五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー第2弾、田部篤太郎さんの続きです。
前回は今の仕事について聞きましたが、今回はさかのぼって五ヶ瀬時代の話を聞いていきます。
前回の記事はこちら↓
―そもそも五ヶ瀬に何で入ったの?
五ヶ瀬に入ったのは、一番不純かもしらんけど、坊主がイヤで(笑)
あの頃ってさ、中学校みんな坊主やったやん。坊主にするのがイヤで私立の中学校と五ヶ瀬を受けて、五ヶ瀬が通っちゃった…。
―通っちゃったって(笑)
合格した後に小学校に行ったら、合格発表を受けて「うちの学校から初めて五ヶ瀬に行く子ができた」って校長先生からいきなり言われて、そっちになっちゃったね。
だからもともとの志望の動機はそこが一番。
あとは家族の部分で言うと、姉ちゃんが3人おるんやけど、ちょうどその頃1番上の姉ちゃんが大学に行くもあって、飛び出してみてもいいかなという気になってた。
―それは飛び出したい、地元を出たいっていうのはあった?
小学校の6年生で転校して、新しい小学校に1年しかいなかったので、そのまま中学校行くか、五ヶ瀬に行くかっていうところでいうとどっちでも良かった。
―じゃあ地元に積極的に残りたいっていうのはそんなになかった?
そうやね。
―出たいっていうのはあったの?
そこから離れたいとか、そこから出たいっていうのはなかった。
―そういうネガティブな理由だけじゃなくてポジティブな意味合いでは何かあった?
そうやね、面白そうやなっていうのはあったね。
五ヶ瀬って、あの頃でいうとニュースでもばんばん取り上げられててさ、「面白いところがあるよ」って言われているところに行ってみたら面白いなと。
―入った後は自分で振り返ってどんな生徒やったと思う?
あんまり自分で振り返るとわからんよね(笑)中学、高校と。
―中学校の時どんなやったかおれは覚えとらんなー。大体田部とは喧嘩してたし(笑)
確か中1の時に口聞かんごなり始めたよね(笑)
そん頃どうやったかな…何かしらいろいろとあったけど、ホームシックとかはなかったしね。あったかな・・・かも。
学校の先生と仲良くしてもらってたし、後は高校から入ってた1期生の先輩にめっちゃ仲良くしてもらってた。
―何してたん?
いやーわからん。先輩の部屋に行って10時~11時くらいまでしゃべってたりしてたね。
―はー、想像つかんなー。
そん頃から年上の人とは仲良く話をしてて。
―それは中学校の時?
中1、中2くらいかな。1期生の先輩が高2、高3の時。
同級生とも仲良かったけど、それよりは先輩の方が印象強いね。
―部活は何かやってたっけ?
僕は最初テニス部に入ってた。冬場テニスコートが使えない時に、同室の松葉君(※)が柔道部員「柔道場に来てみたら」って誘われて行ってみたら、そのまま柔道部員になってた。
誘われたっていうか、冬場筋トレせんといかんから、それでそこに行ったらそのままそこに入りこんだね。
中1の正月明けの2学期、3学期とかそのへん。
もともと体力をつけたかったっていうのもあるし、柔道とかっていうのは全然僕の中になかったもんやからやってみてもいいかなと思ってやり始めた。
(※)同級生。確か小学校から柔道をやってて柔道部一筋。今は地元の近くで仕事をしている。
―柔道は面白かった?
うーん、どうやろうねー。
―歯切れわるいな(笑)
でもまあ運動できたし、おかげで力もついたし、そういう意味では良かったかも知らん。
あんまし試合とか勝ち負けとかそういう部分には興味がなかったけど(笑)
で、部活で言うと、その後高校になった時に勉強に専念したかったのと、百人一首部に誘われてやり始めたのとで、それを理由にして柔道部の退部届を何べんも出したけど、なかなか許してもらえんかったね(笑)
最後はあんまり行ってなかったもんな…
―ある意味自由やな。
ある意味自由やったよ。だって高2の時なんかは、百人一首部もやってたけど、英語をちゃんと勉強したいと思って放課後にALTジョンにお願いして教えてもらってた。
世界史やったかな、ルイ十何世とか第二次世界大戦とか、そういうのに関連する英文をジョンに渡されて、それを元にマンツーマンで英語で世界史を教えてもらってた。
―そんなことやってたん!?初めて聞いた。
あーほんとに?学校の授業が終わってから4時くらいからジョンのところに行って、学習室でジョンに教えてもらって。
なんで世界史やったのかわからんけど、フランス革命の頃の話とか第二次世界大戦のこととかを、日本の視点ではなくて向こうの視点で書いてある英語の資料をもとに教えてもらってた。
事前にそれをもらって訳して、授業中はずっと英語の会話やから、ジョンがいろいろと説明してくれて、こっちも英語で「どういうこと?」って質問したりしてた。
―はー、すげえな。何でそんなことやろうと思ったわけ?
