2013年1月24日木曜日

フォレストピア学びの森学校―「はじめに」

前回まで、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生が書かれた「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記を掲載しました。

記事の一覧はこちら↓
児玉先生からは、上記の他にも資料を頂いていました。
今回の記事から、その1つである「フォレストピア学びの森学校」という記事を掲載していきます。

まず最初に「はじめに」という内容です。こちらは前回の手記と同じく、時代背景を踏まえた上で、中学校・高校が抱える課題について書かれています。

特に、「じっくり待つ」教育というのが1つのキーワードになっています。




はじめに

 終戦後の教育改革で試行された六・三・三制の教育制度は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、相当の役割を果たしたという評価を受けている。しかし一方では、二十一世紀に向けて、時代が要請する「個性を重視した創造性豊かな人間の育成」には、この制度の不備を指摘する声も聞かれるようになった。その一つが、中学生の殆どが高校に進学する時代を迎えているにもかかわらず、中等教育を三年で分断し、その上高校への受験勉強に追い立てられている実態に対してである。これで果して優れた人間性を持ち、個性豊かで、創造的発想に富んだ人間の教育が可能かという懸念である。
 
 人生の中で極め得て重要なこの時期には、むしろ、じっくりと腰を落着けて、生徒自身の内面的な成長を待ち、自立して行動する態度を養成することが人間的成長と共に、真の学問に対する考え方を育成することにつながると考える。しかし、この主張は、高学歴志向の受験勉強社会では、簡単に容認されるとは考えにくい。学校でも先ず教師の発想の転換が必要だし、同時に相当の時間的余裕の確保が前提となるなど、可成り困難な条件を克服しなければならない。しかしながら、これからの青少年の教育を考える時、困難はあっても生徒の自立を「じっくり待つ」教育は、今日、教育する側に求められる必要な態度だと思うようになっていた。

 さて、具体的な課題として、「じっくり待つ」だけの時間的余裕が、現行学習指導要領の中で作れるかということである。種々検討の課程で、現在の中学・高校を接続して、教育内容を整理統合した場合に、各教科科目の必要時数を試算した結果、中一から高三にかけて、一~一年半の余裕が生まれることがわかった。次の問題は、この余剰時間の活用の仕方である。受験勉強のためにのみ利用したのでは、自立した学習態度の要請につながりにくい。そこで考え出したのが、実験・実習(体験)を主体としたプロジェクト学習である。これは、自然界や社会科学の分野で、体験的に課題を発見し、それを解決していく学習方法であるが、生徒たちは、研究の過程で新しい自己の能力・適性の発見と共に、創造的思考の育成を含め、課題解決の手法を体得することになると考えた。要するに、中等教育を三年で分割するのではなく、六年間継続することによって、この時期に必要な自己形成と学力の基礎を、じっくりゆとりを持って、教育できる制度を設けることが必要だと考えた。




今回は以上です。

2013年1月13日日曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「学校における教育」

前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「学校における教育」についてです。
フォレストピアという総合学習の前身のような独自の授業についてや
教科指導について書かれています。


<学校における教育>

個性を重視する教育を主眼とする当校は、2年で3群、3年で11群の選択科目に加えて、新科目として中学校では、「フォレストピアⅠ」「地域基礎A・B」、高校では「フォレストピアⅡ」「天文観察」「森林文化」「環境科学」の4科目が用意され、実験・実習を主体とした学習を展開している。

この科目は、学習の過程で発券した課題を研究して、学年末の発表会で披露する仕組にしてある。生徒たちは各自専門書を読み、大学や全国の研究機関、団体等に文献を依頼して、まとめた結果を発表するのだが、その内容は、創造的でかなりレベルの高いものである。こうして、体験的に課題解決の手法を身につけ、その過程で何事にも意欲的に取組む態度が育っているのも事実である。

教科指導では、県内ほぼ全域からの入学生の、学力差に対応しなければならない。従って、学力別学級編制と共に個別指導に力を入れ、寮における指導もここに重点が置かれる。その結果、1年後には、各自入学時に比して想像以上に学力は伸びている。



本手記は以上です!
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」が伝わってくる内容でした。

次回以降はまた別の手記を掲載していきます。

2013年1月11日金曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「入学者選抜」


前回に続き、


「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「入学者選抜」についてです。





<入学者選抜>

開校時から現在まで、定員40名に対する応募者の倍率は、10倍前後で推移しているが、選抜には学力検査を課さない。小学生がもっているその時点での知的学力よりも、入学後6年間に要請される学力の方を重視していることと、将来の社会生活に適応する個性を重視した教育を志向しているからである。

