2012年3月30日金曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(2)

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー第2弾、田部篤太郎さんの続きです。
前回は今の仕事について聞きましたが、今回はさかのぼって五ヶ瀬時代の話を聞いていきます。
前回の記事はこちら↓


―そもそも五ヶ瀬に何で入ったの?
五ヶ瀬に入ったのは、一番不純かもしらんけど、坊主がイヤで(笑)
あの頃ってさ、中学校みんな坊主やったやん。坊主にするのがイヤで私立の中学校と五ヶ瀬を受けて、五ヶ瀬が通っちゃった…。

―通っちゃったって(笑)
合格した後に小学校に行ったら、合格発表を受けて「うちの学校から初めて五ヶ瀬に行く子ができた」って校長先生からいきなり言われて、そっちになっちゃったね。
だからもともとの志望の動機はそこが一番。

あとは家族の部分で言うと、姉ちゃんが3人おるんやけど、ちょうどその頃1番上の姉ちゃんが大学に行くもあって、飛び出してみてもいいかなという気になってた。

―それは飛び出したい、地元を出たいっていうのはあった?
小学校の6年生で転校して、新しい小学校に1年しかいなかったので、そのまま中学校行くか、五ヶ瀬に行くかっていうところでいうとどっちでも良かった。

―じゃあ地元に積極的に残りたいっていうのはそんなになかった?
そうやね。

―出たいっていうのはあったの?
そこから離れたいとか、そこから出たいっていうのはなかった。

―そういうネガティブな理由だけじゃなくてポジティブな意味合いでは何かあった?
そうやね、面白そうやなっていうのはあったね。
五ヶ瀬って、あの頃でいうとニュースでもばんばん取り上げられててさ、「面白いところがあるよ」って言われているところに行ってみたら面白いなと。

―入った後は自分で振り返ってどんな生徒やったと思う?
あんまり自分で振り返るとわからんよね(笑)中学、高校と。

―中学校の時どんなやったかおれは覚えとらんなー。大体田部とは喧嘩してたし(笑)
確か中1の時に口聞かんごなり始めたよね(笑)
そん頃どうやったかな…何かしらいろいろとあったけど、ホームシックとかはなかったしね。あったかな・・・かも。
学校の先生と仲良くしてもらってたし、後は高校から入ってた1期生の先輩にめっちゃ仲良くしてもらってた。

―何してたん?
いやーわからん。先輩の部屋に行って10時~11時くらいまでしゃべってたりしてたね。

―はー、想像つかんなー。
そん頃から年上の人とは仲良く話をしてて。

―それは中学校の時?
中1、中2くらいかな。1期生の先輩が高2、高3の時。
同級生とも仲良かったけど、それよりは先輩の方が印象強いね。

―部活は何かやってたっけ?
僕は最初テニス部に入ってた。冬場テニスコートが使えない時に、同室の松葉君(※)が柔道部員「柔道場に来てみたら」って誘われて行ってみたら、そのまま柔道部員になってた。
誘われたっていうか、冬場筋トレせんといかんから、それでそこに行ったらそのままそこに入りこんだね。
中1の正月明けの2学期、3学期とかそのへん。
もともと体力をつけたかったっていうのもあるし、柔道とかっていうのは全然僕の中になかったもんやからやってみてもいいかなと思ってやり始めた。
(※)同級生。確か小学校から柔道をやってて柔道部一筋。今は地元の近くで仕事をしている。

―柔道は面白かった?
うーん、どうやろうねー。

―歯切れわるいな(笑)
でもまあ運動できたし、おかげで力もついたし、そういう意味では良かったかも知らん。
あんまし試合とか勝ち負けとかそういう部分には興味がなかったけど(笑)
で、部活で言うと、その後高校になった時に勉強に専念したかったのと、百人一首部に誘われてやり始めたのとで、それを理由にして柔道部の退部届を何べんも出したけど、なかなか許してもらえんかったね(笑)
最後はあんまり行ってなかったもんな…

