2012年6月29日金曜日

インドに急に行ってきて思ったこと


久しぶりの更新です。
実は、先々週から先週の頭まで、10日ほど急きょインドに行ってきました。

だからというわけでもないんですが、
ちょっと間が空いてしまいました。
ネタはいろいろと考えてあるのでまたおいおい更新していきたいと思います。

■インドに行くためのビザをどうしたか
せっかくインドに行ってきたので、今回はそれにからめた話をしたいと思います。
ちょっと教育とか五ヶ瀬中等教育学校とかとは
直接の関係はないんですが、高校出てからの何かの参考になると思うので。

そもそも急に行ったのは、向こうの人から思いつきで呼び出されたからなんですが
その時にビザの取得のプロセスが議論になりました。

通常は、東京の文京区の茗荷谷というところにある
ビザアプリケーションセンターまで行ってそこで申請するんですが、
今回は「Visa-on-Arrival」という方式で行きました。

というか、それで来い!と強く言われました。
通常の手続きだと、申し込みに1日、受け取りに1日と
最低でも2日かかり、両方とも茗荷谷までわざわざ出向く必要があります。

「そんなの時間と手間の無駄だ!
多少リスクはあるものの、とりあえず試してみろ!」
というインド人の強い主張により、そっちでトライしてみました。

リスクってどういうことかっていうと、
ビザを取得できずに入国できずにそのまま帰らんといかん可能性があることです…
なので、ちょっとビクビクしてたんですが最終的にはちゃんと入れました。


■しっかり準備⇔とりあえずやってみよう
結局、向こうについたら、
「ほら、入れただろう」みたいな感じのことを言われました(^^;)

このへんに考え方や価値観の違いが結構現れています。
僕もそうですが、日本人的には、
リスクがより低い手続きがあるなら
まずそちらへの対応をしっかりとやる方が多いと思います。

いろんなことを準備するにしても
何かにつけて細かいところまで気を配って
計画や見通しを立てることも多いと思います。

向こうの人からは、
「Japanese perfection」(日本人の完璧主義)
と言われて、半分からかわれてました。

これに対し、少なくとも今回僕を呼び出したインド人は、
まずやってみようという考え方で物事を進めます。
あと、大体念入りに準備するというよりは
直前にバーッと必要なことをやり始める感じです。

土地柄なのか何なのか、計画を細かく立ててもしょうがないと思っていて
何をやるにしても細かい問題があることは前提としているようです。
そして、何か問題が起きたらその時に対処すればいいという考え方のようです。

今回のケースでは、確かに向こうが言っていた通り
とりあえずやってみたらうまくいったので
次回からはこの方式もアリなのかなと思ってます。

とかくセーフティーな方をとって旧来のやり方に固執するだけでなく
多少リスクはあっても新しいやり方にトライするっていうのは
心配や不安はありますが、やってみるっていうのは悪くはないなと思いました。

なお、〇〇人ということであんまり類型化するのも良くないとは思うんですが
それにとらわれ過ぎないということを意識しないようにすれば
違いを意識するというのはコミュニケーション上有効だと思います。


■飛行機を降りてからホテルに着くまでのすったもんだ
以下は、備忘録がてらのメモです。
飛行機を降りてからビザを申請してホテルにたどりつくまでのことを
思い出して書いたその時の経緯です。
長いので、もし興味があればどうぞ。

飛行機を降りて、visa on arrivalの窓口がどこにあるのかと見渡すもそれらしきものが見当たらず

もう一度見渡してみると、ちゃんとした看板はないが、なんか小部屋を発見

よく見ると、その部屋の入口に、A4のコピー用紙で「Visa on Arrival」と書いてある張り紙がついている

これか…と思って入ってみる

係員らしき人が2名いたので、その人たちに「Visa on Arrival」って言う

しかし、おれのことは気にせず2人で話をしていて軽く待たされる

とりあえず席について書類を書くようにとA4の紙を渡される

書いてる間に係員が1人どっかに行き、1人しかいなくなる

Visa on arrivalの手続きに3000ルピーが必要だと言われる

「ドルで良いか?」と聞くもルピーじゃないとダメと言われる
(ちなみにHPには「A fee of US $60/- or an equivalent amount in Indian rupees」って書いてある)

うーん、どうすっかってなったけど、係員の人が航空会社の人を呼んで両替に行ってもらうから待てと言って電話で連絡

とりあえず書類を書きながら待つ

その間に別の乗客が入ってきて、arrival formのカードをくださいと言って受け取っていく
(この後5-6人同じような人が入ってきて、係員の人が乗客に「キャビンアテンダントは渡さなかったのか?」と文句気味に聞いていた)

