2013年4月8日月曜日

勉強したくない時はどうするか(「卒業生と語る会」(3月9日開催)での在校生の質問から)

食堂の机がなつかしい
先日(2013年3月9日)の夜に参加した「卒業生と語る会」についての話の続きです。

前回までは、自分と自分の同級生の田部君が話した内容、また、その後にグループで分かれて話をした時に受けた質問を紹介しました。

前回までの記事はこちら↓
前回は、苦手教科への取り組み方についての質問でしたが、今回は以下の質問について考えてみます。

Q.勉強したくないときはどうしたらいいですか?

Q.東大ってどんなところですか?


■勉強したくない時はどうしたら良いか
まず、1つ目の質問について。やる気が出ない時にどうすれば良いかという質問ですが、この生徒の方と話す時に聞かれることが多いですね。聞かれた時はいつも「作業興奮」の話をするようにしています。

「作業興奮」とは、何かをやり始めると、脳が興奮し始めてそれに対するやる気が出るという仕組みのことです。

宿題なんかをやる時に、やり出すまではめんどくさくてしょうがないのに、一旦席に座って最初の問題にとりかかると、後は意外にそのままやれてしまうことってあるんじゃないかと思います。

自分もそうでしたし、今仕事の作業でめんどくさいなーと思うことも同じだったりします(笑)というわけで、まずはとりかかってみるというのが1つの解になるのかなと。

ただ、とりかかるまでの腰の重さをどうするかっていうのはまた別の方法で乗り越えないといかんですが…

あとは、勉強自体をどうやったら面白くできるかゲーム的要素を入れて考えるとかも良いのではとも思います。

このあたりについての詳細は以前整理してあるので興味があればどうぞ↓

■東大ってどんなところ?
2つ目の質問もですが、自分の属性のためか、東大や勉強について聞かれることが多かったですね(^ ^;)

どうですかっていうのもザックリしていてなかなか答えが難しいんですが、東大についてざっくり聞かれた時は、思ったよりも普通の人がいるところですよっていうことを伝えることにしています。

みんな普通にサークル活動もするし、普通に授業もさぼるし、普通にテストで苦労するし、普通に髪染めたり着飾ったりしているし…話してみてもフツーの人がほとんどです。

もちろん、相対的には他の大学に入る人と違うところはあると思いますが、それは他の大学でも同じことかなとは思います。

違うところの中で特徴的なのかなと思うのは、勉強の要領が良い人が多いとは思います。大体からして、試験対策が仕組み化されています。

具体的には、クラスの中で各自担当の講義を受け持ってその担当の講義には確実に出席してノートをとって他の人に配布する(「シケプリ」と呼ばれています)だとか、どの講義が優をとりやすいか評価した冊子が販売されているとか。

これはこれでどうなんだと思うところもありますが、そういう勉強における要領の良さとかコツのつかみ方みたいなのは比較的うまいのかもと思います。

ただ、中には本当にスゴイ人がいたりします。勉強にしても研究にしても大学外での活動にしても世間的に見てもスゴイという…そういう人にたまに出くわすことがあります。感覚値ですが、普通の人が8割、不思議な人が1割、スゴイ人が1割っていう感じです。

しかしながら、よくよく考えると、スゴイ人っていうのも大体いろんな集団に1人とか2人はいたりするものな気がするのでそんなに特殊なことでもないのかもしれませんが…

「東大」というと、(特に地方の方では)身構える人が多いですが、思ったよりもフツーの人が多いですよというのが僕なりの回答です。

ということなので、東大を目指すのもそんなに無茶な話ではないと思います(もちろん、誰も彼もが行くのが良いとは思いませんが…)。

東大受験に当たってはメソッドみたいなものがあって、ドラゴン桜みたいな話は結構当たってると思いますが、そのへんを身につけていけばむちゃくちゃなステップではないと思います。

このへんの話は長くなりそうなのでまた機会があれば。

卒業生と語る会についての報告は今回で最後です!また学びの森に行く機会があればレポートしたいと思います!

