2013年1月7日月曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「学校設置にあたって」


前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「学校設置にあたって」という内容です。
前回の松形知事の決断を経て学校設置の決定後、
設置に当たっての具体的な検討過程が描かれています。





<学校設置にあたって>

学校設置が決定した平成2年(1990)に、「学びの森学校(仮称)」設置検討委員会が発足、翌年に有識者、PTA関係者を加えた構想協議会に切替えて、基本理念、学校・寮の運営、入学選抜方法、施設・設備等の協議が行われた。

その結果、感性と感動を身につけた野性味豊かな人間の育成、個性を重視した選択科目と指導者の確保、地元中学校との整合性、学力試験を課さない選抜のあり方、男女比の問題、寮におけるハウスマスター制の導入等の方針が策定された。

その間、県教委ではこの学校に対するアンケート調査を行い、県民の期待を裏づける結果と応募者確保の十分な手ごたえを得ていた。協議中、種々の問題指摘があったが、中でも小卒直後の女子を、母親から話して生活させることへの不安が、かなり協議の中心になった。

しかし、現代の女子は男子よりむしろ積極性があり、自立している者が多いこと、思春期の身体的変化については、養護教諭、寮母、ハウスマスター(教諭夫婦が専任で寮に常駐)によって、最大限の努力をすることで結着した。

今一つは、入学定員に占める男女比の問題であったが、委員や県議会の思惑もあって、男子7対女子3に設定されたが、現実には男子とほぼ同数の応募者があることから現状は6対4の割合で推移している。




今回は以上です。

2013年1月6日日曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「松形知事の決断」


前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「松形知事の決断」という内容です。
前回に引き続き、五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られていますが
設立の検討の様子がドラマチックに描かれています。




<松形知事の決断>

折角意気込んで作成した予算案は、財政課長査定で没になる。知事に話だけでもさせて欲しいとねじ込んで、強引に知事査定の場で説明だけすることを許された。県教委の予算査定を終了した所で、説明に移ったのだが途中から意図的に予算要求に切替えた。

当然財政課長からストップがかかったけれども、無視して説明を続けた。同席している知事部局幹部も、当初予算額は勿論、後年度負担額と遠隔地で全寮制であることから、応募者に自信がもてないなどの理由で反対である。

半ばあきらめ、半ば投げ遣り状態で、県政の柱の一つである「人づくり」は、学校教育が基本になる、国際社会で活躍する人間は、豊かな人間性としっかりした人生観をもった者でなければならないなど……。

ようやく座が白けたと気付いた時はすでに遅かった。完全に諦めてしまった所に、知事から「どんな人を育てるつもりか?」と下問があった。既に、言いたいことは言い尽くしていたので、これ以上何も言うことはない。期待している生徒像も説明ずみである。その間、知事は提案について種々考えをめぐらし、説明の全部を聞いていなかったのだと後で思ったのだが。

仕方がないから宮崎県は神代の昔、日向(ひむか)の国と言った。後の神武天皇は、此の地から東征されて、わが国の体制を築かれたという言い伝えがある。そこで、21世紀中に卒業生の中から、一人で良いから第二の神武天皇を世に送り出したいと言ってしまった。

並居る県幹部も県教委の職員も、これで一巻の終りと思ったという。私もつまらぬことを言い過ぎた。遂に夢は消えたと思った。しかし、次の瞬間「児玉さん、やろうよ!」と知事の目が輝いた。

やっと陽の目を見た思いで、国との折衝に入ったのだが時機が悪かった。既に、中・高一貫教育を取り入れていた私学に、受験競争の低年令化が生じ、これが社会問題に発展していたのである。

加えて、法的根拠を欠く計画であることから、理解はおろか全く問題にされなかったのだが、一部若手関係者からは陰ながら支援を受けたけれども、結局は中学校に属する施設・設備、教員等はすべて県単独事業にならざるをえなかった。

幸いしたのは、知事がこの事業に積極的に打込んでくれたことである。後に国も研究開発校に指定して、現行法規の枠内での配慮をしてくれるようになった。




今回は以上です。

2013年1月5日土曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」

前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」という内容です。
五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られています。



<五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え>

以上述べてきた考えを実現しようと模索し始めたのは、学校教育課長時代(1983)である。県立中学校を新設して、既存の高校に付属させる方法を始め多角的に検討したのだが、常に肝心な所で、現行法規の壁に阻まれて行き詰っていた。

ところが、1985年に臨時教育審議会が発表した一次答申の中で、6年生中等学校の設置に言及した部分があり、中・高一貫教育に一つの光明を見出した。その後(1987)宮崎県では、県北西部山間地帯(五ヶ瀬村)に「人間性回復の森」として、山村の有効利用を理念とするフォレストピア構想が策定された。

この構想の中に「学びの森」ゾーンが位置づけられ、林務部から全国に向けた少年自然の家を想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の施設との関係で、有効利用の目途が立たないとしてこれを拒否した。