勿論寮生活に耐え得る資質も考慮して、小学校長の「推せん調書」「面接」「集団・個人実技」により、自立心、積極性、協調性等を見極め、定員の1.5~1.7倍を一次合格者として、抽せんによって40名を決定する方法を採っている。




今回は以上です。

2013年1月9日水曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「寮生活」

前回に続き、


「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「寮生活」という内容です。
寮生活の様子、子の親ばなれ、親の子ばなれ等について書かれています。




<寮生活>


寮には、生活時間割以外に規則は無い。自立を求める場に規制は不要だという考え方である。自由に行動してよいのだが、集団生活を見出す行為は、生徒自らが自戒していて、三年を経た今、特に取り上げる問題点はない。

入寮当初目につくことは、それぞれの家庭の生活態度が伺えることである。それが融合し、彼等の新しい生活様式が確立されるのは、大体一学期も終る頃である。当初のリーダーは女子であり、ようやく男子がリーダーシップを発揮するようになるのもこの頃からである。

入寮後淋しさに泣く子も、男女比で見ると、大体男子5に対して女子3の割合であり、ここに少子家庭における特に男の子に対する過保護を思わせるものがある。ただ、この寮では、たとえ泣く子がいても教師は一切口出しをしないことにしてある。

「元気を出さないか」「もう小学生ではないんだぞ」などと、つまらぬことは言わない。生徒たちが涙を拭い自ら立ち上がるまで見守りながら、じっくり待つというのが先に述べた「待つ教育」の一つであり、自立を待つ寮教育の柱をなすものである。

ここで問題は、親の子ばなれがむつかしいことである。子の親ばなれは入寮後3か月位で達成されるが、親はわが子中心のエゴを引きずっていて、子どもの成長を阻害する要因になっている例がある。なお、家庭から切り離したことで、救われた生徒が数人いることは付記しておきたい。



今回は以上です。

2013年1月7日月曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「学校設置にあたって」


前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「学校設置にあたって」という内容です。
前回の松形知事の決断を経て学校設置の決定後、
設置に当たっての具体的な検討過程が描かれています。





<学校設置にあたって>

学校設置が決定した平成2年(1990)に、「学びの森学校(仮称)」設置検討委員会が発足、翌年に有識者、PTA関係者を加えた構想協議会に切替えて、基本理念、学校・寮の運営、入学選抜方法、施設・設備等の協議が行われた。

その結果、感性と感動を身につけた野性味豊かな人間の育成、個性を重視した選択科目と指導者の確保、地元中学校との整合性、学力試験を課さない選抜のあり方、男女比の問題、寮におけるハウスマスター制の導入等の方針が策定された。

その間、県教委ではこの学校に対するアンケート調査を行い、県民の期待を裏づける結果と応募者確保の十分な手ごたえを得ていた。協議中、種々の問題指摘があったが、中でも小卒直後の女子を、母親から話して生活させることへの不安が、かなり協議の中心になった。

しかし、現代の女子は男子よりむしろ積極性があり、自立している者が多いこと、思春期の身体的変化については、養護教諭、寮母、ハウスマスター(教諭夫婦が専任で寮に常駐)によって、最大限の努力をすることで結着した。

今一つは、入学定員に占める男女比の問題であったが、委員や県議会の思惑もあって、男子7対女子3に設定されたが、現実には男子とほぼ同数の応募者があることから現状は6対4の割合で推移している。




今回は以上です。

2013年1月6日日曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「松形知事の決断」


前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「松形知事の決断」という内容です。
前回に引き続き、五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られていますが
設立の検討の様子がドラマチックに描かれています。




<松形知事の決断>

折角意気込んで作成した予算案は、財政課長査定で没になる。知事に話だけでもさせて欲しいとねじ込んで、強引に知事査定の場で説明だけすることを許された。県教委の予算査定を終了した所で、説明に移ったのだが途中から意図的に予算要求に切替えた。

当然財政課長からストップがかかったけれども、無視して説明を続けた。同席している知事部局幹部も、当初予算額は勿論、後年度負担額と遠隔地で全寮制であることから、応募者に自信がもてないなどの理由で反対である。

