2012年8月20日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(10) - 研究のつらさと楽しさ・英語


五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。

前回は、卒業論文や修士論文についての話を聞いていきました。
今回は引き続き研究についての話の続きです。

前回の記事はこちら↓




■研究のつらさと楽しさ

―研究はやっぱ楽しいですか?

研究は楽しいです。ただ、年が上がっていくごとに書類が多くなります…申請書、報告書、論文もそうですし、意外とデスクワークが多くなります。それに心が折れます。

研究費とかは特に。。。。

大学の先生って大学から研究費としてもらえるお金ってそんなに多くないんです。
国や会社から研究費をもらえるようにしないと、思ったように研究できないんです。

先生に近くなればなるほど実情が見えてくるんですが、みんな必死に研究費の申請書を書いてて、「結果どうだった?」とか「あそこ受かったらしいよ」とかっていうのがリアルに見えてくるんですよ。

受かったら受かったで、それについてのちゃんとした書類を書いて、申請書と報告書とあって、そこからも大変なんです。それに加えて、学会とか調べて、学会用の要旨集を書いたりとか、論文を書いたりとか…


―それは大変そうですね…逆に楽しい時っていうのはどういう時ですか?

やっぱ結果が出た時ですね。データがバーッって出てきて、こういう結果だったんだーっていう時です。

私の性格的には、その結果が自分で分かって「へーそんなだったんだー」って思うところで十分なんです。

だけど、研究者はそれだとダメで、ちゃんと論文にして結果が出たことや、その結果のすごいところを世に知らせていかないといけないんです。

それが日本の場だったら良いんですけど、どうしても世界に出なくてはいけないんです。英語もまだできないし…


―英語は結構使うんですか?

使います。めっちゃ使います。修士論文も英語だったし、論文も書いたりとか…


―思ったよりは結構できてるんじゃないですか?

そう思うじゃないですか。確かに聞くのと読むのとは思ったよりはできる感じなんですけど、しゃべれないんですよ。練習が必要なんですけど。


―でも論文とかは書いてるわけでしょう?

それはそうですね。もちろん何度も何度も訂正されてますけど…


―それをやりきってるってところは自信持って良いんじゃないですかねー。うちの会社もインドとのやりとりとか英語を使って仕事をしてますけど、TOEICとか関係なくて、自分では「英語できない」って言ってても仕事で必要なやりとりは十分できる人もいますし。TOEICが800点とか900点とかとれててもコミュニケーションできてなければ意味ないし。

なんとなくですけどね(笑)


今回は以上です!

2012年8月13日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(9) - 研究室の先生・就職活動



五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。

前回は、卒業論文や修士論文についての話を聞いていきました。
今回は引き続き研究についての話の続きです。

前回の記事はこちら↓




■研究室と先生の話
―研究室はずっと一緒なんですか?

今は、もっと遺伝子の仕事ができるように、生物の遺伝子系の研究室に移りました。

修士が終わって、そこからは、遺伝子の実験の為に機械や研究室を間借りしていた生物の先生のところに移ってやってます。

でもその先生は虫が専門の先生なので、周りは海のこととは全然違うことばかりやってて、虫ばっかりなんです。セミナーとか言っても虫の話ばっかりです。虫は嫌いなのに(笑)

普通は先生の所属している学会に行ったりするんですけど、全然系統が違うので、同じ系統の学会は自分で調べないといけなかったりします。

普通とはちょっと変わった感じです。海洋生物系の学会で、「先生は誰?」って他の研究者や教授に聞かれるとちょっと困りますね。。


―面白いですねー。元々は生物の方向性で化学に行ってて、今は化学から生物の方向性に行っているという感じなんですね。元の研究室の先生とは引き続き何かやりとりはあるんですか?

それなりに…「お誕生日おめでとう」とか(笑)

その先生は、本当に良い先生でした。「琉大にいちゃダメだよ」とか言ってて。

院でも博士でも、「東大とか行ったら?」とか、他にも京大や阪大とか、別のところに行った方が良いよって薦めてて、自分の研究室なのに「こんなダメダメな研究室にいちゃダメです」って言っちゃうような先生でした。


―その先生は何で沖縄にいるんですか?

