五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第2弾は、田部篤太郎さんです。
1995年に入学し、2001年に卒業した僕の同級生です。
大学では社会福祉関係の勉強をして仕事もそれにつながっています。
今回は同級生ということもあってフランクな感じにします(^^)
それではどうぞ!
―今の仕事ってどんな感じでやってるか教えてくれん?
宮崎県庁に3年前(H21.4月)に入りました。
福祉専門職という立場で入っているので、部署は福祉事務所で生活保護のケースワーカーとか、児童相談所のケースワーカー(児童虐待等、児童相談)。
あとは障害福祉課や長寿介護課。まぁ、事務の業務のほうになるだろうけど、事業者の運営、指導監査なんかだろうね。よく勉強してないけど。
―事務屋の仕事っていうのはどういう意味?
事務の仕事っていうのは、例えば、法律が決まった時にその事業を県でどういうような仕組みをつくるかとかを下ろしていく仕事や手続きを受ける仕事。
要は、国からおりてきたものを市町村の方に流して、どういうような要件が必要ですよとかいうイメージ。あんまり得意じゃない(笑)
―現場から離れるからってこと?
そうやね。大事な役割なんやけど、国からおりてきたものを町村に「こういう要件ですよ」「それに当てはめてくださいよ」って、トップダウンで言うイメージがあるから苦手。
僕が元々やってた事業づくりでは、当事者の人とかコミュニティの中にいる人と、どんなのがあったらええかっていうのを話して、それぞれ自分らでできることと、民間企業と話をしてできることと、行政に事業施策として下からあげていくのが流れやったからね。
―それは大阪にいたとき?
うん、そうそう。
―それは確かに面白いよね。会社で新規事業やるのと似たような感じかな。
そうそう、そういう感じで障害福祉課で動けるようになると個人的には好きなんやけど。
―田部の中で行政と現場をつなげられると面白いんやない。
そうそうそう。今回も小っちゃい団体で映画の上映会をやるんやけど、それを元にして障害福祉の計画作りに当事者の声を入れたりとか、宮崎県の独自の部分を作っていくとかね。
そんなのができるようになると僕の役割が出てくるのかなと。
簡単にまとめると、今は生活保護のケースワーカーをしてます。
前の職場では精神障がい者の支援に携わっていて、生活相談にのったりとか、地域への参入の部分で町内会の清掃に当事者の人と一緒に行ったりとかしてました。
コミュニティへの理解啓発の部分で、一緒に街を作っていく仲間という意識を広げられる範囲で動いていましたね。
―今はどういう感じの仕事?前にNHKスペシャルで生活保護の特集してて大変そうやなーと思ったけどあんな感じ?
大阪市の事例ね。そうそう、あんな感じ。あの人たちほど僕らはケース数がないけど、やってることは同じ。
―具体的にはどういう感じ?
具体的には、まだ仕事できますよという人やったら一緒にハローワーク行ったりとか。「こういう求人あるから行ってみやんね」と話をしたりとか。
やる気を出してもらえるように関わっていく。そんな感じかな。
障がい者であれば、ニーズに合わせて障がい福祉サービスにつないで就労支援や活動の支援の調整をしたりする。あと、引っ越し相談とかもあるね。
―ケース数ってどのくらい対応するの?
法で定められている標準数が、町村の福祉事務所は65ケース、市は80ケース。やけど、だいたいどこも超えてるけどね。
生活保護受給者の数も過去最多で205万人を超えたっていうし。
―それはさばけるの?
うーん、さばくしかないね。大阪市は120とか150とか100件超えるからね。大変よ。
一人当たり年に2回しか会わない人もいるし。それで自立にどうつなげるかって言われると難しいけど。
ケースの分類ごとに訪問回数が分けられてて、毎月会う人、2ヵ月ごとに会う人、年3~4回会う人、入院してたり施設入っている人は年2回くらい。
あとは施設の人や関係者と連絡を取り合っている。施設っていうのは特別養護老人ホームとか。障がい者の入居施設、病院、そこらへんかな。
―なんでそうなるのかな?やる気とかそういう話もあるけどそれだけじゃないような気がするんやけど。
生活保護に陥って抜けられないのかっていうこと?
―そうそう。
ひとつはやる気とか個人の気持ちの部分もあるなと思う。
ただ、やっていく中で思うのが、確かに今の社会の要件に当てはまらない人たちが多いと思う。
僕はもともと精神障がいに関心があるけど、例えばもうちょっと簡単な単純な仕事やったり内職の仕事とかがあればできるんやろうけど、それ自体がなかったりする。
それに、内職もあるにはあるけど、取りにいって納めにいく足(手段)がなかったりとか。
特に宮崎なんかでいうと、交通の便が悪いからそこまで行くツールがなかったりとかね。
極端にいうと、自動車の免許持ってない人はそこで要件外されたりとか。
そんなんで、なかなか条件にあわない人たちが溜まっていくのは確かにあるよ。
社会の流れの中で、求められる条件も変わってくるしね。
発達障害なんかももうちょっと周りが工夫すれば、時間帯とか仕事の内容とか考えれば、もうちょっと良くなるんやろうな。
ただ、今はそういう細かい仕事はコンピューターがやったりとか、逆にコンピューターの使い方をしらんと仕事がなりたたんかったりする。
そういう意味では、ITとかこういうパソコンとかツールができることによって、単純なものが失われて役割がなくなっていく人たちが増えたなというのは感じるね。
―なるほど、その話は興味深いのでいろいろ聞きたいところもあるけど、一旦さかのぼって五ヶ瀬から今に至るまでを聞いていくわ。
今回は以上です!次回は五ヶ瀬時代の話を聞いていきます!