―ある意味自由やな。
ある意味自由やったよ。だって高2の時なんかは、百人一首部もやってたけど、英語をちゃんと勉強したいと思って放課後にALTジョンにお願いして教えてもらってた。
世界史やったかな、ルイ十何世とか第二次世界大戦とか、そういうのに関連する英文をジョンに渡されて、それを元にマンツーマンで英語で世界史を教えてもらってた。

―そんなことやってたん!?初めて聞いた。
あーほんとに?学校の授業が終わってから4時くらいからジョンのところに行って、学習室でジョンに教えてもらって。
なんで世界史やったのかわからんけど、フランス革命の頃の話とか第二次世界大戦のこととかを、日本の視点ではなくて向こうの視点で書いてある英語の資料をもとに教えてもらってた。
事前にそれをもらって訳して、授業中はずっと英語の会話やから、ジョンがいろいろと説明してくれて、こっちも英語で「どういうこと?」って質問したりしてた。

―はー、すげえな。何でそんなことやろうと思ったわけ?
何でやろうね。1つはもともと英語…、僕は中学校で英語が全然ダメやったから。
とりあえず英語の勉強をしようと思った時に、ちょうどジョンと話すようになっててさ。
ジョンに個別にそういうのを教えてくれと。基本は英会話を教えてくれという話をしたら、そういう形で講座を持ってくれたわけ。

―えー、ちょっと待って。英語全然ダメやったら、普通さあ、嫌だと思って勉強しようと思わんやん。何で勉強しようと思ったわけ?
たぶん悔しかったんやと思う。悔しかったし、英語はできとかんといかんなという気持ちがあった。

―そういう発想をして、自分からお願いをしにいってやってもらうっていうそういうのはどっから来ているわけ?おれにはなかったなあ…てか普通の高校生はそんなモチベーションとか発想とかないと思うんやけど。
何やろうね。ほら、生徒会やったりとか、形だけ何べんも出たりしてたりして。そういうのもあったりして勉強にも積極的やったのかな。

―生徒会と勉強ってどうつながると?
要はその、学校活動とかそういうのを僕は積極的にやってたから。
それとあわせて、自分の足りん部分を教えてもらいたいって言ったら、そのまま気軽に講座をもってくれた。

―じゃあそういう行事とかで培った積極性を学校の勉強にも活かしていったんかな。
そうね。だって、僕は一番最初にバカみたいなテーマで生徒会に立候補した時も、甲斐先輩に話し方とかどうやってアピールするかとか練習させてもらってた。

―それはいつの時?
中1の時。

―おかしいやろ、そんな中1!
学習時間終わった後、甲斐先輩のところに行って、甲斐先輩がつきあってくれて。こういうふうな形でしゃべったらいいよとか、書いたものを見せて添削してもらったりとか。

―うーん、じゃあやっぱり田部の中にそういうベースはあったんやろうなすでに。
そうね、子ども会とかそういうのは好きやったからさ。
そういう意味ではブログのコメントで書いたようにコミュニティなんていうのはもともと関心があったし。
要は年上の人にそうやって頼る部分を自分からいっていけたのかもしれない。

―ちなみにバカみたいなテーマって何なん?
え、何やったっけ?カレーライスのような学校にしようやったっけ。あれも確か甲斐先輩とテーマ考えたんやった。

―なんかそういえばそんなことを言ってたような気がするな。でも立候補したことを全然覚えてないな(笑)
はは(笑)だから、そういう形のおかげでジョンには高校の時には教えてもらってた。
あとは、上水先輩にはめっちゃお世話になった。上水先輩は大阪大学行かれはって、手紙で僕の高校の宿題とかを送ってた。
試験勉強をする時に上水先輩に手紙で送って、上水先輩が方程式とか解説とか考え方であったりとかを手紙で返してくれてた。

―おー、それはめっちゃおれが今やりたいと思ってるような話やね。
あ、本当?元々上水先輩と連絡をとりあってて、それでいろいろやってた。
正直言うと、大学を僕は阪大を目指してたけど、先生から阪大はやめておけって言われて、府大になったんよ。

―やめろって何で?
点数と確率の関係でね。その時にも電話で上水先輩に相談した。で、上水先輩からもいろいろアドバイスもらって、府大でやろうと思ったし。
もともと大阪行った時、それこそ受験したときとか、予備校行ったときなんかも一泊上水先輩のアパートに泊めさせてもらって、一日ぶらりと旅行連れてってもらったりとかしてた。

―そうそうそれ。そういうことをやりたいんよねー。
あ、本当に?そういうの上水先輩がめっちゃよくしてくれてた。
だから、今ここでこうやっておれるのは、上水先輩のおかげっていうのは大きいな。感謝してます。

今回は以上です!


