2012年12月24日月曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生と在校生や保護者の方で話をする会を開催しようと考えています


せっかく帰省するので、五ヶ瀬中等教育学校の在校生や保護者の方々と卒業生が語る場を設けられればと考えています。

1) 日時
  1月2日、14時-16時(予定)

2) 場所
  宮崎市内(具体的な場所は参加者に別途連絡します)

3) 対象
  主に五ヶ瀬中等教育学校卒業生、在校生、保護者の方々

4) 内容
  五ヶ瀬中等教育学校で経験したことや卒業後にどういったことを行っているか等について
  卒業生から話をしたり、質問を受け付けたり等を想定しています。
  (頂いた要望等をふまえて適宜内容は調整します)

5) 連絡窓口
  松本暁義(五ヶ瀬中等教育学校中等2期卒業生)

初めての企画なのでどのくらい集まるかわかりませんが、参加できる/希望の方はこちらから申し込みをお願いしますー。

取り急ぎ。

2012年12月1日土曜日

五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - Rさん(4) - 仕事で楽しいことや大変なこと、 五ヶ瀬で得たもの

今回は、事情により匿名ですが、メーカーでカメラに関する仕事をしている方のインタビューです(仮にRさんと呼ぶことにします)。

前回までの記事はこちら↓



以下インタビューです。
今回で最後です。仕事と五ヶ瀬中等教育学校時代から得たものについての話です。




―仕事をやっててどういう時が面白いですか?

泥臭くないことをやってる時ですかね。発売が近づくと、だんだん泥臭くなってくるんですよ。

どうしてもなんか不具合が起こって対処しなくちゃならなかったりとか…「どうしようか」っていう話になって、「ちょっとここを削ってみようか」とか「潤滑剤を塗ってみようか」とか。


―楽しいのはどういう時ですか?

最初の構想段階のところかな。どんなカメラ作ろうかな…とか。


―それって、商品コンセプトみたいなものが先にあって作っていくんですか?それともフリーハンドで考えられるんですか?

両方かな。同時並行的な感じです。

「うちはこういうことができますよ」っていう話をして、企画の方は「じゃあこういう製品にしましょうか」っていう話をしてやりとりしながら決まっていきます。

企画のところの夢を語れるところが良いですね…一番無責任なところですが(笑)

完成に近づくにしたがって、部品が届かないとか、税関で止まってるから電話かけるとか、大変になってきますから。


―大変なのはそういう詰めの時ですか?

詰めもそうですが、金型を作る時も大変ですね。一回金型を作っちゃうと変えられないので、設計的にも完成度を上げないといけないから神経を使います。そこから段々泥臭くなってきますからね。

全部製品の発売に乗っかっているので、発売までで一区切りですね。


―最後に、五ヶ瀬で得たものや学んだことで仕事に役に立ってることってありますか?

奉仕の心が培われたとか、栄光のエコーとか…(笑)

まあそれは結構難しいですね。コレって言えるようなもんでもないですし。


―今までに聞いた人だと、コミュニケーションとか、フォレストピア研究の話とかの話はありましたが、そのあたりはどうですか?

確かにそうですね。見聞は広がりましたね。世のなかには色んなものがあるっていう。街中で住んでるだけじゃ分からないことも知ったし、視野が広がったかなと思います。

あと、話のネタにもなりますしね。ヤギ飼ってたとか…(笑)


―ヤギ好きでしたもんね(笑)ヤギの話でオチがついたところで、今日はこのくらいで。ありがとうございました!




    以上です!


    2012年11月28日水曜日

    五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - Rさん(3) - 仕事についてさらに詳しく

    今回は、事情により匿名ですが、メーカーでカメラに関する仕事をしている方のインタビューです(仮にRさんと呼ぶことにします)。

    前回までの記事はこちら↓


    以下インタビューです。
    今回は、仕事についてさらに詳しく聞いていきます。



    ―そういえば海外にも行ってませんでした?

    アジアがほとんどです。ヨーロッパも行きたいんですが(笑)


    ―出張の期間はどのくらいですか?

    まちまちですが、長い時は2-3週間くらいですね。


    ―行って何するんですか?

    ゆっくりしたり、観光したり…ってのは冗談ですが(笑)


    ―カメラの設計の仕事としては何をするんですか?

    なんでしょうね、設計者の立場として、まずはモノがちゃんと設計通りにできてるか確認したりとか。


    ―設計しちゃったら後は作るだけのような気がするんですが、設計者の人が行く意味はどういうところにあるんですか?

    作るだけじゃないんですよー…(笑)使ってる寸法って、モノによってはミクロンだったりするんですよ。1000分の1ミリ。

    それで、こっちが「このとおりに作ってください」って言っても、大体そのとおりにあがってくることって少ないんですよ。寸法がおかしいとか…そういうところをチェックします。

    ただ、それはもうしょうがないんですけどね。作ってもらおうとしているものが、結構大変なものですし。


    ―設計したモノがずれた時はどうするんですか?

    直してもらうか、それで大丈夫かどうかを確認します。ダメだったら作り直し。作り直しがきかない場合は別の手立てを考えたり。例えば他の部品を使うとかです。


    ―そのへんのやりとりは何語でやるんですか?

    英語かな。アジアの英語はなまってますが(笑)


    ―海外の人とコミュニケーションとる時に何か問題はない?

    うーん…特にないですね。モノがありますから。製品だったら製品があるから、それを見ながら話せば身振り手振りでも何とかなりますよ。

    通じないのも結構楽しいですからね。なんとか頑張って通じさせるようにする時とか。





      今回は以上です!次の記事はこちら↓



      2012年11月25日日曜日

      五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - Rさん(2) - 仕事の話の続き

      今回は、事情により匿名ですが、メーカーでカメラに関する仕事をしている方のインタビューです(仮にRさんと呼ぶことにします)。

      前回までの記事はこちら↓


      以下インタビューです。
      今回は、仕事の話の続きです。



      ―配属されてからは何をするんですか?放り込まれて最初からいきなり設計とかはさすがに難しいと思うのですが…

      製品の設計はあんまりしないんですが、課題研修みたいなのがありました。なんかテーマ決めて実際にやっていくっていう…

      例えば、カメラを上にのっける台とかもやってました。三脚とかの上にのっけるときに動くようになってるやつです。


      ―実際の製品開発と結びついた課題が多いですか?

      そういうのもあるし、別に全然関係なくても構いません。自分で決める場合もあるし、相談して決めるのもありますし。


      ―面倒みてくれる先輩がいて、その人と一緒にやってく感じでしょうか?

      はい。実際のツールの使い方とかもその先輩に教えてもらったりとかですね。


      ―制度的な研修っていうよりかは徒弟制みたいな感じですね。

      そんな感じですね。一応集合研修みたいなのはありますが。


      ―業務としては何をやってたんですか?

      研修は合間合間にやってる感じで、業務としては、評価やジグの設計かな。


      ―ジグというのは何ですか?

      「ジグ」っていうのはなんかいろいろ固定するものみたいな感じです。いろんなのがあるんですが…

      例えば、製品の性能とかを何か評価をしようと思う時に、測定する機械に製品を取りつけるためのアダプターみたいなものです。

      その他には評価とか…落としても壊れないかとか耐久性とか。そのあたりの仕事が半年くらいで終わって、その後は製品の設計とかですね。


      ―それはずっとカメラに関することなんですか?

      はい。


      ―設計に関わったカメラとかもう世に出てきたりするんですか?

      そうですね。



        今回は以上です!
        次の記事はこちら↓



        2012年11月23日金曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - Rさん(1) - 仕事と研修の話

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第7弾!

        今回は、事情により匿名ですが、メーカーでカメラに関する仕事をしている方のインタビューです(仮にRさんと呼ぶことにします)。

        以下インタビューです。
        今回は、今やっていることについての話が中心です。


        ―今どういう仕事をしてるんですか?

        今?フリーターです(笑)
        …っていうのは冗談で、一応カメラの設計です。入ってからずっと一緒ですね。


        ―カメラの設計って具体的には何をするんですか?

        形を作ったりとか…


        ―新しい製品を作る時に、1つの製品ごとに分担して部品ごとに設計する感じでしょうか?

        そうですね。今やってるのは外装の部分。形はデザイナーがやるから、それに則って実際に設計図を作ったりとかです。


        ―高校の時からずっとカメラ好きでしたもんね。そのまんまいった感じですね。カメラは希望していたんですか?

        はい。


        ―入ってからはどういうステップで進んできたんですか?

        今入って5年目。院を卒業してからいきなり配属です。全体研修はありましたが、1-2週間くらいですね。



        今回は以上です!
        次の記事はこちら↓

        2012年10月22日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(7) - 大学受験と新聞奨学生

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
        2001年卒業生の池野将史さんの第7回です。

        いよいよ今回で最後です。
        今回は、大学受験や大学進学後の新聞奨学生時代、そして学習についてです。

        以下インタビューです。


        若干眠そうに写っている池野さん
        ―卒業後はどういう方向に進もうと思ってたの?

        中3の時に割と絵を描くのが好きだった。
        でも、うちからだと美大に行くのは割と難しいぞみたいなのがあった。

        とりあえず美術は好きだったんだけど、バランスが悪くて。美術が好きで、日本史も好きだった。日本史は割と得意で、あと数学は好きだった。でも、物理とか化学とかはすごい嫌いだった。あとは国語は現代文のみは好きだった。

        それで、何かねえかなって思って…。
        建築は工学部の中でも人文寄りなんだよ。歴史も好きじゃないとダメだし。

        あ、建築って理系からでも行けんじゃんって思って、だから俺理系のクラスに居たんだよね。本当は得意科目から言ったら文系だったんだけど、建築だったら理系かなって思ってとりあえず理系に居た。

        でもやっぱ学習は放棄してて真面目にやらなかったんだけど。


        ―それは先生とかに怒られはしなかったの?

        したけど、まあ良いかみたいな(笑)。とことん面倒くさがりだからさ。

        で、金銭的な問題で、国立に落ちたら大学に行けないみたいなのがあった。最終的には私立に行ったんだけど。

        最初は、一回働いてから大学行こうと思ったんだよ。それで自衛隊を受けたんだよ。航空自衛隊で、曹候補学生っていうのがあって、教育期間が2年間あった。

        高校から行ける防衛大学の次のエリートコースみたいなのがあって、そこに一応通ってたんだけど、なんかどうもみんな学生になるらしいから、俺も学生になりてえなって思って…。


        ―流されてるなー(笑)。

        でもそれをセンター試験終わってから思ったんだよ。


        ―遅ー(笑)。

        だから出願も間に合わないじゃん。そんなに取れなかったけど、でも一応国立は受けれるぞっていうことで一応出願したんだけど落ちちゃったんだよ。

        大学受験しに行った後は手応えがあったんだけど。それで、終わった後にスナックのお店の人と仲良くなって、「また来ます」みたいなことを言ってたら落ちた(笑)。

        あ、マジかーと思って、そのセンター試験の点数を持ってとりあえず間に合うところに色々出願した。受けに行かずにとりあえず出願したなー。時間も勿体無いし。

        そこでいくつかひっかかってたのがあって、受かった中で新聞奨学生が適用になる学校で最終的に残ったところに行った。


        ―消去法か(笑)。そういえば新聞奨学生やってたよね。

        横須賀に3年住み込みで働きながら学校に行って、最後の1年は就活もあるし、卒業設計も建築は結構大変なこともあって、ちょっと続けるのは難しいなと思って、出て、日雇いのバイトとかで食い繋ぎながら卒業して、今に至るみたいな。

        最後の1年は横浜の屏風浦っていうところに住んでた。


        ―よくでも新聞奨学生やったよねー。大変じゃなかった?

        めちゃくちゃ大変だったよ。その大変さを知ってたら俺絶対やってない(笑)。面倒くさがりだから。
        その時はあと1年浪人する方が面倒くさいと思って、そうした。

        寝坊しまくりだったけどね(笑)。だいぶ遅れた時あったけどね。新聞まだ来てねえじゃんみたいな。
        でも原田君も言ってたけど、もっとちゃんと学習すれば良かったと思う。


        ―どういうところでそう思う?

        うーん、なんか、いろいろと成熟しないまま18を迎えたなっていうのがあって。
        割とこう、場当たりで生きてきたみたいな。


        ―別にいんじゃない。18で成熟せんやろー。

        なんかこう、もう少し下地と言うか。割とこう、勘で話してる部分っていうのがあって、裏付けが無いなっていうのが自分ですごい思う。

        ハッタリ、かな?

        なんかこうドン君とかさ、すげえ本読んでて、ある程度こういう考えもあるよね、こういう人がこういうこと言ってたんだけどさっていう形で自分の中の知識の裏付けを喋れるじゃん。

        俺はそういうのが無くて。割と今まで勘とかハッタリとかで生きてきたから、ちゃんともっと勉強しておけば良かったなって今更ながら思う。

        そういえば、今、勉強会みたいなのを作ってる。一緒にフィードワークしたりとか、建築探訪ツアーしたりとか、コンペやろうぜとか。サークルみたいな感じで。

        ―なるほどねー。それはそれで今からでもどんどん勉強してて良いんやない!
          今の仕事から五ヶ瀬時代の話までいろいろ聞けて面白かったです。
          今日はありがとうございました! 


        池野さんの記事は以上です!


        前回までの記事はこちら。

        2012年10月5日金曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(6) - 五ヶ瀬中等教育学校の建物や中高時代から今につながっていること


        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
        2001年卒業生の池野将史さんの第6回です。

        今回は、五ヶ瀬中等教育学校の建物や中高時代から今につながっていること等についてです。

        以下インタビューです。
        ※今回は同席していた同級生の古川さんや原田さんもコメントしています!



        ちなみにこの日も遅れてやってきて
        後からメニューを選んでいた池野さん
        ―松本 五ヶ瀬中等教育学校の建物についてはどう思う?