たぶん奥さんが沖縄の人だからですかね(笑)尻に敷かれている感じで(笑)元々は大阪の人です。


―いやー、でも話を聞いてるだけでも良い先生ですね。みんな読んできてるんだから、資料を読み上げるんじゃなくて違うことをやりなさいとかっていうのは、会社の会議とかでも同じ話だし、良い指導ですねー。それをちゃんと言って指導してくれるっていうのはすごい良いと思います。

論文を書く時とかも、4年生がやった実験の内容は、いくらいい結果が出ても彼ら自身が英語の論文を書くのは難しいじゃないですか。

だから、先生が書いて出すんです。ここまでは当たり前ですけど、その先生は学生の名前を必ず一番最初に書いてくれます。

科学の分野では、論文に記載される名前の順番っていうのがすごく大事で、一番最初に名前が来る人がその論文に一番関わっているっていうことなんです。

普通だったら、4年生の実験の内容で、先生が書いた論文なら、先生の名前を一番前に書きます。でもその先生は、あなたの論文ですよって、実験した生徒の名前を一番最初に書いて論文を出してくれるんです。

論文っていうのは結構シビアで、自分の名前が一番最初に書いてある論文を何本出したかっていうのは、後々すごく大事になるんです。


―良い先生ですねー。研究室を移る時は悩んだりしなかったんですか?

それは特に無かったですね。先生も「出ろ」って言ってましたし。

今の先生は結構年配で、ちょうど私と一緒に定年なんです。なので、あまり細かいことは言われずに、「責任は私がとりますよ」みたいな感じでやらせてもらってます。

研究費も、こんな研究費がありますよっていうのを、その化学の先生や、生物の先生も教えてくれて、それを修士の子や私が書いて先生の名前で申請すると、それで取った研究費は「全部あなたが使って良いですよ」っていうことで渡してくれます。良い先生です。珍しいと思います。


■就職活動と博士課程への進学
―ですねー。そして、そこから今後はどうしていくんですか?

そうなんですよね…どうしようかなーと思ってます。

実は、修士の時に就活してたんです。それで、心が折れたんです(笑)

その当時、結構厳しい状況になってて、中小企業が最初に終わっちゃう感じでした。修士1年の10月くらいから始めて、12月の時点で中小企業はほとんど終わっちゃう感じだったんです。

私は12月くらいから始めたんですけど、ほとんど終わっちゃってて、最初のエントリーシートの段階はほぼ打ち切られてました。

後は大手か、残ってる企業しか出せなかったんですけど、いろいろ出してもどんどん落とされるじゃないですか。

いくつかは面接まで行けたものもあって、それも大手っちゃ大手のところで、カネボウとか、富士フイルムとか、花王とか。食品も出して、ヤクルトとか、明治とか、雪印とかもたぶん出して、どんどん落とされて。

それで面接とか行くと、みんなの気合いが違うんですね。怖い怖いと思って…

東京に行って、面接受けてたんですけど、言ってることは面白いんですけど、普通そんなしゃべり方しないよねって思うようなハキハキしたしゃべり方だったりして…それを見て、おおおおー…ってなって(笑)

ちょうどその就活をしてる時期に、実験の結果が出そうだったんです。さっき言ってたソフトコーラルの種と化合物のタイプがリンクする、しないっていうのが出てきた時期で、研究の方が楽しいと思って。

でも、修士卒までだったら就活に対して色々と道があるんですけど、博士までいっちゃうとなかなか卒業後の企業就職はほとんど見込めなくなっちゃうし、すっごい悩みました。

引き返すなら今だっていう感じもあって…

博士まで行ってると、自分のプライドとか、今までにやってきたことの経験とかにすごく固執しちゃう人とかいると思います。

でも、会社が欲しい人材ってやっぱ多少真っ白で、これから我が社に染まってくれるような人が良いっていうところがあると思います。

さらに、博士まで行ってると、それなりに企業側もお金も出さないといけなくなるので、結構道は狭くなります。

そういうこともいろいろ悩んだんですが、最終的には、「大丈夫!行こう!」と決めて行きました。
それで今は博士3年目です。



今回は以上です!


2012年8月6日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(8) - 卒業論文(続き)・修士論文

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。

前回は、研究室や卒業論文についての話を聞いていきました。
今回は引き続き研究についての話の続きです。

前回の記事はこちら↓



■卒業論文の話(続き)

―物質をとり出すっていうのは、具体的にはどうやるんですか?

