2013年4月8日月曜日

勉強したくない時はどうするか(「卒業生と語る会」(3月9日開催)での在校生の質問から)

食堂の机がなつかしい
先日(2013年3月9日)の夜に参加した「卒業生と語る会」についての話の続きです。

前回までは、自分と自分の同級生の田部君が話した内容、また、その後にグループで分かれて話をした時に受けた質問を紹介しました。

前回までの記事はこちら↓
前回は、苦手教科への取り組み方についての質問でしたが、今回は以下の質問について考えてみます。

Q.勉強したくないときはどうしたらいいですか?

Q.東大ってどんなところですか?


■勉強したくない時はどうしたら良いか
まず、1つ目の質問について。やる気が出ない時にどうすれば良いかという質問ですが、この生徒の方と話す時に聞かれることが多いですね。聞かれた時はいつも「作業興奮」の話をするようにしています。

「作業興奮」とは、何かをやり始めると、脳が興奮し始めてそれに対するやる気が出るという仕組みのことです。

宿題なんかをやる時に、やり出すまではめんどくさくてしょうがないのに、一旦席に座って最初の問題にとりかかると、後は意外にそのままやれてしまうことってあるんじゃないかと思います。

自分もそうでしたし、今仕事の作業でめんどくさいなーと思うことも同じだったりします(笑)というわけで、まずはとりかかってみるというのが1つの解になるのかなと。

ただ、とりかかるまでの腰の重さをどうするかっていうのはまた別の方法で乗り越えないといかんですが…

あとは、勉強自体をどうやったら面白くできるかゲーム的要素を入れて考えるとかも良いのではとも思います。

このあたりについての詳細は以前整理してあるので興味があればどうぞ↓

■東大ってどんなところ?
2つ目の質問もですが、自分の属性のためか、東大や勉強について聞かれることが多かったですね(^ ^;)

どうですかっていうのもザックリしていてなかなか答えが難しいんですが、東大についてざっくり聞かれた時は、思ったよりも普通の人がいるところですよっていうことを伝えることにしています。

みんな普通にサークル活動もするし、普通に授業もさぼるし、普通にテストで苦労するし、普通に髪染めたり着飾ったりしているし…話してみてもフツーの人がほとんどです。

もちろん、相対的には他の大学に入る人と違うところはあると思いますが、それは他の大学でも同じことかなとは思います。

違うところの中で特徴的なのかなと思うのは、勉強の要領が良い人が多いとは思います。大体からして、試験対策が仕組み化されています。

具体的には、クラスの中で各自担当の講義を受け持ってその担当の講義には確実に出席してノートをとって他の人に配布する(「シケプリ」と呼ばれています)だとか、どの講義が優をとりやすいか評価した冊子が販売されているとか。

これはこれでどうなんだと思うところもありますが、そういう勉強における要領の良さとかコツのつかみ方みたいなのは比較的うまいのかもと思います。

ただ、中には本当にスゴイ人がいたりします。勉強にしても研究にしても大学外での活動にしても世間的に見てもスゴイという…そういう人にたまに出くわすことがあります。感覚値ですが、普通の人が8割、不思議な人が1割、スゴイ人が1割っていう感じです。

しかしながら、よくよく考えると、スゴイ人っていうのも大体いろんな集団に1人とか2人はいたりするものな気がするのでそんなに特殊なことでもないのかもしれませんが…

「東大」というと、(特に地方の方では)身構える人が多いですが、思ったよりもフツーの人が多いですよというのが僕なりの回答です。

ということなので、東大を目指すのもそんなに無茶な話ではないと思います(もちろん、誰も彼もが行くのが良いとは思いませんが…)。

東大受験に当たってはメソッドみたいなものがあって、ドラゴン桜みたいな話は結構当たってると思いますが、そのへんを身につけていけばむちゃくちゃなステップではないと思います。

このへんの話は長くなりそうなのでまた機会があれば。

卒業生と語る会についての報告は今回で最後です!また学びの森に行く機会があればレポートしたいと思います!

2013年4月6日土曜日

苦手教科の勉強についての考え方(「卒業生と語る会」(3月9日開催)での在校生の質問から)

先日(2013年3月9日)の夜に参加した「卒業生と語る会」についての話の続きです。

前回までは、自分と自分の同級生の田部君が話した内容、また、その後にグループで分かれて話をした時に受けた質問を紹介しました。

前回までの記事はこちら↓
田部君のグループの様子
前回は、大学での友達の作り方に関する心配からの質問についての話でしたが、今回は以下の質問について考えてみます。

Q.苦手教科はどうやって勉強したらいいですか?


■苦手教科はどうやって勉強したらいいか
この質問に対しては、「ザイアンス効果」の話をしました。ザイアンス効果とは、接触頻度が高いものに対して好感を持ちやすいという心理的な効果のことです。

苦手教科に対しては、苦手だと思う分、なかなか取り組まないことがあるのではないでしょうか。宿題にしても予習・復習にしても、苦手な教科は後回しにしたり、てげてげにしかやらんかったり、結局やらんかったり…ということがあるかもしれません。

そうすると悪循環です。

苦手と思うから近づかない

近づかないからよく分からなくなる、好きになれなくなる

ますます近づかなくなる

さらに好きになれなくなる…

というループに入ってしまいます。
(このへんは勉強に限らず人間関係でも通じるところがありますが)

だから、1つはとにかく一定期間は、苦手でもなんでも辛抱してでも「やる!」と決めてやり続けることが必要かもしれません。

このあたりは根性論にも聞こえるかもしれませんが、一度「やる!」とセットして、接触頻度を高めることでだんだん好きになれることはあると思います(自分も実際にそういうことはありました)。

その時に大事なのは、いきなり分からないところからやるのではなくて、簡単なところや少しでも自分に分かるところ(=親しみが持てるところ、好きになれそうなところ)から始めるのが大事かなと思います。

ただ、逆に苦手だからこそ頑張らなきゃ!ということで、他の教科よりも勉強している(=接触頻度が高い)にも関わらず、依然として興味・関心が持てないという場合には別の視点が必要かなと思います。

1つの視点としては、自分の話でも紹介したパラダイムがあるかなと思います。例えば、数学が苦手なら、「自分は数学が苦手だ」というパラダイムがどこかでできあがっていると思います。

その背景には、これまでに何か原体験があると思います。中学校に入って数学の点数が下がったとか、親や先生の何気ない一言で苦手意識をもってしまったとか、友達と比較して苦手に感じるとか…

実際にはどういう体験がベースにあるかは分かりませんが、何らかの体験がベースになってそういうパラダイムができていると思うので、それを外したり塗り替えたりすることができればまた違った見方ができると思います。

