五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
前回は、大学進学までの話を聞いていきましたが、今回は入ってからの話です。
前回の記事はこちら↓
■ダイビング部の話
―入ってからはどんな学生生活だったんですか?
ダイビング部(※) に入ったので、ほとんど部活に行ってました。海の生物に興味があったこともあって、元々中3の夏休みにカードだけ取ってたんですよ。せっかく沖縄に来たんだったらダイビングをやるしかないと思って(笑)
※正確には「琉球大学ダイビングクラブ」で、「U.R.D.C. University of the Ryukyus Diving Club」と言うそうです。
荒武さんが所属していた時にはなかったそうですが、後輩の方がブログを作っているので良ければ見てみてください!
琉球大学には、当時3つのダイビングクラブ・サークルがありました。お金が無かったからサークルとは違って初期費用がかからないダイビングの部活に入ったんですけど、結構スパルタでした。体育会系でひたすら泳ぐ感じで、海猿みたいな感じでした(笑)週に1度は海にロープを張って、その周りをクロールで200mとか300mとかやったりしてました。
ダイビングクラブは、顧問の先生はいますが、実際の活動は学生のみで行っています。外部のショップインストラクターと共に活動をする形式ではないので、その分危険に敏感になり、ダイバーとして自立してないといけません。なので、自分たちで率先して、教科書みたいなものや免許制度を自分たちで作ったりしているんです。教科書は年に1回、一から作りあげます。常に新しい情報を組みこんで、次の新入部員に不足なく勉強してもらうためです。
免許は、シュノーケリングの免許とスキューバーダイビングの免許と2つあって、シュノーケリングの免許は1年間でとらないと退部なんです。免許の試験は実技が2回と筆記が1回あったんですけど、それがまあ過酷で過酷で…私の時は筆記を全部解くのに8時間くらいかかってました。
―8時間!?大学受験でもそんなんないでしょー。
早ければ4時間とか6時間とかで解く人もいるんですけど、めっちゃ辛かったです。
問題数は12問とか(くらい)で少ないんです。例えば、海で溺れている人がいる場合どういう処置をすれば良いのか書きなさいとか。それで、こういう場合はこういう処置をして、その時に使う手法はこういう手法で…とか答えるんです。
―それは辞めようとは思わなかったんですか?
辞めようと思う人はいますね。週に1回は部活動で海に行かないといけないですし、それ以外にも海に行かないとテストに受からなかったりするので。
―荒武さんとしては部活は面白かったですか?
そうですね。やっぱバカな人が多いっていうか(笑)はっちゃける人が多くて、あの頃は若かったなって思うようなことをやってました。その体育会系の部分さえ我慢すれば、いい友達もできて楽しかったです。
―じゃあ大学はずっとダイビング三昧ですか?
そうですねー、日焼けして闇と同化するくらい真っ黒でした(笑)
―僕の奥さんも初めて会った時は真っ黒だったですね(笑)
■大学での勉強の話
―勉強はどんな感じだったんですか?
1、2年まで教養が多くて、2、3年から化学の専門の実験が入って来ました。有機化学、無機化学、物理、分析の4つです。実験はレポートを出さないといけなくて大変でした。
生物も解剖とかいろんな実験があるんですけどそれは選択制でした。化学は必修で、絶対その4つの実験をとらないといけなくて、結構ウェイトが大きかったです。とる科目も、生物は結構ばらばらでしたけど、化学は選択とは名ばかりでみんな同じようなものをとる感じでした。
生物の中では、授業内容などが専門に特化していくため、年をおうごとに生物の人同士でもお互い何をしてるのかだんだん分からなくなっていくんですけど、化学はどんどん生徒同士が結束していく感じです(笑)
実験は、ただただ辛かったです。午後はずっと実験の授業になるので、時間がかかります。
成功すれば良いんですけど、失敗すると成功するまでやります。1人失敗すると、うまくいくまでやり直しで、また1時間待ちとかで「うおおー」ってなったり。
その頃は完全に私は大学生らしくというか、遊んでました。
なので、予習も辛いし、レポートも辛いし、なるべく過去の先輩のレポートをもぎとってきて、
結果は違うけど大体似たような感じに仕上げて提出したら、怒られて返ってくるとかありました(笑)
■研究室配属の話
―研究室配属はどんな感じで決まるんですか?
4年生から研究室に入りました。これがまた適当なんですよ。生物の人はちゃんとしてて、2年生の頃から希望先の先生のところに通ってたりしていたんですが、 化学は3年生の最後の2月とか3月に集まって、「じゃあ、みんなどうする?」って感じで一気に決まります。先生達は学生で自主的に決めなさいという感じです。現在はわかりませんが…
研究室がどのくらいの定員かっていうのは一応知らせてもらって、研究室はこういうことやるよっていう先生のレクチャーも一通りやるんですけど、その後にホワイトボードを使って「みんなどこ行く?」みたいな感じで第一希望をまとめます。
もちろん偏るので、どうにかしてばらけさせていって、4月までに絶対決めるっていう感じでした。
―荒武さんが行きたいところは第一希望で決まったんですか?