物によって変わりますが、私がやっていた生物(海綿やソフトコーラル)では、試料を四角大に切って有機溶媒(アセトン等)、イメージで言うと除光液のような液体に入れます。

有機溶媒につけると、その生物の色々な成分が溶けてくるので、その成分がごちゃまぜのエキスを有効成分だけを取り出すように分離していきます。

最終的にオイル状だったり粉状だったりする不純物を含まない成分(化合物)を取り出します。そして、その物質がどのような化合物かを調べる為にいろいろな機械にかけます。

その機械で、水素の数、炭素の数とかっていうのを調べたり、どの水素とどの水素が近くにあるとかっていうデータが出てきて、それをパズルのように一生懸命ひもといていく感じです。

この水素が近くだから、これにつながっている炭素と酸素は近くで…みたいな。そうやって化合物を構築していくんです。

できた化合物が過去に見つけられているかどうかっていうのを、論文とかをみてガーッと探して、「ない!」ってなったら新しいものが見つかったものになるんです。

もちろん専用のデータベースとかもあるので、見逃さないように気をつけます!
結構たいへんです。。。

先生はすごくて、生のデータをパッと見た段階でおおよそがすぐに分かるんです。

普通はデータのグラフのピークの具合をいろいろな情報と照らし合わせて何の化合物か突き止めるんですけど、先生は生のデータのそのピークの状態を見ただけで、「うん、これは新しいね」とか「これはもう見つかってるよ」とか分かるんです。

その先生は海洋天然物の分野ではわりと有名な方だと思います。


■修士論文の話
―修士に入ってからはどういうことをしたんですか?

卒論って、行き当たりばったりだったから、修士で先生と何をするか相談して、どんなテーマがあるかっていうのを教えてもらいました。

最初は、100とか200とかあるサンプルを、C型肝炎に効くかっていうのを調べていきました。でも、その試験は琉大では調べられなかったので、共同研究者にサンプルを送って調べてもらうんです。

そうすると、結果が出てくるまで、「もうやることなーい」みたいな感じで暇になるんです(笑)
修士に行ったら結構頑張ろうと思ってたので、「先生、暇なんすけどー…」って言って(笑)

そしたら、私と同じ学年の子がやってた研究の続きをするかっていう話になりました。残りがちょっとだったので、それを終わらせますって言って始めたのが、化合物を抽出した生物の遺伝子を確認していく研究だったんです。

それが、今実際に私がやっている実験の元になってるんです。


―それはどういう内容なんですか?

最初の方にも言いましたが、おおまかに言うとキノコみたいなソフトコーラルと、それに含まれている化合物の関係を調べていく感じです。

最初に、キノコみたいなやつ、ソフトコーラルが化合物を持ってるって言ってたじゃないですか。ソフトコーラルは1つの個体に、だいたい1種類の化合物がたくさん含まれてることがわかっているんです。

それも、必ず同じ物質じゃなくて、個体によって結構いろんな化合物の種類がとれます。

その化合物の種類とソフトコーラルの種のパターンはまったく調べられてなかったんです。どの種にどの化合物が入っているのか。。みたいな。

何となく取ってきて今回はAが出たねー、次はBが出たねーという感じで。化合物の違い(種類)っていうのは、炭素骨格は一緒で付属のものが違うっていう感じで同じ系統の類似化合物がいくつか出てる感じでした。

それで、化合物のパターンは、もしかしたら、ソフトコーラルの種によって違うかもしれないって言うことになって調べようって話になりました。

実はその話って、5-6年前にも一回先生がやってたんですけど、その時は化合物のタイプとソフトコーラルの種が一致しなかったんです。

同じソフトコーラルの種でも違う化合物タイプがたくさん見つかったりして、、、

結局、種と化合物は関係ないっていう結論になってたんですけど、その時に種分類をした方法が形態による分類だったんです。

ソフトコーラルの見た目ってほとんど一緒で、パッと見ても何が何だか分かんないんです。ちょっと難しくなるんですけど、見た目で分かるのって種の1つ上の属までなんです。

その下の細かい分類は、一回細胞を溶かして、中に持ってる小さい骨の形を見てはじめて種が分かるんです。

その小さな骨を使ってソフトコーラルの種を決定して、化合物と照らしあわせたときは、さっきも言ったように化合物との関係性がわかりませんでした。

でも、ちょうどその当時の1年前か2年前にソフトコーラルの遺伝子解析が行われて、種分類がちょっと変わったかもっていう話があったんです。

それで、遺伝子解析と化合物をリンクさせようっていうことで、遺伝子の仕事をするようになったんです。

結果として、ソフトコーラルの系統樹と化合物が大まかにリンクしました。実は、これは結構珍しい結果だったんです。

例えは、フグには毒がありますよね?

