2012年2月20日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校ととモチベーション2.0&3.0

前回は、学校や家庭での教育のあり方を考える視点から
モチベーションについて考えてみました。

今回は、それを踏まえて
五ヶ瀬中等教育学校において行われている教育と
モチベーションの関係について考えてみたいと思います。


■五ヶ瀬中等教育学校とモチベーション2.0
以前、学校における考え方にも
モチベーション2.0が多いということを述べましたが
五ヶ瀬中等教育学校もその例外ではありません。

僕が五ヶ瀬中等教育学校に在学中も
成績優秀者に対して「北斗賞」という賞が贈られていました。

賞と言ってもなんてこたなくて
集会で賞状が渡されるものでした。
これはモチベーション2.0的な発想ですね。
(そもそもなんで北斗やったんですかね?)

ただ、ハッキリ言って、僕はこの賞をもらっても
ほとんど嬉しくなかったんですね。
その頃はなんとなくでしかそれを感じていなかったんですが
モチベーション3.0の話を知ってスッキリしました。

僕は別に北斗賞をもらえたり賞をもらうために
勉強していたわけではなかったので
そこで賞を贈られても逆に良い気持ちはしなかったわけです。

こうした手法が有効に作用する場合もあるかもしれませんが
勉強に対するモチベーションを喚起する方法としては
基本的にはあんまりうまい方法じゃないんじゃないかなと思います。


■五ヶ瀬中等教育学校とモチベーション3.0
ただ、五ヶ瀬の場合、ちょっと面白いところがあります。
それは「フォレストピア学習」です。

学校関係者の人は分かるかと思いますが、
少し説明をしておくと、「フォレストピア学習」っていうのは
いわゆる「総合学習」の走りみたいなものです。

と言っても「総合学習」がモヤモヤしていて分かりづらいですが
地域の文化や自然環境を活かした学習です。
確か文部科学省のモデル校みたいになってたので
「総合学習」が導入される前に実験的に五ヶ瀬でやってた
という位置づけもあったんじゃなかったかなと思います。

具体的な内容を例えば見てみましょう。
ホームページから最新の情報を見てみるとこんな感じです。
  • 地域基礎2 神話について知ろう
  • 地域基礎1「餅つき」
  • 地域基礎2 雲海酒造見学
  • 地域基礎1「脱穀」
  • 地域基礎2 校外体験学習
  • 地域基礎1「通潤橋」
  • 地域基礎2 椎葉事後学習・化石展鑑賞
  • 地域基礎1「稲刈り」
  • 地域基礎2 椎葉について知ろう
  • 地域基礎2 命のつながり
引用元: http://gokase-h.com/modules/forestopia2/ (2012年2月16日 8:45取得)

上の学習自体はある程度プログラムが決まってはいますが
それでもその中では一方的に生徒に情報を与えるだけでなく
生徒の側から主体的に人やモノに働きかける場面を
多く作れるような内容になっています。


■フォレストピア学習の研究論文
こういったことを学習しつつ
年度の後半ではテーマを設定して論文を書きます。

論文のテーマは人それぞれ自由に決めます。
ちなみに僕は、中学校の時は中国の諸子百家について、
高校の時は林業技術について論文を書きました。

両方とも面白かったですねー。
今でも書いた内容を結構覚えてます。

授業なのでやらされる側面もありますが
特に論文作成については
自分の興味・関心にしたがって進めていくという面があるので
モチベーション3.0的な要素も結構あるんじゃないかなと感じます。

こういう感じで生徒の自主性を活かせるような
授業や研究ができるところが
五ヶ瀬中等教育学校の面白いところの1つかなと思います。


■その他の時間の使い方

あと、授業外の時間、特に土日とかは部活以外は暇なので
結構やることなくて何して遊ぶか考えたりもしてました。

僕らの時は、パワーヒッター杯というソフトボール大会したり
サッカーしたり、トランプで遊んだりとわりと普通の遊び方でしたが
人によっては野山を歩きまわったり、文化的な活動に勤しんだり
それぞれの興味・関心に応じた時間の使い方をしていたように思います。

今振り返ると、わりと学校内で完結していたことが多かったので
もう少し、五ヶ瀬ならではのこととかをやって
地域のことをもっと深く学んだり体験したり、
地域に貢献できるようなこともできたらよかったなとも思います。

ちょっと話がそれましたが、
本題に戻ると、モチベーション3.0、
内発的な動機を活かした授業や勉強の機会があるのが
五ヶ瀬中等教育学校のユニークなところであり、
面白いところじゃないかなというのが今回言いたかったことです。

2012年2月15日水曜日

子供の教育とモチベーション2.0&3.0

前回は、生徒の視点から勉強に対するモチベーションについて
こう考えたら良いんっちゃないかということについて書きました。
前回の記事:勉強のやる気を出すための考え方と行動のとり方

今回は、少し違った視点、
学校や家庭での教育のあり方を考える視点から
モチベーションについて考えてみたいと思います。
どちらかというと、学校運営側や親の視点になるかなと思います。


■子供の教育とモチベーション
前の投稿のコメントでももらったのですが、
モチベーション2.0的な考え方は
子供に対してもよく使われます。

「お行儀よくしていたらお菓子をあげようね」
「テストの点が良かったらゲームを買ってやろう」
といった考え方です。

学校においても同じような仕組みがあります。
表彰制度とかがその典型ですね。
「頑張ったで賞」みたいな。

ただ、これ自体は良いところもあると思います。
どんな人にだって「認められたい」という欲求はあるので
それを満たすための仕組みとしては有効だと思います。

しかし、損得だけで勉強をやるかどうか考えるのは良くない
と述べたように、ご褒美をもらえることを中心に据えて
物事を考えると良くないと思います。

それを続けると、外からの刺激による
外発的動機でしかやる気を起こせなくなり、
自分の内側から起きてくる内発的動機を
うまく活かせなくなるからです。


■「消費者」としての子供とモチベーション2.0式の考え方
今の子供はただでさえ「消費者」として育ってきているので
こういうやり方はあまりうまくない方法ではないかと思います。

その理由について少し説明しましょう。
これは内田樹さんが「下流志向」という著書の中で
述べている話をベースにしています。

「消費者」というのはどういうことかと言うと、
「お金」を払えば確実に「商品」が手に入る
という経験を積み重ねているということです。

つまり、これをやればこれがもらえる式の
考え方が染みついていると言っていいでしょう。
そういう中で学校でもやっていることとアメ・報酬を結びつけてしまうと
その考え方がさらに強化されてしまいます。

しかし、「学び」について書いた時も触れましたが
そもそも「教育」っていうのは本人にはどういう意味があるのか
その時は分かりにくいものです。

そうすると、段々学校でやることなすことにおいて
すぐに報酬がもらえるもの以外は
耐えられなくなってしまいます。

世の中すぐに報酬がもらえたり、
すぐに意味が分かったりするものだけではないです。

だからこそ面白いわけなんですが
上のような考え方に慣れ切ってしまうとその面白さは分かりづらいでしょう。
段々と人生がつまらなくなってしまうおそれがあります。

そういうわけで、やっぱり
損得だけで勉強に取り組むのは良くないと思うわけですが
家庭や学校でもモチベーション2.0的な考え方とは
もう少し違った観点、すなわち、
内発的な動機を伸ばすモチベーション3.0的な観点も
取り入れていった方が良いんじゃないかなと思います。


■子供のモチベーションを3.0的に引き出す方法
それって具体的にどうしたらいいか。
僕もまだ親になっていないので明確な回答はないんですが
1つの方法として考えられるのが親自身が物事を楽しむことかなと思います。

