2012年2月6日月曜日

意味がないからって止めるのは止めた方がいいっちゃないかなー


■なぜ意味がないからといってすぐに止めるのは良くないのか - 学びの本質
意味は後からつながってくるから
意味がわからんからすぐにやめるのはどうかな
というのが今までの話でした。
もう1つ別の観点でも話をしてみたいと思います。

それは「学びの本質」についての話です。
これは、内田樹さんの
「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」
という本に書いてあった話です。


■内田樹さんと合気道の師匠との会話
内田さんは合気道をやっているのですが、
その師匠との会話が紹介されています。

まず、先生が「内田くんはどういう動機で合気道を始めたのですか」
と質問します。

それに対し、内田さんは「喧嘩に強くなるためです」と答えます。

先生は「そういう動機から始めても別に構わない」とことわった上で
「武道修行の目的は、君が目的としているものとは違う」と述べ、
「君が私について学ぼうと思っているものとは
違うものを君は私から学ぶことになるだろう」
と述べています。

それを聞いた内田さんは
「この先生は本物だ。この先生についていこう」
「この人を師としよう」
と思ったというエピソードです。

この話、何か変だと思いませんでしたか?
さっと読むとすんなり読んじゃうんですが、
内田さんは、ここで良く考えると
きわめて非合理的な判断をしていると述べています。

具体的には、内田さんは「喧嘩に強くなるため」に合気道をやる、
でも、先生は「違うものを君は私から学ぶことになるだろう」
と述べています。

つまり、自分がほしいと言っているものは与えてくれず
むしろ、違うものを与えると言っていると言っているので
「それでは違う師匠につきます」となってもおかしくありません。

ところが、自分がほしいものをくれないと言っていることを根拠に
逆に、この人こそが私が望むものを与えてくれる人だと
判断していることになっているんです。
意味不明じゃないですか??


■学びの本質
その心について、この話を踏まえた上で
内田さんは次のように述べています。
「この非合理性のうちにこそメンターの教育的機能は存するのです。自分にとってその意味が未知のものである言葉を「なんだかよくわからない」ままに受け止め、いずれその言葉の意味が理解できるような成熟の段階に自分が到達することを待望する。そのような生成的プロセスに身を投じることができる者だけが「学ぶ」ことができます。」
(内田樹「「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」」p152)
すなわち、意味がよくわかんないものをわかんないままに
とりあえずやってみれば何か成長できるのではないか、
だからとりあえずやってみよう
と考える、あるいは、意識しなくてもそういうことを
受け入れられるようになっているかどうかが
「学び」のポイントだということです。

もう少し補足すると、何かを学ぶ時は、主に
何かを知りたい、できるようになりたいということが目的にあると思います。

でも、まだ学んでいない状態では
その「何か」がどういうものなのか、どういう意味を持つのか
ということはハッキリは分かってないはずです。

その「何か」を詳しく知っていたり
すでにできることであれば学びにはなりません。

だから、学びの本質としては、
何なのかよく分かっていないことに取り組むことが必要です。

それができれば「学び」を進めることができ、
こうした形で一度学び方を知れば
いくらでもどんな領域のことでも学べるようになります。

逆にいうと、このような「学びの本質」を受け入れることができず
自分にとって意味のあることしかできないと
「学ぶ」ことができないということになります。

「学び」は、学校を卒業しても仕事をしていれば絶えず必要になってきます。
宝くじにでも当たって日がな寝っころがって暮らせるなら別かもしれませんが
それはそれで結構つらいものがあります。

結局、楽しく生きていくためには「学び」は必要なものであり、
そのためには、意味がわかんないものもとりあえずやってみる
という姿勢を持つことが重要だと言えると思います。

あと、せっかく「学びの森」という名前がついてるんで
特に五ヶ瀬中等教育学校では
こういう学びをどんどんできると良いなと思いますね。
(そのためのものがフォレストピア学習だったり
 様々な行事だったりすると思うんですが
 それについてはまた別途考えてみたいと思います)


■なぜ意味がないからといってすぐに止めるのは良くないのか - 成長機会を逃す
また、さらに言えば、意味があることしかやらない
という考え方をしていると、何も新しいことをしなくなります。
意味があるからやる式の考え方だと、
自分が想像する範囲の物事しかやらなくなります。
そうすると、人間としての成長は止まると思います。

知らなかったことを知る、できなかったことができるようになる、
こういうところにこそ人生の面白みっていうのはあるであって
知っている範囲、できる範囲、見返りが期待できる範囲
のことしかやらなければ人生つまらないです。

もちろん、それで良いという価値観はあると思いますが
少なくとも僕はそうは思いません。

自分が思ってもみなかったことからこそ面白いことが起きると思います。
スティーブ・ジョブズの場合も
カリグラフィーで得ができるとか意味があるとかは
勉強している時には考えてなかったと思います。

ところが、後になってそれがつながってくる、
しかも、世の中を変えるほどのインパクトを起こせるものにつながっていく。
やっぱこういうのが醍醐味なんやないかなーと思います。

またまた長くなったので今回はこの辺で。
次回は、それでも勉強する意味わからんからやりたくない
と思う場合はどう考えれば良いのかということを書いていきたいと思います。

そのあたりが、残りのテーマである
在学中に勉強や大学についてどう考えれば良いかということにつながってきます。

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