フグ毒っていうのは、フグが食べてる藻が作っていて、その藻が蓄積されてフグが毒を持つようになるんです。

実は、こんな話は結構一般的なんです。海洋生物の中で化合物が見つかったら、実際に作っているのは、その海洋生物に共生している小さなバクテリアでした、とか、藻でしたっていう。

ソフトコーラルはサンゴだから、共生している藻がいます。
その藻が光合成をして、サンゴはそこからエネルギーをもらっているんです。
サンゴも一般的に考えるとそうだよねっていう話になります。

だから、私はこの実験の時、サンゴの遺伝子と藻の遺伝子の両方やったんです。
そして各個体からとれてきた化合物と、サンゴ・藻の両方の遺伝子を比べてみました。

その結果、藻ではリンクしなくて、サンゴだけでリンクしたんです。
だから、これは珍しいな、と。

それで、最初は沖縄本島だけで調べてたんですけど、場所を変えて石垣とかでも当てはまるのか調べました。
そうすると、またちょっと違う結果が出てきて。

そんなんだったら実際に作ってる遺伝子を特定して、どっちの遺伝子なのかを特定した方が速いっていうことになって、そうやって広がってくテーマを博士で今やってるっていう感じですね。



今回は以上です!

2012年7月30日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(7) - 研究室・卒業論文


五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
前回は、大学進学までの話を聞いていきましたが、今回は入ってからの話です。

前回の記事はこちら↓




■研究室の話

―研究室はどういう研究室だったんですか?

研究室は、化学で一番大変なところだったんです(笑)


―ええ!?何でそんなとこ行ったんですか?

推薦で入ってると、化学から生物に転科するっていうのができなかったので、化学の中でできるだけ生物系に近いところを探したらそこだったんです。
一番大変なところで厳しかったです…

他にも同じ分野の研究室があったんですけど、
その先生がその分野で、うちの大学では一番良いみたいな感じで、研究室としても頑張ってるっていう感じだったのでそこに入りました。

でもまあ…大変でしたね…


―大変ってどう大変だったんですか?

先生の求めるレベルがあまりにも高すぎたんです。遊び回っている琉大生にとってですがwww
研究室のゼミでは、関係する分野で面白そうな最近の論文を自分で探してこいって言われたんですが、途方にくれてました…

留学生もいるので、英語でスライド作って、英語でセミナーが始まるんですけど、読んでこいって言われてそのまま発表すると怒られました。

「みんな読んできてるんだから、そこに書いてないことをスライドで発表するのが普通だろ」っていうようなことを言われて、「ハイ、すいませんでした…」みたいな。

厳しかったので、「そんなんで大学生だなんてなってない」とか「実験しないとか意味がない」とかバンバン言われました。

琉大の生物系の学生って琉大ならではのことをやりにきてるのでマジメな人が多いんですけど、
化学系の学生って余り琉大に特化した研究をイメージして来てる感じでないので、正直あんまりマジメじゃない人も多いんです。

だから、就活を第一に考えて研究室になかなか顔をださない人も多いですし、何人かの先生もそれで良いみたいなところもあるし。

なのでとてもゆるい研究室も多くありました。でも研究って意味ではどうかなってところもありますよね。


■卒業論文の話

―でもそれは大変だけど良い研究室に行けたんじゃないですか?

そうですね。良い研究室に行けました。
先生のヤル気も意識も高かったので。

研究室では大変でも何とか食らいついてたんですけど、遊んでることは遊んでたので、卒業間近になって卒業研究として出せる結果が何もなくてヤバイっていう状況になりました(笑)

卒論提出の前に卒業研究発表があって、卒業研究発表の前に要旨を提出する必要があって、
その提出に間に合わないのでは???????ってことになってました。

要旨提出の1週間前に先生と「先生!これはヤバイですよね(´・ω・`)」っていう話をしてたら、先生が急に「これやりな」って新しいサンプルを持ってきてくれたんです。だいたい1週間しか無かったんですけど、徹夜して、何とか結果を出せました。奇跡でしたねwwwwwww

そこが私が初めてマジメに実験したところだったんです(笑)


―追い込まれたら力を発揮するんですね(笑)ちなみに学校の夏休みの宿題はいつやってたタイプですか?

8月31日です(笑)それが、寮に帰って来てからみんなで泣きながらやるって感じでした。テストも一夜漬けでしたし。


―なるほど、三つ子の魂百までって感じですね(笑)卒論の方はその後どうなったんですか?

要旨は途中だったんですけどとりあえず提出して、発表までの期間にまた実験を繰り返して、何とか形になって発表しました。そのまま修士に行きました。


―修士に行くのって試験があるんじゃないんですか?

8月に試験があります。それは元々行くつもりがあったので受けてました。生物系は受ける人がすごく多くて合格が難しいんですけど、化学はそこまでではないのでなんとか。。。。。

ちなみに私は頭が悪かったから、各教科(有機化学・分析化学・無機化学・物理化学)に家庭教師が付きましたwwww
同級生で頭のいい人達が教えてくれました!!