続きはこちら↓

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 田部篤太郎さん(1)

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第2弾は、田部篤太郎さんです。
1995年に入学し、2001年に卒業した僕の同級生です。
大学では社会福祉関係の勉強をして仕事もそれにつながっています。
今回は同級生ということもあってフランクな感じにします(^^)
それではどうぞ!


―今の仕事ってどんな感じでやってるか教えてくれん?
宮崎県庁に3年前(H21.4月)に入りました。
福祉専門職という立場で入っているので、部署は福祉事務所で生活保護のケースワーカーとか、児童相談所のケースワーカー(児童虐待等、児童相談)。
あとは障害福祉課や長寿介護課。まぁ、事務の業務のほうになるだろうけど、事業者の運営、指導監査なんかだろうね。よく勉強してないけど。

―事務屋の仕事っていうのはどういう意味?
事務の仕事っていうのは、例えば、法律が決まった時にその事業を県でどういうような仕組みをつくるかとかを下ろしていく仕事や手続きを受ける仕事。
要は、国からおりてきたものを市町村の方に流して、どういうような要件が必要ですよとかいうイメージ。あんまり得意じゃない(笑)

―現場から離れるからってこと?
そうやね。大事な役割なんやけど、国からおりてきたものを町村に「こういう要件ですよ」「それに当てはめてくださいよ」って、トップダウンで言うイメージがあるから苦手。
僕が元々やってた事業づくりでは、当事者の人とかコミュニティの中にいる人と、どんなのがあったらええかっていうのを話して、それぞれ自分らでできることと、民間企業と話をしてできることと、行政に事業施策として下からあげていくのが流れやったからね。

―それは大阪にいたとき?
うん、そうそう。

―それは確かに面白いよね。会社で新規事業やるのと似たような感じかな。
そうそう、そういう感じで障害福祉課で動けるようになると個人的には好きなんやけど。

―田部の中で行政と現場をつなげられると面白いんやない。
そうそうそう。今回も小っちゃい団体で映画の上映会をやるんやけど、それを元にして障害福祉の計画作りに当事者の声を入れたりとか、宮崎県の独自の部分を作っていくとかね。
そんなのができるようになると僕の役割が出てくるのかなと。

簡単にまとめると、今は生活保護のケースワーカーをしてます。
前の職場では精神障がい者の支援に携わっていて、生活相談にのったりとか、地域への参入の部分で町内会の清掃に当事者の人と一緒に行ったりとかしてました。
コミュニティへの理解啓発の部分で、一緒に街を作っていく仲間という意識を広げられる範囲で動いていましたね。

―今はどういう感じの仕事?前にNHKスペシャルで生活保護の特集してて大変そうやなーと思ったけどあんな感じ?
大阪市の事例ね。そうそう、あんな感じ。あの人たちほど僕らはケース数がないけど、やってることは同じ。

―具体的にはどういう感じ?
具体的には、まだ仕事できますよという人やったら一緒にハローワーク行ったりとか。「こういう求人あるから行ってみやんね」と話をしたりとか。
やる気を出してもらえるように関わっていく。そんな感じかな。
障がい者であれば、ニーズに合わせて障がい福祉サービスにつないで就労支援や活動の支援の調整をしたりする。あと、引っ越し相談とかもあるね。

―ケース数ってどのくらい対応するの?
法で定められている標準数が、町村の福祉事務所は65ケース、市は80ケース。やけど、だいたいどこも超えてるけどね。
生活保護受給者の数も過去最多で205万人を超えたっていうし。

―それはさばけるの?
うーん、さばくしかないね。大阪市は120とか150とか100件超えるからね。大変よ。

一人当たり年に2回しか会わない人もいるし。それで自立にどうつなげるかって言われると難しいけど。
ケースの分類ごとに訪問回数が分けられてて、毎月会う人、2ヵ月ごとに会う人、年3~4回会う人、入院してたり施設入っている人は年2回くらい。
あとは施設の人や関係者と連絡を取り合っている。施設っていうのは特別養護老人ホームとか。障がい者の入居施設、病院、そこらへんかな。

―なんでそうなるのかな?やる気とかそういう話もあるけどそれだけじゃないような気がするんやけど。
生活保護に陥って抜けられないのかっていうこと?