        いやー、よく木造であんな大規模なもの作ったなーって思うよ。あれは凄いと思う。木造の大規模建築物って大変なんだよ。

        分棟型だから構造に関してはそれぞれ検討が出来るんだけど、耐火とかは大変だと思う。


        ―古川 あー、なんかそれ学校説明会の時に言ってたよ。法律で何%っていうのを満たしているとか。

        ―松本 よく覚えてるね。小学校6年やろー。


        ―松本 そういえば、五ヶ瀬でやってたことで今に繋がったことってあるの?

        ―古川 ヤギ居たよね(笑)。

        ―池野 ヤギはねー、俺の中でこれっぽっちも無いね(笑)。ヤギは全然無いなー。

        五ヶ瀬と同じことを繰り返してるってのはあるけどね。遅刻とか寝坊とか(笑)。


        ―松本 成長してねー(笑)。学んでないよこの人!

        「遅れてすいませんでした」って社会に出て何回言ったか(笑)。

        あ、でもねー、五ヶ瀬でこれ教えてもらったとか、これ学んだなっていうよりは、人間関係がやっぱ一番でさ。人との距離の取り方とか。

        なんていうか、人の懐に入るのが割と得意だと思ってて、1対1だとやり易い。1対多だと苦手なんだけど。

        人と話していて自分の可愛げみたいなのを刷り込むみたいなのはある。


        ―原田 で、遅刻を大目に見てもらう(笑)。

        そうそうそう(笑)。で、上司との関係を良好に築くっていう。
        でも俺のことを知らない人は割と俺のことはあんまり好きじゃないと思う。

        だから、1対複数だと苦手っていう。それは五ヶ瀬の6年間で身に付けたものだと思う。
        でもそれが一番じゃねーかなー。

        あとは、五ヶ瀬入って、みんな結構優秀じゃん。優秀やったなーって思うんだけど。
        それは、善悪の判断がぶれないっていうか、間違ってないっていう。
        倫理意識が高いっていうか、それはないだろーみたいなことをしないっていうか。

        受け売りで喋らないっていうか。
        割と自分の考えを自分の言葉で喋れるっていうのが割と出来てるっていう感じがする。

        あとはテスト云々っていうのも、小学生の頃はお勉強がそれなりに出来てたと思うんだけど、俺は五ヶ瀬に入って皆こんなに出来るんだなーと思って、ある程度、学習とかっていうことに関しては途中で放棄したんだよ。

        中学3年生までは頑張ってたんだけど、高校に入ってからは放棄してたなー。
        放棄して、俺は大学受験する気無くて、専門学校行く気だったんだよ。服飾とか美容とか…。


        ―松本 あー言ってたな。パラダイス・キスとか読んでたな(笑)。

        そうそう。


        今回は以上です!


        前回までの記事はこちら。

        2012年10月4日木曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(5) - 住宅建築の詳しい話

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
        2001年卒業生の池野将史さんの第5回です。

        今回は、工法等の建築の(やや?)専門的な話についてです。

        以下インタビューです。
        ※今回は同席していた同級生の古川さんや原田さんもコメントしています!



        何かにウケる池野さん
        ―松本 ところで、どういう工法で作ってるの?

        うちは木造なんだけど、木造ひとつとってもやっぱり構造や構法が違うんだよ。

        いわゆる大工さんに作ってもらう工法で、在来工法って言って、柱と梁とあとは筋交いとかの軸材で構成されてるのが日本で育った木造なんだけど、うちはそれしかやってない。

        木造軸組構法とも言うね。ツーバイフォーとかはやらない。工法が決まっているっていうのは1つの縛りになるんだけど、日本で在来をやるっていうのは、王道っていう感じ。

        だから、規格化されているっていうよりかは、定番っていうか定着っていうかそんな感じ。柱とかの構造の部材に関しては基本的には一本化してて縛りがある。

        ただ、うちはオリジナル部材とかは無いんだよ。汎用的な、いわゆる一般部材でやる。普通にその辺の工務店で建てたものも計画と管理が良ければうちと同じようなものが建つ。

        基本的には普遍的なものを普及価格で提供しましょうっていうのがモットーとしてある。だから、特別にこれっていうのはあんまり無い。

        けど、一般部材使ってるから、やりようによってはいくらでも出来ちゃう。お客さんの要求によって全然違うんだよね。


        ―古川 家って部材の設計ってそんなにするイメージ無いんだけど、あるものを組み合わせていくっていうのが設計って感じ?

        ―松本 あーそうかそうか、カメラだと部材から設計するのか。

        あー、金型から違うとかっていうのは無い。本当に部品っていう部品で言ったら全部一般部材。

        例えばドアとかの建具はオリジナルのものがあるから、そういうオリジナルっていう形はあるけど、カメラで言う部品っていうところまで落とし込んでいくと、全部一般部材。

        全部うちの会社の名前じゃないところの〇〇製っていう。大体オリジナルって言ってもOEMだったりするから。住宅設備とかも。

        うちなんかは一般の部材を普通にそこの名前で出してるけど、もっと大手だと、一応その会社のアレンジをして、自分のところの名前で出しているのもいっぱいあると思う。


        ―松本 じゃあ会社としての一番の強みは何なの?

        普及価格もあるけど、施工の管理が割と厳しいから仕上がりが綺麗かもしんないねー。職人の腕も良いと思うけど、検査員ってのもいて、何ミリずれてるからやり直しっていうのはあるから、そこで品質は保たれてるかな。

        普通、設計事務所とかだと、設計と監理っていうのをやるんだよ。監理っていうのは、工事管理ではなくて、出来形管理や品質管理の視点だけど。

        うちは工事監督っていうのがいて、そこが施工管理者だから、その人たちが管理する。その後で検査員が品質チェックをしてっていう流れ。

        だから、設計の人が見て、誤差がいくつだからNGなのでやり直して下さいっていうのは無い。でも、現場に行って、個人的に気に入らないというかあまりにもひどいときは交渉してやり直してもらう時はあるけど。

        基本的にはそこは切れてる。あと、デザインは体系的にまとまった考え方が浸透してるから、良いと思うよ。


        今回は以上です!


        前回までの記事はこちら。

        2012年10月3日水曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(4) - 仕事のやりがいと大変なところ


        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
        2001年卒業生の池野将史さんの第4回です。

        前回までの記事はこちら。


        今回は、仕事のやりがいと大変なところについてです。

        以下インタビューです。



        引き続き強く何かを指し示す池野さん
        (地球?)
        ―新しいとこでのやりがいとかってある?

        今までやってなかったっていうか、全然知らないことだし、割と調べたりとか模索する時間が多いから、作業じゃなくて考える時間が増えたのは楽しい。


        ―どういう瞬間が楽しい?

        なんか…「あ、そういうことね!」っていう時かな。

        とりあえず見切り発車で進んでいって、でもやっぱ途中で詰まったりして。研修もあるし、それとは別に新商品とかに関して、商品開発とかから落ちてくるものがあって、そのままだと現場に甚大な被害が及ぶわけ。そこまで実務運用まで考えて商品を発信するのは難しいから。

        だから、そのフィルターをかけるために、自分が先に調べたりして、商品開発が読みこめなかったところが読み込めたりすると、現場で運用するのにあたって見切れてなかったことっていうのが、「あ、そういうことね。じゃあダメじゃん!」とか「こうすれば出来んじゃね?」っていうような感じで、自分の中に完全に入ってきたというか、納得がいった時かなー。


        ―大変なのは?

        自分が知らないことっていうか、経験則だと全く通用しないことばっかりだから。始めて直面することばかりで、広く浅く手当たり次第っていうか。だからそれは大変だなー。転職したようなもんだね。

        色々考えるけど、建築設計の仕事ってやっぱり好きなんだよ。どう考えても思い込みじゃなくてやっぱり好きなんだなーって思う。

        それで、ちょっと好き過ぎて、自分のやり方で通せないと腹が立ってしょうがなかった。腹が立つ、ストレスがあったっていうのはやり方の部分だったみたい。

        好きなことからちょっと距離を置いて、ゆっくり考えてみようと思った。だから、会社の中で部署を移るっていうのは良かった。

        今までやってきたことも活かせて遠からずっていう感じで、次に戻る時にも活かせそうだし。


        ―なんか恋愛の仕方と似てるなー(笑)。

        そうそう。好き過ぎて距離を置こうみたいな(笑)。
        恋してるから辛い、好き過ぎて辛いみたいな。


        今回は以上です!

        2012年10月2日火曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(3) - 今の仕事と組織のミッション

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
        2001年卒業生の池野将史さんの第3回です。

        前回までの記事はこちら。



        今回は、今の仕事と組織のミッションについてです。

        以下インタビューです。



        何かを指し示す池野さん
        ―会社は最近テレビ出たりとか、注目されてるよね。

        ガイアの夜明けとか、カンブリア宮殿も出た。カンブリア宮殿は4月の中頃かな。

        中にいる人は結構良い人が多い。成熟してないから悪いところもあるけど、良いところもあってさ。自分の仕事でないこともみんな助け合いながらやってたからさ。

        でもそれを自主的にやるんならいいけど、求められたくはない。そういうのを会社が誘発するように出来れば良いんだけど。

        中にいる人は、助け合いながらやるしかないよねっていう感じで和気あいあいとしてる。だから今まで一緒に働いてきた人は好き。

        中には縦割りが強い部分もあって、自分の範囲はここっていう。それがイヤだよねって同じ課の人と言ってる。

        役割はあるから、それをお互いが知って、誇りを持って自分の役割を果たそうとすることから始めなきゃだと思う。


        ―新しい課のミッションは何なん?

        技術系の人たちのキャラクター付けかな。役割もそうだし、今のところだと大体の人が課長で頭打ちなんだよね。

        キャリアパスを作って展望があれば、モチベーションが上がり易くなるかなっていうところで、当面の目標は社員の士気向上。それと適正な品質の担保かな。

        その次に、士気が向上してくれば、こっち側としても無駄なものも排除して効率を上げていかなければいかんから。


        ―じゃあ結構経営に近い話やね。経営企画みたいな。

        業種としては建築企画っていう業種になってる。今5ヶ月とか6ヶ月とか居るんだけど、初めは何やってるのか分かんなかった。

        しかも出来たばっかりだから、上の人もうちの部署のキャラクター付けとかがぼんやりしてた。これどうしていこうみたいな。色々山積みだけど何から手を付けようっていう感じで。

        ただ、一応5月から人もちょっと増えて、こういうのをやりたくて、専門性のある人がこんなふうに居て、プロジェクトに対してそれぞれの専門性のある人をちょっとずつ当て込んでいこうかみたいなのがやっと見えた。

        上司がやっとそれが見えたから、自分もそういうことねっていうのが分かってきた。家を建てるっていうことに関して言えば、4つくらい大きな役割がある。

        営業と設計と工事と、設計とちょっと似てるけどインテリアコーディネーターっていう仕事があって、その4つの職種がある。その中の設計とインテリアコーディネーターっていうのがうちらが管轄する仕事。

        技術職として、最終的に経営に落とし込むところが見えてないとだめだけど、そこまではまだ俺もさすがに見えてなくて…。


        ―そこに移ったのはいつ頃なんだっけ?

        実際に移ったのは12月かな。ただ、それまでやってた仕事もやりながらだった。つい最近まで半々で仕事をやってて片足突っ込んでたみたいな感じだった。

        それでこの前やっと、技術向けの新卒研修の企画と実行というのをやって、ちゃんとやり始めたのはそれが一番最初の仕事くらいかな。


        今回は以上です!

        次の記事はこちら↓

        2012年9月30日日曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(2) - 住宅設計の仕事

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
        2001年卒業生の池野将史さんの第2回です。

        前回は今の仕事についての話でした。
        今回は、今の仕事(組織づくり)の前にやっていた設計の仕事についてです。

        以下インタビューです。


        飲み物を注ぐ池野さん

        ―1件当たりどんくらいのスパンでやるの?

        まちまちだね。最後の物件がやっと今工事に突入したんだけど、分筆~農転~開発(※)含めてもう1年以上、500日くらいやってた。

        その代わり、出し戻しが凄かった。建築設計業務だけじゃなくて、申請業務や、土地を整えたり水道や電気とかのライフラインを整える仕事もあるから。

        うちは特に1件に対して関わってる範囲が広いっていうのもあるし。

        絵を描くだけじゃないから楽しいところもあるけど。


        【分筆】
        公図(法務局で取得出来る地図)上、一筆で囲われた土地を二筆以上の土地に分割し、登記簿上それぞれ独立した財産に分けること。この逆を合筆と言う。それぞれ登記申請が必要。

        【農転(農地転用)】
        農地を農地以外の目的に転用すること。許可申請が必要。

        【出来形管理】
        工事において施工済みの箇所が設計図に示す形状寸法に対して適格かどうかを検査すること。


        ―期間が短いとどのくらい?

        60日~90日かな。問題が無いと標準的には3ヶ月かな。


        ―営業に関連するような仕事もやるの?

        直接の営業は担当の人がいるんだけど、お客さん対応はやるね。
        だから、完全に裏側の黒子的な設計じゃなくて、営業設計的なところもある。


        ―そうすると、営業との役割分担ってどうなるの?

        まちまちかなー。効率も言われるし、顧客満足も言われるから。
        営業担当によっては、取ってきて後はよろしくっていう感じになる。
        良くないことだけど、担当のスタイルやお互いの関係性によるんじゃないかな。

        うちらも効率を外してくれればとことんやりたいんだよ。やりたいんだけど、会社側の設計に対するキャラクター付けというか求めるものっていうのが、都合が良いところだけを求めていて。


        ―例えば?