そこで、自分のこれまでを振り返りつつ、例えば数学が苦手なら、「自分はなぜ数学を苦手と思うっちゃろう…?」と問いかけてみて、掘り下げてみるのも1つの手かと思います。苦手と思っているのはある特定の体験の影響が大きかっただけでパラダイムに過ぎなかったと分かるかもしれません。

他にもいろいろ具体的な手法あるんですが、長くなるのでちょっとまた別の機会があれば整理したり伝えたいと思います。


最後に、いろいろと工夫したりパラダイムを外して考え直したりしてみても、やっぱり苦手は苦手というのも出てくるかもしれません。

人間、向き不向きがあることは事実なので、そういう時は割り切って得意なものに集中するというのも1つの手だと思います。このへんは一律の答ってあんまりないと思うのでケースバイケースですね…




2013年4月4日木曜日

大学での友達の作り方(「卒業生と語る会」(3月9日開催)での在校生の質問から)


先日(2013年3月9日)の夜に参加した「卒業生と語る会」についての話の続きです。

前回と前々回は、自分と自分の同級生の田部君が話した内容を紹介しました。
前回までの記事はこちら↓
2つのグループに分かれて話をしました
今回の記事では、在校生から受けた質問について書いてみたいと思います。その場で答えた内容とおそらく異なってくる部分もあると思いますが、改めて考えてみます。


出た質問は以下のような感じです。

Q.大学に出た先輩で、五ヶ瀬では6年間同じメンバーだったから、大学で友達の作り方が分からなかったという声がありました。どうやったら友達ができますか?

Q.苦手教科はどうやって勉強したらいいですか?

Q.勉強したくないときはどうしたらいいですか?

Q.東大ってどんなところですか?

他にもいくつかあったのですが、話ながらだったので全部覚えられていないのが残念です…次回あったらメモとっておくようにしたいと思います。

今回は、1つ目の大学での友達の作り方についての質問について考えてみます。

■友達の作り方
この質問は結構新鮮でした。自分たちの頃はあんまりこういうことを気にしたことがなかったと思うのですが、そういうことを感じる卒業生が増えてきたということでしょうか。

確かに五ヶ瀬での友達づきあいというのは、6年間40人(または40人弱)でずっと固定された人間関係の中で、学校でも寮でも長時間つきあうという形なので結構特殊だと思います。

もちろんこれには良い面がたくさんあるのですが、その反動として、それと同じ関係を大学以降でも求めようとするとちょっと難しいかもしれません。

五ヶ瀬での関係と同じ密度で友達づきあいをするというのはなかなか難しいと思います。大学でも寮に入ったりしていれば似たような感じになるところもありますが、そうでないともう少し違った形になると思います。

ただ、このへんを踏まえて当日僕が回答したのは、そもそもそんなに友達を無理に作る必要はないっちゃないやろうかという話でした。一生のうちにずっとつき合っていく友達というのは、各場所で数人いれば十分だと思います。

数百人もいたところできちんと関係を築くのは難しいと思います。まずは一人でも良いので話ができる友達を見つけられれば十分だと思いますし、そこからまた広がっていくことがあるでしょうから、頑張って友達を増やそうと肩肘張らなくても良いと思います。

また、仮にもし大学での友達関係がうまくいかなくても、五ヶ瀬で築いた友達関係がありますから、そこをホームグラウンドにするような気持ちでいけば、多少気楽にいっても良いっちゃないかなーと思います。


■「友だちのたくさんいる子供は、いい子供」という幻想
そして、この会に参加した後に読んだ本でちょうど関連する話があったので紹介しておきたいと思います。

小説家の重松清さんが「世紀末の隣人」という本で書かれていることです。この本は、現実に社会で起きた12の事件をとりあげて紹介しているものです。

著者の重松さんは、この本の内容のことを「寄り道・無駄足ノンフィクション」と呼んでいて、社会事件について読み物的に事件の背景や当事者の想いをつづっています。

その中で書かれていた話です。


「ぼくたちは、「友だちのたくさんいる子供は、いい子供」という幻想を刷り込まれている。それはもう世代の問題ではない。
 幼稚園の園庭の光景を思い浮かべてみればいい。園庭の片隅で一人で遊んでいる子供を見つけたら、先生は必ず「こっちに来て、一緒に遊ばない?」と声をかけるだろう。また、「勉強は人並みでいいから、友だちのたくさんいる子になってほしい」という親の言葉を、ぼくたちはしばしば耳にし、もしくは自ら口にしているはずだ。
 『一年生になったら』という歌を、覚えているだろうか。幼稚園の卒園間近によく歌われる歌だ。
一年生になったら友だち百人できるかな-。
 友だちを一人でも多くつくることを、ぼくたちは無意識のうちに強いられているのではないか。
"公園デビュー"というキーワードゆえに、ぼくたちはこれを若い母親だけの問題にしてしまいがちになる。だが、ひとりぼっちを恐れる気持ちは、この時代を生きる誰にでも、ある」(p75-77)

この話を読んで確かになーと一人頷きました。「一年生になったら」にあるように、友だちはたくさんいる方が良いというイメージをなんとなく持っている気がします。

でもよくよく考えると数の問題ではないですよね。正確なところは分かりませんが、質問をしてくれた在校生の頭の中にも、なんとなくこういうイメージがあったのかなとも思います。


ですが、無理に増やそうとすると、どこかで自分にも負荷がかかっていずれ無理がくるように思います。もちろん、人間関係の中では多少我慢したり無理したりっていうことが必要な局面も出てくると思いますが、大学に行く前から心配しすぎなくても大丈夫なんじゃないかな、というか、その方がいいっちゃないかなーと改めて思いました。

しかしこのテーマはなかなか興味深いので、同級生や他の卒業生の方に会った時にどう感じたか聞いてみたいと思います。

今回は以上です。

2013年3月28日木曜日

「卒業生と語る会」(3月9日開催)での話(その2)―パラダイム

先日(2013年3月9日)の夜に参加した「卒業生と語る会」についての話の続きです。

前回は、田部君が話した内容で、学校や寮生活における1人1人の役割についての話を紹介しました。前回の記事はこちら↓


今回の記事では、自分が話した内容を紹介したいと思います。

■パラダイム
「7つの習慣」読んだことある人がいたらどうしよう
と思ってたんですが大丈夫でした
在校生に向けて話をしに行くことが決まった時に、テーマについていろいろと考えてみました。

インターネット、リーダーシップ、グローバル人材、受験勉強、東大、自分の頭で考えるということ…等々、たくさん話したいことが思い浮かびました。

ただ、今回は前期生も後期生も混ざっているということで、できるだけ共通に参考になりそうなトピックを選ぶことにしました。

選んだのは、「パラダイム」についての話です。先日「7つの習慣」という本に関する研修を受けたのですが、その時に学んだことが結構五ヶ瀬の生活でも役立ちそうだなと思ったのでその本の内容を紹介することにしました。