書類を大体書き終わるも、今度は別の人が3-4人、別の係員の人と一緒に入ってきて
「governmentの人なんだけど…」みたいな感じでごちゃごちゃ話し出す

じっと待つ(;・・)ゞ

一段落すると、書類をチェック

一通り確認終了

今度は日本人の人が入ってきて、「Visa on arrival」を申請する

係員の人がその人のパスポートをチェックする

前にとってあるビザが残っていて、申請する必要ないことが発覚

本人がただ単に気づいてなかっただけなんやけど、怪しみだす
「no need」「なんでここに来たんだ」とか

なんか英語でのやりとりがうまくいってない感じだったので横から口を出して説明

とりあえずその人はそのまま行けばいいってことになって部屋を退出

書類の確認は終わってあとはお金だけなので先にスタンプを押してくれる

両替の人が来ないので再度連絡してしばし待つ

両替の人が来て、3000ルピーに足りそうなだけのドルを渡して両替をお願いする

じっと待つ(;・・)ゞ

両替してくれた人が戻ってきてお金を確認

これで終われると思ったら、今度は別の東南アジア系の学生っぽい感じの人が連れられてくる

どうやらビザか書類か何かに細かい問題があったらしく、ごちゃごちゃ議論

その間しばし待つ(;・・)ゞ

その人が、外国人登録証を持っているかと聞かれるも、コピーしかないと答え

係員から、「持ち歩けよ…」とため息交じりに言われる

さらに、「もう二度とこういうことはするなよ」と言って注意

その人が出て行った後に、3000ルピーを渡して最終確認

ようやく出られる

荷物あるかな…と思ってドキドキしながら階段を下りると、荷物のレールの横に自分のっぽい荷物を発見

ふー、良かったと思って一息つく(゚-゚)

出るところの手荷物検査を通る

いざ出て荷物のレールの方をみると、さっきまであった荷物がない!; ̄ロ ̄)!!

急いで出て見渡すと、カートに自分の荷物をのっけて運んでいるおじさんを発見

呼びとめて自分のだと主張

番号札を確認してもらって荷物を取り戻す

ようやく出られる…と思って出たが、今度は来ているはずのタクシーの迎えが見つからず

5分ほど探したり、迎えに来ている他のホテルの人に聞くも、見つからず

そうこうしているうちに、あるおじさんがホテルに電話してくれる

ホテルの人と話をして、今から迎えに行くと連絡

良かった…おじさん親切やなーと思ってお礼を言って待つ

そうすると、さっき電話を貸してくれたおじさんが、おれのタクシーに乗れよと言い出す

しまった…そういうことか、うかつやった…( ̄□|||| と思って断る

そうすると、おじさんは電話を片耳にあてながら一瞬向こうに行って帰って来る

「ホテルの人が迎えに来ないよって言ってたよ」って言いだす

イヤイヤ、今電話したフリしただけやろ…と思いつつ、「来るって言ってたから大丈夫」って断る

しかし、おれのタクシーに乗れよと再アピール

面倒になってきたので一旦到着ゲートの中の方に退避

念のためホテルのタクシーの人を再度探してみるも見つからず

すると、今度はプリペイドタクシーの会社のスタッフっぽいオレンジのシャツを着た人が声をかけてくる

この空港のスタッフだから…と言って電話を貸してくれる

うーん…と思いつつ、とりあえずもう1回ホテルに電話した方が良いことは良いので借りて電話

もうすぐ来るという連絡

またおじさんにタクシーすすめられるかと思ったけど、今度はそこに座って待てば良いということに

お、ホントにスタッフだったのか…?と思いつつ、とりあえず待つ

しばらく待つと、ホテルのタクシーの人が現る

良かったーと思ってその人のタクシーのところまで移動

そうすると、オレンジのシャツを着たおじさんも荷物を持ちながらついてくる

移動しながら、「子供が5人いるんだ」「シンガポールドルOK」みたいな話をし出す

ああ、そういうことね…(´へ`;と思いつつ、まあこの人のおかげで結局ホテルのタクシーまでつながったから良いかと思って2ドル渡す

「five」と言い出す

うーん、もういいやろ…ということでタクシーに乗り込む

ホテル到着

※ちなみに、Visa-on-Arrivalのページは下記↓
http://www.immigrationindia.nic.in/visa_on_arrival2.htm

こんな感じで、まあいろいろ細かいすったもんだはあるんですが
概ねなんとかなるかなーという精神と
臨機応変に対応するっていうところは
結構見習っても良いのかなーとも思う今日この頃です。

2012年6月8日金曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(5)

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
甲斐考太郎さんのインタビューの続きです。

前回は、 会社を辞めて起業する経緯について聞きました。
今回は、五ヶ瀬で得たもので今につながっているものについて。
今回が最終回です!


今後が楽しみです!


―仕事の話はそんな感じかー。あとは最後に、五ヶ瀬で得たもので今につながってるものって何かある?

2つあると思ってます。1つは、近づいたらウッと思う距離ってあるっていうじゃないですか。あれがすごい狭いと思います。外人並みですね(笑)

気軽にコミュニケーションをとりやすいっていうのがあって、それはすごく親近感を感じてもらえるなーと思ってますし、営業でもすごく役に立ってますね。

もう1つは、自分は旅行が好きっていうのもありますが、あくなき好奇心を受け止めてくれる環境っていうのがあったっていうのはあります。それは学校だけではないんですが、五ヶ瀬の自然ですかね。

例えば、フォレストピア研究で五ヶ瀬秘境図っていうのを作ったんですが、五ヶ瀬の秘境を探そうっていうものでした。マウンテンバイクでいろんなところに行って、まだ発見されてない五ヶ瀬の秘境を探しに行きました。

五ヶ瀬は奥が深いですね。やまめの里の秋本さんっていらっしゃるじゃないですか。あの人と一緒に幻の滝を見に行きました。秋本さんが幻の滝を見つけたっていう連絡をくださったので一緒に行ってみると、本当に今まで誰にも発見されてなかった滝があったんですよ!


―マジで?それはすごいなー。なるほどねー。そういう経験があるから旅への好奇心とかにもつながってるのかー。

そうですね。秘境図は最終的に、五ヶ瀬町役場からぜひくださいと言われて、贈呈しに行きました。


―逆にこういうことをやっておけば良かったなっていうのは何かある?

