昨日書いたブログ(勉強ができる=頭が良い?)にこんなコメントをもらいました。
五ヶ瀬中等教育学校の教育は、自分が自分の道を歩き始めるときに6年間詰め込まれたものが、内から溢れてくるようなものだと今は思っています。
その人だけの「曇りなき眼」を育てる原動力ともいえると思います。
特に、「自分が自分の道を歩き始めるときに6年間詰め込まれたものが、内から溢れてくる」
っていうあたりがなるほどなーと思いました。
これは以前も書いたスティーブ・ジョブズのスピーチであげられていた
「点と点をつなぐ」(Connecting dots)という話ともつながるなと思いました。
「自分が自分の道を歩き始めるときに」ということは、
逆に言えば、自分が自分の道を歩き始めるまでは
詰め込まれたまんまで意味は良く分からないかもしれないかもなと思います。
つまり、五ヶ瀬中等教育学校で受けた教育の意味は
在学中はあんまり分からないとしても
後から分かってくるのかなと。
このへんの話は以前書いた記事とも関連しますね。
そうすると、どういったタイミングでその意味が分かるのかがポイントですね。
コメントをくれた田部君の言葉を借りれば
「自分が自分の道を歩き始めるとき」ということですが
それはどんな時なんやろうなーっていうのが気になりますね。
一人一人違ってくると思いますが、そのへんも
いろんな卒業生に聞いてみたいなと思いました。
あと、次のようなコメントももらいました。
勉強の能力と頭のよさ・・・ということについて、要するに、五ヶ瀬中等教育学校での教育のいいところとして
五ヶ瀬にいた6年間は、「勉強の能力」に苛まされてきたように思います。中学校のときは勉強に追いつけずに、「僕は頭が悪いなぁ…。」と。
でも、少人数制(本当にマンツーマンでした(笑))とスパルタチックな宿題のおかげで、高校に進級してからはやる気のほうが大きくなってきました。
その点について、当時の先生方の力量の大きさや熱意のおかげともいえると思います。
また、寮生活の中で、分からないことを他の同級生に教えてもらったりすることができ、相互に助け合えていたところも大きかったでしょう。夜の学習時間中や余暇時間の回りの様子などにも影響されたこともよかったと思います。
大学に入っても、その勉強癖のおかげで試験やレポートは助かりましたし、研究志向のスタンスも持てました。 ただ、仕事をするようになってからはどんどん廃れていっています・・・。
分からなくても先生や同級生にフォローしてもらえる
勉強に向かいやすい環境があって勉強癖がつく
といった点があるのかなと思います。
このへんは生徒の個人差もあると思いますが
僕自身の経験を振り返ってみても
- 寮で学習時間があるので少なくとも毎日机に一定時間向かう
- 宿題やテストが結構たくさんあるので勉強せんといかん
- 生徒同士教え合う雰囲気がある(同級生同士だけでなく先輩後輩の間でも)
- 熱心に教えてくれる先生が多い
という感じだったと思うので、確かに上のような良い点はあるかなと思います。
ただ、気になっているのは、今はどうなのかなーというところです。
このコメントをくれた卒業生は僕と同世代で
入学したのは1995年ですが、それからだいぶ時間が流れています。
この間アップしたインタビュー記事の中で
2001年に入学した生徒の話では
分からなくても言えない雰囲気があるということが語られていました。
そこからまた雰囲気が変わっている可能性もありますが
そういう雰囲気が残っているとしたら非常に残念ですし
なんとか変えんといかんなーと思っているところでもあります。
そのへんも下の学年の卒業生の後輩に聞いていってみたいなと思います。
わざわざ別個に掲載してくれてありがとうごうざいます。
返信削除「自分が自分の道を歩き始めるとき」
このタイミングというのは人それぞれ・・・とも言えますが、時代それぞれともいえるのかもしれません。
これは、松本さんが以前に書いた「勉強する意味は後からわかる」にも関連すると思いますが、コミュニティのあり様におおきく影響しています。
私の専門領域は社会福祉、地域福祉なので、地域社会に注目した話になりますが、コミュニティの中でのかかわりを通して、子どもは青年になり大人になっていきます。
子どもには子どもの役割があり、高齢者には高齢者の役割があり、障がい者には障がい者の役割がある。
コミュニティの中での合意により、それぞれがそれぞれに役割を担い、お互いに尊重し相互扶助となります。