基本的に子供はやっぱり親、もしくは、育ててくれた人を見て育ちます。
そうした人が楽しんでいることは
やっぱり自然と自分もやってみたくなるんじゃないかと思います。

僕の場合、本を読むのが好きなんですが
これはどっから来たのか考えると
母親がよく本を読むからかなと思います。

推理小説メインなんですが、本棚にぎっしり本があって
いつもコタツで本を読んでる(そして読みながらコタツで寝ている)
イメージがあります。

そんなわけで、小さいころから本を読むのが好きでした。
あと、勉強も結構好きなんですが
これも母親の影響が大きいかなと思います。

これは最近気づいたんですが
うちの母親は結構新しいものを勉強するのに熱心なんですね。

直近では、ツイッターを始めたりしているんですが
この間家に帰ったら、「RT」「フォロー」とはみたいな
単語の説明の一覧みたいなのが作ってあって
パソコンの横に貼ってありました。

それを見て、なるほどなーと。
自分が勉強好きなのってこういうところも
大きな要因の1つになったっちゃないかなーと感じた次第です。

確かに、よくよく考えると
親がイヤイヤやってることを子供が楽しんでやるわけないですよね。
子供に勉強を楽しんでほしかったら
親が楽しむのが一番早いんじゃないかと思います。

っていうか、自分がイヤなことを
子供にさせるってちょっと自分勝手じゃないですかね…

もちろん社会生活を営む上でのしつけなどの面で
お互い気が進まなくてもやらんといかんことはあるとは思いますが
ベースは自分自身の姿が反映されるんじゃないかと思います。

自分も親になったら、まずは自分が楽しむ姿を
子供に見せていきたいなと思った次第です。


■次回予告
さて、本当は五ヶ瀬中等教育学校とモチベーション3.0についても
書こうと思ったんですが長くなりそうなのでこのへんで。
次回そのあたりについて書きたいと思います。

2012年2月14日火曜日

勉強のやる気を出すための考え方と行動のとり方

さて、前回、損得「だけ」で
勉強をするしないという判断をしない方が良い
ということについて述べました。



そうは言っても、勉強になかなかやる気が起きないということはあるかと思います。
そんな時にどう考えたり、どう行動すればいいのか考えてみたいと思います。

まず、考え方の問題としてソーヤー効果とゲーミフィケーション、
次に、行動の問題として作業興奮と短時間集中の話を紹介します。


■ソーヤー効果
上と逆の話もあります。
これもモチベーション3.0で紹介されていた話ですが
トム・ソーヤーの話です。

あるとき、トムは壁のペンキ塗りをやらされることになります。
壁は大きいし、作業は単調だし、服は汚れそうだし、
普通に考えたら相当面倒くさい。
そこで、トムは一計を案じます。

友達がやってくるのを見計らって
超楽しそうにペンキを塗り始めるのです。
はじめは、友達はトムに対し、
「ペンキ塗りやらやらされちょっしー」
みたいな感じで馬鹿にしますが
トムは「何言っちょっとやー、これてっげ楽しいっちゃじー」
っていう感じで楽しいことをアピールします。

そうすると、友達は「ちょっとやらせてくいやん」
といった感じでやらせてもらおうとしますが
そこはトム、「いややがー。これおもしりいっちゃもん」
っていう感じでなかなか最初はやらせません。

そうしてじらしたあげくに友達にやらせたところ
友達は楽しんでペンキ塗りを始めたという話です。

これを踏まえて「ソーヤー効果」と名付けているわけですが、
同じことをやるにしても、楽しんでやれば「遊び」になるし、
つまらんと思ってやれば「仕事」になるっていう話です。

勉強も、やらされてやるもんだと思わんで
楽しんでやれるようにしたらいいっちゃないかなと思います。

まあどう楽しむかっていうところが次の課題になりますが。
そこで気になっているのが、
勉強って何で楽しくないんですかね?
そして、楽しくないならどうやったら楽しくなるんですかね?
このあたりの問いを考えていけばヒントが見つかるような気がします。

僕は僕なりに予想するところはあるんですが
このへんはいろんな考えがあると思うので
今度五ヶ瀬に行った時にでも生徒に聞いてみたいですね。

あとはもしブログ読んでる人がいて
勉強が楽しくない理由について思い当たることがあれば
コメントでももらえると嬉しいです。


■ゲーミフィケーション
さて、勉強を楽しむという観点で参考になりそうな考え方として
もう1つ「ゲーミフィケーション」という考え方を紹介します。
これ、最近流行っています。
(少なくともIT業界では結構聞くようになってきました)

これはどういう考え方かというと
ゲームの要素を会社や仕事、その他さまざまな活動に取り入れれば
もっと人のやる気を引き出して成果を上げられるのでは
という考え方です。

これは結構学校での勉強にも当てはまると思うんですね。
僕は学校の勉強って結構ゲーム的だなと思っています。
「参考書」という「攻略本」があって
「宿題」という「ザコキャラ」を倒して「経験値」を積み
「テスト」という「ボス」を倒すみたいなイメージです。
「大学受験」は「ラスボス」って感じですかね。

あと、人によって得意な教科が違うっていうのも
魔法が得意なキャラがいたり、武器攻撃が得意なキャラがいたりと
いった得手不得手に通じるものがあるようにも思います。

学校の勉強って、ステップをおっていけば必ずできるようになる、
つまり、やり方さえ分かればできるようになっています。
もちろん得意不得意はありますが、正解が決まっています。
そういう意味ではかなり達成感が得られやすい構造になっています。

うまくやればやっただけできるようになる、
これはある程度までは面白いんじゃないかなと思います。
問題はどうやってそのやり方を身につけたりコツを知るかってことですが
それは参考書もあるし、何より先生や先輩に聞くと良いでしょう。

例えば、小学校の足し算引き算くらいは大体できる人が多いと思います。
もし中学校や高校の数学で何かにひっかかっているなら、
できるところ(小学校の算数)からどうやってステップアップして
勉強していけば良いかをなぞり直せばいいと思います。

ロールプレイングゲームで言えば、
敵が強くて次の町に行けないなら、
前の町の周辺に戻って経験値稼ぎをし直すイメージですね。

あとこういうスピーチをしている人がいます。
セス・プリーバッチ 「世界を覆うゲームレイヤを作る」



成績表をABC評価じゃなくて
レベルにしたらもっとモチベーション上がるんじゃないか
っていう提案をしています。

そんな感じでゲームだと思ってやれば結構面白いんじゃないかなとも思います。


■作業興奮
上の話は考え方の話なので
依然としてそうは言ってもなーというところはあるかもしれません。

そこで、もう少し具体的な方法を紹介します。
なお、今から紹介するのは
「脳と気持ちの整理術―意欲・実行・解決力を高める」
という本に書いてある内容をベースにしていますが
脳に関する他の本でも書いてある内容です。

まず、「作業興奮」についてです。
「作業興奮」というのは、脳の働きで
何かをやり始めると、脳が興奮し始めて
それに対するやる気が出るという仕組みです。

やる気とかっていうのは脳の働きに関係しますが
脳の働きは思ったよりも身体の影響を受けています。

「作業興奮」もそれをよく表していて、
頭の中でいろいろやる気を出そうと考えてても
身体的に良いコンディションになかったり、
身体の方が活動していないとやる気が出ないことはしょっちゅうあります。

具体的には、宿題をやる気がなかなか出なくて
やりだすまでにすごい時間がかかったとしても
意を決してやり始めると、意外と一気に仕上げてしまう
そんなことってないですかね?