もっと外の情報を得る努力をしたかったですねー。外からの情報が新聞と短い時間でのテレビしか無かったじゃないですか。それで、大学に行った時に結構カルチャーショックを受けました。こういうことが自分の中高時代にあったんだなと思ったことがたくさんありました。

例えば、ドラマとかはインターネットの世界とか携帯の機種のこととか。全然知らなかったんですよ。それにどっぷり浸かると五ヶ瀬にいる意味が無いと思うんですけど、うまい具合に少しでも刺激として得られるような努力をすれば良かったなと思いますねー。そうすればもっと面白いことができたんじゃないかと思います。


―なるほど、そうやねー。確かにあまりそれにとらわれてしまうと五ヶ瀬にいる薄くなっちゃうと思うけど、いい形で刺激になるように外からの情報が得られるようになると面白いかもね。


今回のインタビューは以上やけど、今後も会社も展開して行ったりすると思うのでまた話を聞かせてください!ありがとうございました!



今回は以上です!

次回は起業のことについて聞いていきます。

2012年6月7日木曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(4)


五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
甲斐考太郎さんのインタビューの続きです。
前回は、会社や業界の状況や、
宮崎と東京の違いなどについて聞きました。
今回は、会社を辞めて起業する経緯について聞いていきます。


中華街を歩く
看板には「栗の押し売りにはご注意」
のただし書き
―今度会社を辞めて起業するっていう話やけど、それはどういうきっかけで?

タイミングですね。就職する時に、宮崎のために何かやりたいという気持ちと、何か面白いことがやりたいっていうざっくりとした思いがありました。そういうのがあって、働きながらも、何かやりたいなとモヤモヤしてたんですよ。その答えが徐々に明るくなってきたっていうのがあって、ここで退職しよう、自分で挑戦してみようっていう気持ちになりました。


―それは具体的にはどういう方向に?

観光とか旅行という分野で仕事をやりたいと思っています。それは何でかっていうと、僕は旅行が人間を幸せにすると思っているんです。

皆さん旅行に行かれたことがあるから分かると思うんですけど、旅行は視野を広げて自分を客観的に見る機会になります。自分と別の世界の人を比べて、自分が恵まれているところ、恵まれていないところを実感できるんです。それによって人々は幸せを感じると思うんです。そういうところに貢献したいという気持ちがすごくあります。


―例えば、五ヶ瀬中等教育学校の学生に旅をさせるとしたらどういうプランにする?

インドとかに連れていきたいですねー。


―なんでインド?

常識とかが簡単に覆されるじゃないですか。自分も行ってそうだったんですけど。まず人が信用できないとか、街が汚いとか(笑)わかりやすく世界が違うところに連れていきたいですねー。


―そういった旅についての話は自分が経験したところからきてるの?

そうですね。


―それを自分がバックパッカーとかをやって感じて満足するだけでなくて、他の人も巻き込んで経験してほしいっていうのはどういうところから来てるの?

うーん…自分がそういう経験をしたので他の人にも経験してほしいっていう単純な気持ちですね。


―でもそれは自分で旅行をするだけの人と、事業にしたいっていう人の間の決定的な違いじゃないかな。それはどういう事業にしていこうと思ってるの?

まずはインターネットの世界で事業をおこそうと思っていて、ミッションとしては、今の旅行をもっと豊かにもっと快適にできないかなと思っているんです。

今の旅行業界ってインターネットを活用してもっと良くできると思っているんですよ。例えば、ツアーとか旅行をする時に使うものって最大公約数的で、みんなが行きたいと思っているところで、どの旅行会社に行っても同じような観光ツアーが売ってます。なので、もっと個人のニーズを満たしたものが作りたいなと思ってます。

そこで、個人のニーズを満たせるのは誰かっていうことを考えました。例えば、中国に行きたいとするじゃないですか。その時に中国のことを一番良く知ってるのは中国に住んでる人とか中国が大好きで中国によく行く人だと思います。だから、自分が中国に行きたいと思ってこういう旅行がしたいっていうことをあげると、中国に関係のある人からそれだったらこういうところがありますよって教えてもらえるような、そういう場所を作りたいと思っています。


―それはそういう情報を提供する側のモチベーションっていうのはどう考えてるの?

いろいろあると思いますが、1つは郷土愛的なものです。自分の友達がが宮崎に行きたいって言ったら、宮崎のことをすごく紹介すると思うんですよ。自分の故郷なんで。その気持ちはくすぐりたいんですよね。


―郷土愛の話はいいねー。おれらも五ヶ瀬の話とかで知ってることがあればめっちゃ書くと思うし。浄専寺のしだれ桜が良いですよとか、夕日の里が良いですよとか。あとはそれこそ学校の生徒に書いてもらったり写真撮ってもらったりしたら面白いんじゃない。それは誰か仲間の人とやるの?

そうですね。一緒にやる人は私が入社2年目に東京に来た時に一番お世話になった広告代理店の方です。その人も会社を辞めてて、自分が会社を辞めると言ったら、「一緒にやりたい」って言ってくれて。


―収入が入ってくるまでどうやって食っていこうと思ってるの?

貯金と…あとは今カレー屋を始めようと思ってるんですよ(笑)


―え、カレー!?なんでカレー屋?