半ばあきらめ、半ば投げ遣り状態で、県政の柱の一つである「人づくり」は、学校教育が基本になる、国際社会で活躍する人間は、豊かな人間性としっかりした人生観をもった者でなければならないなど……。

ようやく座が白けたと気付いた時はすでに遅かった。完全に諦めてしまった所に、知事から「どんな人を育てるつもりか?」と下問があった。既に、言いたいことは言い尽くしていたので、これ以上何も言うことはない。期待している生徒像も説明ずみである。その間、知事は提案について種々考えをめぐらし、説明の全部を聞いていなかったのだと後で思ったのだが。

仕方がないから宮崎県は神代の昔、日向(ひむか)の国と言った。後の神武天皇は、此の地から東征されて、わが国の体制を築かれたという言い伝えがある。そこで、21世紀中に卒業生の中から、一人で良いから第二の神武天皇を世に送り出したいと言ってしまった。

並居る県幹部も県教委の職員も、これで一巻の終りと思ったという。私もつまらぬことを言い過ぎた。遂に夢は消えたと思った。しかし、次の瞬間「児玉さん、やろうよ!」と知事の目が輝いた。

やっと陽の目を見た思いで、国との折衝に入ったのだが時機が悪かった。既に、中・高一貫教育を取り入れていた私学に、受験競争の低年令化が生じ、これが社会問題に発展していたのである。

加えて、法的根拠を欠く計画であることから、理解はおろか全く問題にされなかったのだが、一部若手関係者からは陰ながら支援を受けたけれども、結局は中学校に属する施設・設備、教員等はすべて県単独事業にならざるをえなかった。

幸いしたのは、知事がこの事業に積極的に打込んでくれたことである。後に国も研究開発校に指定して、現行法規の枠内での配慮をしてくれるようになった。




今回は以上です。

2013年1月5日土曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」

前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」という内容です。
五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られています。



<五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え>

以上述べてきた考えを実現しようと模索し始めたのは、学校教育課長時代(1983)である。県立中学校を新設して、既存の高校に付属させる方法を始め多角的に検討したのだが、常に肝心な所で、現行法規の壁に阻まれて行き詰っていた。

ところが、1985年に臨時教育審議会が発表した一次答申の中で、6年生中等学校の設置に言及した部分があり、中・高一貫教育に一つの光明を見出した。その後(1987)宮崎県では、県北西部山間地帯(五ヶ瀬村)に「人間性回復の森」として、山村の有効利用を理念とするフォレストピア構想が策定された。

この構想の中に「学びの森」ゾーンが位置づけられ、林務部から全国に向けた少年自然の家を想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の施設との関係で、有効利用の目途が立たないとしてこれを拒否した。

最後には、教育長に一任するということにまでなってしまった。臨時教育審議会の一次答申に力を得ていた後でもあり、即座に中・高一貫教育の学校を設け、森林とその空間を媒体とした教育を展開したい旨口頭で回答した。林務部がこれを了承したので、直ちに新年度の予算要求に踏切った。




今回は以上です。

2013年1月4日金曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「中学・高校の一貫教育への期待」


前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。

前回の記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)


今回は、「中学・高校の一貫教育への期待」という内容です。これからの教育のあり方として、「押しつけの教育」ではなく「じっくり待つ教育」への転換が必要であり、そのために中高一貫にして「ゆとり」を生み出すことが提唱されています。


<中学・高校の一貫教育への期待>


多感な少年期から青年期にかけて、年令相応の倫理観を培い、お互いが切磋琢磨し、自己啓発と同時に人生観の芽を育むこと、強制されてではなく、自らやる気になって学ぶ態度を養うこと、更には、体験的な知識・技能の習得を通して創造性を養うことなど、今の中等教育が見失っている部分に挑戦する所に、問題解決の糸口があると考えている。

そして、これらを期待する教育の在り方としては「押しつけの教育」ではなく、相手がその気を起こすまで「じっくり待つ教育」への転換が必要だと思っている。

しかし、それにはかなりの時間的余裕を要するわけだが、中学・高校の教育内容を整理統合して接続することによって1年から1年半の余裕時間が生み出せると試算している。そしてこれを6年間に割り振れば、全体として「ゆとり」のある教育を可能にする。