生物は、沖縄に特化している研究室が多く、他大学から受ける人も多いので合格も難しいです。



―ちなみに卒論はどういうテーマだったんですか?

卒論は、海綿から新規化合物をとり出すっていうものでした。海綿っていうのは、スポンジっていうか、無脊椎動物で海に入った時にホヤみたいな感じで岩とかにくっついてたりするやつです。そんなに目立たないです(笑)

先生がインドネシアに行って取ってきてたやつで、何となく「これやって」って言ってたやつから新しいものをとり出すことができたんです。


―え、それってすごいんじゃないんですか?

普通は、大抵すでに見つかっているものを5個から10個くらい見つけて卒論ですっていうのが多いですが、私の場合はそれができてなかったんです。

私の場合は1個しかなくて、せめて新しいものがあればどうにかなるだろうみたいな感じでした。
結局は既知物質もそういえば2個ぐらい出したんですが(笑)


―なんか一発逆転みたいな感じですね(笑)でもすごいですね、新しいものを見つけるって。

でも修士になると、新しい化合物を1-2個見つけてるのが当たり前みたいになります。なので、まだ一応伸びしろはある分野です。

ただ、実際にはその新しいものが病気等の何かに効かないと意味がないんです。見つけた後は、何に効くかを調べていく実験があります。


今回は以上です!

2012年7月23日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(6) - 大学での部活・勉強・研究

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
前回は、大学進学までの話を聞いていきましたが、今回は入ってからの話です。

前回の記事はこちら↓




■ダイビング部の話

―入ってからはどんな学生生活だったんですか?

ダイビング部(※) に入ったので、ほとんど部活に行ってました。海の生物に興味があったこともあって、元々中3の夏休みにカードだけ取ってたんですよ。せっかく沖縄に来たんだったらダイビングをやるしかないと思って(笑)

※正確には「琉球大学ダイビングクラブ」で、「U.R.D.C. University of the Ryukyus Diving Club」と言うそうです。
 荒武さんが所属していた時にはなかったそうですが、後輩の方がブログを作っているので良ければ見てみてください!
琉球大学には、当時3つのダイビングクラブ・サークルがありました。お金が無かったからサークルとは違って初期費用がかからないダイビングの部活に入ったんですけど、結構スパルタでした。体育会系でひたすら泳ぐ感じで、海猿みたいな感じでした(笑)週に1度は海にロープを張って、その周りをクロールで200mとか300mとかやったりしてました。

ダイビングクラブは、顧問の先生はいますが、実際の活動は学生のみで行っています。外部のショップインストラクターと共に活動をする形式ではないので、その分危険に敏感になり、ダイバーとして自立してないといけません。なので、自分たちで率先して、教科書みたいなものや免許制度を自分たちで作ったりしているんです。教科書は年に1回、一から作りあげます。常に新しい情報を組みこんで、次の新入部員に不足なく勉強してもらうためです。

免許は、シュノーケリングの免許とスキューバーダイビングの免許と2つあって、シュノーケリングの免許は1年間でとらないと退部なんです。免許の試験は実技が2回と筆記が1回あったんですけど、それがまあ過酷で過酷で…私の時は筆記を全部解くのに8時間くらいかかってました。


―8時間!?大学受験でもそんなんないでしょー。

早ければ4時間とか6時間とかで解く人もいるんですけど、めっちゃ辛かったです。

問題数は12問とか(くらい)で少ないんです。例えば、海で溺れている人がいる場合どういう処置をすれば良いのか書きなさいとか。それで、こういう場合はこういう処置をして、その時に使う手法はこういう手法で…とか答えるんです。


―それは辞めようとは思わなかったんですか?

辞めようと思う人はいますね。週に1回は部活動で海に行かないといけないですし、それ以外にも海に行かないとテストに受からなかったりするので。


―荒武さんとしては部活は面白かったですか?

そうですね。やっぱバカな人が多いっていうか(笑)はっちゃける人が多くて、あの頃は若かったなって思うようなことをやってました。その体育会系の部分さえ我慢すれば、いい友達もできて楽しかったです。


―じゃあ大学はずっとダイビング三昧ですか?

そうですねー、日焼けして闇と同化するくらい真っ黒でした(笑)


―僕の奥さんも初めて会った時は真っ黒だったですね(笑)


■大学での勉強の話

―勉強はどんな感じだったんですか?