そのパートナーの人がカレーを作るのがめちゃくちゃうまいんですよ。売れるレベルなんで、昼間はカレーを作ってやっていこうかなと(笑)どうなるか分かんないですけどね。カレー屋で社名とかも売っていこうとは思っているんですけど。


―面白いねー。それは楽しみやねー。

楽しみですけど不安でたまらないですけどね。最近あんまり寝られないですけどね。


―そこのリスクをとれるのはすごいよね。




今回は以上です!

次回は起業のことについて聞いていきます。

2012年6月6日水曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(3)

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
甲斐考太郎さんのインタビューの続きです。
前回は、仕事で大変なところや面白いところについて聞きました。
今回は、会社や業界の状況や、
宮崎と東京の違いなどについて聞いていきます。




中華街で杏仁ソフトを食べました
うまいものはうまい!
―社員の人はみんな宮崎の人なの?

アナウンサー以外は全員宮崎の人です。アナウンサーもバラエティーとかの番組ではなまったりしてるんですが、ニュースとかは正確に伝えるということがあるのでなまらないようにしているみたいですね。


―社員は何人くらいいるの?

派遣の人とかもあわせると130人くらいですかね。自分が関わる営業の部署では支社をあわせて20人くらいですね。


―他には何をする人がいるの?

他は報道の記者や制作のディレクター、総務とかどの会社にも共通するような部門などがあります。

あとは、番組のテープが上がってきてそれをタイムラインにのっける「放送実施」っていう仕事があります。放送事故などのミスがないようにチェックする部署で、20人くらいいますね。裏方ですがとても大事な仕事です。

他にはイベントをやる部署があります。ジャムナイトとか、スポーツフェスタとか。

新入社員は毎年3-4人くらいですね。


―東京の営業所は今3年目が終わろうとしているところってことやけど、宮崎から東京に来た時の変化って何か感じたことがある?

ありましたねー。大学は東京にいたんですけど、宮崎と東京では仕事の時間の流れの速さが違うんですよ。私の感覚値だと3倍です。日向時間は3分の1なんですよ(笑)


―面白いね(笑)それはどういうところで感じるの?

打ち合わせ時間は宮崎より東京の方が短いです。宮崎では雑談する時間も多かったですね。それも宮崎の良さなんですけどね。東京はビジネスっていう感じです。最初は結構びっくりしました。東京に来た頃は疲れてましたねー。家に帰ったらすぐに寝てました。


―2年目、3年目での変化っていうのは何かある?

基本的には繰り返しなので段々楽にはなりました。サイクルがわかるので。


―業界の雰囲気の変化とかは何か感じる?広告とかもどんどん減ってきてると思うし。

テレビをあまり見ない人が増えてきましたからね。あとはネットテレビとかも出てきたりと競合も多いので不安感は感じていますね。

ただ、対策を行っているところもあって、例えばフジテレビはお台場合衆国などの取り組みで収益を上げていこうとしています。また、日テレはフェイスブックと連携して、データ放送でいいね!ボタンを押せるようにしたりとか、そういった試みを行っています。



今回は以上です!

次回は起業のことについて聞いていきます。

2012年6月5日火曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(2)


五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
甲斐考太郎さんのインタビューの続きです。
前回は仕事を選んだ経緯などについて聞きました。
今回は、仕事で大変なところや面白いところについて聞いていきます。



―仕事でどういうところが大変?
この日は中華街で話を聞きました

うーんと…仕事は…大変なのはなんすかねー…特にないですね(笑)


―営業向きやね(笑)温度差があったりとか、断られたりとか結構辛くない?

自分は寝たら忘れるタイプなんで(笑)
その時その時は辛いですけど、寝たら大丈夫です。


―じゃあ面白いところは?

民放って、NHKと違って、スポンサーからのお金で収入を得ています。逆に言うと、スポンサーがつけば番組が作れるんですよ。だからスポンサーに直接こういう番組をやりましょうという提案ができるんです。


―え?番組?CMじゃなくて?

基本的にはCMっていう売り方なんですけど、2種類くらい売り方があります。1つはスポットCMって言って、番組とかはあまり関係なく、この日からこの日まで、例えば1週間という期間を決めてその間にCMを何本流してくださいというやり方です。

もう1つは、番組に提供元として名前が付いて、月額いくらですよというやり方です。この2つの売り方があります。


―あー、確かに!言われてみれば、「この番組は○○の提供でお送りしました」みたいなのあるもんねー。

そうなんです。その提供の方で番組とかを作ったりします。それこそ、この間は宮崎出身の有名人に出演をお願いしてミニ番組を作りました。



―番組づくりにはどのくらい関わると?

スポンサーや番組内容にもよりますが、関わるときはほとんど全部関わりますね。さっきの話だと、最初にこういう番組をやりますっていう企画書を広告代理店の方と一緒に作ってスポンサーに提案します。やりましょうっていう話になったら、まずはキャスティングの作業です。タレントさんなどの事務所に自分で電話して調整します。

その後、出演者の日程をおさえて、制作会社を探して見積もりをもらいます。撮影に何人必要でどういう機材を使うのでいくらくらいですよといった話の詳細を確認してから決めます。実際に撮影が始まると現場に立ち会って、いろいろチェックを行います。

芸能人も来たりしますけど、本社が宮崎なんで宮崎に関係する人ばっかりですね(笑)


―それは結構やりがいがあるね。自分が企画からやって撮影にも立ち会って、それが番組として流れるということやんね。

そうですねー、楽しいですよ。最初の時なんかはすごいテンションが上がりました。


―交渉とか入ると思うけど、そういう仕事で必要なスキルはどうやって身につけるの?