2013年4月6日土曜日

苦手教科の勉強についての考え方(「卒業生と語る会」(3月9日開催)での在校生の質問から)

先日(2013年3月9日)の夜に参加した「卒業生と語る会」についての話の続きです。

前回までは、自分と自分の同級生の田部君が話した内容、また、その後にグループで分かれて話をした時に受けた質問を紹介しました。

前回までの記事はこちら↓
田部君のグループの様子
前回は、大学での友達の作り方に関する心配からの質問についての話でしたが、今回は以下の質問について考えてみます。

Q.苦手教科はどうやって勉強したらいいですか?


■苦手教科はどうやって勉強したらいいか
この質問に対しては、「ザイアンス効果」の話をしました。ザイアンス効果とは、接触頻度が高いものに対して好感を持ちやすいという心理的な効果のことです。

苦手教科に対しては、苦手だと思う分、なかなか取り組まないことがあるのではないでしょうか。宿題にしても予習・復習にしても、苦手な教科は後回しにしたり、てげてげにしかやらんかったり、結局やらんかったり…ということがあるかもしれません。

そうすると悪循環です。

苦手と思うから近づかない

近づかないからよく分からなくなる、好きになれなくなる

ますます近づかなくなる

さらに好きになれなくなる…

というループに入ってしまいます。
(このへんは勉強に限らず人間関係でも通じるところがありますが)

だから、1つはとにかく一定期間は、苦手でもなんでも辛抱してでも「やる!」と決めてやり続けることが必要かもしれません。

このあたりは根性論にも聞こえるかもしれませんが、一度「やる!」とセットして、接触頻度を高めることでだんだん好きになれることはあると思います(自分も実際にそういうことはありました)。

その時に大事なのは、いきなり分からないところからやるのではなくて、簡単なところや少しでも自分に分かるところ(=親しみが持てるところ、好きになれそうなところ)から始めるのが大事かなと思います。

ただ、逆に苦手だからこそ頑張らなきゃ!ということで、他の教科よりも勉強している(=接触頻度が高い)にも関わらず、依然として興味・関心が持てないという場合には別の視点が必要かなと思います。

1つの視点としては、自分の話でも紹介したパラダイムがあるかなと思います。例えば、数学が苦手なら、「自分は数学が苦手だ」というパラダイムがどこかでできあがっていると思います。

その背景には、これまでに何か原体験があると思います。中学校に入って数学の点数が下がったとか、親や先生の何気ない一言で苦手意識をもってしまったとか、友達と比較して苦手に感じるとか…

実際にはどういう体験がベースにあるかは分かりませんが、何らかの体験がベースになってそういうパラダイムができていると思うので、それを外したり塗り替えたりすることができればまた違った見方ができると思います。

そこで、自分のこれまでを振り返りつつ、例えば数学が苦手なら、「自分はなぜ数学を苦手と思うっちゃろう…?」と問いかけてみて、掘り下げてみるのも1つの手かと思います。苦手と思っているのはある特定の体験の影響が大きかっただけでパラダイムに過ぎなかったと分かるかもしれません。

他にもいろいろ具体的な手法あるんですが、長くなるのでちょっとまた別の機会があれば整理したり伝えたいと思います。


最後に、いろいろと工夫したりパラダイムを外して考え直したりしてみても、やっぱり苦手は苦手というのも出てくるかもしれません。

人間、向き不向きがあることは事実なので、そういう時は割り切って得意なものに集中するというのも1つの手だと思います。このへんは一律の答ってあんまりないと思うのでケースバイケースですね…




2013年4月4日木曜日

大学での友達の作り方(「卒業生と語る会」(3月9日開催)での在校生の質問から)


先日(2013年3月9日)の夜に参加した「卒業生と語る会」についての話の続きです。

前回と前々回は、自分と自分の同級生の田部君が話した内容を紹介しました。
前回までの記事はこちら↓
2つのグループに分かれて話をしました
今回の記事では、在校生から受けた質問について書いてみたいと思います。その場で答えた内容とおそらく異なってくる部分もあると思いますが、改めて考えてみます。


出た質問は以下のような感じです。

Q.大学に出た先輩で、五ヶ瀬では6年間同じメンバーだったから、大学で友達の作り方が分からなかったという声がありました。どうやったら友達ができますか?

Q.苦手教科はどうやって勉強したらいいですか?

Q.勉強したくないときはどうしたらいいですか?

