て方と通じるね。
うん。その通じる部分について、しっかりと勉強してる人達と話ができたのが良かった。
―それは行くべきところに行ったって感じやなー。
ジョンの話も一緒なんやけど、ゼミを選択するときも、いろんな先生方の研究室をたずねて、先生の講義で考えたことやもう少し深く知りたいことを聞きに行ったよ。
ゼミを選択するときに、時間が決められたゼミ紹介だけでは物足りなくてさ。だったら、講義終わった時とか合間に、扉を叩いて直接聞いたほうがいいやって思ったの。
その時に今の僕のお師匠さんと先輩と出会って、そこに行こうと決めた。それが精神障害だったから、その後は精神障害者福祉の領域にのめり込んでいったんだ。
―そのお師匠さんのところに行こうと思ったのは何でなん?
講義が終わった後に、僕が夕方6時くらいに先生のところノックしたら、先生がちょうどいててさ。
マンツーマンで夜8時くらいまで話をしたんよ。そこで、大量に本と資料と知識をくれて。
その後、先生とご飯を食べに行ったのを覚えている。先生の考えや、今勉強すべきこと、やっておくべきことなんかをずっと僕一人に話してたんよ。ちょうど、先生のゼミの先輩もすごく面白いひとでさ。この先生と先輩のところで勉強したらおもしろいなって感じたの。
その後も他の先生方とも、勉強会作って活動はしていたけどね(笑)そういう点では、本当に自由にさせてもらったや。
―そこで何を研究したの?
僕は精神障がい者の地域生活支援をテーマにしていた。障がい者の就労継続事業や相談支援センターなんかが制度としてあるんだけど、当時は作業所や授産施設って呼ばれていたんだ。
そこに集まる当事者の人たちにとって、そういった場がどういう意味があるのかに関心を持ったの。それと当事者の人たちだけじゃなくって、職員やボランティア、地域の人たちが場を創り上げていくプロセスや、場と人との相互作用なんかに関心をもった。
そういった活動や地域づくりとかね。有名なところでは浦河べてるの家なんかはいろいろ本とか出してる。
(※)詳細: Wikipedia 授産所の記事
―それはどういうふうに意味づけられてるの?
う~ん。実際には人それぞれで意味づけを限定できなかったけど。限定するというよりは、人の生活の中、人生の中で、場所を通じた他者との関わりが非常に重要だということ。
また、精神障がい者にとって、多様な意味づけをしながらも、関わり続け、時間経過の中でその意味づけも変化していくことのできる場として、作業所が非常に価値のあるものであること。
そして、その要素として人との関わり(刺激)、考える時間、それに寄り添う人、そして場所があることなんかをまとめたかな。本当はもっと勉強していかないといけないんだけど。
―すごいな。それはいつの時?
大学4年の時。もともとお師匠さんから紹介された作業所に行き始めてから、ずーっと関わってたところをもとにして、インタビュー調査させてもらったんだ。
今回は以上です!
続きはこちら↓
前回から大学時代の話です。今回は、大学で勉強した内容についてです。
前回までの記事はこちら↓
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(1)
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(2)
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(3)
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(4)
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(5)
―ところで大学に入ってから福祉系に関心が移ってるわけでしょ。元々は国際関係とかやりたかったわけやん。それはどう転換したの?
何やろうね。うちの大学の特徴なんやろうけど。うちの大学はしっかり勉強させてもらえたんよね。
日本で社会福祉の理論を確立したの一人に岡村重夫っていう人がいいるんだけど、うちの大学の前身のときの先生なんよね。理論も実践もしっかりと教えてくれる大学だった。
(※)詳細はこちら: Wikipedia 岡村重夫さんの記事
―大学ではどうやったん?
理論的なこともみっちり教わったけど、それにあわせて実際に動いていくことができたのがよかった。最初は大学1年の冬にホームレス調査になぜか誘われて。ホームレス調査の調査員で回ってた。
―それはどんな調査なん?