ここで話を戻しますが、それぞれ、その時々に役割がありながら成長します。コミュニティの中で育てられ、育てていきます。それを意識できるようになり、コミュニティを支える視点に立てる時期が、私が思う「自分が自分の道を歩き始めるとき」ですね。
昨今は、コミュニティのつながりが薄れ、電波の向こうの人物を見本にしていまいがちですが、時間を共有していない人物を見本にすることは非常に難しいものです。
分かりやすい数字や言葉に惑わされ、気づけばまったく思っていない姿になっていることもあります。
また、(私個人の考えですが、)コミュニティに合意がない役割となるため、限定的なものしか描けず、役割の喪失感を得ることもあると思っています。
五ヶ瀬中等教育学校では、6年間という時間軸の中でコミュニティに飛びこみ育てられていたのだと、今振り返っています。それを自覚した者が今度は支える側に回る。松本さんのようにね。
すでにその時期に差し掛かっているんでしょうかね。
余談ですが、何年も口きかなかった者同士が突然、なんともなしに仲良くなって、こうやって言い合っている。
それこそ五ヶ瀬の6年間の深みなのかも・・・なんちって(笑)
またまたコメントありがとう。しかも深いねー。
削除てか「松本さん」とか初めて呼ばれたし(笑)
別にブログやからってかしこまらんでもいいがー。
もらったコメントはなるほどなと思いました。
「自分が自分の道を歩き始めるとき」というのは
「コミュニティを支える視点に立てる時期」だと。
「大人」になる時期と言っても良いのかなともちょっと思いました。
特に学生までは一方的に何かを与えられる機会がほとんどなので
そこが切り替わって自分が何かを与えるという視点に立つことが
コミュニティの一員として生きていくには大事な事なのかなと思います。
ただ、五ヶ瀬でのコミュニティって閉じられているので
その中での役割と、そこを出た時の役割って
また結構違ってくると思うので
そこを卒業生一人ひとりがどう切り替えていったのか
っていうのもまた気になるテーマですね。
そのへんも聞いてみたいと思います。
あとまあ確かに喧嘩しっぱなしやったのに
こういう話をしているというのは面白いね。
先輩後輩もそうやけど、五ヶ瀬時代はそんなに仲良くなかったのに
卒業してから仲良くなるとかいうパターンも結構あって
それもまた五ヶ瀬の6年間の縁として面白いなーと思ってます。
こんにちは。
返信削除前回もコメントをさせて頂いた、在校生で新2年の者です。
昨日、感動のお別れ会(離任式)がありました。
ところで「五ヶ瀬の教育の良いところ」
ブログに書かれていることと今もほとんど変わっていないと思います。
・学習時間(前期生は19:30~20:00、20:10~21:00、21:30~22:40です。)
・宿題とテスト(結構量が多いです。)
・教え合う(同級生同士でよくします。)
・先生(職員室やB職、C職(ちなみに私女子です)に質問に行ったりしています)
ここで提案なのですが・・・
松本さんが在校なさっていた頃の「行事」(フォレ祭や新歓、ホームスティなど)や、「寮の決まり」について記事を書いて頂くことって可能でしょうか。
昔の五ヶ瀬ってどうだったんだろうってよく思います。
それで、今と昔について良い面に向かっているところや逆にあまり良くない面に向かっていっているところを比べていったら面白いなぁって思います。
おお、また引き続きコメントありがとうございます!
削除離任式やったんですねー。直接習った先生はおらんけど、卒業後に話した先生も離任されたりしてるかもしらんですね。
また、今の状況を教えてもらってありがとうございます!とても貴重な情報で参考になります。一時学習時間が減ったって聞いてたんですが、そんなに変わってないですね。後ろに時間が少しずれたかな。
あと、提案ありがとうございます。良いアイデアですね!ただ、なにぶんだいぶ時間が経ってるのでうまく思い出せるか分かりませんが、とりあえず書いてみたいと思います。今の状況は在校生の方の方が良く知っていると思いますし、自分が昔の状況を発信することで比べる材料になれば良いなと思います。ただ、昔は良かった的な話はあまり建設的ではないので、これからの五ヶ瀬に参考になりそうなところをうまく伝えられるようにしたいなと思います。温故知新的なイメージですかね。
書き始めるにあたって、何かこういうトピックから聞きたいとかありましたらぜひ教えてくださいm(_ _)m今、卒業生のインタビュー第2弾以降をまとめているので、それと交えながら書いていこうと思います。