私はむちゃくちゃ遊んでたんですけど、高校の時に先生を全部調べてたのでどの先生が何をやってるのかはある程度知っていました(笑)
それに化学系に来たはいいですけど、根本的に化学の勉強はできなかったですし、数学もそんなに得意でないので物理化学とかは「絶対ムリ!」って思っていました。
なので高校の時の記憶を思い出して、なるべく生物系に近い系統の先生のところに行こうと思っていました。結局、有機化学って分野を選択しました。
実は、その時最初から院に行こうと思ってたんです。それは、推薦入試を受ける時から大学院に行った方が有利だと思ってたからなんですが。。。
―へー、自分の場合大学院っていうものがあるっていうことを知らなかったですけどね(笑)でもなんで院の方が有利なんですか?
理系だからかもっていうのもあるかもしれないですし、そういうイメージでした。
担任が文系と理系にいたじゃないですか。理系の先生は普通に大学を4年で出て先生になったんですけど、文系の先生は大学院まで行って先生になったんです。
それで、「何で大学院まで行ったんですか?」っていう話になるじゃないですか。そしたら、院を出ている方がお給料が良いっていう話だったんです。一応レベルが1個上がるらしいんです。
―それはそうですね。でもそれは年齢の問題ですよ。年功序列の場合の話ですけど、2歳分上なので、年取ってる分高いだけであって、22歳で仕事を始めても2年経って、大学院を出てきて24歳で始める人ともらえる額はそんなに変わらないですよ。だって、24歳から働く人は、2年分少なく働くのでその分もらわないとっていうのもあるんじゃないですかね。
そうだったんですかー。でもその時は、「大学院出た方が有利なんだー」っていうイメージでした。
あと、就活を始めた時にサイトを見ると、大学院の方が給料高いじゃないですか。でも最初のイメージはその話でした。
―なるほど…それはその説明合ってるのかなー(笑)でも学科によっては院卒の方が就職厳しくなったりするけどそういうのはないですか?
化学を選択していると院卒の方が有利だったんですよ。企業の研究職にかぎりますけどwww あと、大学では遊んでたので多少マジメにやろうかなっていうのもあって。
今回は以上です!
前回は、大学進学までの話を聞いていきましたが、今回は入ってからの話です。
前回の記事はこちら↓
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(1) - 研究分野の話
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(2) - 研究分野の話の続き
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(3) - 進路の話
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(4) - フォレストピア研究&NASDAの実験の話
- 五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(5) - 大学進学
■ダイビング部の話
―入ってからはどんな学生生活だったんですか?
ダイビング部(※) に入ったので、ほとんど部活に行ってました。海の生物に興味があったこともあって、元々中3の夏休みにカードだけ取ってたんですよ。せっかく沖縄に来たんだったらダイビングをやるしかないと思って(笑)
※正確には「琉球大学ダイビングクラブ」で、「U.R.D.C. University of the Ryukyus Diving Club」と言うそうです。
荒武さんが所属していた時にはなかったそうですが、後輩の方がブログを作っているので良ければ見てみてください!
琉球大学には、当時3つのダイビングクラブ・サークルがありました。お金が無かったからサークルとは違って初期費用がかからないダイビングの部活に入ったんですけど、結構スパルタでした。体育会系でひたすら泳ぐ感じで、海猿みたいな感じでした(笑)週に1度は海にロープを張って、その周りをクロールで200mとか300mとかやったりしてました。
ダイビングクラブは、顧問の先生はいますが、実際の活動は学生のみで行っています。外部のショップインストラクターと共に活動をする形式ではないので、その分危険に敏感になり、ダイバーとして自立してないといけません。なので、自分たちで率先して、教科書みたいなものや免許制度を自分たちで作ったりしているんです。教科書は年に1回、一から作りあげます。常に新しい情報を組みこんで、次の新入部員に不足なく勉強してもらうためです。
免許は、シュノーケリングの免許とスキューバーダイビングの免許と2つあって、シュノーケリングの免許は1年間でとらないと退部なんです。免許の試験は実技が2回と筆記が1回あったんですけど、それがまあ過酷で過酷で…私の時は筆記を全部解くのに8時間くらいかかってました。
―8時間!?大学受験でもそんなんないでしょー。
早ければ4時間とか6時間とかで解く人もいるんですけど、めっちゃ辛かったです。
問題数は12問とか(くらい)で少ないんです。例えば、海で溺れている人がいる場合どういう処置をすれば良いのか書きなさいとか。それで、こういう場合はこういう処置をして、その時に使う手法はこういう手法で…とか答えるんです。
―それは辞めようとは思わなかったんですか?