僕は結構ありました。
仕事でも、やる気が出ない作業ってあるんですが
そういう時は無理にやりだしてしまうという方法をとっています。

勉強をする気にならないときは、とにかく机に向って、
少しでも興味が湧く問題、簡単な問題からでもいいから解きなさい
といった意見が紹介されています。

これは結構当てはまると思います。
やる気が出ないのは、やらないからやる気が出ないんです。

やる気が出てからやろうと思うのではなく
やる気が出ないからこそやってみる、
そうすることによってやる気が出て作業も進むという良い循環に持っていけます。


■「短時間の集中」×「多数」
あと、別の考え方として、
大変な仕事をするときには「助走」が要る
という考え方が紹介されています。

まず簡単な仕事をたくさんやって短時間の集中を重ねる
そうするともっと長い時間の集中に耐えられるような脳の状態ができるんです。

つまり、難しい問題をいきなりやろうとすると
頭に入らずやる気がすぐ失われてしまいますが、
簡単な問題をいくつかやってから取り組むとやる気が維持できると思います。

例えば、英語をやるのであれば
発音記号とか穴埋めとか比較的すぐできる問題をやった後に
長文読解とかに取り組んだ方がやる気が出ます。

今気づいたんですが、テストの問題のつくり方もそうなってますよね。
そういうことも考慮されてんのかなー。

ひとまずそんな感じです。
次回は、これまで述べてきたことを踏まえて
現状の学校教育、特に五ヶ瀬中等教育学校での教育について
整理してみたいと思います。

2012年2月10日金曜日

損得だけで勉強に取り組むのは良くない理由

■前回までのまとめと今回の概要
前回まで、勉強しとった方が良いっちゃないかなー
と考える理由について書いてきました。





その理由は大きく3つで、次のとおりです。
  1. 「学び」ができるようになる
  2. 大学や就職で「得」がある
  3. 人生の選択肢の幅を残す(リスクヘッジ)
前回、この2番目の考え方だけをとるのは
あまりオススメしませんと書きました。
今回はその理由について説明していきたいと思います。


■得「だけ」で判断するのは止めた方が良かよ
まず最初に、「得」があるからやる
という考え方を否定しているわけではありません。

ただ、「得」があるという考え方「だけ」で
取り組んでいくのは止めた方が良いというのが僕の主張です。


■モチベーション
それはなぜか。
その理由は「モチベーション」にあります。

この「モチベーション」という言葉、
今では当たり前のように使っていますが
卒業したくらいに初めて聞いた時は
あんまりピンと来てませんでしたので
簡単に説明しておきます。

これは、「やる気」とか「動機」を指しています。
つまり、何かをやるぜ!という気持ちになっているかどうか、
また、その気持ちにさせてくれるものを指しています。


■モチベーション3.0
さて、勉強する理由における損得判断の話と
モチベーションはどう関係するのでしょうか。

ここで、1冊の本を紹介したいと思います。
これは結構話題になった本なので
聞いたことがある人もいるかもしれませんね。
この本の内容が参考になりますので少し紹介します。

この本では、人間のモチベーションには3種類あると整理されています。
  1. モチベーション1.0 
    原始時代のモチベーション
    生存のための行動(例:食欲、性欲)
  2. モチベーション2.0
    工業化社会のモチベーション
    アメとムチ。報酬と処罰(例:ボーナス、左遷)。
  3. モチベーション3.0 
    現代社会に必要なモチベーション
    外から与えられるものでなく内側から湧き上がってくるもの
    学びたい、創造したい、世界をよくしたいという欲求

■損得判断とモチベーション
このモチベーション3.0に関連する興味深い話が紹介されていました。
ある幼稚園において、園児に絵を描いてもらって
その反応を調べるという研究が行なわれました。

この時に、以下のグループに分けました。
  1. 上手に絵を描いたら賞がもらえると事前に伝え、その通りに賞を与える
  2. 賞がもらえることは事前に知らなかったが、後で賞を与える
  3. ただ好きに絵を描いてもらい、賞は与えない
その結果、絵に対する興味はどうなったと思います?

この中で、1つ目のグループは
実験前より絵に対する興味を大幅に失ってしまったんです!

2つ目のグループ、すなわち、
何も見返りを最初に期待しなかったグループは
賞を与えても特に絵に対する興味には影響はありませんでした。

「「交換条件つき」の報酬
―これをしたら、あれをあげよう―
だけが、ネガティブな影響を及ぼした」(p67)
と述べられています。

人には、「新しいことややりがいを求める傾向や、
自分の能力を広げ、発揮し、探究し、学ぶという傾向が本来備わっている」(p16)
にもかかわらず、損得判断によってそれを失ってしまったのです。

この例の他にもいくつかの例が紹介されていますが
いずれも報酬が否定的な影響を与えるものでした。

以下のサイトで著者のスピーチを見ることができ、
内容もプレゼンの仕方もとても面白いので、オススメです。

ダニエル・ピンク 「やる気に関する驚きの科学」 




■アメとムチ、報酬と処罰方式の欠陥
本の中では、アメとムチ方式のやり方の欠陥が
具体的に7つ指摘されています。
  1. 内発的動機づけを失わせる
  2. かえって成果が上がらなくなる
  3. 創造性を蝕む
  4. 好ましい言動への意欲を失わせる
  5. ごまかしや近道、倫理に反する行為を助長する
  6. 依存性がある
  7. 短絡的思考を助長する
(上のスピーチでは特に2や3についての例が紹介されています)

もちろんすべての場合に当てはまるわけではありませんし、
この本でも、報酬と処罰式のやり方がうまくいくケースについても
きちんと紹介されています。

ただ、大事なのは、損得だけで判断すると
自主性や創造性を失ってしまいかねないということです。
こうした能力はこれからの社会において特に必要とされるものです。

また、上の例で紹介されていたように、
今自分がやっていることと得を結びつけすぎてしまうと
結果的にやっていることに対する興味を失ってしまいます。

この話を踏まえた上で、勉強の話に戻ってみましょう。


■勉強における外発的動機と内発的動機
「得」と勉強に関する考え方として2つのパターンがあります。
  1. 「得」があるから勉強する(外発的動機)
  2. 「得」がなくても勉強する(内発的動機)
1つ目はモチベーション2.0、2つ目はモチベーション3.0
に対応すると考えていいでしょう。

繰り返しになりますが、1の考え方だけを強く持って
勉強に取り組むのは止めた方が良いと考えています。

それは、そう考えることによって
勉強への意欲が悪循環に陥ってしまう可能性があるからです。


■「得」があると考えるからまた面白くなくなる
勉強がイヤなのは、なんでやっちゃう?
と考えたことはあるでしょうか?

「得」がないからでしょうか?
いえ、「得」がないと考えるからこそ面白くなくなるのだと思います。
ここで、上で長々と紹介してきた
モチベーション3.0の考え方がようやく関係してきます(^ ^)

モチベーション3.0の例では
やることと報酬を結びつけると、
そのこと自体の面白さが失われていることが紹介されていました。
つまり、何か「得」を求めるから面白くなくなるのです。

そうすると、勉強すると「得」があるからやる、という考え方こそが
勉強する意欲を失わせる元凶となっていると考えられます。

もちろん、「得」があるという考え方は短期的には
勉強の動機付けになるとは思います。
しかし、それは最大でも学生生活の間しか持たないでしょう。
先の悪循環の話を考えると、もっと早く限界がくるかもしれません。

前の記事でも述べましたが、「学び」は一生続いていくものです。
いわゆる学校での「勉強」だけでなく「学び」に対しても
意欲が失われてしまう可能性がある考え方なので
危険であるとすら言って良いのかもしれません。

これが、僕が、損得だけで勉強に取り組むのは良くない
と考える理由です。
「得」があるからという理由だけで勉強をやると
勉強そのものはどんどんイヤになっても不思議ではありません。

ただ、じゃあそうは言っても
勉強するやる気が出ない時はどうしたらいいのか、
これは結構工夫が必要なテーマだと思います。

次回はこの話をからめながら
学校教育との関係について述べたいと思います。

2012年2月7日火曜日

後々の人生の選択肢を残しておくという考え方

■前回までのまとめと今回の概要
前回は、勉強する意味がないからといって
即座にそれを止めるっていう選択肢は
あんまり良くはないっちゃないかなー
と考える理由について書きました。