上司がいるので、1つ1つ報告して教えてもらいながらですね。これは値段感高いのか安いのかとか最初はよくわからないんで(笑)





今回は以上です!

次回はもう少し仕事のことについて詳しく聞いていきます。

2012年6月4日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(1)



前回まで、五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
甲斐考太郎さんのインタビューの2006年版を載せていました。
今回からは、現在の話を聞いた
インタビュー記事も載せていきます。

2006年から2012年(今年)になって
どう変わっているのか、楽しみにして読んでみてください!



左:甲斐考太郎さん
右:田村康一郎さん
一緒にご飯を食べながら話を聞きました
―起業するっていう話も聞いたんですが、とりあえず順を追って聞いていこうかな。まずは、大学を卒業してから卒業してからどこに入ったんだっけ?

大学を卒業してからUMKに入社しました。


―UMKに入ったのは何でなん?

就職活動の時に、まず就職をしたくなかったんですね。何でかっていうと、田村さんと一緒で海外にすごく興味があったんです。それで、一年間休学して世界を回りたかったんですよ。


―え、でも卒業する時に卒業旅行で結構行ってたよね?

行ってました(笑)半年くらい行ってて、中南米と東南アジアに行きました。半年間ぶらぶらしてました。

そういうのはありましたけど、でもアフリカとかもあるじゃないですか。アフリカとか全然行ってねえな、行きたいと思って、休学しようとしてたんですけど、経済的な都合もあり、就職することにしました。

その時は、自分がまだ何をやりたいのか全然決まってませんでした。ただ、何か面白いことがやりたいという思いだけはありました。あと、将来的に宮崎に貢献できることが何かやりたいなーとは思ってました。それは自分の故郷だからなんですけど。

でも大学は東京で、東京もすごく楽しかったんです。なので、東京の面白そうな会社ということでグーグルを第一希望で受けて、宮崎の面白そうな会社ということでUMKを受けました。

グーグルはあえなく落ちちゃったんですけど、UMKは受かったんです。宮崎の中でなんでUMKを選んだかというと、宮崎の中で県民に一番影響力があるところを考えると、やっぱりマスコミだと思ったんです。それでUMKを受けました。


―某M社ではなくて、UMKにしたのはどういう理由なん?

M社も受けたんですけど(笑)結局UMKにしたのは、将来を作っていくのは若者だと思っていたことが関係しています。若者がより多く見ているのは、その時UMKだったんです。それでUMKを選びました。


―入ってみてどんなことしてたん?

今入社4年目なんですけど、入社してから1年間は宮崎本社の営業部、2年目からは東京支社の営業部で営業をずっとやってました。報道をやりたかったんですけど(笑)よく知らなかった営業をやってました。


―それは具体的にはどういう仕事なん?

テレビ局って、民放とNHKの2つに分かれてて、NHKは受信料から成り立ってるんですけど、民放は受信料をとってなくて、CMを流すことによって収入を得ています。だから、CMを流してくださいっていろんな会社に営業する事ですね。


―それはどういうふうに営業していくと?

基本的にはおつき合いがあるところに、「そろそろCM出しませんか?」とか行くような感じですね。例えば、新商品の話とか新店オープンとかそういう情報を集めて提案に行ったりとかです。

その他にも新規飛び込みもあります。今までCM出してないけど、最近元気ある会社とかに電話して、「UMKですけど…」って言うと、最初は向こうは「取材かな~」と思って期待してくれるんですけど(笑)お金を出してくださいっていう話なので、当然ですが、お客さんは慎重になられますね。


―東京だと全国区の企業さんに出してくださいってなるの?

そうですね。宮崎だと宮崎の地元の企業、例えばお菓子屋さんとか酒造会社とか。
東京に行くとよくCMで誰もが見る企業が大きなお客さんになりますね。
そして、宮崎でも東京でも、仕事はすべて広告代理店さんと一緒にやります。



今回は以上です!

次回は仕事で大変なところや面白いところについて聞いていきます!

2012年6月3日日曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(2006年版その2)

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
甲斐考太郎さんのインタビューの2006年版です。
前回の記事の続きです)

授業・サークル編に引き続いて
趣味・バイト・その他編です。



―それじゃ、サークルや授業以外ではどういうことをやりよっと?普段は?例えば遊びに行くのはどういうところ?

遊びに行くのは…そうですね、暇な時に一番最初に思いつくのは映画を観に行くことですね。映画は大好きです。


―映画はやっぱり映画館で見ると?

そうですね。映画館が良いですね。


―観に行く時っていうのはどういう基準で映画を選ぶと?大体常に観たい映画が頭の中に入ってたりすると?

そうですそうです。暇になったらあれを観に行こうって感じですね。ヒューマンドラマやドキュメンタリーが多いですね。


―最近観に行っておもしろかった映画は何?

「ディア・ピョンヤン」っていう、北朝鮮の在日のジャーナリストの女の人が、自分の父親をハンディカムで撮った映画です。大阪での普段の生活を撮ったり、久しぶりに祖国に帰った父親を撮ったり、向こうで父親が孫とふれあうところを撮ったりしています。自分は北朝鮮のことに対して、すごくフィルターをかけて見ていたんですけど、映画を通じて子供達とか家族の温かさをみることで、北朝鮮の人も普通の人間なんだなということを感じました。考えてみると当たり前のことなんですけど、そういうことに気付けておもしろかったです。おもしろかったので映画館で2回見ました。


―じゃあ考太郎のベスト・ムービーは?

