2012年10月22日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(7) - 大学受験と新聞奨学生

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
2001年卒業生の池野将史さんの第7回です。

いよいよ今回で最後です。
今回は、大学受験や大学進学後の新聞奨学生時代、そして学習についてです。

以下インタビューです。


若干眠そうに写っている池野さん
―卒業後はどういう方向に進もうと思ってたの?

中3の時に割と絵を描くのが好きだった。
でも、うちからだと美大に行くのは割と難しいぞみたいなのがあった。

とりあえず美術は好きだったんだけど、バランスが悪くて。美術が好きで、日本史も好きだった。日本史は割と得意で、あと数学は好きだった。でも、物理とか化学とかはすごい嫌いだった。あとは国語は現代文のみは好きだった。

それで、何かねえかなって思って…。
建築は工学部の中でも人文寄りなんだよ。歴史も好きじゃないとダメだし。

あ、建築って理系からでも行けんじゃんって思って、だから俺理系のクラスに居たんだよね。本当は得意科目から言ったら文系だったんだけど、建築だったら理系かなって思ってとりあえず理系に居た。

でもやっぱ学習は放棄してて真面目にやらなかったんだけど。


―それは先生とかに怒られはしなかったの?

したけど、まあ良いかみたいな(笑)。とことん面倒くさがりだからさ。

で、金銭的な問題で、国立に落ちたら大学に行けないみたいなのがあった。最終的には私立に行ったんだけど。

最初は、一回働いてから大学行こうと思ったんだよ。それで自衛隊を受けたんだよ。航空自衛隊で、曹候補学生っていうのがあって、教育期間が2年間あった。

高校から行ける防衛大学の次のエリートコースみたいなのがあって、そこに一応通ってたんだけど、なんかどうもみんな学生になるらしいから、俺も学生になりてえなって思って…。


―流されてるなー(笑)。

でもそれをセンター試験終わってから思ったんだよ。


―遅ー(笑)。

だから出願も間に合わないじゃん。そんなに取れなかったけど、でも一応国立は受けれるぞっていうことで一応出願したんだけど落ちちゃったんだよ。

大学受験しに行った後は手応えがあったんだけど。それで、終わった後にスナックのお店の人と仲良くなって、「また来ます」みたいなことを言ってたら落ちた(笑)。

あ、マジかーと思って、そのセンター試験の点数を持ってとりあえず間に合うところに色々出願した。受けに行かずにとりあえず出願したなー。時間も勿体無いし。

そこでいくつかひっかかってたのがあって、受かった中で新聞奨学生が適用になる学校で最終的に残ったところに行った。


―消去法か(笑)。そういえば新聞奨学生やってたよね。

横須賀に3年住み込みで働きながら学校に行って、最後の1年は就活もあるし、卒業設計も建築は結構大変なこともあって、ちょっと続けるのは難しいなと思って、出て、日雇いのバイトとかで食い繋ぎながら卒業して、今に至るみたいな。

最後の1年は横浜の屏風浦っていうところに住んでた。


―よくでも新聞奨学生やったよねー。大変じゃなかった?

めちゃくちゃ大変だったよ。その大変さを知ってたら俺絶対やってない(笑)。面倒くさがりだから。
その時はあと1年浪人する方が面倒くさいと思って、そうした。

寝坊しまくりだったけどね(笑)。だいぶ遅れた時あったけどね。新聞まだ来てねえじゃんみたいな。
でも原田君も言ってたけど、もっとちゃんと学習すれば良かったと思う。


―どういうところでそう思う?

うーん、なんか、いろいろと成熟しないまま18を迎えたなっていうのがあって。
割とこう、場当たりで生きてきたみたいな。


―別にいんじゃない。18で成熟せんやろー。

なんかこう、もう少し下地と言うか。割とこう、勘で話してる部分っていうのがあって、裏付けが無いなっていうのが自分ですごい思う。

ハッタリ、かな?

なんかこうドン君とかさ、すげえ本読んでて、ある程度こういう考えもあるよね、こういう人がこういうこと言ってたんだけどさっていう形で自分の中の知識の裏付けを喋れるじゃん。

俺はそういうのが無くて。割と今まで勘とかハッタリとかで生きてきたから、ちゃんともっと勉強しておけば良かったなって今更ながら思う。

そういえば、今、勉強会みたいなのを作ってる。一緒にフィードワークしたりとか、建築探訪ツアーしたりとか、コンペやろうぜとか。サークルみたいな感じで。

―なるほどねー。それはそれで今からでもどんどん勉強してて良いんやない!
  今の仕事から五ヶ瀬時代の話までいろいろ聞けて面白かったです。
  今日はありがとうございました! 


池野さんの記事は以上です!


前回までの記事はこちら。

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