それは「学び」の本質は
意味が分からないことに取り組むところにこそあるからで
それができないとその先成長したり
楽しく人生送ったりはできないからという理由でした。

また、さらに前の記事で
勉強すると具体的にどういう「得」があるのかについても述べました。
大学進学において奨学金や特待生という「得」や
大学のその先の就職においても選択肢が広がるという「得」
があるということを述べました。

今回の記事では、上記の話に
もう1つ観点を加えたいと思います。
それは、「リスクヘッジ」という考え方です。


■イチローの作文を知ってますか?
それについて詳しく述べていく前に触れておきたいことがあります。
ちなみに、この間五ヶ瀬中等教育学校に行った時に紹介したら
みんな知っていました。
誰か先生がすでに紹介しとったんでしょうね(^ ^;)

「イチロー 作文」とかで検索すればたくさん出てきますが
とりあえずこちらから読めます。

夢が決まっていて、そのためにやることも見えていて
今の自分の状態はこうで、こういうことをやっているから
こういうふうに夢を実現できるはずだ
ということが書いてあります。

ここまで方向性が固まっていてしかもそれを実際に実現する。
これはすごいです。普通じゃなかなかできんです。
上のブログの方も、
「イチローは昔から変態なんだなと思った(良い意味で)」
と述べていますが、その通りだと思います。


■山登りの人生ではない時にどうするか
このような人生設計は、
川下りと山登りで言えば山登り型ですね。
しかし、こんな人生を歩める人というのはそんなに多くないと思います。

そうした時にどうするか。
高校の時点でやりたいことが固まっていないなら
(というか多くの人がそうだと思いますが)
「選択肢を広くとれるようにしておく」
というのが良いんじゃないかと思います。

その時に大事なのが「リスクヘッジ」という考え方です。
どういう意味かというと…

リスクヘッジ(Risk Hedge)とは、様々な起こりうるリスクを回避したり、その大きさを軽減するように工夫することを指す。ちなみに「ヘッジ」というだけでも同じ意味を指す。具体的にはヘッジ取引により将来のリスク低減、分散投資によるリスクの低減などが代表的。
リスクマネジメントとも呼ばれる。

ちなみに、「ヘッジ」とは「回避」という意味がある。

なお、金融取引だけでなく、ビジネス一般用語として用いられる。
例えば将来の勤め先の業績悪化による解雇というリスクに対して、そのリスクをヘッジするために資格を取得して自身の価値を向上させることもリスクヘッジの一つである。

リスクとは「不確実性」という意味であり、将来どうなるか分からないということに対し、特にマイナスの意味をもつ事態・事由に対してその不可実性低減のための行動がリスクヘッジとなる。

引用元:http://www.finance-dictionay.com/2009/10/post_431.html
(2012年2月7日20:10取得)
こういう感じです。

文中にもありますが、「将来どうなるか分からない」ので
将来マイナスのこと何かが起こっても
ある程度はそのマイナスを回避できる、受けとめられるように
今対策をとっておくという感じの意味合いです。
こういった観点も進路を選ぶ参考になるのではと思います。

将来どうしたいか分からないのであれば
マイナスができるだけ少なそうな方向性を選んでおく
というのが良いんじゃないでしょうか。

もっと具体的に言うと、
  • 高卒で就職よりも進学
  • 文系よりも理系
というのをオススメします。


■就職よりも進学
なぜでしょうか。
高卒、特に普通科の高校卒で就職するのは大変です。
しかも宮崎のような地方ではさらに大変です。

実際、僕の弟も、デザイン科を出て
就職しようとしていましたが
そのリストを見せてもらったらびっくりしました。
警備員と理容師がずらーっと並んでいて
ほとんど選択肢がない感じでした。

警備員も理容師もそれぞれ
合っている人もいると思いますし、
警備員も理容師という職業自体に問題があるのではありません。
選択肢がそれだけしかないということが問題だと思っています。

大学まで行けば、もっと選択の幅も広がりますし
何よりも、アルバイトやインターンなどを通じて
高校の時より実社会に近いところに関わりながら
自分の将来について考える時間を持てる。
この方が良いと思います。


■文系よりも理系
また、文系よりも理系と言っているのは
文系が悪いわけではありません。
実際僕自身も文系でしたし文系は文系で面白かったです。

ただ、勉強も仕事も結局、文系の要素も理系の要素も
どっちも必要になってくるんですが
独学しようと考えた時の学びやすさで言えば
文系科目の方が圧倒的に自習しやすいです。
(僕は最近になって化学や物理の基礎を
もっとしっかり学んでおけば良かったなと思うことがあります)

また、理系限定の職種もあります。
さらに、進路を変更しようとする時も
文系→理系よりも、理系→文系の方が相対的には変更しやすいです。

こうしたことを踏まえて、
後々の選択肢を広げておくということを考えると
迷うなら文系より理系を選択しておいた方がベターだと思います。


■結局選ぶのは自分
ただ、選択肢を広げ過ぎても結局選べなければ意味がないですし、
どこかの時点で選ばなければならないので
選択肢を広くとること自体が目的ではないことには注意が必要ですね。

また、自分はこの道でいくんだ!という強い意志があるなら
選択肢の幅をとっておくために使う労力は
無駄なものやストレスの原因になるだけかもしれません。

そういったことを踏まえながら
自分は今後どういう進路に進みたいのか、
どういう人生を送っていきたいのか
といったことを、自分自身に今一度、というか、
何度も何度も問いかけてみたら良いんじゃないかなーと思います。

この先の自分が明確にイメージできていて
かつ、それを何が何でも、どんなことがあっても
成し遂げていくという強い意志と覚悟、
そういうものがあるのであれば
大学に行かないだとか、高校を辞めるだとか
そういった選択肢もありなのかもしれません。

でも、そういう人ってなかなか少ないんじゃないかなと思います。
そういう中で、無理やり将来の目標を決めても良いことありません。
(自分がそうでした)

将来どうしたいか、ふわっとしてあまり固まらない、
そうした時に、後々の選択肢を残しておく、
自分がこういう方向性がいいんじゃないかなーと思った時に
その選択肢をとれる可能性をできるだけ残しておく
というのは人生における選択としては
悪くない考え方なんやないかなーと思います。

イチローみたいに、小6でああいった作文を書いて
ほぼその通りに人生の山を登って行くこともできるかもしれませんが
人生何が起こるか分からないので、そうした時に
できることを増やしておく、
そういう考え方もあっても良いんじゃないかと思います。

こういったことを考えあわせると
やっぱり中高で勉強はしっかりやっとった方が良いんやないかと思うわけです。


■やっぱり勉強しとった方が良いと思う理由についての小まとめ
これまで、勉強しておいた方が良い理由について述べてきました。
その理由は大きく3つで、次のとおりです。
  • 「学び」ができるようになる
  • 大学や就職で「得」がある
  • リスクヘッジ…選択肢の幅を残す

ここで1つ注意しておきたいことがあります。
前の記事でも述べましたが、
この2番目の考え方だけをとるのはあまりオススメしません。

次回はその理由について考えてみたいと思います。

2012年2月6日月曜日

意味がないからって止めるのは止めた方がいいっちゃないかなー


■なぜ意味がないからといってすぐに止めるのは良くないのか - 学びの本質
意味は後からつながってくるから
意味がわからんからすぐにやめるのはどうかな
というのが今までの話でした。
もう1つ別の観点でも話をしてみたいと思います。

それは「学びの本質」についての話です。
これは、内田樹さんの
「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」
という本に書いてあった話です。


■内田樹さんと合気道の師匠との会話
内田さんは合気道をやっているのですが、
その師匠との会話が紹介されています。

まず、先生が「内田くんはどういう動機で合気道を始めたのですか」
と質問します。

それに対し、内田さんは「喧嘩に強くなるためです」と答えます。

先生は「そういう動機から始めても別に構わない」とことわった上で
「武道修行の目的は、君が目的としているものとは違う」と述べ、
「君が私について学ぼうと思っているものとは
違うものを君は私から学ぶことになるだろう」
と述べています。

それを聞いた内田さんは
「この先生は本物だ。この先生についていこう」
「この人を師としよう」
と思ったというエピソードです。

この話、何か変だと思いませんでしたか?
さっと読むとすんなり読んじゃうんですが、
内田さんは、ここで良く考えると
きわめて非合理的な判断をしていると述べています。

具体的には、内田さんは「喧嘩に強くなるため」に合気道をやる、
でも、先生は「違うものを君は私から学ぶことになるだろう」
と述べています。

つまり、自分がほしいと言っているものは与えてくれず
むしろ、違うものを与えると言っていると言っているので
「それでは違う師匠につきます」となってもおかしくありません。

ところが、自分がほしいものをくれないと言っていることを根拠に
逆に、この人こそが私が望むものを与えてくれる人だと
判断していることになっているんです。
意味不明じゃないですか??