        営業が弱いところは後ろの人がサポートしていきましょうね。その上で質も量も時間も満足させましょうね。みたいな。

        例えば、設計の人も土日に打合せが入ってなかったら、営業所に応援に行きましょうねとか。それ自体は悪くなくて、それによって学ぶこともあればお互いに支え合う関係性も期待出来るかもしれない。

        ただ、今のところ120%で仕事してるのに、その分平日に打合せ入ってて処理出来ない仕事が山積する。そして残業が増え、残業しづらくなり休日に出勤する。残業も多いし休日出勤も多いし実績につながらない仕事が多い。

        拠点によっては、トップマネジメントしている人は営業出身で営業の下に技術がついている感じだから。分かってもらえない部分や軽視されてる部分はあるだろうね。

        自分は営業に助けてもらったことも多くあるから、やはりお互いの関係性によると思うけど。
        優しい人や若い子なんかは色んなものに呑まれちゃう。

        それぞれが役割を認識したうえで、支え合い、活気ある組織が理想だけど。


        今回は以上です!

        2012年9月28日金曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 池野将史さん(1) - 住宅設計から組織づくりの仕事へ


        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第6弾!
        今回は、2001年卒業生の池野将史さんです。
        (自分の同級生です)

        大学では神奈川に来て、新聞奨学生をしながら
        建築の勉強をし、そのまま建築に関わる仕事に就いています。
        現在は埼玉に住んでいます。

        以下インタビューです。
        今回は、今やっていることについての話が中心です。


        ティーを飲みながら語る池野さん


        ―今どういうことやっちょっと?


        新宿の本社に居て、今までと違うことをやってる。今までは住宅建築の設計をやってたけど、今は社内技術職のキャリア基準やキャリアパスを作ったり、評価基準や教育体系考えたり、技術的なところに関して通達や標準図やマニュアルまとめたりとか、社内の品質基準作ったりとか。

        うちの会社はまだ成熟してないこともあって、どっちかっていうと今までは人に仕事が全部ついてた。それなりに組織が大きくなってきたから、そういったことをやっていって組織を成熟させないと、ジョブローテーションとかできないじゃん。

        それが設計の部門は特に弱い。俺はそれまで現場で設計の仕事をやってたんだけど、「飽きた!」「こんなルーチンな仕事できるか!辞める!」って言ってたら役員に拾われた(笑)。

        「新しい部署つくるから来るか」って聞かれて「行きます」って言って今の仕事をしてる。その役員の人が良い人で、「君ホントにラッキーだね」って言われて心が軽くなったけど(笑)。

        しかも普通だったら、課長⇒(次長)⇒部長⇒役員がいるんだけど、役員が部長も兼任してるからすごいやり易いんだよ。


        ―それまではずっと現場?

        そうだね。大卒で入ってから6年半はずっと現場の仕事。住宅建築の設計。その経験をサラにしちゃうのも勿体無いから、こんなのやればっていう話。今まではエンドユーザーを相手にしてたけど、今の自分の相手は社員になってる。

        長くやってると経験値とかでゴールが大体先に見えるじゃん。その間の色々なことをどうやって処理していくかっていう感じだから、毎回「またか!」っていう感じになってた。

        サイクルが一緒で、手順が全部分かってるから、これだけの物件をやるにはこれだけの労力がかかって、こういう手配をやって、自分がどれだけ働けば終わるかなっていうのが分かっちゃう。そうするとちょっと面倒くさくなる。


        ―やりがいとかは?

        勿論、お客さんに関してはやりがいがある。作って喜んでもらえるとか。どっちかっていうと、仕事が自分の手から半分くらい離れた状態からの方が楽しかった。

        それは自分が描いたものが、人の手で作られていって具現化されるっていうところを目の当たりにできるところかな。

        んで、お客さんも意見が直接的じゃん。「イヤー良かったよ」とか「ココがちょっとね…」とか。それがすごい楽しかったんだけど、だいぶ件数もやったし…。


        ―何件くらい携わったの?

        140件くらいかな。




        今回は以上です!

        次の記事はこちら↓

        2012年9月25日火曜日

        国語・現代文の勉強って何の役に立つと?


        勉強って何の役に立つの?

        これは多くの人が1度は抱いたことのある疑問ではないかと思います。
        教科によっては何のためになるのかが分かりづらく
        やる気が出ないこともあるのではないでしょうか。

        特に国語は、よく分からない教科として
        あげられることも多いのではないかと思います。

        この話題に関連して、今回のブログ記事では、
        ある方の話を紹介したいと思います。

        「一流ビジネス思考術」 というメールマガジンを発行されている
        中村仁さんという方のお話です。


        ■高校・大学時代に現代文の勉強を頑張る
        中村さんのメールマガジンで
        大学受験や司法試験での受験勉強、
        特に、現代文の勉強について述べられていました。
        この話を紹介します。

        中村さんは、現代文の勉強だけで一日5時間は勉強していたのですが
        勉強時間を増やしたり予備校に通ったりしても
        模擬試験で偏差値で30台前半より上の数値を取ることができなかったそうです。

        また、その後、司法試験も受験しました。
        司法試験でもセンター試験の現代文に似た試験があったのですが
        これも予備校に通ってもなかなか点数が上がらなかったそうです。

        ご本人も
        「まぁ、はっきり言って向いていなかったのでしょう」
        と仰っています。

        しかし、勉強には全力を尽くし、
        また、評論や論理は好きだったこともあり、
        暇があればずっと接続詞の使い方を勉強したり、
        ロジックの本を読んだりしていたそうです。


        ■今にどうつながっているか…
        中村さんは、現在、メールマガジンの執筆や
        セールスレターの作成をメインとして
        文章を書くことを仕事にされています。

        そして、次のように述べています。

        これらは論理以外にも、心理学や数学、マーケティングなど
        多岐にわたる知識が要求される分野のため、

        やっていけていると思うのですが、文章を書く以上、
        最低限の論理や国語力は必要です。

        そう考えると、受験時代で最低限の基礎は
        身につけることできたように思えます。

        そう考えると、人生は不思議なものです

        受験勉強というと、高校卒業後とか
        仕事の場面では役に立たないイメージもあるかもしれませんが
        こうしてつながってくるものもあるのです。


        ■1の扉と2の扉
        中村さんの場合、現代文を一生懸命勉強しても
        勉強した当時はなかなかうまくいかず、
        おそらく頑張る意味があるのかなとも悩まれたのではないかと思います。
        ですが、そこで勉強を続けたことが今につながり、役に立っているのです。

        勉強している当時は、
        仕事でメールマガジンやセールスレターを書くのに役に立つから勉強しよう
        といったことは思っていなかったのではないかと思います。

        目の前のやるべきことや目標に向かって
        全力で取り組んだことが後々につながったのではないでしょうか。

        もしそこで全力で取り組んでいなかったら、
        今役に立つレベルで身についてはいなかったのではないかと思います。

        このことを、中村さんは、
        「1の扉」と「2の扉」という言葉で表現しています。
        私は弁護士のように、論理を駆使できる人間になるため
        「1の扉」を懸命にこじ開けようと全力で取り組みました。

        結局、その扉が開くことはありませんでしたが、

        気づいたときには、その扉の隣にあった「2の扉」が
        開いていたことに気づくことができたのです。

        そして、

        「2の扉」から得られたものは、「1の扉」を開けて
        得ようとしたものより、自分にとってはるかに素敵なものでした。

        だけど、

        「2の扉」が開かれたのは、もともと「1の扉」を
        開けようと扉の前にきたからだと考えています。

        そうでなければ、「2の扉」が開かれることはなかったでしょう。

        このような状況のことを「セレンディピティの祝福」と言うそうです。

        *セレンディピティとは、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
        幸運をつかみとる能力のこと
        ジャック・M・ズフェルト The DNA of Successより

        また、次のようにも述べています。

        人生は何がどうなるかわかりません。

        「1の扉」が開かなかった時点で過去を否定し、
        挫折感を味わいながらその先の人生を過ごしていく
        人もいるはずです。(かつての私がそうでした。)

        一方、「あの時があるから今がある」と過去を肯定できる
        人もいます。

        そして、後者の考え方の方がチャンスもやってくると
        思うんです。

        まずは、目の前のチャンスに全力で取り組むこと。

        すぐに夢や目標が叶わなくても、全力で取り組んだこと
        それ自体が、将来の自分を見つける一つのきっかけになるのかもしれません。
        元の記事はこちらです↓


        いかがでしたでしょうか?

        もちろん、やみくもに何でもかんでもやっていては…
        という見方もあるとは思います。

        ただ、自分が何をやりたいのか、何をすべきなのか
        といったことがまだあまりうまくまとまっていないのであれば
        まずは目の前のことに一生懸命取り組むことで
        道がひらけてくることもあるんじゃないかなと感じました。

        なお、このトピックに関連しますが、以前、
        意味がないからといって勉強しないっていう考え方は
        止めた方が良いんじゃないかなーというブログを以前書きました。
        良ければ読んでみて下さい。


        2012年9月3日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(11) - 五ヶ瀬で経験したことと今につながっていること


        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。

        前回は、卒業論文や修士論文についての話を聞いていきました。
        今回は引き続き研究についての話の続きです。

        前回の記事はこちら↓




        ■研究のつらさと楽しさ


        ―最後にちょっと視点が変わるんですが、五ヶ瀬で経験したことで今に生きてるなって思うことってありますか?荒武さんの場合は進路の話から結構リンクしてるような感じがするけど。

        そうですね。あとコミュニケーションのことはすごく思います。

        人って得意、不得意があるじゃないですか。中高の多感な時期って、なかなかそれを認められない時期でもあると思うんです。それが、例えばいじめになっちゃったりとかすると思うんですけど…

        そこを考えるとうちの学年は、「何をする時は誰々だね」とか「これは誰々が得意だから」とかっていう意識がわりとちゃんとありました。


        ―NASDAの実験の時もそういう感じだったですもんね。大野さんと2人で実験して他の3人で考えようとか…

        そういう感じですね。わりと、この子はここができるから任せようっていうのが結構ありました。
        人に任せるのって結構重要じゃないですか。

        自分がやっちゃった方が速いけど、でもいろんな後学のためとか、自分が後々楽になるためには、最初多少めんどくさくても人に教えたり、できることを任せたりとかっていうのが大事だと思います。

        そういう感覚を身につけたような気はします。


        ―それはどういうタイミングで意識したんですか?

        最初の頃は特に意識はしてなかったんですけど…でも高校の時に周りと1回そういう話をしたんです。なんでかっていうと、下の代でいじめが目立ってきてて…例えば、ネームプレートが無いとか…

        すごく身近に暮らしていて、寮で生活していて学校に行ってまた寮に戻ってくるような環境で、いじめとかあると逃げ場がないので、ものすごくつらくなると思います。

        もちろん、うちの学年も多少のことはありました。でも、必ず誰もが通る道で、そこを乗り越えて仲良くなれるかどうかっていうのがあると思います。

        でも、下の学年は、そこを乗り越えて仲良くっていう感じがあんまり見受けられなくて、何でだろうねみたいねみたいな話を友達と軽くした時に、さっき言ってたような話が出ました。

        高校生くらいで話してたと思います。高2とかになると相談しにくる後輩も来てて。


        ―なるほど、それは大事ですよね…卒業してからはどういうところでつながってきたと思いますか?

        それは、例えばバイトとかで友達と話してても、「あの子がやるより私がやる方が絶対楽」「あの子に任せちゃうとすごい時間がかかるから私がやっちゃう」っていうことを言ってる人がいます。

        そういう人は、後々自分がすごくしんどくなって大変になっちゃったりとかっていうのを見たりしてると、そういうことを思います。ダイビング部の時も似たようなことがありました。

        私は自分が辛くなるのがイヤなので、わりとすぐに任せちゃうタイプです。
        そんなに辛いっていうなら任せちゃえばいいのにって思っちゃいます。

        でも、なかなかそれができなかったりするんですよね…
        そういうのが客観的に見えるっていうのが、高校の時に話したような内容とつながってると思います。


        ―荒武さんは先生向いてるんじゃないですかねー。

        イヤです!私頭悪いんで…


        ―いやーでも頭悪いのと勉強できないのは別やしね。

        そのへんも最近すごく考えます。頭悪くてもやる人はやるし、要領よかったら全然問題ないですけど、頭がどんだけ良くても、学校に来なかったりとか期限守らなかったりとかする人もすごいいるんですよ。

        でも、回転の速さの違いで進み方の違いをめちゃくちゃ感じる時があるんです。それはもちろん、努力で補ってきたんですけど、徐々に限界を感じてくることが最近多くなってきて…もうちょっと頭がフル回転すればとかって思います。

        例えば、もっと速く英語が読めればとか、もっと速くこの計算ができるようになれば、次に速くいけるのにって思います。

        当たり前にできるっていう感じの人が周りにいっぱいいて、こっちはプスプスいってるのにどんどん話が進んでその速さについていけないとかっていうのがあります。


        ―それはあると思います。それは否定はしないんですけど、良い先生になると思うし、良いリーダーになると思います。人に任せるっていう視点も持ってるし。

        リーダーシップっていう面では、、、
        実際今自分の手だけでは足りなくて、何人か人を借りて学生にやってもらったりとか、アルバイトさんにやってもらったりとかはしてるんです。

        教えてそこまでは良いんですけど、このくらいはできるだろうと思って見積もったのが、できてないことも多いんです。

        例えば、今まで実験しててちゃんと教えてて、次の段階に進む時に「サンプルは?」って聞くと「え、全部捨てちゃいましたよ」っていう答えが返ってきたりとか。

        「なんで捨てたの?とっといてって言ったよね?」って言っても「もう必要なくないですか?」とかって言われて全部なくしちゃったこともあって…

        それをフォローしながら他のことも一緒にやっていくっていうのは結構重労働で辛いです…
        さっき人に任せた方がいいって言ってましたけど、やっぱり大変なこともありますよね。。

        期限が決まってて、学会に応募しちゃってて、学会が何日でって決まってるのに、寸前でサンプル無くしちゃったってなると、そこから学会で発表するためには、その子の力量がどのくらいでとか考えてこのくらいまで出してもらって後は私が形にするとかっていうこともあったりしました…

        そういうことを経験すると、あー先生は大変だなー、先生ってすごいんだって思いました。
        この先ずっとそれを頑張っていく自信や覚悟はまだそんなにないんです…
        まあでもこの先はどうなるか分かんないです。予定は未定ですね…


        ―でも先生なのか別のものかは分からないけど、そういうことをやらざるを得なくなった時にまとめ役としては良いと思うなー。

        でも結局いくつになってもこの先どうしようとかって悩むもんですね…

        昔は、20後半になったら完全に人生の事は決まっていて、就職も決まってて、働いてて…
        って思ってました。でもそうじゃないですよね。


        ―ですね、そうじゃないです。

        五ヶ瀬の人も結構いろんなことやってる人も多いですしね。同級生で花の女王になってる子もいますし。

        ―人生いろいろですね…今日はいろいろと面白い話をありがとうございました!