何でやろうね。1つはもともと英語…、僕は中学校で英語が全然ダメやったから。
とりあえず英語の勉強をしようと思った時に、ちょうどジョンと話すようになっててさ。
ジョンに個別にそういうのを教えてくれと。基本は英会話を教えてくれという話をしたら、そういう形で講座を持ってくれたわけ。
―えー、ちょっと待って。英語全然ダメやったら、普通さあ、嫌だと思って勉強しようと思わんやん。何で勉強しようと思ったわけ?
たぶん悔しかったんやと思う。悔しかったし、英語はできとかんといかんなという気持ちがあった。
―そういう発想をして、自分からお願いをしにいってやってもらうっていうそういうのはどっから来ているわけ?おれにはなかったなあ…てか普通の高校生はそんなモチベーションとか発想とかないと思うんやけど。
何やろうね。ほら、生徒会やったりとか、形だけ何べんも出たりしてたりして。そういうのもあったりして勉強にも積極的やったのかな。
―生徒会と勉強ってどうつながると?
要はその、学校活動とかそういうのを僕は積極的にやってたから。
それとあわせて、自分の足りん部分を教えてもらいたいって言ったら、そのまま気軽に講座をもってくれた。
―じゃあそういう行事とかで培った積極性を学校の勉強にも活かしていったんかな。
そうね。だって、僕は一番最初にバカみたいなテーマで生徒会に立候補した時も、甲斐先輩に話し方とかどうやってアピールするかとか練習させてもらってた。
―それはいつの時?
中1の時。
―おかしいやろ、そんな中1!
学習時間終わった後、甲斐先輩のところに行って、甲斐先輩がつきあってくれて。こういうふうな形でしゃべったらいいよとか、書いたものを見せて添削してもらったりとか。
―うーん、じゃあやっぱり田部の中にそういうベースはあったんやろうなすでに。
そうね、子ども会とかそういうのは好きやったからさ。
そういう意味ではブログのコメントで書いたようにコミュニティなんていうのはもともと関心があったし。
要は年上の人にそうやって頼る部分を自分からいっていけたのかもしれない。
―ちなみにバカみたいなテーマって何なん?
え、何やったっけ?カレーライスのような学校にしようやったっけ。あれも確か甲斐先輩とテーマ考えたんやった。
―なんかそういえばそんなことを言ってたような気がするな。でも立候補したことを全然覚えてないな(笑)
はは(笑)だから、そういう形のおかげでジョンには高校の時には教えてもらってた。
あとは、上水先輩にはめっちゃお世話になった。上水先輩は大阪大学行かれはって、手紙で僕の高校の宿題とかを送ってた。
試験勉強をする時に上水先輩に手紙で送って、上水先輩が方程式とか解説とか考え方であったりとかを手紙で返してくれてた。
―おー、それはめっちゃおれが今やりたいと思ってるような話やね。
あ、本当?元々上水先輩と連絡をとりあってて、それでいろいろやってた。
正直言うと、大学を僕は阪大を目指してたけど、先生から阪大はやめておけって言われて、府大になったんよ。
―やめろって何で?
点数と確率の関係でね。その時にも電話で上水先輩に相談した。で、上水先輩からもいろいろアドバイスもらって、府大でやろうと思ったし。
もともと大阪行った時、それこそ受験したときとか、予備校行ったときなんかも一泊上水先輩のアパートに泊めさせてもらって、一日ぶらりと旅行連れてってもらったりとかしてた。
―そうそうそれ。そういうことをやりたいんよねー。
あ、本当に?そういうの上水先輩がめっちゃよくしてくれてた。
だから、今ここでこうやっておれるのは、上水先輩のおかげっていうのは大きいな。感謝してます。
今回は以上です!