■学びの本質
その心について、この話を踏まえた上で
内田さんは次のように述べています。
「この非合理性のうちにこそメンターの教育的機能は存するのです。自分にとってその意味が未知のものである言葉を「なんだかよくわからない」ままに受け止め、いずれその言葉の意味が理解できるような成熟の段階に自分が到達することを待望する。そのような生成的プロセスに身を投じることができる者だけが「学ぶ」ことができます。」
(内田樹「「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」」p152)
すなわち、意味がよくわかんないものをわかんないままに
とりあえずやってみれば何か成長できるのではないか、
だからとりあえずやってみよう
と考える、あるいは、意識しなくてもそういうことを
受け入れられるようになっているかどうかが
「学び」のポイントだということです。

もう少し補足すると、何かを学ぶ時は、主に
何かを知りたい、できるようになりたいということが目的にあると思います。

でも、まだ学んでいない状態では
その「何か」がどういうものなのか、どういう意味を持つのか
ということはハッキリは分かってないはずです。

その「何か」を詳しく知っていたり
すでにできることであれば学びにはなりません。

だから、学びの本質としては、
何なのかよく分かっていないことに取り組むことが必要です。

それができれば「学び」を進めることができ、
こうした形で一度学び方を知れば
いくらでもどんな領域のことでも学べるようになります。

逆にいうと、このような「学びの本質」を受け入れることができず
自分にとって意味のあることしかできないと
「学ぶ」ことができないということになります。

「学び」は、学校を卒業しても仕事をしていれば絶えず必要になってきます。
宝くじにでも当たって日がな寝っころがって暮らせるなら別かもしれませんが
それはそれで結構つらいものがあります。

結局、楽しく生きていくためには「学び」は必要なものであり、
そのためには、意味がわかんないものもとりあえずやってみる
という姿勢を持つことが重要だと言えると思います。

あと、せっかく「学びの森」という名前がついてるんで
特に五ヶ瀬中等教育学校では
こういう学びをどんどんできると良いなと思いますね。
(そのためのものがフォレストピア学習だったり
 様々な行事だったりすると思うんですが
 それについてはまた別途考えてみたいと思います)


■なぜ意味がないからといってすぐに止めるのは良くないのか - 成長機会を逃す
また、さらに言えば、意味があることしかやらない
という考え方をしていると、何も新しいことをしなくなります。
意味があるからやる式の考え方だと、
自分が想像する範囲の物事しかやらなくなります。
そうすると、人間としての成長は止まると思います。

知らなかったことを知る、できなかったことができるようになる、
こういうところにこそ人生の面白みっていうのはあるであって
知っている範囲、できる範囲、見返りが期待できる範囲
のことしかやらなければ人生つまらないです。

もちろん、それで良いという価値観はあると思いますが
少なくとも僕はそうは思いません。

自分が思ってもみなかったことからこそ面白いことが起きると思います。
スティーブ・ジョブズの場合も
カリグラフィーで得ができるとか意味があるとかは
勉強している時には考えてなかったと思います。

ところが、後になってそれがつながってくる、
しかも、世の中を変えるほどのインパクトを起こせるものにつながっていく。
やっぱこういうのが醍醐味なんやないかなーと思います。

またまた長くなったので今回はこの辺で。
次回は、それでも勉強する意味わからんからやりたくない
と思う場合はどう考えれば良いのかということを書いていきたいと思います。

そのあたりが、残りのテーマである
在学中に勉強や大学についてどう考えれば良いかということにつながってきます。

2012年2月5日日曜日

勉強する意味は後から分かる

■意味は後からつながる
前回の記事で、「勉強する意味はあるのか、ないのか」
というテーマについて、勉強するとどういう得をするのか
という観点から論じました。

結論としては、勉強すると得をするという主張でした。
前回の記事は「得をする」という部分に焦点を当てたので
「意味はある」というのとは若干ずれますが
得もするし意味もあると思っています。
(「意味はある」の部分については、
ちょっと長くなりそうなのと
この先の記事でも書いていくので後回しにします)

さて、得をする、意味はあるとは言っても
その得はすぐに返ってくるものでもないですし、
意味が分かるようになるのもすぐではないでしょう。
大体返ってくるのは将来ですね。

先にも紹介したスティーブ・ジョブズも次のように述べています。
未来に先回りして点と点をつなげることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。
だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。
歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。
たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。
引用元: http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html (2012/02/06 19:10取得)


■意味がないから止めるという考え方はやめましょう
このように、やったことや経験したことの意味は
後からつながってくることが多いと思います。
その時は大変でも、ああ、あの時に経験しといて良かったな
と思うことはたくさんあります。

なので、今すぐ意味が分からないからといって
それをやらないとすぐに決めつけるのは
良い選択ではないんなんじゃないのかなと思います。

もちろん、やらないことがベターなこともあるとは思うので
その判断は難しいところですが
高校ぐらいまでは得とか意味どうこう言わずに
とりあえずやってみたらどう?と思います。

その理由について、次の記事でもう少し詳しく見ていきたいと思います。

2012年2月4日土曜日

勉強って何か得すると?


■「勉強する意味って何なの?」
前回、勉強する意味について少しふれ、
ポイントとして以下の点をあげました。

  • 勉強する意味はあるのか、ないのか
  • あるとしたら何だと考えるか、その意味に、いつどうやったら気づけるのか
  • ないとしたらどうしたらいいか
  • その上で、在学中にどう考えを持って勉強に臨むと良いのか
  • 大学進学に対してはどう考えればいいのか

今回の記事では、まず、1つ目の点について考えます。
結論から言うと、勉強する意味はあると思います。

ただ、意味がある、得をするから勉強するという考え方は
僕はあまり良い結果を生まないと思っています。
それについてはまた後の方の記事で書いていきます

まずは、勉強をすると、具体的にどういうメリットがあるのか、
もっとざっくばらんに言うと、得をするのかどうかという視点に絞って
考えられることを書いてみたいと思います。


■勉強する意味はあるのかないのか
中学生や高校生、もっと言えば小学生からも
「こんなこと勉強したって世の中とか実際の生活では全然役に立たん」
というような主張を聞くことがあります。
というか自分も言ってたような気がします(^ ^;)

確かに、ハッキリ言って、授業でやることの1つ1つが
すべて直接的に何かの役に立つ、
あるいは、得につながるかというとそうは言い切れません。

例えば、数学の複素数とか微分・積分とか全然覚えてませんし
直接何かの役に立ったとは思いません。

でも、それでも学校で学んだことは意味があったし
直接・間接いろんな形で役に立っていると思います。


■勉強の報酬 - 著名人の例
どう役に立つのか、具体的な例を挙げてみましょう。
例えば、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ。