        荒武さんの回は以上です!

        全11回にわたってお届けしたロングインタビューでしたが、五ヶ瀬から大学時代の話、そして今の研究の話等いろんな角度からの中身が詰まった濃くも楽しい内容でした。

        また機会があればいろいろお話を聞いてみたいですね。
        ありがとうございました!

        2012年8月20日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(10) - 研究のつらさと楽しさ・英語


        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。

        前回は、卒業論文や修士論文についての話を聞いていきました。
        今回は引き続き研究についての話の続きです。

        前回の記事はこちら↓




        ■研究のつらさと楽しさ

        ―研究はやっぱ楽しいですか?

        研究は楽しいです。ただ、年が上がっていくごとに書類が多くなります…申請書、報告書、論文もそうですし、意外とデスクワークが多くなります。それに心が折れます。

        研究費とかは特に。。。。

        大学の先生って大学から研究費としてもらえるお金ってそんなに多くないんです。
        国や会社から研究費をもらえるようにしないと、思ったように研究できないんです。

        先生に近くなればなるほど実情が見えてくるんですが、みんな必死に研究費の申請書を書いてて、「結果どうだった?」とか「あそこ受かったらしいよ」とかっていうのがリアルに見えてくるんですよ。

        受かったら受かったで、それについてのちゃんとした書類を書いて、申請書と報告書とあって、そこからも大変なんです。それに加えて、学会とか調べて、学会用の要旨集を書いたりとか、論文を書いたりとか…


        ―それは大変そうですね…逆に楽しい時っていうのはどういう時ですか?

        やっぱ結果が出た時ですね。データがバーッって出てきて、こういう結果だったんだーっていう時です。

        私の性格的には、その結果が自分で分かって「へーそんなだったんだー」って思うところで十分なんです。

        だけど、研究者はそれだとダメで、ちゃんと論文にして結果が出たことや、その結果のすごいところを世に知らせていかないといけないんです。

        それが日本の場だったら良いんですけど、どうしても世界に出なくてはいけないんです。英語もまだできないし…


        ―英語は結構使うんですか?

        使います。めっちゃ使います。修士論文も英語だったし、論文も書いたりとか…


        ―思ったよりは結構できてるんじゃないですか?

        そう思うじゃないですか。確かに聞くのと読むのとは思ったよりはできる感じなんですけど、しゃべれないんですよ。練習が必要なんですけど。


        ―でも論文とかは書いてるわけでしょう?

        それはそうですね。もちろん何度も何度も訂正されてますけど…


        ―それをやりきってるってところは自信持って良いんじゃないですかねー。うちの会社もインドとのやりとりとか英語を使って仕事をしてますけど、TOEICとか関係なくて、自分では「英語できない」って言ってても仕事で必要なやりとりは十分できる人もいますし。TOEICが800点とか900点とかとれててもコミュニケーションできてなければ意味ないし。

        なんとなくですけどね(笑)


        今回は以上です!

        2012年8月13日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(9) - 研究室の先生・就職活動



        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。

        前回は、卒業論文や修士論文についての話を聞いていきました。
        今回は引き続き研究についての話の続きです。

        前回の記事はこちら↓




        ■研究室と先生の話
        ―研究室はずっと一緒なんですか?

        今は、もっと遺伝子の仕事ができるように、生物の遺伝子系の研究室に移りました。

        修士が終わって、そこからは、遺伝子の実験の為に機械や研究室を間借りしていた生物の先生のところに移ってやってます。

        でもその先生は虫が専門の先生なので、周りは海のこととは全然違うことばかりやってて、虫ばっかりなんです。セミナーとか言っても虫の話ばっかりです。虫は嫌いなのに(笑)

        普通は先生の所属している学会に行ったりするんですけど、全然系統が違うので、同じ系統の学会は自分で調べないといけなかったりします。

        普通とはちょっと変わった感じです。海洋生物系の学会で、「先生は誰?」って他の研究者や教授に聞かれるとちょっと困りますね。。


        ―面白いですねー。元々は生物の方向性で化学に行ってて、今は化学から生物の方向性に行っているという感じなんですね。元の研究室の先生とは引き続き何かやりとりはあるんですか?

        それなりに…「お誕生日おめでとう」とか(笑)

        その先生は、本当に良い先生でした。「琉大にいちゃダメだよ」とか言ってて。

        院でも博士でも、「東大とか行ったら?」とか、他にも京大や阪大とか、別のところに行った方が良いよって薦めてて、自分の研究室なのに「こんなダメダメな研究室にいちゃダメです」って言っちゃうような先生でした。


        ―その先生は何で沖縄にいるんですか?

        たぶん奥さんが沖縄の人だからですかね(笑)尻に敷かれている感じで(笑)元々は大阪の人です。


        ―いやー、でも話を聞いてるだけでも良い先生ですね。みんな読んできてるんだから、資料を読み上げるんじゃなくて違うことをやりなさいとかっていうのは、会社の会議とかでも同じ話だし、良い指導ですねー。それをちゃんと言って指導してくれるっていうのはすごい良いと思います。

        論文を書く時とかも、4年生がやった実験の内容は、いくらいい結果が出ても彼ら自身が英語の論文を書くのは難しいじゃないですか。

        だから、先生が書いて出すんです。ここまでは当たり前ですけど、その先生は学生の名前を必ず一番最初に書いてくれます。

        科学の分野では、論文に記載される名前の順番っていうのがすごく大事で、一番最初に名前が来る人がその論文に一番関わっているっていうことなんです。

        普通だったら、4年生の実験の内容で、先生が書いた論文なら、先生の名前を一番前に書きます。でもその先生は、あなたの論文ですよって、実験した生徒の名前を一番最初に書いて論文を出してくれるんです。

        論文っていうのは結構シビアで、自分の名前が一番最初に書いてある論文を何本出したかっていうのは、後々すごく大事になるんです。


        ―良い先生ですねー。研究室を移る時は悩んだりしなかったんですか?

        それは特に無かったですね。先生も「出ろ」って言ってましたし。

        今の先生は結構年配で、ちょうど私と一緒に定年なんです。なので、あまり細かいことは言われずに、「責任は私がとりますよ」みたいな感じでやらせてもらってます。

        研究費も、こんな研究費がありますよっていうのを、その化学の先生や、生物の先生も教えてくれて、それを修士の子や私が書いて先生の名前で申請すると、それで取った研究費は「全部あなたが使って良いですよ」っていうことで渡してくれます。良い先生です。珍しいと思います。


        ■就職活動と博士課程への進学
        ―ですねー。そして、そこから今後はどうしていくんですか?

        そうなんですよね…どうしようかなーと思ってます。

        実は、修士の時に就活してたんです。それで、心が折れたんです(笑)

        その当時、結構厳しい状況になってて、中小企業が最初に終わっちゃう感じでした。修士1年の10月くらいから始めて、12月の時点で中小企業はほとんど終わっちゃう感じだったんです。

        私は12月くらいから始めたんですけど、ほとんど終わっちゃってて、最初のエントリーシートの段階はほぼ打ち切られてました。

        後は大手か、残ってる企業しか出せなかったんですけど、いろいろ出してもどんどん落とされるじゃないですか。

        いくつかは面接まで行けたものもあって、それも大手っちゃ大手のところで、カネボウとか、富士フイルムとか、花王とか。食品も出して、ヤクルトとか、明治とか、雪印とかもたぶん出して、どんどん落とされて。

        それで面接とか行くと、みんなの気合いが違うんですね。怖い怖いと思って…

        東京に行って、面接受けてたんですけど、言ってることは面白いんですけど、普通そんなしゃべり方しないよねって思うようなハキハキしたしゃべり方だったりして…それを見て、おおおおー…ってなって(笑)

        ちょうどその就活をしてる時期に、実験の結果が出そうだったんです。さっき言ってたソフトコーラルの種と化合物のタイプがリンクする、しないっていうのが出てきた時期で、研究の方が楽しいと思って。

        でも、修士卒までだったら就活に対して色々と道があるんですけど、博士までいっちゃうとなかなか卒業後の企業就職はほとんど見込めなくなっちゃうし、すっごい悩みました。

        引き返すなら今だっていう感じもあって…

        博士まで行ってると、自分のプライドとか、今までにやってきたことの経験とかにすごく固執しちゃう人とかいると思います。

        でも、会社が欲しい人材ってやっぱ多少真っ白で、これから我が社に染まってくれるような人が良いっていうところがあると思います。

        さらに、博士まで行ってると、それなりに企業側もお金も出さないといけなくなるので、結構道は狭くなります。

        そういうこともいろいろ悩んだんですが、最終的には、「大丈夫!行こう!」と決めて行きました。
        それで今は博士3年目です。



        今回は以上です!


        2012年8月6日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(8) - 卒業論文(続き)・修士論文

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。

        前回は、研究室や卒業論文についての話を聞いていきました。
        今回は引き続き研究についての話の続きです。

        前回の記事はこちら↓



        ■卒業論文の話(続き)

        ―物質をとり出すっていうのは、具体的にはどうやるんですか?

        物によって変わりますが、私がやっていた生物(海綿やソフトコーラル)では、試料を四角大に切って有機溶媒(アセトン等)、イメージで言うと除光液のような液体に入れます。

        有機溶媒につけると、その生物の色々な成分が溶けてくるので、その成分がごちゃまぜのエキスを有効成分だけを取り出すように分離していきます。

        最終的にオイル状だったり粉状だったりする不純物を含まない成分(化合物)を取り出します。そして、その物質がどのような化合物かを調べる為にいろいろな機械にかけます。

        その機械で、水素の数、炭素の数とかっていうのを調べたり、どの水素とどの水素が近くにあるとかっていうデータが出てきて、それをパズルのように一生懸命ひもといていく感じです。

        この水素が近くだから、これにつながっている炭素と酸素は近くで…みたいな。そうやって化合物を構築していくんです。

        できた化合物が過去に見つけられているかどうかっていうのを、論文とかをみてガーッと探して、「ない!」ってなったら新しいものが見つかったものになるんです。

        もちろん専用のデータベースとかもあるので、見逃さないように気をつけます!
        結構たいへんです。。。

        先生はすごくて、生のデータをパッと見た段階でおおよそがすぐに分かるんです。

        普通はデータのグラフのピークの具合をいろいろな情報と照らし合わせて何の化合物か突き止めるんですけど、先生は生のデータのそのピークの状態を見ただけで、「うん、これは新しいね」とか「これはもう見つかってるよ」とか分かるんです。

        その先生は海洋天然物の分野ではわりと有名な方だと思います。


        ■修士論文の話
        ―修士に入ってからはどういうことをしたんですか?

        卒論って、行き当たりばったりだったから、修士で先生と何をするか相談して、どんなテーマがあるかっていうのを教えてもらいました。

        最初は、100とか200とかあるサンプルを、C型肝炎に効くかっていうのを調べていきました。でも、その試験は琉大では調べられなかったので、共同研究者にサンプルを送って調べてもらうんです。

        そうすると、結果が出てくるまで、「もうやることなーい」みたいな感じで暇になるんです(笑)
        修士に行ったら結構頑張ろうと思ってたので、「先生、暇なんすけどー…」って言って(笑)

        そしたら、私と同じ学年の子がやってた研究の続きをするかっていう話になりました。残りがちょっとだったので、それを終わらせますって言って始めたのが、化合物を抽出した生物の遺伝子を確認していく研究だったんです。

        それが、今実際に私がやっている実験の元になってるんです。


        ―それはどういう内容なんですか?

        最初の方にも言いましたが、おおまかに言うとキノコみたいなソフトコーラルと、それに含まれている化合物の関係を調べていく感じです。

        最初に、キノコみたいなやつ、ソフトコーラルが化合物を持ってるって言ってたじゃないですか。ソフトコーラルは1つの個体に、だいたい1種類の化合物がたくさん含まれてることがわかっているんです。

        それも、必ず同じ物質じゃなくて、個体によって結構いろんな化合物の種類がとれます。

        その化合物の種類とソフトコーラルの種のパターンはまったく調べられてなかったんです。どの種にどの化合物が入っているのか。。みたいな。

        何となく取ってきて今回はAが出たねー、次はBが出たねーという感じで。化合物の違い(種類)っていうのは、炭素骨格は一緒で付属のものが違うっていう感じで同じ系統の類似化合物がいくつか出てる感じでした。

        それで、化合物のパターンは、もしかしたら、ソフトコーラルの種によって違うかもしれないって言うことになって調べようって話になりました。

        実はその話って、5-6年前にも一回先生がやってたんですけど、その時は化合物のタイプとソフトコーラルの種が一致しなかったんです。

        同じソフトコーラルの種でも違う化合物タイプがたくさん見つかったりして、、、

        結局、種と化合物は関係ないっていう結論になってたんですけど、その時に種分類をした方法が形態による分類だったんです。

        ソフトコーラルの見た目ってほとんど一緒で、パッと見ても何が何だか分かんないんです。ちょっと難しくなるんですけど、見た目で分かるのって種の1つ上の属までなんです。

        その下の細かい分類は、一回細胞を溶かして、中に持ってる小さい骨の形を見てはじめて種が分かるんです。

        その小さな骨を使ってソフトコーラルの種を決定して、化合物と照らしあわせたときは、さっきも言ったように化合物との関係性がわかりませんでした。

        でも、ちょうどその当時の1年前か2年前にソフトコーラルの遺伝子解析が行われて、種分類がちょっと変わったかもっていう話があったんです。

        それで、遺伝子解析と化合物をリンクさせようっていうことで、遺伝子の仕事をするようになったんです。

        結果として、ソフトコーラルの系統樹と化合物が大まかにリンクしました。実は、これは結構珍しい結果だったんです。

        例えは、フグには毒がありますよね?