パラダイムとは自分の世界観、価値観、物の見方のことで、ややネガティブな意味では思い込み、色眼鏡、ラベルといった言葉でも表されるものです。

なぜこの話をしたかというと、五ヶ瀬では学校や寮生活において濃密な人間関係の中で過ごすことになりますが、その分、人間関係やコミュニケーションにおける考え方や対処の仕方が重要になってきます。

そこで1つ参考になるのがパラダイムという言葉かなと思って紹介しました。ちょうど一緒に行った田部君とは、6年間のうちほとんどの期間を喧嘩して口をろくに聞かずに過ごしていたのですが、これは自分が「田部はろくでもない奴だ」というパラダイムを持っていてそれに固執していたためでした。

そうすると、その考え方に沿って自分も行動するので、逆に田部君からすると「松本はろくでもない奴だ」とみられるような行動をとってしまうことになり、その結果、お互いに良い関係を築けません。

また、田部君が良い行動をしていたとしても、「ろくでもない奴」というパラダイムに支配されているので、その行動はあまり意識に残りません(無意識に無視してしまいます)。

逆に、悪い行動の方はパラダイムに当てはまるので強く印象に残るので、「やっぱりあいつはろくでもない奴だ」というような感じで、自分のパラダイムが強化されます。こうなるとどんどん悪循環で、悪い方に関係が進んでしまいます。

女性にも老婆にも見える絵で実験したんですが
これは知ってる人が多かったです
そこで一回立ち止まって、自分の見方を疑ってみることで、関係を変えられるのではないかというのが言いたかったことです。

田部君と自分の場合は何が具体的なきっかけだったのかは忘れたのですが、ある時から「田部も結構いいところあるな」「わりといい奴やん」というように見れるようになりました。その後は良好な関係が今に至るまで続いています。

こういうところを踏まえて、「パラダイム」という考え方が、人間関係で何か問題があった時に解決の糸口になるのかなと思って紹介しました。

あと、当日はあまり時間がなくて話せなかったんですが、実は他にも話したいことがありました。が、時間切れでした…

1つ話したかったのは、自分についてもパラダイムを持っている可能性があるということです。例えば、「自分は東大を受験しても受からない」と思っている生徒は少なくないみたいなんですが、これも1つのパラダイムで、実際にはいろいろとやってみたら入れる人は結構いると思います。

自分に対するパラダイムは自分の能力の限界を決めてしまうことにもつながってしまうので、それも意識して外せるようにできると、成長機会を得られて良いのかなとも思っています。

他にも、インサイド・アウトで考えていくと良いですよとかいろいろ話したいことがあったのですが、このあたりについては、また生徒と話す機会があればその時に話してみたいと思います。

ちなみに発表に使ったスライドはこちら↓




2013年3月23日土曜日

「卒業生と語る会」(3月9日開催)での話(その1)―1人1人の役割について

食堂で話をしました
もう先々週になってしまいましたが、先日(2013年3月9日)の夜に、「卒業生と語る会」が開催されて行ってきましたのでその報告です。

卒業生と言っても、自分と同級生の田部君の2人でしたが、寮で在校生に向けて話をしてきました。


会の内容については以下のとおりです(同窓会サイトより転載)。
2013年3月9日(土)「第2回卒業生と語る会」

時刻:19時00分~20時00分を予定
内容:卒業生が3・4・5年生向けに、自由に10分程度話をする。
在校時の思い出や現在の就いている仕事の話(進路に関わること)など、在校生に有益な
内容であればOKです。パワーポイントの使用も可です。
場所:こだま寮
※なお、翌日、フォレストピア学習発表会にも参加してきましたが、その内容はこちら↓


この記事では、卒業生と語る会の方で話した内容について簡単にまとめておこうと思います。
まずは田部君の話から。


■一人一人の役割
田部君が関わって作った
クリアファイルを片手に説明
田部君は、今の仕事でやっていることにからめながら、一人ではできないことをいろんな人の力を借りてどうやって進めていくかということについて話をしていました。

その例として、中高生向けのストレス対処や悩み相談のための活動のPRのために、ティッシュやクリアファイルを作ったりする中で、どのように企画をして、組織内外の人と相談や調整をして進めていくかということが挙げられていました。実務の話がベースになっていて具体的で分かりやすかったです。

話はそこから五ヶ瀬の生活で学んだことともつながっていきました。五ヶ瀬では、6年間というスパンの中で人間関係を築いていくので、その中でそれぞれの人の特徴や強み・弱みが分かってきて、それぞれの役割が大体決まってきます。

ただ、決まってくるとはいっても、6年間の中でそれは変わったりします。その時々の中で、自分の状況や周りとの関係を踏まえながら、果たすべき役割を見つけてやっていくと良いのではという話でした。

※なお、田部君には以前インタビューしていて、その中でも関連する話が出ていました。


この話、自分も同感だなと感じました。そして、これは五ヶ瀬での生活だけでなく、その後の大学や仕事の中でも役立つ視点やなーと思いました。

生徒の中からは、「私にも役割あるかなー?」というような心配も出ていましたが、少なくとも僕は、1人1人に絶対に何か役割や強みがあると思います。

五ヶ瀬は少人数な分、そうした役割を見つけていく上で良い面も悪い面もあると思いますが、できるだけ前向きな方向に目を向けて、小さなことでも良いので役割を見つけてそれに取り組めるとまたさらに学校や寮生活が面白くなるのかなと思いました。

田部君の話については大体以上ですが、意外に長くなってしまったので2回に分けることにします。自分の話は次の記事で!

2013年3月16日土曜日

「フォレストピア学習発表会(ホームカミングデ―)」に参加して来ました

久しぶりの学校
先週の日曜(2013年3月10日)に久しぶりに五ヶ瀬中等教育学校に行って来ました。厳密に言うと、五ヶ瀬には前日に入って、3月9日の夜に寮で在校生に向けて話もしてきました。

その話も別途整理したいと思いますが、この記事ではとりあえず、フォレストピア学習発表会で感じたことをまとめておきます。

会の内容については以下のとおりです(同窓会サイトより転載)。
2013年3月10日(日)「フォレストピア学習発表会(ホームカミングデ―)」
時刻:8時50分~14時30分
内容:在校生がこれまで取り組んできたフォレストピア学習の成果発表会を聞いてもらう。
場所:五ヶ瀬中等教育学校(事務室にて会場の詳細を記した資料を配布します。)
補足:在校生保護者の参観日にもなっています。当日を「ホームカミングデー」と位置づけ、卒業生が年1回五ヶ瀬に戻ってきて顔を合わせる機会にしては、というのが狙いで今回が2回目です。

