前回まで、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生が書かれた「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記を掲載しました。
記事の一覧はこちら↓
今回の記事から、その1つである「フォレストピア学びの森学校」という記事を掲載していきます。
まず最初に「はじめに」という内容です。こちらは前回の手記と同じく、時代背景を踏まえた上で、中学校・高校が抱える課題について書かれています。
特に、「じっくり待つ」教育というのが1つのキーワードになっています。
はじめに
終戦後の教育改革で試行された六・三・三制の教育制度は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、相当の役割を果たしたという評価を受けている。しかし一方では、二十一世紀に向けて、時代が要請する「個性を重視した創造性豊かな人間の育成」には、この制度の不備を指摘する声も聞かれるようになった。その一つが、中学生の殆どが高校に進学する時代を迎えているにもかかわらず、中等教育を三年で分断し、その上高校への受験勉強に追い立てられている実態に対してである。これで果して優れた人間性を持ち、個性豊かで、創造的発想に富んだ人間の教育が可能かという懸念である。
人生の中で極め得て重要なこの時期には、むしろ、じっくりと腰を落着けて、生徒自身の内面的な成長を待ち、自立して行動する態度を養成することが人間的成長と共に、真の学問に対する考え方を育成することにつながると考える。しかし、この主張は、高学歴志向の受験勉強社会では、簡単に容認されるとは考えにくい。学校でも先ず教師の発想の転換が必要だし、同時に相当の時間的余裕の確保が前提となるなど、可成り困難な条件を克服しなければならない。しかしながら、これからの青少年の教育を考える時、困難はあっても生徒の自立を「じっくり待つ」教育は、今日、教育する側に求められる必要な態度だと思うようになっていた。
さて、具体的な課題として、「じっくり待つ」だけの時間的余裕が、現行学習指導要領の中で作れるかということである。種々検討の課程で、現在の中学・高校を接続して、教育内容を整理統合した場合に、各教科科目の必要時数を試算した結果、中一から高三にかけて、一~一年半の余裕が生まれることがわかった。次の問題は、この余剰時間の活用の仕方である。受験勉強のためにのみ利用したのでは、自立した学習態度の要請につながりにくい。そこで考え出したのが、実験・実習(体験)を主体としたプロジェクト学習である。これは、自然界や社会科学の分野で、体験的に課題を発見し、それを解決していく学習方法であるが、生徒たちは、研究の過程で新しい自己の能力・適性の発見と共に、創造的思考の育成を含め、課題解決の手法を体得することになると考えた。要するに、中等教育を三年で分割するのではなく、六年間継続することによって、この時期に必要な自己形成と学力の基礎を、じっくりゆとりを持って、教育できる制度を設けることが必要だと考えた。
今回は以上です。
という手記を掲載しました。
記事の一覧はこちら↓
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「はじめに」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「中学・高校の一貫教育への期待」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「松形知事の決断」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「学校設置にあたって」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「寮生活」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「入学者選抜」
- 宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「学校における教育」
今回の記事から、その1つである「フォレストピア学びの森学校」という記事を掲載していきます。
まず最初に「はじめに」という内容です。こちらは前回の手記と同じく、時代背景を踏まえた上で、中学校・高校が抱える課題について書かれています。
特に、「じっくり待つ」教育というのが1つのキーワードになっています。
はじめに
終戦後の教育改革で試行された六・三・三制の教育制度は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、相当の役割を果たしたという評価を受けている。しかし一方では、二十一世紀に向けて、時代が要請する「個性を重視した創造性豊かな人間の育成」には、この制度の不備を指摘する声も聞かれるようになった。その一つが、中学生の殆どが高校に進学する時代を迎えているにもかかわらず、中等教育を三年で分断し、その上高校への受験勉強に追い立てられている実態に対してである。これで果して優れた人間性を持ち、個性豊かで、創造的発想に富んだ人間の教育が可能かという懸念である。
人生の中で極め得て重要なこの時期には、むしろ、じっくりと腰を落着けて、生徒自身の内面的な成長を待ち、自立して行動する態度を養成することが人間的成長と共に、真の学問に対する考え方を育成することにつながると考える。しかし、この主張は、高学歴志向の受験勉強社会では、簡単に容認されるとは考えにくい。学校でも先ず教師の発想の転換が必要だし、同時に相当の時間的余裕の確保が前提となるなど、可成り困難な条件を克服しなければならない。しかしながら、これからの青少年の教育を考える時、困難はあっても生徒の自立を「じっくり待つ」教育は、今日、教育する側に求められる必要な態度だと思うようになっていた。
さて、具体的な課題として、「じっくり待つ」だけの時間的余裕が、現行学習指導要領の中で作れるかということである。種々検討の課程で、現在の中学・高校を接続して、教育内容を整理統合した場合に、各教科科目の必要時数を試算した結果、中一から高三にかけて、一~一年半の余裕が生まれることがわかった。次の問題は、この余剰時間の活用の仕方である。受験勉強のためにのみ利用したのでは、自立した学習態度の要請につながりにくい。そこで考え出したのが、実験・実習(体験)を主体としたプロジェクト学習である。これは、自然界や社会科学の分野で、体験的に課題を発見し、それを解決していく学習方法であるが、生徒たちは、研究の過程で新しい自己の能力・適性の発見と共に、創造的思考の育成を含め、課題解決の手法を体得することになると考えた。要するに、中等教育を三年で分割するのではなく、六年間継続することによって、この時期に必要な自己形成と学力の基礎を、じっくりゆとりを持って、教育できる制度を設けることが必要だと考えた。
今回は以上です。