続きはこちら↓
1995年に入学し、2001年に卒業した僕の同級生です。
大学では社会福祉関係の勉強をして仕事もそれにつながっています。
今回は同級生ということもあってフランクな感じにします(^^)
それではどうぞ!
―今の仕事ってどんな感じでやってるか教えてくれん?
宮崎県庁に3年前(H21.4月)に入りました。
福祉専門職という立場で入っているので、部署は福祉事務所で生活保護のケースワーカーとか、児童相談所のケースワーカー(児童虐待等、児童相談)。
あとは障害福祉課や長寿介護課。まぁ、事務の業務のほうになるだろうけど、事業者の運営、指導監査なんかだろうね。よく勉強してないけど。
―事務屋の仕事っていうのはどういう意味?
事務の仕事っていうのは、例えば、法律が決まった時にその事業を県でどういうような仕組みをつくるかとかを下ろしていく仕事や手続きを受ける仕事。
要は、国からおりてきたものを市町村の方に流して、どういうような要件が必要ですよとかいうイメージ。あんまり得意じゃない(笑)
―現場から離れるからってこと?
そうやね。大事な役割なんやけど、国からおりてきたものを町村に「こういう要件ですよ」「それに当てはめてくださいよ」って、トップダウンで言うイメージがあるから苦手。
僕が元々やってた事業づくりでは、当事者の人とかコミュニティの中にいる人と、どんなのがあったらええかっていうのを話して、それぞれ自分らでできることと、民間企業と話をしてできることと、行政に事業施策として下からあげていくのが流れやったからね。
―それは大阪にいたとき?
うん、そうそう。
―それは確かに面白いよね。会社で新規事業やるのと似たような感じかな。
そうそう、そういう感じで障害福祉課で動けるようになると個人的には好きなんやけど。
―田部の中で行政と現場をつなげられると面白いんやない。
そうそうそう。今回も小っちゃい団体で映画の上映会をやるんやけど、それを元にして障害福祉の計画作りに当事者の声を入れたりとか、宮崎県の独自の部分を作っていくとかね。
そんなのができるようになると僕の役割が出てくるのかなと。
簡単にまとめると、今は生活保護のケースワーカーをしてます。
前の職場では精神障がい者の支援に携わっていて、生活相談にのったりとか、地域への参入の部分で町内会の清掃に当事者の人と一緒に行ったりとかしてました。
コミュニティへの理解啓発の部分で、一緒に街を作っていく仲間という意識を広げられる範囲で動いていましたね。
―今はどういう感じの仕事?前にNHKスペシャルで生活保護の特集してて大変そうやなーと思ったけどあんな感じ?
大阪市の事例ね。そうそう、あんな感じ。あの人たちほど僕らはケース数がないけど、やってることは同じ。
―具体的にはどういう感じ?
具体的には、まだ仕事できますよという人やったら一緒にハローワーク行ったりとか。「こういう求人あるから行ってみやんね」と話をしたりとか。
やる気を出してもらえるように関わっていく。そんな感じかな。
障がい者であれば、ニーズに合わせて障がい福祉サービスにつないで就労支援や活動の支援の調整をしたりする。あと、引っ越し相談とかもあるね。
―ケース数ってどのくらい対応するの?
法で定められている標準数が、町村の福祉事務所は65ケース、市は80ケース。やけど、だいたいどこも超えてるけどね。
生活保護受給者の数も過去最多で205万人を超えたっていうし。
―それはさばけるの?
うーん、さばくしかないね。大阪市は120とか150とか100件超えるからね。大変よ。
一人当たり年に2回しか会わない人もいるし。それで自立にどうつなげるかって言われると難しいけど。
ケースの分類ごとに訪問回数が分けられてて、毎月会う人、2ヵ月ごとに会う人、年3~4回会う人、入院してたり施設入っている人は年2回くらい。
あとは施設の人や関係者と連絡を取り合っている。施設っていうのは特別養護老人ホームとか。障がい者の入居施設、病院、そこらへんかな。
―なんでそうなるのかな?やる気とかそういう話もあるけどそれだけじゃないような気がするんやけど。
生活保護に陥って抜けられないのかっていうこと?
―そうそう。
ひとつはやる気とか個人の気持ちの部分もあるなと思う。
ただ、やっていく中で思うのが、確かに今の社会の要件に当てはまらない人たちが多いと思う。
僕はもともと精神障がいに関心があるけど、例えばもうちょっと簡単な単純な仕事やったり内職の仕事とかがあればできるんやろうけど、それ自体がなかったりする。
それに、内職もあるにはあるけど、取りにいって納めにいく足(手段)がなかったりとか。
特に宮崎なんかでいうと、交通の便が悪いからそこまで行くツールがなかったりとかね。
極端にいうと、自動車の免許持ってない人はそこで要件外されたりとか。
そんなんで、なかなか条件にあわない人たちが溜まっていくのは確かにあるよ。
社会の流れの中で、求められる条件も変わってくるしね。
発達障害なんかももうちょっと周りが工夫すれば、時間帯とか仕事の内容とか考えれば、もうちょっと良くなるんやろうな。
ただ、今はそういう細かい仕事はコンピューターがやったりとか、逆にコンピューターの使い方をしらんと仕事がなりたたんかったりする。
そういう意味では、ITとかこういうパソコンとかツールができることによって、単純なものが失われて役割がなくなっていく人たちが増えたなというのは感じるね。
―なるほど、その話は興味深いのでいろいろ聞きたいところもあるけど、一旦さかのぼって五ヶ瀬から今に至るまでを聞いていくわ。
今回は以上です!次回は五ヶ瀬時代の話を聞いていきます!
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