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前回は今の仕事について聞きましたが、今回はさかのぼって五ヶ瀬時代の話を聞いていきます。
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―そもそも五ヶ瀬に何で入ったの?
五ヶ瀬に入ったのは、一番不純かもしらんけど、坊主がイヤで(笑)
あの頃ってさ、中学校みんな坊主やったやん。坊主にするのがイヤで私立の中学校と五ヶ瀬を受けて、五ヶ瀬が通っちゃった…。
―通っちゃったって(笑)
合格した後に小学校に行ったら、合格発表を受けて「うちの学校から初めて五ヶ瀬に行く子ができた」って校長先生からいきなり言われて、そっちになっちゃったね。
だからもともとの志望の動機はそこが一番。
あとは家族の部分で言うと、姉ちゃんが3人おるんやけど、ちょうどその頃1番上の姉ちゃんが大学に行くもあって、飛び出してみてもいいかなという気になってた。
―それは飛び出したい、地元を出たいっていうのはあった?
小学校の6年生で転校して、新しい小学校に1年しかいなかったので、そのまま中学校行くか、五ヶ瀬に行くかっていうところでいうとどっちでも良かった。
―じゃあ地元に積極的に残りたいっていうのはそんなになかった?
そうやね。
―出たいっていうのはあったの?
そこから離れたいとか、そこから出たいっていうのはなかった。
―そういうネガティブな理由だけじゃなくてポジティブな意味合いでは何かあった?
そうやね、面白そうやなっていうのはあったね。
五ヶ瀬って、あの頃でいうとニュースでもばんばん取り上げられててさ、「面白いところがあるよ」って言われているところに行ってみたら面白いなと。
―入った後は自分で振り返ってどんな生徒やったと思う?
あんまり自分で振り返るとわからんよね(笑)中学、高校と。
―中学校の時どんなやったかおれは覚えとらんなー。大体田部とは喧嘩してたし(笑)
確か中1の時に口聞かんごなり始めたよね(笑)
そん頃どうやったかな…何かしらいろいろとあったけど、ホームシックとかはなかったしね。あったかな・・・かも。
学校の先生と仲良くしてもらってたし、後は高校から入ってた1期生の先輩にめっちゃ仲良くしてもらってた。
―何してたん?
いやーわからん。先輩の部屋に行って10時~11時くらいまでしゃべってたりしてたね。
―はー、想像つかんなー。
そん頃から年上の人とは仲良く話をしてて。
―それは中学校の時?
中1、中2くらいかな。1期生の先輩が高2、高3の時。
同級生とも仲良かったけど、それよりは先輩の方が印象強いね。
―部活は何かやってたっけ?
僕は最初テニス部に入ってた。冬場テニスコートが使えない時に、同室の松葉君(※)が柔道部員「柔道場に来てみたら」って誘われて行ってみたら、そのまま柔道部員になってた。
誘われたっていうか、冬場筋トレせんといかんから、それでそこに行ったらそのままそこに入りこんだね。
中1の正月明けの2学期、3学期とかそのへん。
もともと体力をつけたかったっていうのもあるし、柔道とかっていうのは全然僕の中になかったもんやからやってみてもいいかなと思ってやり始めた。
(※)同級生。確か小学校から柔道をやってて柔道部一筋。今は地元の近くで仕事をしている。
―柔道は面白かった?
うーん、どうやろうねー。
―歯切れわるいな(笑)
でもまあ運動できたし、おかげで力もついたし、そういう意味では良かったかも知らん。
あんまし試合とか勝ち負けとかそういう部分には興味がなかったけど(笑)
で、部活で言うと、その後高校になった時に勉強に専念したかったのと、百人一首部に誘われてやり始めたのとで、それを理由にして柔道部の退部届を何べんも出したけど、なかなか許してもらえんかったね(笑)
最後はあんまり行ってなかったもんな…
―ある意味自由やな。
ある意味自由やったよ。だって高2の時なんかは、百人一首部もやってたけど、英語をちゃんと勉強したいと思って放課後にALTジョンにお願いして教えてもらってた。
世界史やったかな、ルイ十何世とか第二次世界大戦とか、そういうのに関連する英文をジョンに渡されて、それを元にマンツーマンで英語で世界史を教えてもらってた。
―そんなことやってたん!?初めて聞いた。
あーほんとに?学校の授業が終わってから4時くらいからジョンのところに行って、学習室でジョンに教えてもらって。
なんで世界史やったのかわからんけど、フランス革命の頃の話とか第二次世界大戦のこととかを、日本の視点ではなくて向こうの視点で書いてある英語の資料をもとに教えてもらってた。
事前にそれをもらって訳して、授業中はずっと英語の会話やから、ジョンがいろいろと説明してくれて、こっちも英語で「どういうこと?」って質問したりしてた。
―はー、すげえな。何でそんなことやろうと思ったわけ?