最後には、教育長に一任するということにまでなってしまった。臨時教育審議会の一次答申に力を得ていた後でもあり、即座に中・高一貫教育の学校を設け、森林とその空間を媒体とした教育を展開したい旨口頭で回答した。林務部がこれを了承したので、直ちに新年度の予算要求に踏切った。




今回は以上です。

2013年1月4日金曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「中学・高校の一貫教育への期待」


前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。

前回の記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)


今回は、「中学・高校の一貫教育への期待」という内容です。これからの教育のあり方として、「押しつけの教育」ではなく「じっくり待つ教育」への転換が必要であり、そのために中高一貫にして「ゆとり」を生み出すことが提唱されています。


<中学・高校の一貫教育への期待>


多感な少年期から青年期にかけて、年令相応の倫理観を培い、お互いが切磋琢磨し、自己啓発と同時に人生観の芽を育むこと、強制されてではなく、自らやる気になって学ぶ態度を養うこと、更には、体験的な知識・技能の習得を通して創造性を養うことなど、今の中等教育が見失っている部分に挑戦する所に、問題解決の糸口があると考えている。

そして、これらを期待する教育の在り方としては「押しつけの教育」ではなく、相手がその気を起こすまで「じっくり待つ教育」への転換が必要だと思っている。

しかし、それにはかなりの時間的余裕を要するわけだが、中学・高校の教育内容を整理統合して接続することによって1年から1年半の余裕時間が生み出せると試算している。そしてこれを6年間に割り振れば、全体として「ゆとり」のある教育を可能にする。

かつての旧制中学校は5年制であった。旧制中学時代、最も悪童ぶりを発揮したり、逆に、興味・関心のある教科や技能を、自分なりに徹底して追究したり、文学書に耽溺し、哲学的思索に耽ったのは、第3学年であったと記憶する。この学年は学校の雰囲気にも慣れ、進学にはまだ間のある学年であって、5年間で最も弛んだ学年であった。今に思えば、この時期を経験したことが、後の人生にかなりの影響を受けたと思っている。

それに比して現今の中学生、高校生は、それぞれの受験が重くのしかかった6年間を過ごしているわけである。常に何者かに急き立てられながら生活した者に、個性豊かな、創造的発想をもった人間を期待するのは無理である。余裕をもって、生徒の内面的な成長を待ち、生徒自身を自立した健全な体質に変える努力を怠ってはならない。

学習指導面から言えば、受験のための「詰込み教育」が問題である。強制的に詰込まれる側には、限界を超えるものが出てくる。知能を磨くにしても、受動的にではなく能動的にじっくり磨き上げることが大切である。と同時に個々の学力差に応じた教育が必要であると考えている。

「差別」という概念ではなく、特定の期間に獲得できる知的学力には、明らかに個人差があるという実態に立っての考え方である。学力別学級編制のほかに、個別のカリキュラムの導入や個性に応じた選択教科・科目の開発・導入が考えられなければならない。

21世紀を目前にして、現行の教育制度だけでは、現代から未来にかけての少年達を満足させることも、時代の期待する人材の育成も困難であると言わざるをえない。




今回は以上です。

2013年1月3日木曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「はじめに」

新年あけましておめでとうございます!

新年明けてすぐの1月2日に、「五ヶ瀬中等教育学校卒業生と語る会」を開催しました(趣旨はこちら)。あまり時間が無い中での企画・呼びかけでしたが、卒業生、在校生や保護者の方を含めて全部で20名強のにぎやかな会となりました。

この会については、また別途報告をしていきたいと思いますが、この記事では、新年明けて一発目ということで、改めて五ヶ瀬中等教育学校の設立理念、趣旨についてとりあげてみたいと思います。

具体的には
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記を何回かに分けて掲載していきます。

この手記は、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生が書かれたものです。

この手記を含め、いくつかの資料が今自分の手元にあるのですが、これらは五ヶ瀬中等教育学校の設立10周年か何かの集まりで児玉先生にお会いしてお話した後に、お手数をおかけして送って頂いたものです。

大変残念なことに、昨年児玉先生は亡くなられました。頂いた資料をデジタル化して公開することについては生前ご許可を頂いていたのですが、実際に書き起こしに取り組むと資料の内容以外にも色々とお聞きしたいことが出てきました。また、今回書き起こす資料自体も途中までになっており、続きを頂けるようにお願いすれば良かったと今さらながら気づきました。

自分が書き起こしをするのが遅れ、そういう機会を作れないままだったのが悔いが残ります…こういうことは早く取り組んでいかないといかんですね…

ただ、過ぎ去ってしまったことを悔いても元に戻るわけではないので、資料の内容だけでも広く参照できるようにこちらに掲載し、先生の想いを引き継いでいく1つの足がかりにできればと思います。