なお、今回卒業生は、在校生の発表を聞いて質問やアドバイスをする「フォレストピアアドバイザー」という役割を担いました。

在校時と異なり来客者としてこっちの玄関から入りました
自分を含めて6人参加したのですが、コースごとにそれぞれ2名ずつに分かれて、5年生の発表を聞きました。自分は在校時に自分もとった「森林文化」の発表を聞きました。

発表は午前と午後に分かれていて、その間に4年生が体育館でポスターセッションをするという構成になっていました。自分は都合により、午前とポスターセッションのみ参加しましたが、非常に面白かったです。

以下、自分が参加した範囲での話になりますが、感じたことです。


■生徒の発表について
・単なる資料のまとめという発表はなく、必ず自分の足で得た情報や自分なりの気づきがまとめられていて素晴らしいなと思いました。

・基本的にパワーポイントの発表になっていたようで、発表方法の多様性は減った気がしますが、みんな発表の仕方がうまいのにはびっくりしました。パワポのスライドのつくり方から展開の仕方まで自分も見習える部分がありました。

・ポスターセッションで先輩から後輩にアドバイスがあったり、先輩の研究を引き継いで後輩が発展させたりと、縦のつながりが活かせているのは良いと思いました。


■アドバイザーとしての役割について
・内容については、自分が参加したのは森林文化で、林業系や地域関連のものなどが多く、比較的自分もこれまでに学んだことがあったり関心をもっていたりする分野と近くアドバイスできる部分が多かったので良かったなと思いました。

・ただ、卒業生以外のアドバイザーの方もいらっしゃったので、どのくらいコメントすべきかというのは結構迷いました(基本はそちらにお任せすべきなのかな…と思ったりしつつ、結局いろいろコメントしてしまいましたが)。

・また、質問にとどめるべきなのか、アドバイスをするべきなのかは結構迷いました。アドバイスをいろいろしたかったところはあったのですが、最終発表の段階でアドバイスしてもそれを反映するのが難しいと思いますので、内容の修正になるようなことにはあまり踏み込まず、感想ベースのコメントにとどめました。

・このあたりも踏まえ、来年度はもう少し前のタイミングから関われると良いのかもなと思いました(例えば中間発表をしてそこでアドバイスするとか、現地に行かないまでも論文の要旨を作ってもらってレビューするとか)。

・あと、本当は全員にそれぞれコメントしたかったのですが、機器トラブルもあって時間がおしたこともあり、時間の関係上遠慮してしまったので全員にコメントできなかったのが残念でした(休憩時間に個別にフォローしたりはしましたが)。


■発表会の運営について
・Ustream等で配信をして、会場に来れない保護者や卒業生等が見れるようにしたら面白いのではないかと思いました。面白い内容が多かったので、来場できる人だけしか見れないのももったいないなと思いました。

・ポスターセッションは動きがあって面白いやり方だなと思いました。


■その他
・これまでのものも含めて、論文をネット上で参照できるようにしてデータベースを作れると良いのではと思いました。

・同じく、プレゼンテーションも、ネット上で公開して参照できるようにしてはと思いました。SlideShareみたいなスライド共有サイトで共有したら口コミが発生しそうな内容もありました。


廊下に掲示してあった字がめっちゃうまかった
アドバイスにしろ配信とかデータベース作りとかにしろ、もしやるなら卒業生としていろいろ協力できるところもあると思うので、良い形で協力ができるようにしていければなと思いました。

総じて、発表は普通に聞いていて面白く、一緒に行った奥さんも同じく面白かったと言っていました。さすがに横浜から行くのは結構遠かったのですが、いろいろと刺激をもらえ、行って良かったなと思いました。

また来年もタイミングが都合がつけば参加したいなあ…

2013年2月22日金曜日

フォレストピア学びの森学校―「おわりに」


前回に引き続き、「フォレストピア学びの森学校」という手記の掲載です。
(著者は、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「おわりに」という内容で今回で最後です。

開校後四年を迎えた時点での振り返りと今後の展望について述べられています。




<おわりに>

 開校後四年を迎え、一期生として入学した中学生が全員揃って高校に進級した。今春卒業した高校一期生は、三年間の教育機関であったが、伸び伸びと生活している姿に、他の進学校と比較して一部保護者の懸念を呼んだ。しかし、自ら求めて学ぶ態度を身につけた生徒達は、入学時の学力を想像以上に伸ばし、各自の進路目標に向って予想を遥かに越える進学状況を示した。

 指導に当たった若い教師達は、献身的で生徒一人一人の正確まで知り尽くしている。生徒達も、またそれぞれの教師を知り抜いている。こうした集団が都市部から隔離された形の山村で、人生の目標に向って静かに思いを確かめながら生活している姿は、近年あまり見かけない光景であろう。体験学習(課題解決学習)は学習方法、自発的学習態度の定着に効果的であり、強制的に作られる学力より、確かな学力を身につけることを実証してくれた。

 じっくり待つ教育が、知・徳・体三拍子揃った人間としての有能な人材を育成する教育手法の一つであると確信している。



以上です!

2013年2月15日金曜日

フォレストピア学びの森学校―「学校設置にあたって」

前回に引き続き、「フォレストピア学びの森学校」という手記の掲載です。
(著者は、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「学校設置にあたって」という内容です。
(読みやすいように適宜改行を入れています)

学校設置の決断の後に、具体的にどのように設立準備が行なわれて来たかが述べられています。淡々と語られていますが、行間からは前例のない中で新しい学校づくりに向かう中での困難やそれを乗り越える情熱が見えてきます。


<学校設置にあたって>

 学校設置が決定した平成三年(一九九一)三月末教育長を退職したが、「フォレストピア学びの森学校設置検討委員会」が庁内に設けられ、学校建設推進専門員の肩書で前期委員会の会長を命ぜられ、具体的な計画に当たることになった。後任の高山教育長は、次長時代からこの学校建設の経緯を十分理解しておられたので、事は順調に運ぶことができた。

翌平成四年に有識者、PTA関係者を中心にした「フォレストピア学びの森建設構想協議会」に切替えて、学校の基本理念、学校・寮の運営、入学選抜方法、施設・設備等の協議が行われた。その結果、感性と感動と共に野性味豊かな人間の育成、個性を重視した選択科目の導入と指導者の確保、地元中学校との整合性、男女比の問題、寮におけるハウスマスター制の導入の方針が策定された。

その間、県教委では、学校に対するアンケート調査を行い、保護者の期待を裏付ける結果と応募者確保の十分な手ごたえを得ていた。協議の過程では、種々の問題提起があったが、中でも小卒直後の女子を母親の手元から話すことへの不安がかなり強調された。