―そうそう。
ひとつはやる気とか個人の気持ちの部分もあるなと思う。
ただ、やっていく中で思うのが、確かに今の社会の要件に当てはまらない人たちが多いと思う。
僕はもともと精神障がいに関心があるけど、例えばもうちょっと簡単な単純な仕事やったり内職の仕事とかがあればできるんやろうけど、それ自体がなかったりする。
それに、内職もあるにはあるけど、取りにいって納めにいく足(手段)がなかったりとか。
特に宮崎なんかでいうと、交通の便が悪いからそこまで行くツールがなかったりとかね。
極端にいうと、自動車の免許持ってない人はそこで要件外されたりとか。
そんなんで、なかなか条件にあわない人たちが溜まっていくのは確かにあるよ。
社会の流れの中で、求められる条件も変わってくるしね。

発達障害なんかももうちょっと周りが工夫すれば、時間帯とか仕事の内容とか考えれば、もうちょっと良くなるんやろうな。
ただ、今はそういう細かい仕事はコンピューターがやったりとか、逆にコンピューターの使い方をしらんと仕事がなりたたんかったりする。
そういう意味では、ITとかこういうパソコンとかツールができることによって、単純なものが失われて役割がなくなっていく人たちが増えたなというのは感じるね。

―なるほど、その話は興味深いのでいろいろ聞きたいところもあるけど、一旦さかのぼって五ヶ瀬から今に至るまでを聞いていくわ。

今回は以上です!次回は五ヶ瀬時代の話を聞いていきます!
続きはこちら↓

2012年3月19日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校で受けた教育のいいところ - 先生の背中を見て学ぶ

前回は、前の記事にもらったコメントの内容をヒントにして
五ヶ瀬中等教育学校の6年間の教育の意味するところや
特に学ぶ雰囲気があるという観点からのいいところについて書きました。

これに加えて、授業以外のことでも勉強する、学ぶ
ということに熱心であったりヒントをくれたりする
先生がいたことも良いところかなと思います。

僕が覚えているエピソードをいくつかあげてみましょう。

■日本史の先生が授業で趣味全開
高校1年の時の日本史の授業の話です。
その時の科目担任の先生の授業が
かなり特徴的で面白かったです。

具体的にはどういう授業だったかというと
昭和の世相を学ぶみたいなテーマで
昭和時代を1年ずつその時のヒット曲をCDで聞き、
その時の社会的な事件とかを学ぶみたいな感じです。

最初の授業では自分達の学年が生まれた年のヒット曲で
「赤いスイートピー」とか「矢切の渡し」とか。
その他の年も順々に聞いていきました。

曲名を具体的に思い出せないので
「昭和歌謡年表」っていうページで
ヒット曲の一覧みてたらちょっと思い出しました。
曲もYouTubeで聞けますね(^^)

例えば「二人は若い」とか「蘇州夜曲」とかっていう曲です。
前者は「あなた なんだい そらは青空 二人は若い」
っていう歌詞がいかにも昭和テイストな曲ですね(笑)

他に、戦時中の歌としては「同期の桜」とか「月月火水木金金」とか。
最後の方ではリンゴの唄も聞いたような気がします。

あとはその時の世相史みたいなのもやってました。
阿部定事件とかかなり強烈な事件も出てきました。

テストもそれを反映していて、例えば
歌謡曲の穴埋め問題とか
双葉山は何連勝したかとか
そういう問題でした(笑)

きっかけは先生の趣味の
昭和歌謡の大全集のCDを買ったので
それを使いたいっていうことやったと思うんですが
そういう先生自身が興味を持っていることや楽しんでいることなので
授業中とかもめっちゃ楽しそうで
生き生きとしていたので、こちらも興味を持って学べていた気がします。