辞めようと思う人はいますね。週に1回は部活動で海に行かないといけないですし、それ以外にも海に行かないとテストに受からなかったりするので。
―荒武さんとしては部活は面白かったですか?
そうですね。やっぱバカな人が多いっていうか(笑)はっちゃける人が多くて、あの頃は若かったなって思うようなことをやってました。その体育会系の部分さえ我慢すれば、いい友達もできて楽しかったです。
―じゃあ大学はずっとダイビング三昧ですか?
そうですねー、日焼けして闇と同化するくらい真っ黒でした(笑)
―僕の奥さんも初めて会った時は真っ黒だったですね(笑)
■大学での勉強の話
―勉強はどんな感じだったんですか?
1、2年まで教養が多くて、2、3年から化学の専門の実験が入って来ました。有機化学、無機化学、物理、分析の4つです。実験はレポートを出さないといけなくて大変でした。
生物も解剖とかいろんな実験があるんですけどそれは選択制でした。化学は必修で、絶対その4つの実験をとらないといけなくて、結構ウェイトが大きかったです。とる科目も、生物は結構ばらばらでしたけど、化学は選択とは名ばかりでみんな同じようなものをとる感じでした。
生物の中では、授業内容などが専門に特化していくため、年をおうごとに生物の人同士でもお互い何をしてるのかだんだん分からなくなっていくんですけど、化学はどんどん生徒同士が結束していく感じです(笑)
実験は、ただただ辛かったです。午後はずっと実験の授業になるので、時間がかかります。
成功すれば良いんですけど、失敗すると成功するまでやります。1人失敗すると、うまくいくまでやり直しで、また1時間待ちとかで「うおおー」ってなったり。
その頃は完全に私は大学生らしくというか、遊んでました。
なので、予習も辛いし、レポートも辛いし、なるべく過去の先輩のレポートをもぎとってきて、
結果は違うけど大体似たような感じに仕上げて提出したら、怒られて返ってくるとかありました(笑)
■研究室配属の話
―研究室配属はどんな感じで決まるんですか?
4年生から研究室に入りました。これがまた適当なんですよ。生物の人はちゃんとしてて、2年生の頃から希望先の先生のところに通ってたりしていたんですが、 化学は3年生の最後の2月とか3月に集まって、「じゃあ、みんなどうする?」って感じで一気に決まります。先生達は学生で自主的に決めなさいという感じです。現在はわかりませんが…
研究室がどのくらいの定員かっていうのは一応知らせてもらって、研究室はこういうことやるよっていう先生のレクチャーも一通りやるんですけど、その後にホワイトボードを使って「みんなどこ行く?」みたいな感じで第一希望をまとめます。
もちろん偏るので、どうにかしてばらけさせていって、4月までに絶対決めるっていう感じでした。
―荒武さんが行きたいところは第一希望で決まったんですか?
私はむちゃくちゃ遊んでたんですけど、高校の時に先生を全部調べてたのでどの先生が何をやってるのかはある程度知っていました(笑)
それに化学系に来たはいいですけど、根本的に化学の勉強はできなかったですし、数学もそんなに得意でないので物理化学とかは「絶対ムリ!」って思っていました。
なので高校の時の記憶を思い出して、なるべく生物系に近い系統の先生のところに行こうと思っていました。結局、有機化学って分野を選択しました。
実は、その時最初から院に行こうと思ってたんです。それは、推薦入試を受ける時から大学院に行った方が有利だと思ってたからなんですが。。。
―へー、自分の場合大学院っていうものがあるっていうことを知らなかったですけどね(笑)でもなんで院の方が有利なんですか?
理系だからかもっていうのもあるかもしれないですし、そういうイメージでした。
担任が文系と理系にいたじゃないですか。理系の先生は普通に大学を4年で出て先生になったんですけど、文系の先生は大学院まで行って先生になったんです。
それで、「何で大学院まで行ったんですか?」っていう話になるじゃないですか。そしたら、院を出ている方がお給料が良いっていう話だったんです。一応レベルが1個上がるらしいんです。
―それはそうですね。でもそれは年齢の問題ですよ。年功序列の場合の話ですけど、2歳分上なので、年取ってる分高いだけであって、22歳で仕事を始めても2年経って、大学院を出てきて24歳で始める人ともらえる額はそんなに変わらないですよ。だって、24歳から働く人は、2年分少なく働くのでその分もらわないとっていうのもあるんじゃないですかね。
そうだったんですかー。でもその時は、「大学院出た方が有利なんだー」っていうイメージでした。
あと、就活を始めた時にサイトを見ると、大学院の方が給料高いじゃないですか。でも最初のイメージはその話でした。
―なるほど…それはその説明合ってるのかなー(笑)でも学科によっては院卒の方が就職厳しくなったりするけどそういうのはないですか?
化学を選択していると院卒の方が有利だったんですよ。企業の研究職にかぎりますけどwww あと、大学では遊んでたので多少マジメにやろうかなっていうのもあって。
今回は以上です!
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