しかし、現代の女子は男子より自立している者が多く、順応性も高いこと、思春期の心身の変化については、養護教諭、寮母、ハウスマスター(教諭夫婦が専任で寮に常駐)によって、最大限の対応をすることで結着した。今一つは入学定員に占める男女比の問題であったが、議会の意見等を勘案して男子七対女子三に設定された。協議と並行して校地の造成工事に着工した。
(用地買収については、五ヶ瀬町役場の献身的な協力を得たことを付記しておく)

 平成五年四月一日付で「新設県立学校開設準備委員会」が発足、永友忠昭委員長、岩切正憲、木許禧憲、靍田歳明委員の四氏が任命された。

この委員会では、校事、寮における生活時間割を規定、校則を設けず生徒の自立した生活態度を育てること、成績順位を表示せず、生徒の進路目標に対する到達度で評価すること、生涯の指針になることを願って、志・忠・恕・妙・気の五訓を設定、選抜科目、体験学習を主体とした教科・科目の検討、地域の古老・名人による技能の習得、地域家庭へのホームステイによる交流等々きめ細やかな詰めを行う。

何しろ前例のない理想を追っているわけだから、時に行き詰まることが多かったが、そんな時は安酒を汲みながら侃々諤々やったものである。結果的には、その中から意外性のある名案が生まれた。

 平成五年十二月十六日「教育関係の公の施設に関する条例の一部を改正する条例」が議決され、ここに宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校の設置が決定された。平成六年一月一日には初代校長永友、教頭に岩切(高)、木許(中)、事務長靍田の四氏が発令され入学選抜検査、教職員人事案、開校準備等に追われる毎日が続いた。そして、平成六年(一九九四)四月一日開校、同十一日第一回入学式が挙行された。


今回は以上です。

2013年2月8日金曜日

フォレストピア学びの森学校―「松形知事の決断」


前回に引き続き、「フォレストピア学びの森学校」という手記の掲載です。
(著者は、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「松形知事の決断」という内容です。
(読みやすいように適宜改行を入れています)

以前の記事でも書きましたが、学校設置の決断がなされた時の様子がドラマチックに描かれています。この決断がなかったら自分の人生もまた大きく違っただろうなと思うと感慨深いものがあります。



<松形知事の決断>

 折角意気込んで作成した予算要求書は、財政課長査定で没となる。知事に説明だけでもさせて欲しいと強引にねじ込んで、説明することだけは認められた。

県教委の予算説明がすべて終了したところで、番外の形で説明に移ったのだが途中から予算要求に切替えた。当然、財政課長からストップがかかったけれども説明を続けた。

同席している県幹部は、当初予算額は勿論、教職員定数法に県立中学校の規程がないことから、全員高校共有を県単独事業で当てることにしたための人件費及び施設設備を含む後年度負担額、遠隔地で全寮制であることから応募者に自信が持てないなどの理由で賛成してもらえる雰囲気ではない。

半ば諦め、半ば投げ遣りの気持で「県政の柱の一つである『人づくり』は、学校教育が基盤である。二十一世紀に国際社会で活躍する人間は、豊かな人間性と確固たる人生観・人生哲学を持った者でなければならない。そういう人間を育てたい」などと喋っているうちに座が白けてしまった。何の反応も返ってこないので完全に諦めた。

沈黙が続いた後、知事から「その学校の生徒にどんな人間像を期待していますか」と質問があった。

すでに言いたいことは言い尽くしたつもりでいたから、これ以上何も言うことはない。仕方がないから「宮崎県は神代の昔、日向(ひむか)の国と言った」と切り出したら、幹部の何人かが閉じていた目をぱっと開いて私を見た。

構わず続けることにして「後の神武天皇は、この地から東征されて、わが国の基を築かれたと言う言い伝えがある。幼少の頃から神武天皇を育んだのは我々の祖先であり、その子孫が今の子ども達である。そこで二十一世紀中に、この学校の卒業生の中から、一人で良いから第二の神武天皇を世に送り出したい」とやってしまった。

並居る幹部の諸氏は無表情のままであったが、県教委の職員は、これで一巻の終りと思ったという。私もつまらぬことを言い過ぎたと後悔した。これで夢は消えたと観念した。

ところが沈思黙考されていた知事が、いきなり「児玉さん、やろうよ!」と決断を下された。



今回は以上です。

2013年2月1日金曜日

フォレストピア学びの森学校―「五ヶ瀬中学校・高等学校設置の経緯」

前回に引き続き、「フォレストピア学びの森学校」という手記の掲載です。
(著者は、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生です)

前回の記事はこちら↓
今回は、「五ヶ瀬中学校・高等学校設置の経緯」という内容です。現行法規の壁にぶつかる中、学校設置に向けてどのように進めていったかといった舞台裏の話が描かれています。
(読みやすいように適宜改行を入れています)



<五ヶ瀬中学校・高等学校設置の経緯>

 以上述べてきた考えを実現しようと模索し始めたのは、学校教育課長時代(昭五八)である。県立中学校を新設して既存の高校に付属させる方法や過疎地の廃校を活用して、中学二年から五ヶ年間の全寮制の学校を構想したり、多角的に検討したのだが、肝心なところで現行法規の壁に阻まれて行き詰まっていた。

 ところが、一九八五年(昭六〇)に臨時教育審議会が発足し、その審議の過程で六年生中等学校の構想があるという情報を得た。ただ問題は、肝心の普通科が入っていないということであった。この時期、定例の全国教育長協議会教育課程部会に代理出席したのを幸い、六年制中等学校構想の中に、普通科を入れて欲しいと強く要望した。

 その後発表された第一次答申には、六年制中等学校で予想される教育の類型として、直接普通科を単独で表示した者はなかったが、提示された五類型の中に「普通教育と専門教育の二元的考え方を柔軟にする」という項目が入っていた。

 元来受験教育に偏重した普通科を考えていたわけではなく、知・徳・体バランスのとれた有能な人材の育成を考えていたのであるから、この文言は思惑を裏切るものではなかった。後は可及的速やかに、これが法制化されることを念願した。

 さて、問題は、新しい考え方に基づく学校を設置した場合の、社会一般の受けとめ方である。世はまさに受験に対する対処の仕方で、学校を評価する風潮下にある。従って、新設校を社会に認識させるには、相当の努力が必要であることを十分承知しているだけに、設置後の学校経営には、正直言って多少の不安を抱いていた。

 しかし、六年間継続して教育できる学校では、中学時代に受験に追い立てられる学校の生徒達より、人間的には勿論、知的学力の習得においても、優れた教育効果を発揮できると考えていた。

 一九八八年(昭六三)に教育長に就任して、文科系の能力に優れた生徒のために、これもかねてから検討していた現文科情報科の設置と並行して、中・高一貫教育学校について、具体化の検討を学校教育課に指示した。時の宮路課長、笹山高校教育係長を中心に精力的な作業に入った。