1、2年まで教養が多くて、2、3年から化学の専門の実験が入って来ました。有機化学、無機化学、物理、分析の4つです。実験はレポートを出さないといけなくて大変でした。

生物も解剖とかいろんな実験があるんですけどそれは選択制でした。化学は必修で、絶対その4つの実験をとらないといけなくて、結構ウェイトが大きかったです。とる科目も、生物は結構ばらばらでしたけど、化学は選択とは名ばかりでみんな同じようなものをとる感じでした。

生物の中では、授業内容などが専門に特化していくため、年をおうごとに生物の人同士でもお互い何をしてるのかだんだん分からなくなっていくんですけど、化学はどんどん生徒同士が結束していく感じです(笑)

実験は、ただただ辛かったです。午後はずっと実験の授業になるので、時間がかかります。
成功すれば良いんですけど、失敗すると成功するまでやります。1人失敗すると、うまくいくまでやり直しで、また1時間待ちとかで「うおおー」ってなったり。

その頃は完全に私は大学生らしくというか、遊んでました。
なので、予習も辛いし、レポートも辛いし、なるべく過去の先輩のレポートをもぎとってきて、
結果は違うけど大体似たような感じに仕上げて提出したら、怒られて返ってくるとかありました(笑)


■研究室配属の話

―研究室配属はどんな感じで決まるんですか?

4年生から研究室に入りました。これがまた適当なんですよ。生物の人はちゃんとしてて、2年生の頃から希望先の先生のところに通ってたりしていたんですが、 化学は3年生の最後の2月とか3月に集まって、「じゃあ、みんなどうする?」って感じで一気に決まります。先生達は学生で自主的に決めなさいという感じです。現在はわかりませんが…

研究室がどのくらいの定員かっていうのは一応知らせてもらって、研究室はこういうことやるよっていう先生のレクチャーも一通りやるんですけど、その後にホワイトボードを使って「みんなどこ行く?」みたいな感じで第一希望をまとめます。

もちろん偏るので、どうにかしてばらけさせていって、4月までに絶対決めるっていう感じでした。


―荒武さんが行きたいところは第一希望で決まったんですか?

私はむちゃくちゃ遊んでたんですけど、高校の時に先生を全部調べてたのでどの先生が何をやってるのかはある程度知っていました(笑)

それに化学系に来たはいいですけど、根本的に化学の勉強はできなかったですし、数学もそんなに得意でないので物理化学とかは「絶対ムリ!」って思っていました。

なので高校の時の記憶を思い出して、なるべく生物系に近い系統の先生のところに行こうと思っていました。結局、有機化学って分野を選択しました。

実は、その時最初から院に行こうと思ってたんです。それは、推薦入試を受ける時から大学院に行った方が有利だと思ってたからなんですが。。。


―へー、自分の場合大学院っていうものがあるっていうことを知らなかったですけどね(笑)でもなんで院の方が有利なんですか?

理系だからかもっていうのもあるかもしれないですし、そういうイメージでした。

担任が文系と理系にいたじゃないですか。理系の先生は普通に大学を4年で出て先生になったんですけど、文系の先生は大学院まで行って先生になったんです。

それで、「何で大学院まで行ったんですか?」っていう話になるじゃないですか。そしたら、院を出ている方がお給料が良いっていう話だったんです。一応レベルが1個上がるらしいんです。


―それはそうですね。でもそれは年齢の問題ですよ。年功序列の場合の話ですけど、2歳分上なので、年取ってる分高いだけであって、22歳で仕事を始めても2年経って、大学院を出てきて24歳で始める人ともらえる額はそんなに変わらないですよ。だって、24歳から働く人は、2年分少なく働くのでその分もらわないとっていうのもあるんじゃないですかね。

そうだったんですかー。でもその時は、「大学院出た方が有利なんだー」っていうイメージでした。
あと、就活を始めた時にサイトを見ると、大学院の方が給料高いじゃないですか。でも最初のイメージはその話でした。


―なるほど…それはその説明合ってるのかなー(笑)でも学科によっては院卒の方が就職厳しくなったりするけどそういうのはないですか?

化学を選択していると院卒の方が有利だったんですよ。企業の研究職にかぎりますけどwww あと、大学では遊んでたので多少マジメにやろうかなっていうのもあって。


今回は以上です!

2012年7月16日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(5) - 大学進学

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
前回は、進路を選んだ理由の話を聞いていきましたが、今回もその続きです。

前回の記事はこちら↓





よく見ると可愛い?
■進路の話
―それが高2くらいの時の話ですね。進路はどうしたんですか?