        フグ毒っていうのは、フグが食べてる藻が作っていて、その藻が蓄積されてフグが毒を持つようになるんです。

        実は、こんな話は結構一般的なんです。海洋生物の中で化合物が見つかったら、実際に作っているのは、その海洋生物に共生している小さなバクテリアでした、とか、藻でしたっていう。

        ソフトコーラルはサンゴだから、共生している藻がいます。
        その藻が光合成をして、サンゴはそこからエネルギーをもらっているんです。
        サンゴも一般的に考えるとそうだよねっていう話になります。

        だから、私はこの実験の時、サンゴの遺伝子と藻の遺伝子の両方やったんです。
        そして各個体からとれてきた化合物と、サンゴ・藻の両方の遺伝子を比べてみました。

        その結果、藻ではリンクしなくて、サンゴだけでリンクしたんです。
        だから、これは珍しいな、と。

        それで、最初は沖縄本島だけで調べてたんですけど、場所を変えて石垣とかでも当てはまるのか調べました。
        そうすると、またちょっと違う結果が出てきて。

        そんなんだったら実際に作ってる遺伝子を特定して、どっちの遺伝子なのかを特定した方が速いっていうことになって、そうやって広がってくテーマを博士で今やってるっていう感じですね。



        今回は以上です!

        2012年7月30日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(7) - 研究室・卒業論文


        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
        前回は、大学進学までの話を聞いていきましたが、今回は入ってからの話です。

        前回の記事はこちら↓




        ■研究室の話

        ―研究室はどういう研究室だったんですか?

        研究室は、化学で一番大変なところだったんです(笑)


        ―ええ!?何でそんなとこ行ったんですか?

        推薦で入ってると、化学から生物に転科するっていうのができなかったので、化学の中でできるだけ生物系に近いところを探したらそこだったんです。
        一番大変なところで厳しかったです…

        他にも同じ分野の研究室があったんですけど、
        その先生がその分野で、うちの大学では一番良いみたいな感じで、研究室としても頑張ってるっていう感じだったのでそこに入りました。

        でもまあ…大変でしたね…


        ―大変ってどう大変だったんですか?

        先生の求めるレベルがあまりにも高すぎたんです。遊び回っている琉大生にとってですがwww
        研究室のゼミでは、関係する分野で面白そうな最近の論文を自分で探してこいって言われたんですが、途方にくれてました…

        留学生もいるので、英語でスライド作って、英語でセミナーが始まるんですけど、読んでこいって言われてそのまま発表すると怒られました。

        「みんな読んできてるんだから、そこに書いてないことをスライドで発表するのが普通だろ」っていうようなことを言われて、「ハイ、すいませんでした…」みたいな。

        厳しかったので、「そんなんで大学生だなんてなってない」とか「実験しないとか意味がない」とかバンバン言われました。

        琉大の生物系の学生って琉大ならではのことをやりにきてるのでマジメな人が多いんですけど、
        化学系の学生って余り琉大に特化した研究をイメージして来てる感じでないので、正直あんまりマジメじゃない人も多いんです。

        だから、就活を第一に考えて研究室になかなか顔をださない人も多いですし、何人かの先生もそれで良いみたいなところもあるし。

        なのでとてもゆるい研究室も多くありました。でも研究って意味ではどうかなってところもありますよね。


        ■卒業論文の話

        ―でもそれは大変だけど良い研究室に行けたんじゃないですか?

        そうですね。良い研究室に行けました。
        先生のヤル気も意識も高かったので。

        研究室では大変でも何とか食らいついてたんですけど、遊んでることは遊んでたので、卒業間近になって卒業研究として出せる結果が何もなくてヤバイっていう状況になりました(笑)

        卒論提出の前に卒業研究発表があって、卒業研究発表の前に要旨を提出する必要があって、
        その提出に間に合わないのでは???????ってことになってました。

        要旨提出の1週間前に先生と「先生!これはヤバイですよね(´・ω・`)」っていう話をしてたら、先生が急に「これやりな」って新しいサンプルを持ってきてくれたんです。だいたい1週間しか無かったんですけど、徹夜して、何とか結果を出せました。奇跡でしたねwwwwwww

        そこが私が初めてマジメに実験したところだったんです(笑)


        ―追い込まれたら力を発揮するんですね(笑)ちなみに学校の夏休みの宿題はいつやってたタイプですか?

        8月31日です(笑)それが、寮に帰って来てからみんなで泣きながらやるって感じでした。テストも一夜漬けでしたし。


        ―なるほど、三つ子の魂百までって感じですね(笑)卒論の方はその後どうなったんですか?

        要旨は途中だったんですけどとりあえず提出して、発表までの期間にまた実験を繰り返して、何とか形になって発表しました。そのまま修士に行きました。


        ―修士に行くのって試験があるんじゃないんですか?

        8月に試験があります。それは元々行くつもりがあったので受けてました。生物系は受ける人がすごく多くて合格が難しいんですけど、化学はそこまでではないのでなんとか。。。。。

        ちなみに私は頭が悪かったから、各教科(有機化学・分析化学・無機化学・物理化学)に家庭教師が付きましたwwww
        同級生で頭のいい人達が教えてくれました!!

        生物は、沖縄に特化している研究室が多く、他大学から受ける人も多いので合格も難しいです。



        ―ちなみに卒論はどういうテーマだったんですか?

        卒論は、海綿から新規化合物をとり出すっていうものでした。海綿っていうのは、スポンジっていうか、無脊椎動物で海に入った時にホヤみたいな感じで岩とかにくっついてたりするやつです。そんなに目立たないです(笑)

        先生がインドネシアに行って取ってきてたやつで、何となく「これやって」って言ってたやつから新しいものをとり出すことができたんです。


        ―え、それってすごいんじゃないんですか?

        普通は、大抵すでに見つかっているものを5個から10個くらい見つけて卒論ですっていうのが多いですが、私の場合はそれができてなかったんです。

        私の場合は1個しかなくて、せめて新しいものがあればどうにかなるだろうみたいな感じでした。
        結局は既知物質もそういえば2個ぐらい出したんですが(笑)


        ―なんか一発逆転みたいな感じですね(笑)でもすごいですね、新しいものを見つけるって。

        でも修士になると、新しい化合物を1-2個見つけてるのが当たり前みたいになります。なので、まだ一応伸びしろはある分野です。

        ただ、実際にはその新しいものが病気等の何かに効かないと意味がないんです。見つけた後は、何に効くかを調べていく実験があります。


        今回は以上です!

        2012年7月23日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(6) - 大学での部活・勉強・研究

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
        前回は、大学進学までの話を聞いていきましたが、今回は入ってからの話です。

        前回の記事はこちら↓




        ■ダイビング部の話

        ―入ってからはどんな学生生活だったんですか?

        ダイビング部(※) に入ったので、ほとんど部活に行ってました。海の生物に興味があったこともあって、元々中3の夏休みにカードだけ取ってたんですよ。せっかく沖縄に来たんだったらダイビングをやるしかないと思って(笑)

        ※正確には「琉球大学ダイビングクラブ」で、「U.R.D.C. University of the Ryukyus Diving Club」と言うそうです。
         荒武さんが所属していた時にはなかったそうですが、後輩の方がブログを作っているので良ければ見てみてください!
        琉球大学には、当時3つのダイビングクラブ・サークルがありました。お金が無かったからサークルとは違って初期費用がかからないダイビングの部活に入ったんですけど、結構スパルタでした。体育会系でひたすら泳ぐ感じで、海猿みたいな感じでした(笑)週に1度は海にロープを張って、その周りをクロールで200mとか300mとかやったりしてました。

        ダイビングクラブは、顧問の先生はいますが、実際の活動は学生のみで行っています。外部のショップインストラクターと共に活動をする形式ではないので、その分危険に敏感になり、ダイバーとして自立してないといけません。なので、自分たちで率先して、教科書みたいなものや免許制度を自分たちで作ったりしているんです。教科書は年に1回、一から作りあげます。常に新しい情報を組みこんで、次の新入部員に不足なく勉強してもらうためです。

        免許は、シュノーケリングの免許とスキューバーダイビングの免許と2つあって、シュノーケリングの免許は1年間でとらないと退部なんです。免許の試験は実技が2回と筆記が1回あったんですけど、それがまあ過酷で過酷で…私の時は筆記を全部解くのに8時間くらいかかってました。


        ―8時間!?大学受験でもそんなんないでしょー。

        早ければ4時間とか6時間とかで解く人もいるんですけど、めっちゃ辛かったです。

        問題数は12問とか(くらい)で少ないんです。例えば、海で溺れている人がいる場合どういう処置をすれば良いのか書きなさいとか。それで、こういう場合はこういう処置をして、その時に使う手法はこういう手法で…とか答えるんです。


        ―それは辞めようとは思わなかったんですか?

        辞めようと思う人はいますね。週に1回は部活動で海に行かないといけないですし、それ以外にも海に行かないとテストに受からなかったりするので。


        ―荒武さんとしては部活は面白かったですか?

        そうですね。やっぱバカな人が多いっていうか(笑)はっちゃける人が多くて、あの頃は若かったなって思うようなことをやってました。その体育会系の部分さえ我慢すれば、いい友達もできて楽しかったです。


        ―じゃあ大学はずっとダイビング三昧ですか?

        そうですねー、日焼けして闇と同化するくらい真っ黒でした(笑)


        ―僕の奥さんも初めて会った時は真っ黒だったですね(笑)


        ■大学での勉強の話

        ―勉強はどんな感じだったんですか?

        1、2年まで教養が多くて、2、3年から化学の専門の実験が入って来ました。有機化学、無機化学、物理、分析の4つです。実験はレポートを出さないといけなくて大変でした。

        生物も解剖とかいろんな実験があるんですけどそれは選択制でした。化学は必修で、絶対その4つの実験をとらないといけなくて、結構ウェイトが大きかったです。とる科目も、生物は結構ばらばらでしたけど、化学は選択とは名ばかりでみんな同じようなものをとる感じでした。

        生物の中では、授業内容などが専門に特化していくため、年をおうごとに生物の人同士でもお互い何をしてるのかだんだん分からなくなっていくんですけど、化学はどんどん生徒同士が結束していく感じです(笑)

        実験は、ただただ辛かったです。午後はずっと実験の授業になるので、時間がかかります。
        成功すれば良いんですけど、失敗すると成功するまでやります。1人失敗すると、うまくいくまでやり直しで、また1時間待ちとかで「うおおー」ってなったり。

        その頃は完全に私は大学生らしくというか、遊んでました。
        なので、予習も辛いし、レポートも辛いし、なるべく過去の先輩のレポートをもぎとってきて、
        結果は違うけど大体似たような感じに仕上げて提出したら、怒られて返ってくるとかありました(笑)


        ■研究室配属の話

        ―研究室配属はどんな感じで決まるんですか?

        4年生から研究室に入りました。これがまた適当なんですよ。生物の人はちゃんとしてて、2年生の頃から希望先の先生のところに通ってたりしていたんですが、 化学は3年生の最後の2月とか3月に集まって、「じゃあ、みんなどうする?」って感じで一気に決まります。先生達は学生で自主的に決めなさいという感じです。現在はわかりませんが…

        研究室がどのくらいの定員かっていうのは一応知らせてもらって、研究室はこういうことやるよっていう先生のレクチャーも一通りやるんですけど、その後にホワイトボードを使って「みんなどこ行く?」みたいな感じで第一希望をまとめます。

        もちろん偏るので、どうにかしてばらけさせていって、4月までに絶対決めるっていう感じでした。


        ―荒武さんが行きたいところは第一希望で決まったんですか?

        私はむちゃくちゃ遊んでたんですけど、高校の時に先生を全部調べてたのでどの先生が何をやってるのかはある程度知っていました(笑)

        それに化学系に来たはいいですけど、根本的に化学の勉強はできなかったですし、数学もそんなに得意でないので物理化学とかは「絶対ムリ!」って思っていました。

        なので高校の時の記憶を思い出して、なるべく生物系に近い系統の先生のところに行こうと思っていました。結局、有機化学って分野を選択しました。

        実は、その時最初から院に行こうと思ってたんです。それは、推薦入試を受ける時から大学院に行った方が有利だと思ってたからなんですが。。。


        ―へー、自分の場合大学院っていうものがあるっていうことを知らなかったですけどね(笑)でもなんで院の方が有利なんですか?

        理系だからかもっていうのもあるかもしれないですし、そういうイメージでした。

        担任が文系と理系にいたじゃないですか。理系の先生は普通に大学を4年で出て先生になったんですけど、文系の先生は大学院まで行って先生になったんです。

        それで、「何で大学院まで行ったんですか?」っていう話になるじゃないですか。そしたら、院を出ている方がお給料が良いっていう話だったんです。一応レベルが1個上がるらしいんです。


        ―それはそうですね。でもそれは年齢の問題ですよ。年功序列の場合の話ですけど、2歳分上なので、年取ってる分高いだけであって、22歳で仕事を始めても2年経って、大学院を出てきて24歳で始める人ともらえる額はそんなに変わらないですよ。だって、24歳から働く人は、2年分少なく働くのでその分もらわないとっていうのもあるんじゃないですかね。

        そうだったんですかー。でもその時は、「大学院出た方が有利なんだー」っていうイメージでした。
        あと、就活を始めた時にサイトを見ると、大学院の方が給料高いじゃないですか。でも最初のイメージはその話でした。


        ―なるほど…それはその説明合ってるのかなー(笑)でも学科によっては院卒の方が就職厳しくなったりするけどそういうのはないですか?