Q.東大ってどんなところですか?

他にもいくつかあったのですが、話ながらだったので全部覚えられていないのが残念です…次回あったらメモとっておくようにしたいと思います。

今回は、1つ目の大学での友達の作り方についての質問について考えてみます。

■友達の作り方
この質問は結構新鮮でした。自分たちの頃はあんまりこういうことを気にしたことがなかったと思うのですが、そういうことを感じる卒業生が増えてきたということでしょうか。

確かに五ヶ瀬での友達づきあいというのは、6年間40人(または40人弱)でずっと固定された人間関係の中で、学校でも寮でも長時間つきあうという形なので結構特殊だと思います。

もちろんこれには良い面がたくさんあるのですが、その反動として、それと同じ関係を大学以降でも求めようとするとちょっと難しいかもしれません。

五ヶ瀬での関係と同じ密度で友達づきあいをするというのはなかなか難しいと思います。大学でも寮に入ったりしていれば似たような感じになるところもありますが、そうでないともう少し違った形になると思います。

ただ、このへんを踏まえて当日僕が回答したのは、そもそもそんなに友達を無理に作る必要はないっちゃないやろうかという話でした。一生のうちにずっとつき合っていく友達というのは、各場所で数人いれば十分だと思います。

数百人もいたところできちんと関係を築くのは難しいと思います。まずは一人でも良いので話ができる友達を見つけられれば十分だと思いますし、そこからまた広がっていくことがあるでしょうから、頑張って友達を増やそうと肩肘張らなくても良いと思います。

また、仮にもし大学での友達関係がうまくいかなくても、五ヶ瀬で築いた友達関係がありますから、そこをホームグラウンドにするような気持ちでいけば、多少気楽にいっても良いっちゃないかなーと思います。


■「友だちのたくさんいる子供は、いい子供」という幻想
そして、この会に参加した後に読んだ本でちょうど関連する話があったので紹介しておきたいと思います。

小説家の重松清さんが「世紀末の隣人」という本で書かれていることです。この本は、現実に社会で起きた12の事件をとりあげて紹介しているものです。

著者の重松さんは、この本の内容のことを「寄り道・無駄足ノンフィクション」と呼んでいて、社会事件について読み物的に事件の背景や当事者の想いをつづっています。

その中で書かれていた話です。


「ぼくたちは、「友だちのたくさんいる子供は、いい子供」という幻想を刷り込まれている。それはもう世代の問題ではない。
 幼稚園の園庭の光景を思い浮かべてみればいい。園庭の片隅で一人で遊んでいる子供を見つけたら、先生は必ず「こっちに来て、一緒に遊ばない?」と声をかけるだろう。また、「勉強は人並みでいいから、友だちのたくさんいる子になってほしい」という親の言葉を、ぼくたちはしばしば耳にし、もしくは自ら口にしているはずだ。
 『一年生になったら』という歌を、覚えているだろうか。幼稚園の卒園間近によく歌われる歌だ。
一年生になったら友だち百人できるかな-。
 友だちを一人でも多くつくることを、ぼくたちは無意識のうちに強いられているのではないか。
"公園デビュー"というキーワードゆえに、ぼくたちはこれを若い母親だけの問題にしてしまいがちになる。だが、ひとりぼっちを恐れる気持ちは、この時代を生きる誰にでも、ある」(p75-77)

この話を読んで確かになーと一人頷きました。「一年生になったら」にあるように、友だちはたくさんいる方が良いというイメージをなんとなく持っている気がします。

でもよくよく考えると数の問題ではないですよね。正確なところは分かりませんが、質問をしてくれた在校生の頭の中にも、なんとなくこういうイメージがあったのかなとも思います。


ですが、無理に増やそうとすると、どこかで自分にも負荷がかかっていずれ無理がくるように思います。もちろん、人間関係の中では多少我慢したり無理したりっていうことが必要な局面も出てくると思いますが、大学に行く前から心配しすぎなくても大丈夫なんじゃないかな、というか、その方がいいっちゃないかなーと改めて思いました。

しかしこのテーマはなかなか興味深いので、同級生や他の卒業生の方に会った時にどう感じたか聞いてみたいと思います。

今回は以上です。