最初は大学を探しました。海洋系の勉強ができる大学探しが最初です。でも、難しいところばっかりで、「行けるわけないやん」ってなりました。「なんとか狙えるかも…」というところで琉大があったんですが、ちょっと分野違いでした。私立も東海大学とかを見たんですけど、「お金かかるわー」ってなって専門学校まで広げて探したら、日本外国語専門学校っていうところを見つけたんです。

「琉大かー、ちょっとちがうんだよなー」ってなってる時にこの専門学校を見つけて、「これいいやん!!!」と思って調べてました。そのプログラムで、1年間外国語をめっちゃ勉強すれば、あとの1年間いろんな国で研修を受けられるっていうものがありました。

その中に、オーストラリアの研究所でイルカとかアシカとかの研究を手伝えるっていうのがあって、私は「ぶっちゃけそっちが良い!」って思ってました。英語は全然ダメだったんですけど、なんかこっちの方が楽しそうだしと思って。

でも結局周りからは大学に行ってほしいみたいな雰囲気がありました。うちの親は結構放任主義で、「どっちでもどうぞ」みたいな感じだったんですけど、先生からは「一応大学を出た方が良いと思う。専門だったら、もしまた後でそこに行きたかったら入りなおせば良いから」って言われたりしてました。なので、一応琉大を推薦で受けてみるみたいな感じでした。


―そうだったんですねー。そこの専門学校は結局受けはしたんですか?

受けもしなかったですね。


―後からそこに行ってたらなーみたいな後悔はなかったんですか?

後悔はないですね。琉大に入ったらもうほとんど遊んでましたし(笑)


―大学はどうやって決めたんですか?

海洋系のことができる大学を探しだすと、難しい大学が多かったんです。さっき言ったような化学の方の研究も楽しかったんですけど、それをやったのはたまたまで、化学の勉強は全然できませんでした。

元々は生物が好きで、生物とのんびり触れ合ったりしたかったこともあって、やっぱり生物の方が良いなと思ってました。できたら、イルカとかクジラとかの調査船に乗ったりとかっていうのをモヤモヤ~っと夢みて海洋生物の研究ができる大学を探しました。

そしたら、東大とか北大とか海洋大とかで難しいところばかりでした。私立を探してみたら東海大とかもあったんですけど、お金の面で厳しくて。最終的には琉球大を目指しました。

とは言っても、成績としては難しくて、1年留年するしかないなーと思ってました。でも、一応推薦を出そうと思って出したんです。その時、生物系と化学系を分けて募集していました。もちろん生物系で出したかったんですけど、なんと募集してたのが高校が水産科の人のみだったんです。普通科とかはダメで水産科の人しか受けられなかったんです。

それはないだろーと思って、化学の方を見てみたら、化学は普通科でも可だったんです。当時は勉強がホントにできなかったんで、「どうせ受かるわけないし、いいや」と思って受けたら受かったんです。


―その時の気持ちはどうだったんですか?

その時は半分遊んでました(笑)一応推薦だから結構調べたんですけど、全然生物じゃなくて、化学関係のことしかやってないところだったんです。なるべく生物に近いのをと思って、生物から化合物を取り出すっていうのを見つけました。

「あ、これはなんか、そういえばフォレストピア研究で多少やってた化学の分野に、似てないけどなんか似てないことも…!うん!」とか思いながら、調べてました。当時の生物の先生には、「海洋分野の研究だったらこれが一般的なんじゃない、流行ってるよ」と言われたりもして、不本意ながらもそこに受けに行って、試験を受けた後は遊んでました(笑)


―どんな試験だったんですか?

試験は面接でしたけど、一応センター試験も込みでした。時期としては2月の上旬に受けて、中旬に結果が来るというものでした。一般入試も受けようと思って、生物で希望を出してたんですけど、センターの結果も悪かったので受かるはずないなと思ってました。でも、結局推薦で通ったから一般入試はどこも受けてないですけど。

面接は、どういう志望かっていう内容の後に、口頭試問っていう学問的な内容を聞かれるものもあったんですけど、それも全然できなくて、もう落ちたと思ってました。確か、化合物が並んでてダイオキシンはどれでしょう的な問題があったのを覚えています。

それで、友達と、「予備校どこ行くー?」「北九州予備校とか辛いよねー、駿台かなー」とかそういう話をしてたんですけど、まさかで受かってしまいました。


―それはでもどういう気持ちだったんですか?行きたいところに近いけどベストではないみたいな感じですか?

そうですね。でも当時は私はそんなに勉強には情熱がなかったんです。受かったなら良いんじゃないと思ってました。それでそのまま来ました。




今回は以上です!
次回は大学に入ってからの話を聞いていきます!