科目の授業の中では
今でもこの授業の感じが一番印象に残ってますね。

ちなみに先生の名誉のために言っておくと
これは日本史Aという区分の授業で、
受験に関係あるのは日本史B、世界史B、地理B
といった区分だったので、受験に支障がない範囲でという考慮はあったと思います。
まあもちろん自分の趣味もあったと思いますが(笑)


■世界史の先生の知識の蓄積を盛り込んだプリント
日本史だけでなく世界史の先生も結構特徴的で
独自のプリントで毎回予習をせんといかんかったんですが
そのプリントがすごい詳細なものでした。

教科書や資料集に載ってないような項目が載ってて
いろんなエピソードを交えて話をしてくださっていたので
それもまた覚えています。

あと、ちょっと蛇足ですが、その先生は
キーワードを結構暗唱させる方で、
インドのカースト制で「バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ」とか
中国の王朝の移り変わりで
「いんしゅうしんかんぎしんなんぼくちょうずいとうそうげんみんしんちゅうかみんこくちゅうかじんみんきょうわこく」とか
そういうのを繰り返し唱えさせられてました。

コレ、今でも暗唱できるので、やっぱ繰り返し声に出す
って効果的なんやなーと改めて感じています。


■フォレストピアの授業で先生の方が面白がる
五ヶ瀬中等教育学校には「フォレストピア」という
総合学習の走りのような授業がありますが、
この授業はかなり印象的でした。

特に、高校の「森林文化」というテーマの授業で担当してもらった先生には
何度も研究対象の林業家の方のところに連れていってもらったりして
お世話になっていたんですが、山に行く時も
先生自身が面白がっている姿勢を見せていたのが印象的でした。

あと、インタビュー術を学ぶというような授業で
校務員の方に先生が対談形式で話を聞いて
生徒はそれを見てどんな感じで進めたらいいか学ぶ
みたいなこともやってたんですが
その校務員さんの話を先生がいろいろと引き出していて
メチャクチャ面白かったのを覚えています。

そこで、それぞれの大人にそれぞれのストーリーがあるんだ
ということを学んだように思います。
その先生自身がまたその方のストーリーに
興味を持って聞かれていたのが
授業が面白くなった要因だと思います。

前に、子供に勉強させたいならまずは親が勉強すべきだ
みたいなことを書きましたが
それと同じで、先生自身が学ぶことに対して意欲的だったので
それに良い影響を受けたんじゃないかなと思ってます。

その他、地理の先生だったと思うんですが
授業でイースター島で森林がなくなったという話をしてくれました。
これは、イースター島で宗教の争いがあったりして
森林を伐採し過ぎてしまって島から資源がなくなって
最後には島を脱出するための船を作る木もなくなって
滅びてしまったという話で強烈に覚えています。

この授業は、社会科の教科からみる森林文化
みたいなテーマで、科目担任の先生にそれぞれ授業をしてもらった企画でした。
その時は分からなかったのですが、
今思うとこれは教科書的な知識ではないので
本で先生が独自に調べてまとめてから
授業してくださったんだと思います。

そこで義務感で流れでやっていたら
こんなに印象には残っていなかったと思いますし
これもやっぱり先生が興味を持って調べたことを
授業を通して共有してくださったので覚えているんだと思います。


■本をすすめられる
担任ではない先生から、
松本君はこの本を読むと良いよ
と本をすすめられたことがあります。

それは学校の勉強と直接はあんまり関係ない本でした。
「知の技法」っていう本で、結局その時は読まなかったんですが(笑)
ずっと覚えてて、大学か社会人になってから読みました。

授業も確か1年くらいしか受けてなかったような気がしますし
担任でもなかったんですが、
そういうアドバイスをもらったのはよく印象に残っています。

しかも言われたのは、受け持ちが終わった後の
科目担任ですらない時だったように思います。
なんかそういうのときに言われたからこそ
妙に覚えているのかもしれませんね。


とりあえず今思い出せるのは以上です。
長くなったしこのへんで止めたいと思うんですが
他にもいろいろあったように思います。
こういう先生がいるっていうのも魅力の1つなのかなと思います。