かつての旧制中学校は5年制であった。旧制中学時代、最も悪童ぶりを発揮したり、逆に、興味・関心のある教科や技能を、自分なりに徹底して追究したり、文学書に耽溺し、哲学的思索に耽ったのは、第3学年であったと記憶する。この学年は学校の雰囲気にも慣れ、進学にはまだ間のある学年であって、5年間で最も弛んだ学年であった。今に思えば、この時期を経験したことが、後の人生にかなりの影響を受けたと思っている。

それに比して現今の中学生、高校生は、それぞれの受験が重くのしかかった6年間を過ごしているわけである。常に何者かに急き立てられながら生活した者に、個性豊かな、創造的発想をもった人間を期待するのは無理である。余裕をもって、生徒の内面的な成長を待ち、生徒自身を自立した健全な体質に変える努力を怠ってはならない。

学習指導面から言えば、受験のための「詰込み教育」が問題である。強制的に詰込まれる側には、限界を超えるものが出てくる。知能を磨くにしても、受動的にではなく能動的にじっくり磨き上げることが大切である。と同時に個々の学力差に応じた教育が必要であると考えている。

「差別」という概念ではなく、特定の期間に獲得できる知的学力には、明らかに個人差があるという実態に立っての考え方である。学力別学級編制のほかに、個別のカリキュラムの導入や個性に応じた選択教科・科目の開発・導入が考えられなければならない。

21世紀を目前にして、現行の教育制度だけでは、現代から未来にかけての少年達を満足させることも、時代の期待する人材の育成も困難であると言わざるをえない。




今回は以上です。

2013年1月3日木曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「はじめに」

新年あけましておめでとうございます!

新年明けてすぐの1月2日に、「五ヶ瀬中等教育学校卒業生と語る会」を開催しました(趣旨はこちら)。あまり時間が無い中での企画・呼びかけでしたが、卒業生、在校生や保護者の方を含めて全部で20名強のにぎやかな会となりました。

この会については、また別途報告をしていきたいと思いますが、この記事では、新年明けて一発目ということで、改めて五ヶ瀬中等教育学校の設立理念、趣旨についてとりあげてみたいと思います。

具体的には
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記を何回かに分けて掲載していきます。

この手記は、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生が書かれたものです。

この手記を含め、いくつかの資料が今自分の手元にあるのですが、これらは五ヶ瀬中等教育学校の設立10周年か何かの集まりで児玉先生にお会いしてお話した後に、お手数をおかけして送って頂いたものです。

大変残念なことに、昨年児玉先生は亡くなられました。頂いた資料をデジタル化して公開することについては生前ご許可を頂いていたのですが、実際に書き起こしに取り組むと資料の内容以外にも色々とお聞きしたいことが出てきました。また、今回書き起こす資料自体も途中までになっており、続きを頂けるようにお願いすれば良かったと今さらながら気づきました。

自分が書き起こしをするのが遅れ、そういう機会を作れないままだったのが悔いが残ります…こういうことは早く取り組んでいかないといかんですね…

ただ、過ぎ去ってしまったことを悔いても元に戻るわけではないので、資料の内容だけでも広く参照できるようにこちらに掲載し、先生の想いを引き継いでいく1つの足がかりにできればと思います。

今回の記事から、節ごとに掲載していきます。なお、原文は原稿用紙に一続きで書いてありますが、書き起こしに当たって読みやすいように適宜改行を入れています。

まず最初に「はじめに」という内容です。時代背景を踏まえた上で、中学校・高校が抱える課題について書かれています。



<はじめに>
現在の6・3・3制の教育制度は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、相当の役割を果たしたという評価がある一方、時代の進展に対応し得ない一面も生じている。

その一つは、中卒者の高校進学率が95%前後になって、中学校には、当人の意思に関係なく、進学を余儀なくされる生徒たちと、進学校への受験競争の中に置かれる矛盾した集団が存在すること、他方その延長線上の高校でも、進路意識、学習意欲の希薄な生徒と、大学進学に狂奔する異質の集団を抱えて、呻吟しているのが現実である。

この点だけを取り上げてみても、今の中学、高校には、根本的な対策が求められる。しかも、高校進学者の殆んどは、3年後には大学その他の受験を控える。つまり、中学、高校の教育は、何らかの受験によって、3年毎に分断される6年間であるわけである。中等教育の目標である人間形成の基礎教育から、極端に言えば受験のための準備教育に収斂されてしまっていると言ってよい。

今日、中・高校が抱えるさまざまの社会問題は、これらが要因の一つをなしていると見ることができる。



今回は以上です。