5年に1度ある国勢調査の一貫の生活実態調査。それを大阪府立大学と大阪市立大学の先生がやってて、講義の受講生や希望学生が調査員として入るの。
一軒一軒テントを回って、路上生活している人の様子を確認したり話を聞かせてもらったりした。
―それは怖くなかったの?
調査前は怖かったけど、話を意外と聞かせてくれる人達も多かったね。調査をしていく中で社会福祉に面白さを感じた。
バブル当時の頃にめっちゃ建築とかやってた人達が今畳の上にも上がれずに、こういう状況にある。
今の社会を築いてきた人たちがだよ。そういうことを考えることができたのがよかった。その頃も先輩達と朝方までずっと大学まで先輩たちと思想、哲学なんかの話をしたね。立岩信也とか(笑)。
―なんじゃそら。
ネットで調べればたぶん出てくるよ。障害概念や自己決定について論じている。難しくて僕もきちんと理解できていないけど。。自分自身に内在する差別や偏見なんかも含めて、話をすることができた。
―それは高校の時に考えてたような問いの立て方と通じるね。
うん。その通じる部分について、しっかりと勉強してる人達と話ができたのが良かった。
―それは行くべきところに行ったって感じやなー。
ジョンの話も一緒なんやけど、ゼミを選択するときも、いろんな先生方の研究室をたずねて、先生の講義で考えたことやもう少し深く知りたいことを聞きに行ったよ。
ゼミを選択するときに、時間が決められたゼミ紹介だけでは物足りなくてさ。だったら、講義終わった時とか合間に、扉を叩いて直接聞いたほうがいいやって思ったの。
その時に今の僕のお師匠さんと先輩と出会って、そこに行こうと決めた。それが精神障害だったから、その後は精神障害者福祉の領域にのめり込んでいったんだ。
―そのお師匠さんのところに行こうと思ったのは何でなん?
講義が終わった後に、僕が夕方6時くらいに先生のところノックしたら、先生がちょうどいててさ。
マンツーマンで夜8時くらいまで話をしたんよ。そこで、大量に本と資料と知識をくれて。
その後、先生とご飯を食べに行ったのを覚えている。先生の考えや、今勉強すべきこと、やっておくべきことなんかをずっと僕一人に話してたんよ。ちょうど、先生のゼミの先輩もすごく面白いひとでさ。この先生と先輩のところで勉強したらおもしろいなって感じたの。
その後も他の先生方とも、勉強会作って活動はしていたけどね(笑)そういう点では、本当に自由にさせてもらったや。
―そこで何を研究したの?
僕は精神障がい者の地域生活支援をテーマにしていた。障がい者の就労継続事業や相談支援センターなんかが制度としてあるんだけど、当時は作業所や授産施設って呼ばれていたんだ。
そこに集まる当事者の人たちにとって、そういった場がどういう意味があるのかに関心を持ったの。それと当事者の人たちだけじゃなくって、職員やボランティア、地域の人たちが場を創り上げていくプロセスや、場と人との相互作用なんかに関心をもった。
そういった活動や地域づくりとかね。有名なところでは浦河べてるの家なんかはいろいろ本とか出してる。
(※)詳細: Wikipedia 授産所の記事
―それはどういうふうに意味づけられてるの?
う~ん。実際には人それぞれで意味づけを限定できなかったけど。限定するというよりは、人の生活の中、人生の中で、場所を通じた他者との関わりが非常に重要だということ。
また、精神障がい者にとって、多様な意味づけをしながらも、関わり続け、時間経過の中でその意味づけも変化していくことのできる場として、作業所が非常に価値のあるものであること。
そして、その要素として人との関わり(刺激)、考える時間、それに寄り添う人、そして場所があることなんかをまとめたかな。本当はもっと勉強していかないといけないんだけど。
―すごいな。それはいつの時?
大学4年の時。もともとお師匠さんから紹介された作業所に行き始めてから、ずーっと関わってたところをもとにして、インタビュー調査させてもらったんだ。
今回は以上です!
続きはこちら↓
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