2012年3月15日木曜日

五ヶ瀬中等教育学校で受けた教育のいいところ - 学ぶ雰囲気


昨日書いたブログ(勉強ができる=頭が良い?)にこんなコメントをもらいました。

五ヶ瀬中等教育学校の教育は、自分が自分の道を歩き始めるときに6年間詰め込まれたものが、内から溢れてくるようなものだと今は思っています。
その人だけの「曇りなき眼」を育てる原動力ともいえると思います。

特に、「自分が自分の道を歩き始めるときに6年間詰め込まれたものが、内から溢れてくる」
っていうあたりがなるほどなーと思いました。

これは以前も書いたスティーブ・ジョブズのスピーチであげられていた
「点と点をつなぐ」(Connecting dots)という話ともつながるなと思いました。

「自分が自分の道を歩き始めるときに」ということは、
逆に言えば、自分が自分の道を歩き始めるまでは
詰め込まれたまんまで意味は良く分からないかもしれないかもなと思います。

つまり、五ヶ瀬中等教育学校で受けた教育の意味は
在学中はあんまり分からないとしても
後から分かってくるのかなと。

このへんの話は以前書いた記事とも関連しますね。

そうすると、どういったタイミングでその意味が分かるのかがポイントですね。
コメントをくれた田部君の言葉を借りれば
「自分が自分の道を歩き始めるとき」ということですが
それはどんな時なんやろうなーっていうのが気になりますね。

一人一人違ってくると思いますが、そのへんも
いろんな卒業生に聞いてみたいなと思いました。

あと、次のようなコメントももらいました。
勉強の能力と頭のよさ・・・ということについて、
五ヶ瀬にいた6年間は、「勉強の能力」に苛まされてきたように思います。中学校のときは勉強に追いつけずに、「僕は頭が悪いなぁ…。」と。
でも、少人数制(本当にマンツーマンでした(笑))とスパルタチックな宿題のおかげで、高校に進級してからはやる気のほうが大きくなってきました。
その点について、当時の先生方の力量の大きさや熱意のおかげともいえると思います。
また、寮生活の中で、分からないことを他の同級生に教えてもらったりすることができ、相互に助け合えていたところも大きかったでしょう。夜の学習時間中や余暇時間の回りの様子などにも影響されたこともよかったと思います。
大学に入っても、その勉強癖のおかげで試験やレポートは助かりましたし、研究志向のスタンスも持てました。 ただ、仕事をするようになってからはどんどん廃れていっています・・・。
要するに、五ヶ瀬中等教育学校での教育のいいところとして
分からなくても先生や同級生にフォローしてもらえる
勉強に向かいやすい環境があって勉強癖がつく
といった点があるのかなと思います。

このへんは生徒の個人差もあると思いますが
僕自身の経験を振り返ってみても

  • 寮で学習時間があるので少なくとも毎日机に一定時間向かう
  • 宿題やテストが結構たくさんあるので勉強せんといかん
  • 生徒同士教え合う雰囲気がある(同級生同士だけでなく先輩後輩の間でも)
  • 熱心に教えてくれる先生が多い

という感じだったと思うので、確かに上のような良い点はあるかなと思います。

ただ、気になっているのは、今はどうなのかなーというところです。
このコメントをくれた卒業生は僕と同世代で
入学したのは1995年ですが、それからだいぶ時間が流れています。

この間アップしたインタビュー記事の中で
2001年に入学した生徒の話では
分からなくても言えない雰囲気があるということが語られていました。

そこからまた雰囲気が変わっている可能性もありますが
そういう雰囲気が残っているとしたら非常に残念ですし
なんとか変えんといかんなーと思っているところでもあります。
そのへんも下の学年の卒業生の後輩に聞いていってみたいなと思います。

2012年3月14日水曜日

勉強ができる=頭が良い?