「ニュー・シネマ・パラダイス」っていう映画です。最初に見たのは多分DVDです。古い映画なんですけど、デジタルリマスター版が発売される時に映画館でも見ました。


―他にはどういうことをしよっと?

あとはライブに行ったりですね。


―ライブ!?何のライブ?

おもしろいライブがあったんですけど、「風呂ロック」って言って吉祥寺の銭湯でライブをやったんですよ(笑)僕は、銀杏BOYZとかGoing Steadyのボーカルの人が好きで、同じ人なんですけど、その人が出ていたので行きました。 ステージが浴槽で、風呂の椅子に座って皆で観るっていう感じです。 後は、美術館とかですね。写真美術館とかです。


―写真は好きなん?

好きですね。目黒の写真美術館によく足を運んでいます。

あ、そういえば僕今度化物展に行きたいんですよ。今上野の国立博物館でやっているんですよ。500円で見れるんですけど、河童や人魚の剥製とかがあるらしいです(笑)人魚が2体あるんですけど、1つはミイラのはずなのにベニヤ板が出ているらしいんですけど、もう1体は本物かどうか現在調査中で最終日に分かるらしいです。天狗とかもいるらしいですよ(笑)


―おもしろそうやね(笑)今度目黒の寄生虫博物館とかにも行きたいっちゃけどね。

あ、僕行きました行きました!すごいですよ。意外と狭いんですけど、気持ち悪いですよ。ホントに(笑)


―バイトとかはやっちょらんと?

バイトはホテルのクラークをやっています。夜中8時から5時間の休憩を挟んで朝8時までで、チェックイン・チェックアウトの作業をやっています。


―これは何でまたやろうと思ったと?

僕の2つ上の吉村先輩がやっていて、高3の3月にバイトやらないかっていうメールが来たんです。だから、僕は大学1年の4月からこのバイトをやっています(笑)


―これは時給っていうか1回いくらくらいもらえると?

1回1万円ですね。宿泊手当や夜勤手当が出てこれくらいもらえます。


―チェックイン・チェックアウトってのは何をすると?

夜は、チェックインと次の日の宿泊者のチェックやルームキーを作ったりして、朝はチェックアウトですね。


―そんな大変そうな感じがせんけど、実は結構大変やったりすると?

あーそうですね。予約してる人、宿泊者が少ない時はすごい楽なんですけど、多い日は大変ですね。残業とかもやります。


―残業!?朝の8時までやって残業すると?

そうです。朝の11時まで残業やったことありますよ。チェックアウトの人数が多すぎて。


―こんな大学生活を送っちょるわけですが、どうですか大学生活は?楽しい?

楽しいですね。大学来て良かったです。


―じゃあ東京はどう?東京に住みたいとか思う?

うーん、東京では「学びたい」です。「住みたい」のは宮崎ですね、やっぱり。


―東京の良いところは?

東京の良いところは、こちらから求めればいくらでも応えてくれるところですね。東京は学びの場として最適です。宮崎じゃ講演会とか全然やってないじゃないですか。


―じゃあ東京の嫌なところは?

人が多いところですかね。でもまあそんなに嫌でもないです。


―年何回くらい帰ると?

年2回ですね。夏と正月です。


―1回当たりどんくらいおると?

夏は2泊3日くらいで、冬は30とか31から4、5くらいですね。


―短っ!親御さんとか何も言わん?

言いますねえ、「もうちょっとおれば」とか。


―じゃろ?弟も五ヶ瀬に行っちょったら寂しいやろ。

でも4人兄弟で妹が2人いますから。


―あーそうやと?ならいっか(笑)うちも似たような感じやしねえ。でもおれは2週間から1ヶ月くらいはおるよ。

そうですかー。


―同学年の人とはちょくちょく会ったりすると?

もう前田とかは2日に1回くらいは会いますね(笑)そして週に2回くらいはチップ(上野君)の家で鍋しますし。相当会ってますね(笑)


―五ヶ瀬の人はどう?

最初は、五ヶ瀬の人だけと会ってたら広がりがないので、物足りなかったんですよ。でも最近は大学でも友達ができてきて、五ヶ瀬の友達が大学の友達を連れてきて一緒に鍋したりするんで、広がっていっておもしろいです。鍋とかする時も、何かおもしろい人連れてきてとか言ったりします。


―じゃあ最後に、考太郎のこれからについて聞かせてもらおうかな。3年ってことは就職活動の時期やない?

そうです。今日からやります。普通の人と比べるとちょっと遅いくらいですけど、宮崎人と比べれば早いくらいです(笑)


―やっぱりジャーナリストになったり、ジャーナリズムに関わったりしていきたいと?

僕の夢が2つあって、1つはサーフィンをマスターすることで、もう1つは世界を歩き回ることです。ですので、仕事に対しての欲求や夢はあまりないです。夢のためにお金を貯めるとか、英語を身につけるとかグローバルスタンダードを学ぶとかそういったことができればといった感じなので職種は別に問いません。


―サーフィンやっちょったっけ?突然話に出てきた感じがするけど(笑)

まだやってないです(笑)この前宮崎空港で飛行機を待っている時に、広場でサーフィンのイベントをやっていたんですよ。それを見て、なんで宮崎人なのにおれはサーフィンができないんだと悔しく思ったんです。だって宮崎はサーフィンのメッカなんですよ。世界大会とかもやってるんですよ、小倉ガ浜とかで。すごいですよ。


―実家はどこやったっけ?