        化学を選択していると院卒の方が有利だったんですよ。企業の研究職にかぎりますけどwww あと、大学では遊んでたので多少マジメにやろうかなっていうのもあって。


        今回は以上です!

        2012年7月16日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(5) - 大学進学

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
        前回は、進路を選んだ理由の話を聞いていきましたが、今回もその続きです。

        前回の記事はこちら↓





        よく見ると可愛い?
        ■進路の話
        ―それが高2くらいの時の話ですね。進路はどうしたんですか?

        最初は大学を探しました。海洋系の勉強ができる大学探しが最初です。でも、難しいところばっかりで、「行けるわけないやん」ってなりました。「なんとか狙えるかも…」というところで琉大があったんですが、ちょっと分野違いでした。私立も東海大学とかを見たんですけど、「お金かかるわー」ってなって専門学校まで広げて探したら、日本外国語専門学校っていうところを見つけたんです。

        「琉大かー、ちょっとちがうんだよなー」ってなってる時にこの専門学校を見つけて、「これいいやん!!!」と思って調べてました。そのプログラムで、1年間外国語をめっちゃ勉強すれば、あとの1年間いろんな国で研修を受けられるっていうものがありました。

        その中に、オーストラリアの研究所でイルカとかアシカとかの研究を手伝えるっていうのがあって、私は「ぶっちゃけそっちが良い!」って思ってました。英語は全然ダメだったんですけど、なんかこっちの方が楽しそうだしと思って。

        でも結局周りからは大学に行ってほしいみたいな雰囲気がありました。うちの親は結構放任主義で、「どっちでもどうぞ」みたいな感じだったんですけど、先生からは「一応大学を出た方が良いと思う。専門だったら、もしまた後でそこに行きたかったら入りなおせば良いから」って言われたりしてました。なので、一応琉大を推薦で受けてみるみたいな感じでした。


        ―そうだったんですねー。そこの専門学校は結局受けはしたんですか?

        受けもしなかったですね。


        ―後からそこに行ってたらなーみたいな後悔はなかったんですか?

        後悔はないですね。琉大に入ったらもうほとんど遊んでましたし(笑)


        ―大学はどうやって決めたんですか?

        海洋系のことができる大学を探しだすと、難しい大学が多かったんです。さっき言ったような化学の方の研究も楽しかったんですけど、それをやったのはたまたまで、化学の勉強は全然できませんでした。

        元々は生物が好きで、生物とのんびり触れ合ったりしたかったこともあって、やっぱり生物の方が良いなと思ってました。できたら、イルカとかクジラとかの調査船に乗ったりとかっていうのをモヤモヤ~っと夢みて海洋生物の研究ができる大学を探しました。

        そしたら、東大とか北大とか海洋大とかで難しいところばかりでした。私立を探してみたら東海大とかもあったんですけど、お金の面で厳しくて。最終的には琉球大を目指しました。

        とは言っても、成績としては難しくて、1年留年するしかないなーと思ってました。でも、一応推薦を出そうと思って出したんです。その時、生物系と化学系を分けて募集していました。もちろん生物系で出したかったんですけど、なんと募集してたのが高校が水産科の人のみだったんです。普通科とかはダメで水産科の人しか受けられなかったんです。

        それはないだろーと思って、化学の方を見てみたら、化学は普通科でも可だったんです。当時は勉強がホントにできなかったんで、「どうせ受かるわけないし、いいや」と思って受けたら受かったんです。


        ―その時の気持ちはどうだったんですか?

        その時は半分遊んでました(笑)一応推薦だから結構調べたんですけど、全然生物じゃなくて、化学関係のことしかやってないところだったんです。なるべく生物に近いのをと思って、生物から化合物を取り出すっていうのを見つけました。

        「あ、これはなんか、そういえばフォレストピア研究で多少やってた化学の分野に、似てないけどなんか似てないことも…!うん!」とか思いながら、調べてました。当時の生物の先生には、「海洋分野の研究だったらこれが一般的なんじゃない、流行ってるよ」と言われたりもして、不本意ながらもそこに受けに行って、試験を受けた後は遊んでました(笑)


        ―どんな試験だったんですか?

        試験は面接でしたけど、一応センター試験も込みでした。時期としては2月の上旬に受けて、中旬に結果が来るというものでした。一般入試も受けようと思って、生物で希望を出してたんですけど、センターの結果も悪かったので受かるはずないなと思ってました。でも、結局推薦で通ったから一般入試はどこも受けてないですけど。

        面接は、どういう志望かっていう内容の後に、口頭試問っていう学問的な内容を聞かれるものもあったんですけど、それも全然できなくて、もう落ちたと思ってました。確か、化合物が並んでてダイオキシンはどれでしょう的な問題があったのを覚えています。

        それで、友達と、「予備校どこ行くー?」「北九州予備校とか辛いよねー、駿台かなー」とかそういう話をしてたんですけど、まさかで受かってしまいました。


        ―それはでもどういう気持ちだったんですか?行きたいところに近いけどベストではないみたいな感じですか?

        そうですね。でも当時は私はそんなに勉強には情熱がなかったんです。受かったなら良いんじゃないと思ってました。それでそのまま来ました。




        今回は以上です!
        次回は大学に入ってからの話を聞いていきます!

        2012年7月9日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(4) - フォレストピア研究&NASDAの実験の話

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
        前回は、進路を選んだ理由の話を聞いていきましたが、今回は高校時代の話です。

        前回の記事はこちら↓



        高校時代の実験が
        今にもつながっている…?
        ■フォレストピア研究&NASDAの実験

        ―でもそこからどうやって切り抜けていったんですか?

        そこからは行動力です。フォレストピア研究っていう授業があったじゃないですか。民俗について発表するとか、年に1回研究をやって発表をするっていう場がありましたよね。

        中3と高2の時はウェイトが大きくなって、中3だと論文を10枚絶対書きなさいというのがありました。それで、高1の時に、高校生の時期にやる研究テーマを決めました。そこですごい経験をさせてもらいました。ちなみに中3では海辺に生息する植物とか海水のPHとかやってた気がします。

        その時、学校が宇宙開発の組織と仲が良かったんです。当時はJAXAではなくてNASDAって言ってたんですけど、その組織が、全国の高校生から実験の募集をやってました。たんぱく質の結晶を作る実験をやりませんか?っていうものでした。

        キットを渡されて、これとこれとこれを使って、どういう条件下で結晶が一番大きくて良質の結晶ができるかを研究しなさいというものでした。全国で何百という高校の化学クラブとかのグループがやってて、「それに応募してみない?」って言われて、「じゃあ、やります」っていうことで5人くらいで応募しました。

        1回目か2回目のレポート提出の際に選考があって、全国から5校選ばれました。その5校の参加者は、実際に宇宙で行われる実験の内容を考えて、その実験を実際にコロンビアのクルーにやってもらえるということになっていました。

        それで、偶然にも選ばれて実験材料を乗せてもらったんですけど、コロンビアは空中分解しちゃって結局結果は返ってこなかったんです。コロンビアには初のイスラエル人が乗っていて、その方に実験してもらえる予定だったんですけど…当時はニュースになってて、テレビ局とかも高校に取材に来てました。

        あ、切り抜けられたのはどうしてかっていう話でしたね。最初に「行動力」って言いましたけど、たまたまやった実験が思いのほか楽しかったので理系に何とかしがみついていられたって感じの方が近いかもしれません(笑)


        ―面白いね(笑)しかし、そんな取り組みとかあったんですねー。

        その時にやった実験なんですけど、使う器具とかも結構本格的で、大学の実験で使うようなものを使っていました。水も蒸留水じゃダメで、Milli-Q(ミリキュー)を使うとか。


        ―ミリキュー?

        蒸留水よりももっと蒸留されたみたいな…それもその時初めて知ったんですけど、学校では作れないからって言って大学にわざわざ取りに行ったりしてました。この時は超純水って言ってましたね。「超!?純水!?どんだけ純水!?!?」みたいなことを言ってたような言ってないような気がします(笑)

        私は頭悪かったので(笑)まとめたり計算するのは別の人がやってました。私と大野加奈さんという子の2人で一生懸命実験をするという役割分担でやってました。実験はすごい楽しかったです。


        ―どういうところが楽しかったんですか?

        実際に手を動かすのが楽しいし、結果が出てくる過程みたいなのが面白かったです。


        ―それまで実験みたいなのは好きだったんですか?

        生物は好きっていうくらいで、そこまで化学的な実験は好きではなかったんですけど、その時の実験で化学も楽しいなと思い始めました。

        表彰もあって、五ヶ瀬からつくばのJAXAまで行きました。その時はNASDAって言ってて、対応してくれた人がJAXAに変わるからNASDAって書いてるグッズはもう無くなるからって言っていろいろくれました。「おー!」って言って(笑)

        そこで、宇宙飛行士の向井さんにも会えたんです。宇宙ステーションの「きぼう」とかもまだ地上にある時で、格納庫に入っているのを間近で見せてもらいました。入る時に、給食着みたいなのを着て、エアーシャワーっていうのを浴びて見に行ったんです。

        あと、選ばれた5校の中からさらに1校選ばれて、そこはNASAに行けたんです。でもさすがにそれは叶わずじまいでしたけど…でも実は、その時高校2年生で体育祭とか文化祭とかの実行委員とかもあって、いろいろ忙しくてあまり集中できなくて、最後の方はグダグダだったんですけど(笑)


        ―ちなみに、フォレストピア研究はどういうテーマだったんですか?

        その実験でやったこととリンクしてて、たんぱく質の結晶実験みたいな感じの名前のことをやりました。もうなんか曖昧で、ちゃんと記憶してる人が聞いたら違うよって言われるかも知れませんけど(笑)



        今回は以上です!

        2012年7月5日木曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(3) - 高校時代(文系・理系の選択とか)

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
        前回まで、専門の研究分野についての話を聞いていきましたが、
        今回からなぜその進路に進んできたかを聞いていきます。

        前回までの記事はこちら↓


        ■進路を選んだ理由

        ―なるほど。元々大学に入った時は何学科だったんですか?

        海洋自然科学科というところに入りました。


        ―そこにはどうして入ったんですか?

        その話だと高校時代にさかのぼるんですが(笑)

        私は元々文系だったというか、全然数学とかもできないし、化学とか理科もできなかったんです。


        ■作文をきっかけにイルカのトレーナーに興味を持つ

        ―えー、でも今バリバリ理系じゃないですか(笑)

        そうなんです(笑)あそこの学校って、結構早い段階で、将来何になりたいかとか作文を書かせるじゃないですか。年に1回作文を書いて、誰かが選ばれて1学年1人発表するやつです。中1の頃から書かされるので、中1なのに、もう大学を卒業して大人になったらこういうことをしたいとかこんな夢を持ってますというようなことを考えさせられました。

        中1の時はそんな遠い未来のことよく分からないので適当に書いてたんですが(笑)中3になると、高校になって文系理系が分かれてくるということもあって、先生達も結構本気を出してきて本とかを読ませようとするんですね。

        例えば、「弁護士になるには」とか、「○○になるには」みたいなシリーズですね。それで、どうしようって考えた時に、「イルカのトレーナーになるには」っていう本があったんですね。

        イルカのトレーナーっていうのは、その時の自分の将来の職業の選択肢の中には一切入ってなかったんですが、本を見てそんな仕事あるんだと知りました。あそこは山ですが、実家は宮崎市内なので海に出たりしていたこともあって、「海の仕事いいな~」と思ったのが一番最初です。

        結局、イルカのトレーナーのことをいろいろ調べました。どんな作文を書いたのか全く覚えてないんですけど(笑)


        ―いやー、でも今までインタビューした人は誰もその作文について言及してなかったからなー。自分も思い出さなかったし。荒武さんはきっとこの中では一番真面目に取り組んだんですよ(笑)

        そんなこたーないですけど(笑)それで、海に関わる仕事を注目するようになりました。当時、なかなかテレビは見れなかったですが、どうぶつ奇想天外!とかが結構好きで、その中に必ず出てくるドキュメントを見てました。ペンギンをずっと観察してる研究者とか。レポーターがインタビューをして動物のことを教えてくれる人とかですね。

        それを見て、いいなー、のんびりしてて楽しそうだなーって思って(笑)毎日フィールドに出て、動物と触れ合って、今日の体調はどうだったとか書いてるのが楽しそうに見えて、こういう系統のことをしたいなと思ってました。

        でも、作文にイルカのトレーナーですって書いたら、進学校だったので、オイオイって思われるかなと思って、結局違うことを書いたんじゃないかと思います。内容は覚えてないんですけど。

        それで、海洋系に進もうと思うと、文系じゃダメだと思って、泣く泣く理系に進んだんです。先生たちからも、「お前理系行くのか?」「大丈夫なのか?」って言われながら(笑)「ま、一応」って言って。


        ―じゃあそこで結構一大決心やったんですね。

        一大決心でした。理系に行ってはみたんですが、結構辛かったです。勉強できないし、数学わからないし。うちらの学校って普通の学校と違って成績順が出ないじゃないですか。でも、仲が良いので友達と見せ合って結局順位が大体分かったりして、「やべー、また一番下だ」とかいうことがよくありました。英語とかもダメだったんですけど…


        ―何系か分からんね(笑)

        国語と、地理と、生物がちょっとできたくらいだったんです(笑)



        今回は以上です!