何でやろうね。1つはもともと英語…、僕は中学校で英語が全然ダメやったから。
とりあえず英語の勉強をしようと思った時に、ちょうどジョンと話すようになっててさ。
ジョンに個別にそういうのを教えてくれと。基本は英会話を教えてくれという話をしたら、そういう形で講座を持ってくれたわけ。
―えー、ちょっと待って。英語全然ダメやったら、普通さあ、嫌だと思って勉強しようと思わんやん。何で勉強しようと思ったわけ?
たぶん悔しかったんやと思う。悔しかったし、英語はできとかんといかんなという気持ちがあった。
―そういう発想をして、自分からお願いをしにいってやってもらうっていうそういうのはどっから来ているわけ?おれにはなかったなあ…てか普通の高校生はそんなモチベーションとか発想とかないと思うんやけど。
何やろうね。ほら、生徒会やったりとか、形だけ何べんも出たりしてたりして。そういうのもあったりして勉強にも積極的やったのかな。
―生徒会と勉強ってどうつながると?
要はその、学校活動とかそういうのを僕は積極的にやってたから。
それとあわせて、自分の足りん部分を教えてもらいたいって言ったら、そのまま気軽に講座をもってくれた。
―じゃあそういう行事とかで培った積極性を学校の勉強にも活かしていったんかな。
そうね。だって、僕は一番最初にバカみたいなテーマで生徒会に立候補した時も、甲斐先輩に話し方とかどうやってアピールするかとか練習させてもらってた。
―それはいつの時?
中1の時。
―おかしいやろ、そんな中1!
学習時間終わった後、甲斐先輩のところに行って、甲斐先輩がつきあってくれて。こういうふうな形でしゃべったらいいよとか、書いたものを見せて添削してもらったりとか。
―うーん、じゃあやっぱり田部の中にそういうベースはあったんやろうなすでに。
そうね、子ども会とかそういうのは好きやったからさ。
そういう意味ではブログのコメントで書いたようにコミュニティなんていうのはもともと関心があったし。
要は年上の人にそうやって頼る部分を自分からいっていけたのかもしれない。
―ちなみにバカみたいなテーマって何なん?
え、何やったっけ?カレーライスのような学校にしようやったっけ。あれも確か甲斐先輩とテーマ考えたんやった。
―なんかそういえばそんなことを言ってたような気がするな。でも立候補したことを全然覚えてないな(笑)
はは(笑)だから、そういう形のおかげでジョンには高校の時には教えてもらってた。
あとは、上水先輩にはめっちゃお世話になった。上水先輩は大阪大学行かれはって、手紙で僕の高校の宿題とかを送ってた。
試験勉強をする時に上水先輩に手紙で送って、上水先輩が方程式とか解説とか考え方であったりとかを手紙で返してくれてた。
―おー、それはめっちゃおれが今やりたいと思ってるような話やね。
あ、本当?元々上水先輩と連絡をとりあってて、それでいろいろやってた。
正直言うと、大学を僕は阪大を目指してたけど、先生から阪大はやめておけって言われて、府大になったんよ。
―やめろって何で?
点数と確率の関係でね。その時にも電話で上水先輩に相談した。で、上水先輩からもいろいろアドバイスもらって、府大でやろうと思ったし。
もともと大阪行った時、それこそ受験したときとか、予備校行ったときなんかも一泊上水先輩のアパートに泊めさせてもらって、一日ぶらりと旅行連れてってもらったりとかしてた。
―そうそうそれ。そういうことをやりたいんよねー。
あ、本当に?そういうの上水先輩がめっちゃよくしてくれてた。
だから、今ここでこうやっておれるのは、上水先輩のおかげっていうのは大きいな。感謝してます。
今回は以上です!
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