宮崎市内です。


―そっかそっか。おれは小林やから分からんなあ(笑)基本的に山やし海ねえかいね(笑)

ですね(笑)鎌倉に行ったらすごいサーフィンやってるんですよ。それで、何で鎌倉人にできて宮崎人のおれができないんだってすごい悔しくて、サーフィンをマスターしたいと思うようになりました。



以上です!

2012年6月2日土曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(2006年版その1)

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
甲斐考太郎さんのインタビューの2006年版です。

以前、僕が大学の頃にインタビューしたものの再掲です。
以前載せた田村康一郎さんのインタビュー
同じ時期に行なったものです。

この頃は甲斐さんも大学生でしたが
その時の記事を再掲した後、
現在の話を聞いたインタビュー記事も載せていきます。

授業を始めとして、サークル活動などについての内容です。
2回に分けてお送りします。
まずは授業・サークル編です!



―今の所属は何やったかね?

早稲田大学政治経済学部経済学科3年です。


―最初から経済学部?

そうですよ。入学当時からです。そういうシステムです。たぶん東大が特別なんです。


―今は何をやりよっと?

今は経済学全般をやっています。ミクロ、マクロ、専門的なので言えば、環境経済、計量経済、開発経済などです。 ミクロ経済学なんかはかなり数学を使うので頭が痛いです。正直言ってあまりおもしろくはないです(笑)


―ぶっちゃけ授業はどのくらい出ちょっと?

授業は基本的には出席するようにしています。原則出席の方向でやっています。 何もなければ授業に出ていますが、それよりおもしろそうなことがある場合はそちらに出たりしています。例えば、今日たまたまそのまんま東の講演会をやっていたんですけど、こういう機会がある場合はそちらに行くようにしています。 あと、友達に映画見に行こうとか誘われた時はそちらを優先することが多いですね。


―ゼミとかは入ってるとかね?

入ってますよ。「自由主義における政治経済学研究」というテーマです。自由主義だから何でもやっていいんですよ(笑)


―それは意味が違うやろ!(笑)

そっちの自由主義なんです(笑)僕がやることはまだ決まってないんですけど、友達とかは、サッカーからみる国際社会とか、村上春樹のノルウェイの森を研究するとか、おれはバドミントンをメジャースポーツにしたいとか言ってる人もいます。おもしろいですよ。うちのゼミは特殊ですね(笑)


―他にはどういうことに時間を使いよっと?例えばサークルとか。

サークルは3年生の夏で引退したんですけど、サークルは2つ入っていて、1つは政治の勉強会のサークルです。


―名前はなんちゅうところ?

早大政友会という名前のサークルです。


―伝統がありそうな名前やね。

そうですね。僕は46代の副幹事長を務めていました。


―46代!?すごいね(笑)もう1つは?

早稲田稲門会というサークルです。早稲田にいる宮崎県人が集まったサークルで、月に1回みやこんじょ(新宿にある宮崎料理の飲み屋)で飲み会をするのが主な活動です。


―政友会ではどういう活動をしよったと?

週に4回、学生主体の勉強会が開催されています。それぞれ、政治、経済、国際関係、ジャーナリズムの4つのジャンルです。そのどれかに出席する形になっています。もちろん全部参加しても良いです。僕はジャーナリズムの勉強会に出ていました。 担当の人を決めてプレゼンをして、それを元にディスカッションをしていました。


―学生「主体」ってことは、外からも人を呼んだりすっと?

たまに外から社会人の人、例えば新聞記者の人を呼んできて話を聞いたりしていました。


―勉強会の他にはどういう活動があっと?

年に2回講演会を政友会主催で開催していました。それは政治家を呼んで大隈講堂で外部の人も参加できるような形でイベントとして開催していました。


―これはどういう人を呼んだりしちょっと?

最近で言えば、今環境大臣の若林さん、平沼タケオ、山崎拓、民主党の岡田代表などを呼んでいました。


―じゃあメインの活動としては、週1~4回勉強会に参加するのと、講演会を開催することの2つかな。

そうですね。


―なんでこういうところに入ったとね?

僕は高校時代から政治に興味があって、五ヶ瀬にいる頃も新聞を読んだりしていたんですけど、政治に関する記事を読んでいるうちに、政治っておもしろいなと感じると同時に、社会の中心を回しているのはやっぱり政治だなと考えるようになりました。それで、大学も政治経済学部に決めました。そういう気持ちがあったので、大学に入った時に政治系のサークルに入ろうと考えていました。


―そういう政治系のサークルは大体幾つくらいあると?

大きいのが4つくらい、小さいのをあわせると10くらいあると思います。


―じゃあたくさんある中で何を決め手として政友会を選んだと?

そこにいる人達が魅力的だったんですね?


―魅力的っていうのはどういう点で?話がおもしろいとか?

もちろんそれもなんですけど、サークルの幹事長の人が、説明会のときに、「うちのサークルは来るのも自由だし、来ないのも自由。全部自分の責任で参加してください」って言ったのが印象に残ったんです。


―その言葉が心に残ったっちゃ。

そうですね。


―幹事長っていうのは代表のこと?

そうです。


―あ、じゃあ考太郎は副代表をやりよったってことやね。

はい、そうです。


―それで、入って最初は勉強会に参加したり発表したりする感じかな。

そうです。それがずっと大学3年の夏まで続きました。


―じゃあ結構忙しかった?