        2012年7月2日月曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(2) - 研究分野の話の続き

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の荒武里衣さんへのインタビューの続きです。
        前回は、専門の研究分野についての話を聞いていきましたが、今回もその続きです。

        前回の記事はこちら↓




        ■海洋生物を対象とする天然物有機化学の歴史 

        ―そうなんですね。じゃあ海洋生物が対象になってきたのは結構後からなんですね。

        海洋生物の研究の歴史があまり古くないのは、潜水技術が確立されていなかったことが理由として挙げられます。

        ヘルメット潜水という、ヘルメットをかぶってホースで空気の供給をする古い潜水方法は、1900年前後には基本的なシステムが確立されているんです。


        でも、ダイバーに非常に熟練されたスキルと体力が要求され、安全性も決して高いわけではなく、装備も仰々しく、気軽に生物の研究が出来るといった感じではありませんでした。

        これに対して、今では一般的になっているスキューバーダイビングは1943年に新型の潜水器「アクアラング」が開発されたことが始まりです。

        そして、日本にスキューバダイビングがやってきたのは第二次世界大戦の後で1954年頃。その後、1970年頃にライフジャケットのような浮力調節ができるBCという機材ができ、1980年頃に他の器材が更に発達していき、この頃にやっと一般的にスキューバダイビングが普及していきました。

        ここまできて、多くの研究者がやっと安定して海洋生物を観察・採取できるようになったんです。新しい世界への可能性が増えるということは、その世界への研究もブームになるということです。

        そこで、天然物有機化学の分野でももちろん注目されました。海洋生物はこれまで手を付けられていなかったので、二次代謝物を探せば新しいものばかりですからね。


        ―へー、思ったより最近なんですね。何十年も前からやってるのかと思ってました。

        そうなんです。天然物有機化学の分野自体は結構前からあって、植物に関してはだいぶ前からやられているんです。でも、海洋生物に対しての研究は比較的最近始まっていて、1985年からですね。


        ―じゃあ研究分野の歴史としては結構新しいんですね。

        そうですね。ただ、新しい化合物の探索の研究についてはだいぶ打ち切りになってきています。もちろんまだ新しく見つかってきてはいるんですけど、次の段階という形にはなってきています。

        最初の頃、海洋生物を簡単に採取できるようになった頃は、研究者はこぞって海洋生物に含まれる二次代謝物の構造を明らかにしていきました。陸上生物とはかなり異なる環境に生息する海洋生物からは、これまで見たこともないような構造の化合物がぞくぞくと得られます。

        新しい化合物の構造を発見すると報告のために論文が書けます。海洋生物はこれまで天然物有機化学で研究してきた植物に比べて、水中というフィールドも新しく、軟体動物や無脊椎動物といった生物も新しいので、やればやれほど成果が出ました。ですので、研究者はまず最初に化合物の探索と発見に力をいれました。

        ですが、海洋生物からの新しい化合物の探索がブームになってすでに30年くらい経っています。潜水技術が発達したからといっても、人間が到達出来る水深は30~40mが限界です。特別な訓練、設備があれば100mくらいまで行けますが、あまり現実的ではありません。

        そうなるとだんだん手近の海洋生物はほとんど研究されつくすようになりました。ただ、これは新しい化合物の探索研究ではという意味です。生物分野の研究ではまだ多くの課題があります。

        そこで次の段階に移ってきているのですが、次の段階はというと、最初にちょっと触れた天然物有機化学の目的が関係してきます。目的は、役に立つ物質を見つけて、本当に役に立つか確認して、役に立つのであれば供給方法を確立することですので、発見が大体一息ついたら、次は見つけた物質が本当に役に立つかどうかの確認や、どうやって供給方法を確立していくかということが研究課題になります。

        例えば、がんやC型肝炎、エイズなどの病気にどれが一番効くかっていうことを調べて、そこから類似化合物を合成して実際に薬を作りだすといったことをやります。それまでの構造の決定という単調な作業から、もっと細かな、そして幅広い研究スタイルに移っていきます。


        ■海洋生物の多様性

        ―なるほど、そういうふうに移り変わってきているんですね。

        そうですね。ところで、さっきも言いましたが、生物が何でそんな毒や薬になるものを持っているのかは分かっていないんです。これは、天然物有機化合物の目的には直接的に沿わないからですし、生物学の分野では、まだこのような生態機能についての研究まで達していないからです。

        少し生物の話になりますが、現在、生物の多様性という観点からみると、陸上の生物より海洋生物の方が圧倒的に多様性が高いと考えられています。でも実際には、現在知られている種は陸上生物の方が多く、その大部分が昆虫です。大体6割くらいです。

        では、なんで海洋生物の多様性が高いと言われているかというと、これまでに知られていない種の推定数から導き出されています。現在まだ見つかっていない種の推定数として、陸上では4000万種の生物がいるとされています。

        一方、海では100万~1億種程度の生物がいると推定されています。推定の数値に2ケタの振れ幅があるのは、正確な推定が困難であるほど研究が遅れているということです。海洋学者の中の意見は、海洋生物に関する人類の理解は大幅に遅れているという見方で一致しています。

        そこで、2000年に、世界80カ国の2700人の科学者が海洋生物の個体数調査の国際共同プロジェクトネットワークである「Census of Marine Life」という海洋生物調査のプロジェクトが設立されました。

        これは世界全体の海洋における環境及び生物の理解に貢献する大規模なプロジェクトです。全海洋生物の知識を高めることをねらいとしていて、これまで不確定だった海洋生物研究のベースになるカタログを初めて完成させる活動などが含まれています。

        このプロジェクトは10年間で成果を発表することを目的としていました。そして、2010年10月にロンドンにて成果が報告されました。この調査の結果、海洋生物の種数の理解が約23万種から25万種に増加しました。また、正式に新種として記載されたものが1200種、また新種として記載されるであろう種が6000ほどあることが報告されました。

        海洋生物に関連して有名な「オーシャンズ」という映画がありますが、実はあの映画はこのプロジェクトの一環で作られていて、社会還元の1つとして公開されたのです。

        今までいろいろとお話ししてきましたが、、海洋生物の生物学的視点での研究は、まだほんの初期段階なんです。生物の種の決定もあやふやな物が沢山あります。特に天然物有機化学によく着目されるサンゴやホヤ、海綿、軟体動物、海藻などの海洋無脊椎動物では、分類すらはっきりしていないものが多数あります。


        ■卒業論文&修士論文での研究内容

        ―へーそうなんですねー。意外に分からないことだらけですね。その中で荒武さんがやってることとしては、そういった生物、例えばサンゴとかから出ているものが毒とか薬とかになるかどうかみたいな話なんですか?

        元々そういうものをやってたんですが、今はそこから移りました。

        卒業論文では主に海綿から新しい化合物をひたすら探してたんですが、修士論文では物質と生物の関係を調べました。具体的には、ソフトコーラルの中のウミキノコと呼ばれる種類に注目して、ウミキノコの種と化合物の種類が一致するのかどうかを調べました。

        今は、生物が実際にどうやって作ってるのか、生合成経路の話を調べています。生合成経路というのは、体内で作り出される経路のことで、一次代謝物ではクエン酸回路とかが有名です。

        そういったことが遺伝子にちゃんとコードされているのかというところを探しています。化学系から生物系に移った形です。



        以上です!次回は高校時代の話を聞いていきます。

        2012年7月1日日曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 荒武里衣さん(1) - 研究分野の話

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー、第5弾!
        今回は、2004年卒業生の荒武里衣さんです。

        荒武さんは大学から沖縄に来ていて
        今は琉球大学の博士課程で研究を行っています。

        実は、在学中も卒業後もそんなに直接話す機会はなかったんですが、
        なんと、僕の奥さんと共通の友達がいるらしくて
        僕の結婚式(沖縄でやりました)の二次会に来てくれたんですねー。

        それをきっかけにして、この間のゴールデンウィークで
        奥さんの実家に規制した時に会って話を聞きました。

        研究の話がとても面白いし勉強になるのでぜひ読んでみてください!

        では、以下インタビューです。
        今回は、研究の内容についての話が中心です。



        ―これまでに民間企業で働いていたり、県庁で働いていたりする人に話を聞いたので、大学にいる荒武さんに話を聞けるとまた違った角度で話が聞けて面白いかなと思ってます。

        そうですね。参考になったらいいですけど(笑)


        ■研究内容について


        ―なりますよ!荒武さんは今は大学でしたっけ?

        今は大学の博士課程で3年目です。一応最後の年です。


        ―どういう研究をしてるんですか?

        サンゴの研究です。サンゴの中でもソフトコーラルと呼ばれている仲間で、きのこみたいな形のサンゴです。そこに関連して二次代謝物っていう…


        ―なんかどんどん難しくなってきたんですが(笑)まずソフトコーラルっていうのは何なんですか?

        やわらかいサンゴですね。


        ―なるほど、英語でサンゴをコーラルというので、そんままですね(笑)

        そうです(笑)もう少し詳しく言うと、サンゴが体内で生産した化合物を粘液などと共に排出しているんですね。そこで排出されてくる化合物について調べています。

        ここからは少し専門的な話になりますが、生物っていうのは、体の中で酵素や補酵素の作用によって物質を合成しています。要するに、体の中でいろんなものを作っているんですね。この何かを作る時の合成反応や化学反応の事を代謝とよんでいます。

        そして、代謝には2種類あります。一次代謝と二次代謝です。これは何で区別するかというと、生物にとって必須のものを作るかどうかです。

        一次代謝では、生物の成長、発生、生殖に必要なものを作ります。いろんな生物に共通して含まれている、糖、タンパク質、脂質、核酸(DNA)などを生成します。これに対して、二次代謝では、生物にとって必須ではないけれども、生存競争や美しさ等に関わっていたりするようなものを作ります。何の為にあるのか全くわかっていない化合物もこれに含まれます。

        一次代謝でつくられる物質のことを「一次代謝物」、二次代謝でつくられる物質のことを「二次代謝物」といいます。一次代謝物は生物にとって共通の化学成分なんですが、二次代謝物はそれぞれの生物にとって固有の産物です。二次代謝物には、例えば、色素とか抗生物質とかが含まれますね。

        人間は、野菜、穀物、肉などの食べ物に含まれる一次代謝物を栄養として摂取しています。逆に、必須でないもの、例えば、薬用として利用しているものは生物の二次代謝物質がほとんどです。漢方やカビに含まれるペニシリン、マラリアの薬のキニーネなんかがそうですね。

        マンガのワンピースでも、似たような話がありましたね(笑)空島編のシャンディアの過去の回想で、ノーランドが作った「コニーネ」は「キニーネ」を参考にしてるようです。


        ―おお、ワンピース出てきた!ちょっとホッとしました(笑)でもそんなところにつながってる話があるなんて面白いですねー。荒武さんはその中のどんな分野を研究しているんですか?

        最初は、化合物、さっき言っていた二次代謝物がガン細胞に効くかどうかとか製薬系の研究をしてました。天然物有機化学とという化学の分野だったんです。

        生物が作りだす物質の分野って、物質がどう人に役に立つかっていうところに注目が集まるので、生物自体が何で二次代謝物を持ってるかとか、実際に生産している生物が二次代謝物を何に使ってるかとかって研究はほとんどされてないんですよ。


        ―え、そうなんですか?それはサンゴの?

        サンゴでも海洋生物なんでもそうなんです。自分達が高校くらいの時に海洋生物からいろいろ新しい化合物を取り出すっていうのが流行ったんです。いろんな軟体動物とかサンゴとかも全部含めてたくさんとってきて、物質を抽出してどんな物質が入ってるかとか調べられました。それは全部、人間にとって役に立ちそうな物質を見つけるためです。

        これが私が最初にやっていた天然物有機化学という分野です。ちなみに今やっているのは遺伝子機能解析学っていう分野ですが、これについてはまた後でお話ししますね。

        天然物有機化学の目的は、人間にとって役に立ちそうな物質を見つけて、それが本当に役にたつかどうかを確認し、もし役に立つのであれば、その物質をきちんと供給していく方法を作っていくことです。


        ■天然物有機化学の歴史について

        ―両方とも舌かみそうな名前ですね(笑)その天然物有機化学っていう分野はいつくらいからあったんですか?

        実は、天然物有機化学という分野自体の歴史は古くからあります。もともとは、生物のみが作れると考えられていた物質を扱う化学の分野の事を有機化学といっていました。

        それが、19世紀前半に生物体内でなくても有機化合物を合成できることが分かったんです。また、天然には存在しない化合物も合成されるようになり、有機化学は炭素化合物を扱う化学の分野に拡張されました。そこで、その中の一分野として、生物が生産する物質を扱う分野を天然物有機化学と呼ぶようになりました。

        有機化合物を合成できることが分かると、生物から得られる貴重な物質を人工的な合成により供給するための研究が、天然物有機化学の主なテーマとなりました。具体的には、染料や医薬、香料などですね。

        その後、19世紀後半に有機化合物の構造化学が確立してくると、有機化合物の構造を決定することも天然物化学の研究として行われるようになります。ただ、昔は便利な技術や機会がが無かったので、かなり苦労して研究していたようです。

        20世紀に入ると、技術がどんどん進歩して、物質の構造が簡単に分かるようになっていきます。そして、現在でも、天然物化学は新しい医薬品となる物質の候補を探したりする目的で盛んに研究されています。


        ―なるほど、結構歴史があるんですねー。

        そうなんです。ただ、天然物有機化学という分野はとても古いので、最初の頃は、陸上に生息する植物が主な対象でした。植物から取り出した成分をもとにする香料や薬品、抗生物質が今たくさんあるのは、植物の研究が昔から盛んだったからです。

        それが、化学技術が発達してくると、研究対象が様々な生物に移っていきました。陸上では植物が主体だったんですが、微生物などの小さな生き物に移りました。さらに、海洋生物も対象になってきました。


        今回は以上です!