 丁度この時期、宮崎県では、県北西部山間地帯(五ヶ町村)に「人間性回復の森」として山村の有効利用を理念とするフォレストピア構想が策定された。この構想の中に「学びの森」ゾーンが位置づけられ、林務部から全国に向けた少年自然の家を想定した施設の相談を受けた。

 しかし、既設の類似施設との関係で、有効利用の目途が立たないとしてこれを断った。最終的には「学びの森」の施設については、県教委に一任するということになった。そこでこのゾーンの中核施設として、中・高一貫教育の学校を設置し、森林とその空間を媒体とした教育を展開したい旨回答した。時の四位林務部長・谷フォレストピア対策監(後の林業総合センター所長)の了承を得ると共に、林務部として協力することを約束していただいた。

 いよいよ構想の実現に向けて文部省との予備折衝に入ったが、時期が悪かった。その頃大都市を中心に、中・高一貫教育を先取りした私立学校が、小学校に深刻な受験競争をもたらし、これが大きな社会問題になっていたのである。

 当方としては、学力検査は行わず校長の推せん調書、実技、面接等で選考することを説明し、従って小学校に受験競争を引き起こす心配はないこと、更には、六年間の修行機関に、個性の発見と創造性を育てる教育の内容を提示して説明するのだが、頑なに容認できないという態度であった。

 ここまでくると県単独事業でやる以外にないと肚をくくらざるを得なかった。ところが、世の中どこに救いの神がいるかわからない。当時フォレストピア構想の理論背景を構築し研究していたのは、東京に事務所を置く「森とむらの会」である。

 会長は高木文雄氏(元大蔵事務次官、後の国鉄総裁)であり、松形知事が顧問をされていた。その会合で、フォレストピア圏域に設置を考えている中・高一貫教育を目指す学びの森学校(仮称)の構想について話す機会があった。その中で文部省との折衝が難航していることも率直に話をした。強い関心を示された高木会長が自ら進んで文部省に働きかけることを約束され、その後事態は急速に進展して、現行法規の範囲で支援するということになったのである。



今回は以上です。

2013年1月24日木曜日

フォレストピア学びの森学校―「はじめに」

前回まで、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生が書かれた「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記を掲載しました。

記事の一覧はこちら↓
児玉先生からは、上記の他にも資料を頂いていました。
今回の記事から、その1つである「フォレストピア学びの森学校」という記事を掲載していきます。

まず最初に「はじめに」という内容です。こちらは前回の手記と同じく、時代背景を踏まえた上で、中学校・高校が抱える課題について書かれています。

特に、「じっくり待つ」教育というのが1つのキーワードになっています。




はじめに

 終戦後の教育改革で試行された六・三・三制の教育制度は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、相当の役割を果たしたという評価を受けている。しかし一方では、二十一世紀に向けて、時代が要請する「個性を重視した創造性豊かな人間の育成」には、この制度の不備を指摘する声も聞かれるようになった。その一つが、中学生の殆どが高校に進学する時代を迎えているにもかかわらず、中等教育を三年で分断し、その上高校への受験勉強に追い立てられている実態に対してである。これで果して優れた人間性を持ち、個性豊かで、創造的発想に富んだ人間の教育が可能かという懸念である。
 
 人生の中で極め得て重要なこの時期には、むしろ、じっくりと腰を落着けて、生徒自身の内面的な成長を待ち、自立して行動する態度を養成することが人間的成長と共に、真の学問に対する考え方を育成することにつながると考える。しかし、この主張は、高学歴志向の受験勉強社会では、簡単に容認されるとは考えにくい。学校でも先ず教師の発想の転換が必要だし、同時に相当の時間的余裕の確保が前提となるなど、可成り困難な条件を克服しなければならない。しかしながら、これからの青少年の教育を考える時、困難はあっても生徒の自立を「じっくり待つ」教育は、今日、教育する側に求められる必要な態度だと思うようになっていた。

 さて、具体的な課題として、「じっくり待つ」だけの時間的余裕が、現行学習指導要領の中で作れるかということである。種々検討の課程で、現在の中学・高校を接続して、教育内容を整理統合した場合に、各教科科目の必要時数を試算した結果、中一から高三にかけて、一~一年半の余裕が生まれることがわかった。次の問題は、この余剰時間の活用の仕方である。受験勉強のためにのみ利用したのでは、自立した学習態度の要請につながりにくい。そこで考え出したのが、実験・実習(体験)を主体としたプロジェクト学習である。これは、自然界や社会科学の分野で、体験的に課題を発見し、それを解決していく学習方法であるが、生徒たちは、研究の過程で新しい自己の能力・適性の発見と共に、創造的思考の育成を含め、課題解決の手法を体得することになると考えた。要するに、中等教育を三年で分割するのではなく、六年間継続することによって、この時期に必要な自己形成と学力の基礎を、じっくりゆとりを持って、教育できる制度を設けることが必要だと考えた。




今回は以上です。

2013年1月13日日曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「学校における教育」

前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「学校における教育」についてです。
フォレストピアという総合学習の前身のような独自の授業についてや
教科指導について書かれています。


<学校における教育>

個性を重視する教育を主眼とする当校は、2年で3群、3年で11群の選択科目に加えて、新科目として中学校では、「フォレストピアⅠ」「地域基礎A・B」、高校では「フォレストピアⅡ」「天文観察」「森林文化」「環境科学」の4科目が用意され、実験・実習を主体とした学習を展開している。

この科目は、学習の過程で発券した課題を研究して、学年末の発表会で披露する仕組にしてある。生徒たちは各自専門書を読み、大学や全国の研究機関、団体等に文献を依頼して、まとめた結果を発表するのだが、その内容は、創造的でかなりレベルの高いものである。こうして、体験的に課題解決の手法を身につけ、その過程で何事にも意欲的に取組む態度が育っているのも事実である。

教科指導では、県内ほぼ全域からの入学生の、学力差に対応しなければならない。従って、学力別学級編制と共に個別指導に力を入れ、寮における指導もここに重点が置かれる。その結果、1年後には、各自入学時に比して想像以上に学力は伸びている。



本手記は以上です!
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」が伝わってくる内容でした。

次回以降はまた別の手記を掲載していきます。

2013年1月11日金曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「入学者選抜」


前回に続き、


「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「入学者選抜」についてです。





<入学者選抜>

開校時から現在まで、定員40名に対する応募者の倍率は、10倍前後で推移しているが、選抜には学力検査を課さない。小学生がもっているその時点での知的学力よりも、入学後6年間に要請される学力の方を重視していることと、将来の社会生活に適応する個性を重視した教育を志向しているからである。