そうですねー、まあでも勉強会自体が20人くらい参加者がいて、発表が回ってくるのは20回に1回くらいの割合になるのでそこまで負担では無かったですね。 大学では普通に生活していると、議論をする場、例えば政治なんかについて皆が一同に会して語る場というのが中々ないのでおもしろかったです。


―大学生のディスカッションって考えが凝り固まっている人がいたりして、人の話を聞かずに自分の主張を押し通すだけで議論にならないことがあるけど、その辺はどうだった?

うちのサークルは説明会の時に、人の話を聞くっていうのを売りにしていたのでそういうことはなかったですね。他のサークルではそういうことがあったりするみたいですけど、うちは大丈夫でした。


―ディスカッションっていうのはどういうところがおもしろい?

例えば、1つの問題、例えば新聞記事を匿名で書くのが良いか悪いかといった問題について、色々なバックグラウンドを持つ人達と話し合えるところがおもしろいです。
うちのサークルは政治経済学部だけでなく、法学部、社会学部、文学部、人間科学部といったように様々な所属の人が集まってきているので、そういうバックグラウンドが異なる人と話すと異なる視点を持っていて、あーなるほど、そういう考え方もあるのかと知ることできて楽しいです。


―自分と考えが違う人、これは違うんじゃないかって思う意見があったりしたらどうするの?

反論して、とことん議論します。


―それは決着がつくと?

答えがない問題ってあるじゃないですか。そういう問題のときは中々決着はつきませんね。そういう考え方もあるけどおれはこう思うっていうような形で終わることが多いです。


―そういうときはどうやって終わると?

時間で区切ります。勉強会に使っている学生会館っていう場所が10時までしか使えないので一応10時までには終わります。
ただ、終わった後にご飯を皆で食べに行ったりするんですけど、そこで引き続き議論になったり、次に会ったときにまた議論を始めたりということはあります(笑)


―大学では中々真剣に議論する機会っていうのは少ないからそれは良いかもね。

そうですね。


―ところで、副幹事長っていうのはどういうことをやってたの?

副幹事長は2年の夏から3年の夏まで努めていたんですけど、主に幹事長のサポートと、サークルの皆をまとめていくことをやっていました。
うちのサークルは100人以上メンバーがいて、放っておくとバラバラになってしまうので、そこをうまくまとめてサークルとして1つの方向に進んでいくということをやっていました。
幹事長は引っ張っていくだけなんで、女房役といった感じですね。


―サポートっていうのはどういうことをやると?

例えば、幹事長が休んでいるときに代わりに議事進行をしたりですね。あと、100人以上集まっているサークルで、もちろん1人1人の考え方が違っていて、幹事長の方向性と違うときに反発が起きたりするんですけど、そういうときに幹事長への理解を促すといったこともやっていました。


―じゃあ裏方っていうか、人間関係担当って感じやね。

そうですね(笑)


―100人いて皆継続的に参加しよっと?

勉強会に4つ全部参加する人もいるし、1つしか参加しない人もいるし、月に1回しか参加しない人もいるしといった感じでバラバラですね。



―じゃあ稲門会の方は何をやっちょっと?飲み会だけ?(笑)

そうですね(笑)飲み会がメインです。他には人の家で鍋をしたりとかです。


―それはどういうきっかけで入ったと?

あんまり覚えてないんですけど、たぶんサークル紹介誌を見て、連絡をとって入ったんじゃないかと思います。


―そっちはどんな感じですか?

昨日くらいから僕が代表になりました(笑)


―代表って要は飲み会の幹事よね(笑)どういうところが良い?

東京でも宮崎弁で宮崎の人と宮崎のことについて語り合えるってところが良いです。宮崎人だけあって皆良い人達ですよ。



―サークルはこんな感じか。じゃあ、他には…

あ、そういえばもう1つサークルに入っていました。今年の6月にできたんですけど「小隈の学校(こぐまのがっこう)」っていうサークルです。大隈の小さいバージョンです。
これは、僕が高校時代に大学のことが全然分からなかったこと、例えば、第二外国語をとることも全然知らなかったことなんかがあって、高校生、特に地方の高校生に大学ってこういうところなんだよっていうことを教えるサークルですね。
先週の土日を使って長野県の高校に行ってきて出張授業をやってきました。五ヶ瀬にも行きたいんですけど旅費にお金がかかるんですよね(笑)
その他、早稲田祭で受験相談を行ったりしています。やっていると、皆こういうのを求めているのだなということを感じます。あんまり広告とかはしなかったんですけど、早稲田祭では200人くらいの受験生が来てくれました。


―出張授業はどういうことをすっと?

行ってまず最初にアイスブレーキング的にクイズをやります。例えば、大学の夏休みは何ヵ月くらいあるでしょうとかですね。
そうやって盛り上げた後、大学生のインタビューを流します。福島県立医科大の人と、電気通信大学のウッズ(五ヶ瀬卒)と、自分の3人を取材して、大学生はどんな生活をしているのかといったことや、一人暮らしってこんな感じだよといったことを映像と共に高校生に教えています。
その後、大学生が高校生に、大学生についてや自分が高校の時に考えていたこと、大学に入ってみて高校生の自分に伝えたいことなどを高校生に直接話をします。そして、質疑応答といった感じですね。


―おもしろいね。五ヶ瀬でやりたいね。

やりたいですね!五ヶ瀬中等教育学校をサポートする会の活動趣旨にも通じるものがあるのでコラボレーションしてやりたいと思っています。



次回に続きます!