彼は、大学の講義でカリグラフィーについて学びました。
(厳密にいうと中退した後に自由な時間ができて
興味のおもむくままに聞き始めた講義ですが)

カリグラフィーというのは、文字をいかに美しく見せるか
文字の形についての方法論です。

学んでいた時にそれが何の役に立つとは考えておらず
興味本位で勉強していたらしいんですが、
それが後々になってマッキントッシュというフォントが美しい
コンピューターを生み出すことにつながっていったのです。

これは以前五ヶ瀬中等教育学校に行って話をしたときにも
紹介した話で、以下の動画で見れるので
興味がある人はぜひ見てみてください。




別の例として、リクルート創業者の江副さんの話。
「リクルートのDNA」という本の中で、次のように述べられています。
「私は高校の漢文の時間に出会った言葉、易経の「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」を人生の指針の一つにしていた。
その言葉をもっと積極的に表現したのが、
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
私が考え、これを社訓にしてはどうかと提案すると、みんなも賛同してくれた。」
(「リクルートのDNA」p22)
この例では、高校の漢文で学んだ内容が経営に役立っています。


■勉強の報酬 - 仕事
もう少し卑近な例で自分の話で
仕事がどう役に立ったかあげてみます。

英語
例えば、英語の授業で勉強したことは今めちゃめちゃ役に立ってます。
自分は今仕事で日常的に英語で読み書きします。
(インドの開発エンジニアとメールでやりとりしてます)
また、時々ではありますが、英語で会議をしたりします。
その中で、英語の授業で勉強したことが役に立っています。

もちろん全部が全部役に立っているわけではありませんし
学校での英語教育にモノ申したいところは多々あるんですが
それでもやっぱり授業で学んだことが基礎になってなければ
今仕事で英語を使うこと、もっと言えば
今の会社に就職できていたかどうかさえ怪しいです。

英語の中では、特に発音記号が役に立ってます。
センター試験の問題とかで発音記号の問題は嫌いだったんですが
高校の時の英語の先生(なぜかカルロスと呼ばれていました)が
発音について繰り返し繰り返し練習させていました。
そのおかげで、今、仕事に支障がないくらい
リスニングとスピーキングができるようになったと思っています。

国語
役に立ったと思うのは英語だけではありません。
自社がやっているサービスを紹介する
ブログやプレスリリースを書いたりするんですが
その時に、どういう日本語表現にするかということは大事です。

その中で、「が」と「は」の使い分けに注意したりもします。
学校にいた時は、品詞の話は一番嫌いだったんですが
日本語の構造とか、助詞をどう使うかという話が
文章を書く上でかなり役立っています。
(これについては、学校であんまり真面目にやってなかったので
学び直した面もありますが…)

数学
その他にも、最初にあげた数学も役に立ったと思っています。
数学で勉強した内容そのものは直接は役に立ったかどうかは分かりませんが
数学の問題を解く上で培った能力は役に立っています。
数学では、論理的な思考力が必要とされます。
手順を追って答えを導き出す能力は、仕事でもめちゃめちゃ役に立ちます。

具体的には、何かサービスで問題が起きた時に
バグの原因を解析しますが、そこではかなり論理的な思考力が必要とされます。
ここで、数学の問題で培った能力が役立っているのです。
証明問題のような感じが近いかもしれません。

社会
あと、個人的には一番社会科が良かったなと思っています。
実利的な意味では英語とかの方が役立ってると思うんですが
社会科の方が、あー学んどいて良かったなーと思う機会は多いです。

どういう時かというと、人と話す時です。
例えば、インドに行ってインドの人と話をする時に
日本のことについていろいろ聞かれるわけです。

この時に、結構答えに詰まるような問いもたくさんあるんですが
基本的には日本史で学んだことをベースに答えたりします。
逆に、インドのことも知りたいと思って本を読んだり話を聞いたりしますが
その時には世界史の知識がベースになります。

余談ですが、以前日本に来たエンジニアに
「Ashok」という名前の人がいましたが
世界史に出てくる「アショカ王」と結びつけて
すぐ名前を覚えられました。
(基本インド人の名前って覚えづらいんですよね…)

話を戻すと、あと経営者の方には歴史に興味がある方が多いんですね。
色んな方、特に目上の方とお話をする時に
歴史の話をからめられるかどうかで話の広がりが違ってきます。

また、経営に関する話でもよく言われるのですが
自社の経営や国の今後を考える上で歴史に学ぶことはとても重要です。
その時に、歴史的素養がまったくない状態から学ぶのと
例え結構忘れているとしてもある程度の基礎があった上で学ぶのでは大きな違いがあります。

勉強する習慣
勉強の内容自体が役に立つということの他に、
勉強をする習慣をつけておくという点でも
勉強することは大事やなと思います。

学校でやったような勉強とは必ずしも重なりませんが
仕事でもいろんなことを勉強しなければなりません。

教職、その他公務員、法曹関係、医療関係をはじめ
ある種の職種においては、
そもそも勉強して試験に合格してないと仕事に就けないですし
それ以外の職種についても勉強が必須です。

僕自身も学校にいた時よりも今の方が真剣に勉強しています。
そこでは、学校で培った勉強する習慣がベースになっているので
仕事に関する勉強もスムーズにできていると思います。
こういう面でも勉強する意味はあると思います。


■勉強の報酬 - 奨学金と授業料免除
さらにもっと実利的な意味もあります。
具体的には、奨学金と就職といった点をあげてみます。
(このあたりの話は、自分自身の経験もあったのですが
もらったコメントに刺激を受けて思い出させてもらいました)

まず、奨学金。
裕福な家庭は別として、大学に進学する際に
奨学金をもらうこと多いいと思います。
大学だけでなく、高校でも必要になる場合もあります。
(僕の家もそうでした)

奨学金をもらう際には、成績が受給の要件となる場合が多いです。
例えば、育英会の奨学金をもらう際には
以下のような要件があげられています。
学力基準:
(1) 高等学校又は専修学校高等課程の1年から申込時までの成績の平均値が3.5以上
(2) 高等学校卒業程度認定試験もしくは大学入学資格検定に合格した人、又は科目合格者で機構の定める基準に該当する人
引用元:大学で奨学金の貸与を希望する方へ-JASSO
http://www.jasso.go.jp/saiyou/daigaku.html (2012年2月4日 20:10取得)

特に、条件の良い無利息の奨学金を借りるには
一定の成績以上でなければなりません。

特に私立の場合は奨学金や特待生の制度があります。
僕の場合、4人兄弟ということもあって
家計のことを考えると私立という選択肢は
基本的には無かったんですが
当初行きたいと考えていた大学が私立でした。

具体的には、大分の立命館アジア太平洋大学という大学でしたが、
この大学でも奨学金の制度がありました。



国内学生のうち、AO入試(セミナー方式、小論文方式、活動実績アピール方式、英語基準AO方式)、特別入試(帰国生徒入学試験)、秋期入試(秋期AO入試、秋期・帰国生徒入試)、一般入試(全方式)において優秀な成績を修めた受験生を対象に4年間、授業料の50%を支給します。採用枠は45名です。
引用元:奨学金 - キャンパスライフ - 立命館アジア太平洋大学 受験生向け情報サイト - apumate.net 
http://www.apumate.net/campuslife/scholarship.html (2012年2月4日 20:20取得)

結構行きたかったので調べてみたら、
上のように奨学金があり、授業料の50%が支給されるものでした。
これをもらえれば、国立とそこまで授業料は変わらないと計算していました。

今は枠は45名と記載されています。
当時も同じ人数だったか分かりませんが
大体そんな感じの人数やったと思います。

なので、模試の結果を見るときは、
立命館アジア太平洋大学を志望している人の中での
自分の順位を毎回気にしていました。

結局は志望校1つに絞ったので受験しなかったんですが、
私立ではこういう制度が
結構充実しているところが多いと思います。

また、国立の大学でも、奨学金はなくても
授業料免除の仕組みがあります。

これは、所得が一定以下の家庭が対象になります。
宮崎とかだと平均所得はそんなに高くないので
結構普通に当てはまる家も多いんじゃないかと思います。
そして、これも成績が考慮の要件となります。