今回の記事から、節ごとに掲載していきます。なお、原文は原稿用紙に一続きで書いてありますが、書き起こしに当たって読みやすいように適宜改行を入れています。

まず最初に「はじめに」という内容です。時代背景を踏まえた上で、中学校・高校が抱える課題について書かれています。



<はじめに>
現在の6・3・3制の教育制度は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、相当の役割を果たしたという評価がある一方、時代の進展に対応し得ない一面も生じている。

その一つは、中卒者の高校進学率が95%前後になって、中学校には、当人の意思に関係なく、進学を余儀なくされる生徒たちと、進学校への受験競争の中に置かれる矛盾した集団が存在すること、他方その延長線上の高校でも、進路意識、学習意欲の希薄な生徒と、大学進学に狂奔する異質の集団を抱えて、呻吟しているのが現実である。

この点だけを取り上げてみても、今の中学、高校には、根本的な対策が求められる。しかも、高校進学者の殆んどは、3年後には大学その他の受験を控える。つまり、中学、高校の教育は、何らかの受験によって、3年毎に分断される6年間であるわけである。中等教育の目標である人間形成の基礎教育から、極端に言えば受験のための準備教育に収斂されてしまっていると言ってよい。

今日、中・高校が抱えるさまざまの社会問題は、これらが要因の一つをなしていると見ることができる。



今回は以上です。

2012年12月24日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生と在校生や保護者の方で話をする会を開催しようと考えています


せっかく帰省するので、五ヶ瀬中等教育学校の在校生や保護者の方々と卒業生が語る場を設けられればと考えています。

1) 日時
  1月2日、14時-16時(予定)

2) 場所
  宮崎市内(具体的な場所は参加者に別途連絡します)

3) 対象
  主に五ヶ瀬中等教育学校卒業生、在校生、保護者の方々

4) 内容
  五ヶ瀬中等教育学校で経験したことや卒業後にどういったことを行っているか等について
  卒業生から話をしたり、質問を受け付けたり等を想定しています。
  (頂いた要望等をふまえて適宜内容は調整します)

5) 連絡窓口
  松本暁義(五ヶ瀬中等教育学校中等2期卒業生)

初めての企画なのでどのくらい集まるかわかりませんが、参加できる/希望の方はこちらから申し込みをお願いしますー。

取り急ぎ。

2012年12月1日土曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - Rさん(4) - 仕事で楽しいことや大変なこと、 五ヶ瀬で得たもの

今回は、事情により匿名ですが、メーカーでカメラに関する仕事をしている方のインタビューです(仮にRさんと呼ぶことにします)。

前回までの記事はこちら↓



以下インタビューです。
今回で最後です。仕事と五ヶ瀬中等教育学校時代から得たものについての話です。




―仕事をやっててどういう時が面白いですか?

泥臭くないことをやってる時ですかね。発売が近づくと、だんだん泥臭くなってくるんですよ。

どうしてもなんか不具合が起こって対処しなくちゃならなかったりとか…「どうしようか」っていう話になって、「ちょっとここを削ってみようか」とか「潤滑剤を塗ってみようか」とか。


―楽しいのはどういう時ですか?

最初の構想段階のところかな。どんなカメラ作ろうかな…とか。


―それって、商品コンセプトみたいなものが先にあって作っていくんですか?それともフリーハンドで考えられるんですか?

両方かな。同時並行的な感じです。

「うちはこういうことができますよ」っていう話をして、企画の方は「じゃあこういう製品にしましょうか」っていう話をしてやりとりしながら決まっていきます。

企画のところの夢を語れるところが良いですね…一番無責任なところですが(笑)

完成に近づくにしたがって、部品が届かないとか、税関で止まってるから電話かけるとか、大変になってきますから。


―大変なのはそういう詰めの時ですか?

詰めもそうですが、金型を作る時も大変ですね。一回金型を作っちゃうと変えられないので、設計的にも完成度を上げないといけないから神経を使います。そこから段々泥臭くなってきますからね。

全部製品の発売に乗っかっているので、発売までで一区切りですね。


―最後に、五ヶ瀬で得たものや学んだことで仕事に役に立ってることってありますか?

奉仕の心が培われたとか、栄光のエコーとか…(笑)

まあそれは結構難しいですね。コレって言えるようなもんでもないですし。


―今までに聞いた人だと、コミュニケーションとか、フォレストピア研究の話とかの話はありましたが、そのあたりはどうですか?

確かにそうですね。見聞は広がりましたね。世のなかには色んなものがあるっていう。街中で住んでるだけじゃ分からないことも知ったし、視野が広がったかなと思います。

あと、話のネタにもなりますしね。ヤギ飼ってたとか…(笑)


―ヤギ好きでしたもんね(笑)ヤギの話でオチがついたところで、今日はこのくらいで。ありがとうございました!




    以上です!