2012年7月9日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(4) - フォレストピア研究&NASDAの実験の話

五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
前回は、進路を選んだ理由の話を聞いていきましたが、今回は高校時代の話です。

前回の記事はこちら↓



高校時代の実験が
今にもつながっている…?
■フォレストピア研究&NASDAの実験

―でもそこからどうやって切り抜けていったんですか?

そこからは行動力です。フォレストピア研究っていう授業があったじゃないですか。民俗について発表するとか、年に1回研究をやって発表をするっていう場がありましたよね。

中3と高2の時はウェイトが大きくなって、中3だと論文を10枚絶対書きなさいというのがありました。それで、高1の時に、高校生の時期にやる研究テーマを決めました。そこですごい経験をさせてもらいました。ちなみに中3では海辺に生息する植物とか海水のPHとかやってた気がします。

その時、学校が宇宙開発の組織と仲が良かったんです。当時はJAXAではなくてNASDAって言ってたんですけど、その組織が、全国の高校生から実験の募集をやってました。たんぱく質の結晶を作る実験をやりませんか?っていうものでした。

キットを渡されて、これとこれとこれを使って、どういう条件下で結晶が一番大きくて良質の結晶ができるかを研究しなさいというものでした。全国で何百という高校の化学クラブとかのグループがやってて、「それに応募してみない?」って言われて、「じゃあ、やります」っていうことで5人くらいで応募しました。

1回目か2回目のレポート提出の際に選考があって、全国から5校選ばれました。その5校の参加者は、実際に宇宙で行われる実験の内容を考えて、その実験を実際にコロンビアのクルーにやってもらえるということになっていました。

それで、偶然にも選ばれて実験材料を乗せてもらったんですけど、コロンビアは空中分解しちゃって結局結果は返ってこなかったんです。コロンビアには初のイスラエル人が乗っていて、その方に実験してもらえる予定だったんですけど…当時はニュースになってて、テレビ局とかも高校に取材に来てました。

あ、切り抜けられたのはどうしてかっていう話でしたね。最初に「行動力」って言いましたけど、たまたまやった実験が思いのほか楽しかったので理系に何とかしがみついていられたって感じの方が近いかもしれません(笑)


―面白いね(笑)しかし、そんな取り組みとかあったんですねー。

その時にやった実験なんですけど、使う器具とかも結構本格的で、大学の実験で使うようなものを使っていました。水も蒸留水じゃダメで、Milli-Q(ミリキュー)を使うとか。


―ミリキュー?

蒸留水よりももっと蒸留されたみたいな…それもその時初めて知ったんですけど、学校では作れないからって言って大学にわざわざ取りに行ったりしてました。この時は超純水って言ってましたね。「超!?純水!?どんだけ純水!?!?」みたいなことを言ってたような言ってないような気がします(笑)

私は頭悪かったので(笑)まとめたり計算するのは別の人がやってました。私と大野加奈さんという子の2人で一生懸命実験をするという役割分担でやってました。実験はすごい楽しかったです。


―どういうところが楽しかったんですか?

実際に手を動かすのが楽しいし、結果が出てくる過程みたいなのが面白かったです。


―それまで実験みたいなのは好きだったんですか?

生物は好きっていうくらいで、そこまで化学的な実験は好きではなかったんですけど、その時の実験で化学も楽しいなと思い始めました。

表彰もあって、五ヶ瀬からつくばのJAXAまで行きました。その時はNASDAって言ってて、対応してくれた人がJAXAに変わるからNASDAって書いてるグッズはもう無くなるからって言っていろいろくれました。「おー!」って言って(笑)

そこで、宇宙飛行士の向井さんにも会えたんです。宇宙ステーションの「きぼう」とかもまだ地上にある時で、格納庫に入っているのを間近で見せてもらいました。入る時に、給食着みたいなのを着て、エアーシャワーっていうのを浴びて見に行ったんです。

あと、選ばれた5校の中からさらに1校選ばれて、そこはNASAに行けたんです。でもさすがにそれは叶わずじまいでしたけど…でも実は、その時高校2年生で体育祭とか文化祭とかの実行委員とかもあって、いろいろ忙しくてあまり集中できなくて、最後の方はグダグダだったんですけど(笑)


―ちなみに、フォレストピア研究はどういうテーマだったんですか?

その実験でやったこととリンクしてて、たんぱく質の結晶実験みたいな感じの名前のことをやりました。もうなんか曖昧で、ちゃんと記憶してる人が聞いたら違うよって言われるかも知れませんけど(笑)



今回は以上です!