これは、毎年申請して審査されます。
僕の場合、全額免除の時と半額免除の時がありましたが、
いずれにしても授業料を免除してもらうことでだいぶ助かりました。

その他、育英会や大学以外でも、
民間の財団などから受けられる奨学金があります。
こういった奨学金でも基本的には成績が考慮されます。

参考までに、関西大学のホームページにも以下のような一覧があります。
(検索で見つけました)
学部生対象|関西大学 学生生活支援グループ 奨学支援グループ
「民間・地方公共団体奨学金」の項を参照
http://www.kansai-u.ac.jp/gakusei/scholarship/system/college.html (2012年2月4日 20:20取得)

僕の場合、幸い、育英会の奨学金に加え、
民間企業の財団からも奨学金をもらえました。
これは、大学2年生からもらえるものでしたが、
大学1年次の成績が申し込みの要件になっていました。

これをもらえるようになったのと、
授業料免除を受けられるようになったので
学部の後半からは実家からの仕送りを減らしてもらい、
大学院では仕送りなしで、学費はすべて奨学金で賄うことができました。
この奨学金をもらえなかったら
大学院までいくのは厳しかったと思います。

正直言って、自分がこういう
奨学金や授業料免除を受けていたことは
あまり公には人に言ったりしてはきませんでした。
それは、嫌みたらしい話に聞こえるところもあると思ったからです。

ただ、コメントを読んで気付かされたんですが
確かにこういう情報って大学入学前は知らなかったので
もっと積極的に伝えていくようにした方が良いなと考えを改めて
思い切って書いてみました。

話を戻すと、勉強をきっちりやれば
奨学金や授業料免除というメリットがあると言えます。


■勉強の報酬 - 就職
次に、大学のその先の仕事について考えてみたいと思います。
学歴社会の仕組みは少しずつ崩れてきているとはいえ
未だにある程度は残っています。

例えば、ある会社の採用ページでは
東大の学生に見せるページと
他の大学の学生に見せるページを分けている
という話もあったりするそうです。
(伝聞なので本当かどうかは分かりませんが)

また、コメントでもらった点とも関連しますが
高校生より大学生の方が就職の幅が広がります。
特に、今の就職のシステムは、大学の学部新卒者にとって
一番間口が広いシステムになっています。

大学の学部新卒以外だと間口が狭くなり
正社員としての就職という選択肢が少なくなり
派遣社員としての選択肢しか残らなくなったりします。
もちろん、派遣社員が悪いというわけではなく、
ここで問題なのは選択の幅が狭まるということです。

そういうことを考えると、仕事の面では
勉強をして大学に入っておいた方が
後々選択肢の幅を広く残しておけるので
メリットがあると思います。


■今回のまとめ
以上、長々と述べてきましたが、
簡単にまとめると、勉強をする意味はあるし得があると思います。

ただ、意味がある、得があるから勉強する
という考え方は良い考え方ではないかもとは思ってます。
これについては説明が必要なので、また別の記事で書きます。

あと、ここまで書いてきて思ったんですが
「意味がある」と「得がある」はちょっと違いますね…
書いてみて気づいたんですが、どうやら僕が気にしているのは
「得があるから勉強する」という考え方のようです。
今後はそっちの方をベースに論じていきたいと思います。

2012年2月2日木曜日

今頑張って勉強する理由&学びの森は進学校かどうか

■コメント頂きました
先の記事のコメント欄で、こんな意見を頂きました。
しばらくは地道に書いていこうと思っていたので
こうした形でさっそく反応があったのはとても嬉しかったです。
しかもてげな素晴らしい内容でした。


■コメントの内容
コメント欄の内容を転記します。

自分も在校生に伝えたい熱い思いがあります。

それは「今頑張って勉強する理由は社会人になって気付くということ」
また、「学びの森は進学校なので進学出来なかったら人生変わると言うこと」
これにつきましては自分の経験からです。
卒業時、進学も浪人もしない
髪染めて、携帯買って、免許をとることしか頭にありませんでした
家が貧乏で大学落ちたら仕事探してと言われ
簡単にバイトや仕事見つけて、役場や市役所の職員になろうと思ってました。
しかし、どのバイト先も「新卒の子が入ってくるからバイトとってない」
や「今の時期小林えびのは就職どころかバイトもないよ」
と言われ続け、新卒の意味
正社員とバイト、派遣社員の違いもわからぬまま
派遣社員として大分や沖縄で働き、
臨時講師(←まあさ先輩の紹介)として五ヶ瀬に帰って来るもトラブルを起こし
地元えびの市に帰りスーパーの荷出しとパチンコ屋スタッフという
学歴のいらないフリーターでした。

この経験から自分は在学中に進学をあまくみていたこと
進学出来なくてもバイト始めればなんとかなると思ってたこと
大学のランクを無理して上げてたこと
プライドが邪魔して頭の良いふりをしていたこと
を今でも反省しています。

特に在校生の中で、派遣社員や正社員が何か
新卒と中途採用の違い
などをつたえなければ
「なぜ今受験勉強をするのか」
が分からないと思います。

特に具体的な夢や将来について考えてない生徒には
伝えるべきだと思います。

自分も機会さえあれば
在校生に伝えたいと思いました。

2001年入学 進学も浪人もしなかった卒業生より



■勉強する意味
自分はえびの市の隣の小林市出身、
しかも、卒業したのが2001年ということで
何か縁を感じるところがあるんですが、それはそれとして、
このコメントは非常に大事なポイントをついていると思います。

それは、「勉強する意味って何なの?」という
問いに対する答えをどう考えるかという点です。

これはこれで非常に深く大事な内容なので
しっかり考えていきたいと思います。
(また何回かに分けて記事を書くことになると思いますが…)

ポイントとなるのは、以下のような点です。
  • 勉強する意味はあるのか、ないのか
  • あるとしたら何だと考えるか、その意味に、いつどうやったら気づけるのか
  • ないとしたらどうしたらいいか
  • その上で、在学中にどう考えを持って勉強に臨むと良いのか
  • 大学進学に対してはどう考えればいいのか
また、これとは別に、
そもそも勉強する意味の有無という問いの設定は適切なのかどうなのか
ということも考察していきたいと思います。


■学びの森五ヶ瀬中等教育学校は進学校なのか
次回以降の記事で、頂いたコメントに対して関連する話も書いていきますが
まず、次回以降の記事でうまく拾えなさそうなところについて
ここで1つ気になる点を書いておきます。

それはどういうところかというと、
「学びの森は進学校なので進学出来なかったら人生変わると言うこと」
というところですね。

僕は、そもそもの開校理念からいっても
学びの森はいわゆる「進学校」ではないと思っています。
(少なくとも僕はそう思っています)
なので、僕は、自分の大学合格実績が学びの森の進学実績として
宣伝に使われることに対してはかなり抵抗感がありました。

第一に、学びの森は進学校ではないし、
もしそうなったら、五ヶ瀬にあの学校がある意味はないと思います。
(なお、ここでいう「進学校」とは、大学合格を第一に、あるいは、
ほとんどそれのみを考える学校という意味で使っています。)

一方で、特に学外からは進学校とみなされる向きも多いと思います。
また、学校関係者の中で、生徒自身もそう思っているかもしれませんし
進学を期待して子供を入学させた親御さんもいるかもしれません。
異動でこられてくる先生方も進学重視の学校から来られることもあるので
基本的にはそういう考え方で物事を進められることも多いと思います。