勿論寮生活に耐え得る資質も考慮して、小学校長の「推せん調書」「面接」「集団・個人実技」により、自立心、積極性、協調性等を見極め、定員の1.5~1.7倍を一次合格者として、抽せんによって40名を決定する方法を採っている。




今回は以上です。

2013年1月9日水曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「寮生活」

前回に続き、


「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら↓
今回は、「寮生活」という内容です。
寮生活の様子、子の親ばなれ、親の子ばなれ等について書かれています。




<寮生活>


寮には、生活時間割以外に規則は無い。自立を求める場に規制は不要だという考え方である。自由に行動してよいのだが、集団生活を見出す行為は、生徒自らが自戒していて、三年を経た今、特に取り上げる問題点はない。

入寮当初目につくことは、それぞれの家庭の生活態度が伺えることである。それが融合し、彼等の新しい生活様式が確立されるのは、大体一学期も終る頃である。当初のリーダーは女子であり、ようやく男子がリーダーシップを発揮するようになるのもこの頃からである。

入寮後淋しさに泣く子も、男女比で見ると、大体男子5に対して女子3の割合であり、ここに少子家庭における特に男の子に対する過保護を思わせるものがある。ただ、この寮では、たとえ泣く子がいても教師は一切口出しをしないことにしてある。

「元気を出さないか」「もう小学生ではないんだぞ」などと、つまらぬことは言わない。生徒たちが涙を拭い自ら立ち上がるまで見守りながら、じっくり待つというのが先に述べた「待つ教育」の一つであり、自立を待つ寮教育の柱をなすものである。

ここで問題は、親の子ばなれがむつかしいことである。子の親ばなれは入寮後3か月位で達成されるが、親はわが子中心のエゴを引きずっていて、子どもの成長を阻害する要因になっている例がある。なお、家庭から切り離したことで、救われた生徒が数人いることは付記しておきたい。



今回は以上です。

2013年1月7日月曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「学校設置にあたって」


前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「学校設置にあたって」という内容です。
前回の松形知事の決断を経て学校設置の決定後、
設置に当たっての具体的な検討過程が描かれています。





<学校設置にあたって>

学校設置が決定した平成2年(1990)に、「学びの森学校(仮称)」設置検討委員会が発足、翌年に有識者、PTA関係者を加えた構想協議会に切替えて、基本理念、学校・寮の運営、入学選抜方法、施設・設備等の協議が行われた。

その結果、感性と感動を身につけた野性味豊かな人間の育成、個性を重視した選択科目と指導者の確保、地元中学校との整合性、学力試験を課さない選抜のあり方、男女比の問題、寮におけるハウスマスター制の導入等の方針が策定された。

その間、県教委ではこの学校に対するアンケート調査を行い、県民の期待を裏づける結果と応募者確保の十分な手ごたえを得ていた。協議中、種々の問題指摘があったが、中でも小卒直後の女子を、母親から話して生活させることへの不安が、かなり協議の中心になった。

しかし、現代の女子は男子よりむしろ積極性があり、自立している者が多いこと、思春期の身体的変化については、養護教諭、寮母、ハウスマスター(教諭夫婦が専任で寮に常駐)によって、最大限の努力をすることで結着した。

今一つは、入学定員に占める男女比の問題であったが、委員や県議会の思惑もあって、男子7対女子3に設定されたが、現実には男子とほぼ同数の応募者があることから現状は6対4の割合で推移している。




今回は以上です。

2013年1月6日日曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「松形知事の決断」


前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「松形知事の決断」という内容です。
前回に引き続き、五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られていますが
設立の検討の様子がドラマチックに描かれています。




<松形知事の決断>

折角意気込んで作成した予算案は、財政課長査定で没になる。知事に話だけでもさせて欲しいとねじ込んで、強引に知事査定の場で説明だけすることを許された。県教委の予算査定を終了した所で、説明に移ったのだが途中から意図的に予算要求に切替えた。

当然財政課長からストップがかかったけれども、無視して説明を続けた。同席している知事部局幹部も、当初予算額は勿論、後年度負担額と遠隔地で全寮制であることから、応募者に自信がもてないなどの理由で反対である。

半ばあきらめ、半ば投げ遣り状態で、県政の柱の一つである「人づくり」は、学校教育が基本になる、国際社会で活躍する人間は、豊かな人間性としっかりした人生観をもった者でなければならないなど……。

ようやく座が白けたと気付いた時はすでに遅かった。完全に諦めてしまった所に、知事から「どんな人を育てるつもりか?」と下問があった。既に、言いたいことは言い尽くしていたので、これ以上何も言うことはない。期待している生徒像も説明ずみである。その間、知事は提案について種々考えをめぐらし、説明の全部を聞いていなかったのだと後で思ったのだが。

仕方がないから宮崎県は神代の昔、日向(ひむか)の国と言った。後の神武天皇は、此の地から東征されて、わが国の体制を築かれたという言い伝えがある。そこで、21世紀中に卒業生の中から、一人で良いから第二の神武天皇を世に送り出したいと言ってしまった。

並居る県幹部も県教委の職員も、これで一巻の終りと思ったという。私もつまらぬことを言い過ぎた。遂に夢は消えたと思った。しかし、次の瞬間「児玉さん、やろうよ!」と知事の目が輝いた。

やっと陽の目を見た思いで、国との折衝に入ったのだが時機が悪かった。既に、中・高一貫教育を取り入れていた私学に、受験競争の低年令化が生じ、これが社会問題に発展していたのである。

加えて、法的根拠を欠く計画であることから、理解はおろか全く問題にされなかったのだが、一部若手関係者からは陰ながら支援を受けたけれども、結局は中学校に属する施設・設備、教員等はすべて県単独事業にならざるをえなかった。

幸いしたのは、知事がこの事業に積極的に打込んでくれたことである。後に国も研究開発校に指定して、現行法規の枠内での配慮をしてくれるようになった。




今回は以上です。

2013年1月5日土曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」

前回に続き、

「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。
(著者は五ヶ瀬中等教育学校の設立に携わった故児玉郁夫先生です)

前回までの記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)
今回は、「五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え」という内容です。
五ヶ瀬中学校・高等学校設立の舞台裏が語られています。



<五ヶ瀬中学校・高等学校の芽生え>

以上述べてきた考えを実現しようと模索し始めたのは、学校教育課長時代(1983)である。県立中学校を新設して、既存の高校に付属させる方法を始め多角的に検討したのだが、常に肝心な所で、現行法規の壁に阻まれて行き詰っていた。

ところが、1985年に臨時教育審議会が発表した一次答申の中で、6年生中等学校の設置に言及した部分があり、中・高一貫教育に一つの光明を見出した。その後(1987)宮崎県では、県北西部山間地帯(五ヶ瀬村)に「人間性回復の森」として、山村の有効利用を理念とするフォレストピア構想が策定された。