このテーマは、中学校か高校のテストで読んだ話がきっかけで
それからずっとひっかかって折に触れて考え続けています。

何のテストだったか忘れたんですが
テスト用紙の下の方にコラム的に書いてあった話です。

細かい内容はもう忘れちゃったんですが
頭が良いということと勉強ができるということは違います
という趣旨の話だったと思います。

なんでそれをまた思い出したかというと、
以下のインタビュー記事を読んだからです。

キリンビールの社長の松沢幸一さんという方のお話です。
「森毅が何を言ったか。「問題が解けることが学力なのではなくて、問題が解けないときに切り抜けるのが学力かもしれない。通信簿の成績というのは、いわばゆがんだ鏡のようなものである。ゆがんだ鏡に映った姿を見て、ゆがんだ姿を気にするのはつまらないことである。しかしそうかと言って、このゆがんだ鏡は気に入らないと壊してしまってはほかに鏡がないのなら損である。ともかくゆがんでいるということを知るだけで辛抱するしかない」と。結構、深い言葉だよね。 
要するに勉強ができるとか、東大を出ましたとか、ハーバード大学を出ましたとか、どこどこの上級公務員試験を通りましたって、これは仕事ができるのとは全然関係ないですよ。それをみんな履き違えているんだよね。 
TOEICなんていくら850点とか900点を取ったって、ちゃんとしたコミュニケーションができないんですよね。それは人間だから日本語で相手の言うことをしっかり理解できる、あるいはこっちから伝えたいことを伝える、お互いに共感を持ってそれが共有できるかという、ここまでいかなかったからコミュニケーションじゃない。英語の点数が高いからグローバル人材とか、こういう話じゃないんですよ。試験の成績と実際の力は違うというのは、森先生なんかも言っているんだよね。「問題が解けることが学力なのではなくて、問題が解けないときに切り抜けるのが学力だ」と。」
出典: http://business.nikkeibp.co.jp/article/book/20120112/226066/?P=3&rt=nocnt (2012年3月13日8:30取得)

僕の考えもこの考え方と基本的に同じです。
勉強ができるということと頭が良いということは
必ずしもイコールではないと思います。

僕自身はいわゆる「勉強」というのは比較的得意です。
メチャクチャできるというわけではありませんが、
テスト的なものは、大抵のものはある程度勉強すれば大体できる自信があります。
ただ、自分が頭が良いかというとそうは思いません。

大学でも仕事し始めてからもそうですが、広く世の中を見てみると
「うわーこの人は頭良いなー」と思う人がたくさんいます。
そしてそれは勉強ができるとかできないとかはあまり関係ありません。

頭が良くて勉強ができる人はもちろんいますが
勉強ができるからと言って頭が良いとは限らないと思います。

つまり、頭が良い→勉強ができるという方向はあっても
勉強ができる→頭が良いというのは必ずしも成り立たないと思います。
(それは大学でも反証例を結構見てきました)

じゃあ、頭が良いって一体どういうことを指すんでしょう?
これは長年にわたって考え続けてきてはいるんですが
あまり明快な答えは出せていません。

頭が良いということの定義が定まらずに
こういう議論を始めてしまう自分もなんだかなあ…
と思うところもありますが、書くことでまた考えも深まるかな
と思ってとりあえず書いてみています。

上の例だと「学力」という言葉を使っていますが
「問題が解けないときに切り抜ける」のを一つの力として評価していますね。
これもその通りだと思います。

強いて言えば、そのへんも含めて
頭の回転が速いとか、深く広く考えられるとか、
自分のアタマで思考し続けられるとか、柔軟に考えられるとか
そういう感じなんですが、これだ!というよりこれかなあ…という感じですね。
まだ答えを探っています。

あと、頭が良いなあと思う人は
大抵膨大な知識に裏付けされた知見を持っていることが多いように思います。

いろんなことを知っているというのではなくて
物事についていろんな角度から見ているという感じでしょうか。
博覧強記というよりは、自分が関わっている物事について
自分のアタマで考え抜いていて、自分の言葉でスッと語れる、そんな感じですね。
なんていうか、「知識」っていうより「知恵」っていう方がしっくりきます。

書いてみて思ったんですが「知恵」って良い言葉ですねえ…
ただ、また「知恵」って何かって聞かれちゃうと困るんですが(^ ^;)
そのあたりはまたおいおい考えていきたいと思います。

とりあえず自分も「知恵」のある人になりたいなと思ってます。
なんかあんまりまとまりがないですが
今回の記事はこのくらいにしておきます。