そうした中で、学びの森五ヶ瀬中等教育学校がどういう学校を目指したらいいのか
というテーマは非常に重要で、かつ、大きなものなので
稿を改めて考えていきたいと思います。

なお、学びの森が進学校であるかないかとは別に
就職の問題を考える上で大学に行った方が良いかどうか
という点については、もちろん個々人のケースにもよりますが
僕としては、少なくとも今の段階では
大抵の場合は行っといた方が良いと思います。

これは、学びの森が進学校ではないという考えと
一見矛盾するように見えるかもしれないので
ちょっと説明が必要かもしれませんね。
この点は、次回以降のテーマとも関連するので
その中で詳しく書いていきたいと思います。

2012年2月1日水曜日

生徒との話から思ったこと - ストレスについて(4)

以下の続きです。
長々とストレスについて書いてきましたが、今回で一区切りかなと思います。
最後のテーマは、五ヶ瀬での生活におけるストレス発散についてです。

言いたいことは、実家に帰るという方法以外で
五ヶ瀬にいながらストレスを発散できる方法を見つけた方が
長い目で見たら楽しいんじゃないかということです。


■実家に帰る頻度
ストレスについての最初の記事で、
五ヶ瀬にいるとストレスを感じていて、
実家に帰った時にそのストレスを発散し、
また五ヶ瀬に戻ってきてストレスをためて、
また実家に帰ってストレスを発散し…
の繰り返しっていう話を聞いたことを書きました。

こういうこともあるからかもしれませんが、
生徒や先生の話を聞いていると、
今は実家に帰る頻度がかなり高くなっているみたいです。
月1回くらいは帰る人が多いみたいですね。

僕らが在学中の最初の頃は、大きな休み(春休み、夏休み、冬休み)
と大型連休(ゴールデンウィーク)のみしか帰れませんでした。
その後、確か途中から、第2土曜だったか第4土曜だったかに
帰れるようになったんだったような気がします(ちょっと曖昧…)。

ただ、そんなに頻繁に帰っている人は少なかったと思います。
大勢が帰るのは基本的に長期休みだけで、
普通の土日に誰かいないとなると珍しかったように記憶しています。


■実家に帰ってストレス発散でOK?
ここでこういうことを振り返ってみたのは
別に、昔は良かった式の話をしたいわけではないですし、
頻繁に実家に帰ることが良くない
ということを考えているのではありません。

気になっているのは、実家に帰る意味付けについてです。
一番はじめに書いたストレスのサイクルの話が
どのくらい多くの人に当てはまるかは分かりませんが
多くの人がそう感じているとすると、
実家に帰るのは苦痛から逃げるという意味付けになるので残念だなと思います。

普段いる場所が大変だから、
別の場所に行く機会を活用するっていうのは、
短期的には合理的といえば合理的だと思います。

でも、結局はまた五ヶ瀬に戻ってくるわけですし、
6年間の生活においては五ヶ瀬で過ごす時間が圧倒的に多いわけですから
そういうサイクルって長期的にみて
持続的に耐えられるものなのかなー、
五ヶ瀬で過ごしていく中で楽しい判断なのかなーというと
僕としては疑問が残ります。
普段の生活がどんどん辛くなっていくという悪循環に陥らんでしょうか。


■五ヶ瀬にいることがなぜストレス?
そもそも、なぜ、そんなに五ヶ瀬にいることがストレスなんでしょうか。
友達や先生などの人間関係が原因かもしれませんね。
モノや自由度が少ないことが原因かもしれませんね。

でも、こういった制約って、社会の中で生活していれば
程度はどうあれどこでも発生します。
「五ヶ瀬にいるから」ということが理由となって
特別に大変なことだとは思いません。

自分達の時も五ヶ瀬にいることに対する前向きさは様々でした。
ある人は帰省日が来ても、閉寮しない限りは
むしろ実家に帰らないくらい楽しんでました。
別の人は、帰りたくて仕方がなく、チャンスをとらえては帰っていました。

ただ、どの人も、五ヶ瀬での生活の中に
何らかの形で楽しみや面白みは見つけ出していたと思います。
もちろん濃淡がありますし、程度は異なりますが、
帰れない土日をどう過ごすのか
どうやったら面白い時間を過ごせるのか
そういったことを自然と考えていたように思います。
なぜなら、そう簡単には帰れなかったからです。

それが、頻繁に帰るようになると
今いる場所でどうにかしようっていう考え方は
薄くなるんじゃないかと思います。

簡単に逃れられないのであれば、どうにかしてその中で
ポジティブな要素を見つけ出していこうとするんじゃないかと思います。

しかし、簡単に逃れられるなら、
無理して解決策を見つけ出す必要はありません。
辛くても、1カ月耐えれば良いというような「耐える」思考で
ある程度まで乗り切れるんじゃないかと思います。
(長期的にはどっかで無理が来ると思いますが…)

また、逃れられる機会が多くて、逃れられる場所があるから
ストレスだと考えやすくなっちゃうんじゃないでしょうか。
これもまた悪循環ですね…


■帰れるけど帰らないという選択は大変かも
ただ、これは生徒の考え方というよりは仕組みによるものですね。
自分が嫌な場所、大変な場所から逃れられるがあるんなら
帰るのは自然なことだとは思います。

あと、親御さんの考え方にもよるのかもしれません。
実家でどういう過ごし方をするのかは人それぞれだと思いますが
もし、五ヶ瀬にいるのが大変だからできるだけたくさん帰省させてあげよう、
実家ではやりたいようにやらせてあげよう
という考え方で子供に接しているとしたら、
ますます「五ヶ瀬=ストレス」という図式を強化しているだけで
悪循環を強めているんじゃないかなとも思います。
(実際にそういう親御さんがどのくらいいるかは分かりませんが)

こうしたことを踏まえると、
今の生徒には、自分の考えをしっかりもって物事に対処するという
自律性が、より強く求められるのかもしれません。

ある意味楽できる、大変さから逃れられる仕組みがそこにあるので
それに対して、そちらに行くか、
それとも今の場所で踏ん張るかを選ばなければなりません。



それは結構大変なことだと思います。
物事を判断、選択する際に自分を律する力が求められます。
でも、その力は、学校出てからかなり役立つ力でもあります。

そういうことも踏まえて考えると、
帰省1つとっても、漫然と帰ったり帰らなかったりするのではなく
自分なりに意味付けをして判断していく
というのは長期的に見て良い力を育ててくれるんじゃないかなと思います。



■何のために五ヶ瀬に行っているのか
最後に、もう1つ気になることがあります。
生徒の視点からは、そもそも何のために五ヶ瀬に行っているんでしょうか。
親御さんの視点からは、そもそも何のために五ヶ瀬に行かせているんでしょうか。

きっかけとなった理由には、ポジティブなものもあるかもしれませんし
ネガティブなものもあるかもしれません。

でも、いずれにせよ、6年間という貴重な時間を過ごすわけですから
自分が今ここにいる意味、何のためなのか
ということを今一度見つめ直して
ポジティブに意義付けしていく方が
前向きに過ごせて楽しいんじゃないでしょうか。

決して、ストレスを感じるためだけにいるわけではないと思いません。
本当にストレスを感じることしかないのであれば
それはやはり環境を変えるのも選択肢の1つだと思います。

しかし、丸っきりストレスしかないというのではなく、
楽しいことや面白いこともあるなら、
どうやってそれを増やしていけるか、伸ばしていけるか
ということを考えていった方が
得られるものはめちゃめちゃ多いはずです。

もちろん、上で述べたことがすべてのケースに当てはまるとは思っていませんが
例え1人でもそういうケースがあるのなら
それは残念なことだと思っています。

そこのマインドセットを変えられれば
もっと楽しい人生が送れるんじゃないかと思います。

そうは言ってもなーという意見はあるかと思いますので
コメントでもなんでもぜひご連絡ください。
意見を交換してまた考えを深められればと思います。