この構想の中に「学びの森」ゾーンが位置づけられ、林務部から全国に向けた少年自然の家を想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の想定した施設の相談を受けた。しかし、既存の施設との関係で、有効利用の目途が立たないとしてこれを拒否した。

最後には、教育長に一任するということにまでなってしまった。臨時教育審議会の一次答申に力を得ていた後でもあり、即座に中・高一貫教育の学校を設け、森林とその空間を媒体とした教育を展開したい旨口頭で回答した。林務部がこれを了承したので、直ちに新年度の予算要求に踏切った。




今回は以上です。

2013年1月4日金曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「中学・高校の一貫教育への期待」


前回に続き、
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記の掲載です。

前回の記事はこちら(この手記の詳細については以下の記事を参照してください)


今回は、「中学・高校の一貫教育への期待」という内容です。これからの教育のあり方として、「押しつけの教育」ではなく「じっくり待つ教育」への転換が必要であり、そのために中高一貫にして「ゆとり」を生み出すことが提唱されています。


<中学・高校の一貫教育への期待>


多感な少年期から青年期にかけて、年令相応の倫理観を培い、お互いが切磋琢磨し、自己啓発と同時に人生観の芽を育むこと、強制されてではなく、自らやる気になって学ぶ態度を養うこと、更には、体験的な知識・技能の習得を通して創造性を養うことなど、今の中等教育が見失っている部分に挑戦する所に、問題解決の糸口があると考えている。

そして、これらを期待する教育の在り方としては「押しつけの教育」ではなく、相手がその気を起こすまで「じっくり待つ教育」への転換が必要だと思っている。

しかし、それにはかなりの時間的余裕を要するわけだが、中学・高校の教育内容を整理統合して接続することによって1年から1年半の余裕時間が生み出せると試算している。そしてこれを6年間に割り振れば、全体として「ゆとり」のある教育を可能にする。

かつての旧制中学校は5年制であった。旧制中学時代、最も悪童ぶりを発揮したり、逆に、興味・関心のある教科や技能を、自分なりに徹底して追究したり、文学書に耽溺し、哲学的思索に耽ったのは、第3学年であったと記憶する。この学年は学校の雰囲気にも慣れ、進学にはまだ間のある学年であって、5年間で最も弛んだ学年であった。今に思えば、この時期を経験したことが、後の人生にかなりの影響を受けたと思っている。

それに比して現今の中学生、高校生は、それぞれの受験が重くのしかかった6年間を過ごしているわけである。常に何者かに急き立てられながら生活した者に、個性豊かな、創造的発想をもった人間を期待するのは無理である。余裕をもって、生徒の内面的な成長を待ち、生徒自身を自立した健全な体質に変える努力を怠ってはならない。

学習指導面から言えば、受験のための「詰込み教育」が問題である。強制的に詰込まれる側には、限界を超えるものが出てくる。知能を磨くにしても、受動的にではなく能動的にじっくり磨き上げることが大切である。と同時に個々の学力差に応じた教育が必要であると考えている。

「差別」という概念ではなく、特定の期間に獲得できる知的学力には、明らかに個人差があるという実態に立っての考え方である。学力別学級編制のほかに、個別のカリキュラムの導入や個性に応じた選択教科・科目の開発・導入が考えられなければならない。

21世紀を目前にして、現行の教育制度だけでは、現代から未来にかけての少年達を満足させることも、時代の期待する人材の育成も困難であると言わざるをえない。




今回は以上です。

2013年1月3日木曜日

宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い―「はじめに」

新年あけましておめでとうございます!

新年明けてすぐの1月2日に、「五ヶ瀬中等教育学校卒業生と語る会」を開催しました(趣旨はこちら)。あまり時間が無い中での企画・呼びかけでしたが、卒業生、在校生や保護者の方を含めて全部で20名強のにぎやかな会となりました。

この会については、また別途報告をしていきたいと思いますが、この記事では、新年明けて一発目ということで、改めて五ヶ瀬中等教育学校の設立理念、趣旨についてとりあげてみたいと思います。

具体的には
「宮崎県立五ヶ瀬中学校・高等学校(6年一貫教育)にかける思い」
という手記を何回かに分けて掲載していきます。

この手記は、五ヶ瀬中学校・高等学校の設立に深くかかわり、宮崎県の教育長も務められた児玉郁夫先生が書かれたものです。

この手記を含め、いくつかの資料が今自分の手元にあるのですが、これらは五ヶ瀬中等教育学校の設立10周年か何かの集まりで児玉先生にお会いしてお話した後に、お手数をおかけして送って頂いたものです。

大変残念なことに、昨年児玉先生は亡くなられました。頂いた資料をデジタル化して公開することについては生前ご許可を頂いていたのですが、実際に書き起こしに取り組むと資料の内容以外にも色々とお聞きしたいことが出てきました。また、今回書き起こす資料自体も途中までになっており、続きを頂けるようにお願いすれば良かったと今さらながら気づきました。

自分が書き起こしをするのが遅れ、そういう機会を作れないままだったのが悔いが残ります…こういうことは早く取り組んでいかないといかんですね…

ただ、過ぎ去ってしまったことを悔いても元に戻るわけではないので、資料の内容だけでも広く参照できるようにこちらに掲載し、先生の想いを引き継いでいく1つの足がかりにできればと思います。

今回の記事から、節ごとに掲載していきます。なお、原文は原稿用紙に一続きで書いてありますが、書き起こしに当たって読みやすいように適宜改行を入れています。

まず最初に「はじめに」という内容です。時代背景を踏まえた上で、中学校・高校が抱える課題について書かれています。



<はじめに>
現在の6・3・3制の教育制度は、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、相当の役割を果たしたという評価がある一方、時代の進展に対応し得ない一面も生じている。

その一つは、中卒者の高校進学率が95%前後になって、中学校には、当人の意思に関係なく、進学を余儀なくされる生徒たちと、進学校への受験競争の中に置かれる矛盾した集団が存在すること、他方その延長線上の高校でも、進路意識、学習意欲の希薄な生徒と、大学進学に狂奔する異質の集団を抱えて、呻吟しているのが現実である。

この点だけを取り上げてみても、今の中学、高校には、根本的な対策が求められる。しかも、高校進学者の殆んどは、3年後には大学その他の受験を控える。つまり、中学、高校の教育は、何らかの受験によって、3年毎に分断される6年間であるわけである。中等教育の目標である人間形成の基礎教育から、極端に言えば受験のための準備教育に収斂されてしまっていると言ってよい。

今日、中・高校が抱えるさまざまの社会問題は、これらが要因の一つをなしていると見ることができる。



今回は以上です。