        2012年6月29日金曜日

        インドに急に行ってきて思ったこと


        久しぶりの更新です。
        実は、先々週から先週の頭まで、10日ほど急きょインドに行ってきました。

        だからというわけでもないんですが、
        ちょっと間が空いてしまいました。
        ネタはいろいろと考えてあるのでまたおいおい更新していきたいと思います。

        ■インドに行くためのビザをどうしたか
        せっかくインドに行ってきたので、今回はそれにからめた話をしたいと思います。
        ちょっと教育とか五ヶ瀬中等教育学校とかとは
        直接の関係はないんですが、高校出てからの何かの参考になると思うので。

        そもそも急に行ったのは、向こうの人から思いつきで呼び出されたからなんですが
        その時にビザの取得のプロセスが議論になりました。

        通常は、東京の文京区の茗荷谷というところにある
        ビザアプリケーションセンターまで行ってそこで申請するんですが、
        今回は「Visa-on-Arrival」という方式で行きました。

        というか、それで来い!と強く言われました。
        通常の手続きだと、申し込みに1日、受け取りに1日と
        最低でも2日かかり、両方とも茗荷谷までわざわざ出向く必要があります。

        「そんなの時間と手間の無駄だ!
        多少リスクはあるものの、とりあえず試してみろ!」
        というインド人の強い主張により、そっちでトライしてみました。

        リスクってどういうことかっていうと、
        ビザを取得できずに入国できずにそのまま帰らんといかん可能性があることです…
        なので、ちょっとビクビクしてたんですが最終的にはちゃんと入れました。


        ■しっかり準備⇔とりあえずやってみよう
        結局、向こうについたら、
        「ほら、入れただろう」みたいな感じのことを言われました(^^;)

        このへんに考え方や価値観の違いが結構現れています。
        僕もそうですが、日本人的には、
        リスクがより低い手続きがあるなら
        まずそちらへの対応をしっかりとやる方が多いと思います。

        いろんなことを準備するにしても
        何かにつけて細かいところまで気を配って
        計画や見通しを立てることも多いと思います。

        向こうの人からは、
        「Japanese perfection」(日本人の完璧主義)
        と言われて、半分からかわれてました。

        これに対し、少なくとも今回僕を呼び出したインド人は、
        まずやってみようという考え方で物事を進めます。
        あと、大体念入りに準備するというよりは
        直前にバーッと必要なことをやり始める感じです。

        土地柄なのか何なのか、計画を細かく立ててもしょうがないと思っていて
        何をやるにしても細かい問題があることは前提としているようです。
        そして、何か問題が起きたらその時に対処すればいいという考え方のようです。

        今回のケースでは、確かに向こうが言っていた通り
        とりあえずやってみたらうまくいったので
        次回からはこの方式もアリなのかなと思ってます。

        とかくセーフティーな方をとって旧来のやり方に固執するだけでなく
        多少リスクはあっても新しいやり方にトライするっていうのは
        心配や不安はありますが、やってみるっていうのは悪くはないなと思いました。

        なお、〇〇人ということであんまり類型化するのも良くないとは思うんですが
        それにとらわれ過ぎないということを意識しないようにすれば
        違いを意識するというのはコミュニケーション上有効だと思います。


        ■飛行機を降りてからホテルに着くまでのすったもんだ
        以下は、備忘録がてらのメモです。
        飛行機を降りてからビザを申請してホテルにたどりつくまでのことを
        思い出して書いたその時の経緯です。
        長いので、もし興味があればどうぞ。

        飛行機を降りて、visa on arrivalの窓口がどこにあるのかと見渡すもそれらしきものが見当たらず

        もう一度見渡してみると、ちゃんとした看板はないが、なんか小部屋を発見

        よく見ると、その部屋の入口に、A4のコピー用紙で「Visa on Arrival」と書いてある張り紙がついている

        これか…と思って入ってみる

        係員らしき人が2名いたので、その人たちに「Visa on Arrival」って言う

        しかし、おれのことは気にせず2人で話をしていて軽く待たされる

        とりあえず席について書類を書くようにとA4の紙を渡される

        書いてる間に係員が1人どっかに行き、1人しかいなくなる

        Visa on arrivalの手続きに3000ルピーが必要だと言われる

        「ドルで良いか?」と聞くもルピーじゃないとダメと言われる
        (ちなみにHPには「A fee of US $60/- or an equivalent amount in Indian rupees」って書いてある)

        うーん、どうすっかってなったけど、係員の人が航空会社の人を呼んで両替に行ってもらうから待てと言って電話で連絡

        とりあえず書類を書きながら待つ

        その間に別の乗客が入ってきて、arrival formのカードをくださいと言って受け取っていく
        (この後5-6人同じような人が入ってきて、係員の人が乗客に「キャビンアテンダントは渡さなかったのか?」と文句気味に聞いていた)

        書類を大体書き終わるも、今度は別の人が3-4人、別の係員の人と一緒に入ってきて
        「governmentの人なんだけど…」みたいな感じでごちゃごちゃ話し出す

        じっと待つ(;・・)ゞ

        一段落すると、書類をチェック

        一通り確認終了

        今度は日本人の人が入ってきて、「Visa on arrival」を申請する

        係員の人がその人のパスポートをチェックする

        前にとってあるビザが残っていて、申請する必要ないことが発覚

        本人がただ単に気づいてなかっただけなんやけど、怪しみだす
        「no need」「なんでここに来たんだ」とか

        なんか英語でのやりとりがうまくいってない感じだったので横から口を出して説明

        とりあえずその人はそのまま行けばいいってことになって部屋を退出

        書類の確認は終わってあとはお金だけなので先にスタンプを押してくれる

        両替の人が来ないので再度連絡してしばし待つ

        両替の人が来て、3000ルピーに足りそうなだけのドルを渡して両替をお願いする

        じっと待つ(;・・)ゞ

        両替してくれた人が戻ってきてお金を確認

        これで終われると思ったら、今度は別の東南アジア系の学生っぽい感じの人が連れられてくる

        どうやらビザか書類か何かに細かい問題があったらしく、ごちゃごちゃ議論

        その間しばし待つ(;・・)ゞ

        その人が、外国人登録証を持っているかと聞かれるも、コピーしかないと答え

        係員から、「持ち歩けよ…」とため息交じりに言われる

        さらに、「もう二度とこういうことはするなよ」と言って注意

        その人が出て行った後に、3000ルピーを渡して最終確認

        ようやく出られる

        荷物あるかな…と思ってドキドキしながら階段を下りると、荷物のレールの横に自分のっぽい荷物を発見

        ふー、良かったと思って一息つく(゚-゚)

        出るところの手荷物検査を通る

        いざ出て荷物のレールの方をみると、さっきまであった荷物がない!; ̄ロ ̄)!!

        急いで出て見渡すと、カートに自分の荷物をのっけて運んでいるおじさんを発見

        呼びとめて自分のだと主張

        番号札を確認してもらって荷物を取り戻す

        ようやく出られる…と思って出たが、今度は来ているはずのタクシーの迎えが見つからず

        5分ほど探したり、迎えに来ている他のホテルの人に聞くも、見つからず

        そうこうしているうちに、あるおじさんがホテルに電話してくれる

        ホテルの人と話をして、今から迎えに行くと連絡

        良かった…おじさん親切やなーと思ってお礼を言って待つ

        そうすると、さっき電話を貸してくれたおじさんが、おれのタクシーに乗れよと言い出す

        しまった…そういうことか、うかつやった…( ̄□|||| と思って断る

        そうすると、おじさんは電話を片耳にあてながら一瞬向こうに行って帰って来る

        「ホテルの人が迎えに来ないよって言ってたよ」って言いだす

        イヤイヤ、今電話したフリしただけやろ…と思いつつ、「来るって言ってたから大丈夫」って断る

        しかし、おれのタクシーに乗れよと再アピール

        面倒になってきたので一旦到着ゲートの中の方に退避

        念のためホテルのタクシーの人を再度探してみるも見つからず

        すると、今度はプリペイドタクシーの会社のスタッフっぽいオレンジのシャツを着た人が声をかけてくる

        この空港のスタッフだから…と言って電話を貸してくれる

        うーん…と思いつつ、とりあえずもう1回ホテルに電話した方が良いことは良いので借りて電話

        もうすぐ来るという連絡

        またおじさんにタクシーすすめられるかと思ったけど、今度はそこに座って待てば良いということに

        お、ホントにスタッフだったのか…?と思いつつ、とりあえず待つ

        しばらく待つと、ホテルのタクシーの人が現る

        良かったーと思ってその人のタクシーのところまで移動

        そうすると、オレンジのシャツを着たおじさんも荷物を持ちながらついてくる

        移動しながら、「子供が5人いるんだ」「シンガポールドルOK」みたいな話をし出す

        ああ、そういうことね…(´へ`;と思いつつ、まあこの人のおかげで結局ホテルのタクシーまでつながったから良いかと思って2ドル渡す

        「five」と言い出す

        うーん、もういいやろ…ということでタクシーに乗り込む

        ホテル到着

        ※ちなみに、Visa-on-Arrivalのページは下記↓
        http://www.immigrationindia.nic.in/visa_on_arrival2.htm

        こんな感じで、まあいろいろ細かいすったもんだはあるんですが
        概ねなんとかなるかなーという精神と
        臨機応変に対応するっていうところは
        結構見習っても良いのかなーとも思う今日この頃です。

        2012年6月8日金曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(5)

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
        甲斐考太郎さんのインタビューの続きです。

        前回は、 会社を辞めて起業する経緯について聞きました。
        今回は、五ヶ瀬で得たもので今につながっているものについて。
        今回が最終回です!


        今後が楽しみです!


        ―仕事の話はそんな感じかー。あとは最後に、五ヶ瀬で得たもので今につながってるものって何かある?

        2つあると思ってます。1つは、近づいたらウッと思う距離ってあるっていうじゃないですか。あれがすごい狭いと思います。外人並みですね(笑)

        気軽にコミュニケーションをとりやすいっていうのがあって、それはすごく親近感を感じてもらえるなーと思ってますし、営業でもすごく役に立ってますね。

        もう1つは、自分は旅行が好きっていうのもありますが、あくなき好奇心を受け止めてくれる環境っていうのがあったっていうのはあります。それは学校だけではないんですが、五ヶ瀬の自然ですかね。

        例えば、フォレストピア研究で五ヶ瀬秘境図っていうのを作ったんですが、五ヶ瀬の秘境を探そうっていうものでした。マウンテンバイクでいろんなところに行って、まだ発見されてない五ヶ瀬の秘境を探しに行きました。

        五ヶ瀬は奥が深いですね。やまめの里の秋本さんっていらっしゃるじゃないですか。あの人と一緒に幻の滝を見に行きました。秋本さんが幻の滝を見つけたっていう連絡をくださったので一緒に行ってみると、本当に今まで誰にも発見されてなかった滝があったんですよ!


        ―マジで?それはすごいなー。なるほどねー。そういう経験があるから旅への好奇心とかにもつながってるのかー。

        そうですね。秘境図は最終的に、五ヶ瀬町役場からぜひくださいと言われて、贈呈しに行きました。


        ―逆にこういうことをやっておけば良かったなっていうのは何かある?

        もっと外の情報を得る努力をしたかったですねー。外からの情報が新聞と短い時間でのテレビしか無かったじゃないですか。それで、大学に行った時に結構カルチャーショックを受けました。こういうことが自分の中高時代にあったんだなと思ったことがたくさんありました。

        例えば、ドラマとかはインターネットの世界とか携帯の機種のこととか。全然知らなかったんですよ。それにどっぷり浸かると五ヶ瀬にいる意味が無いと思うんですけど、うまい具合に少しでも刺激として得られるような努力をすれば良かったなと思いますねー。そうすればもっと面白いことができたんじゃないかと思います。


        ―なるほど、そうやねー。確かにあまりそれにとらわれてしまうと五ヶ瀬にいる薄くなっちゃうと思うけど、いい形で刺激になるように外からの情報が得られるようになると面白いかもね。


        今回のインタビューは以上やけど、今後も会社も展開して行ったりすると思うのでまた話を聞かせてください!ありがとうございました!



        今回は以上です!

        次回は起業のことについて聞いていきます。

        2012年6月7日木曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(4)


        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
        甲斐考太郎さんのインタビューの続きです。
        前回は、会社や業界の状況や、
        宮崎と東京の違いなどについて聞きました。
        今回は、会社を辞めて起業する経緯について聞いていきます。


        中華街を歩く
        看板には「栗の押し売りにはご注意」
        のただし書き
        ―今度会社を辞めて起業するっていう話やけど、それはどういうきっかけで?

        タイミングですね。就職する時に、宮崎のために何かやりたいという気持ちと、何か面白いことがやりたいっていうざっくりとした思いがありました。そういうのがあって、働きながらも、何かやりたいなとモヤモヤしてたんですよ。その答えが徐々に明るくなってきたっていうのがあって、ここで退職しよう、自分で挑戦してみようっていう気持ちになりました。


        ―それは具体的にはどういう方向に?

        観光とか旅行という分野で仕事をやりたいと思っています。それは何でかっていうと、僕は旅行が人間を幸せにすると思っているんです。

        皆さん旅行に行かれたことがあるから分かると思うんですけど、旅行は視野を広げて自分を客観的に見る機会になります。自分と別の世界の人を比べて、自分が恵まれているところ、恵まれていないところを実感できるんです。それによって人々は幸せを感じると思うんです。そういうところに貢献したいという気持ちがすごくあります。


        ―例えば、五ヶ瀬中等教育学校の学生に旅をさせるとしたらどういうプランにする?

        インドとかに連れていきたいですねー。


        ―なんでインド?

        常識とかが簡単に覆されるじゃないですか。自分も行ってそうだったんですけど。まず人が信用できないとか、街が汚いとか(笑)わかりやすく世界が違うところに連れていきたいですねー。


        ―そういった旅についての話は自分が経験したところからきてるの?

        そうですね。


        ―それを自分がバックパッカーとかをやって感じて満足するだけでなくて、他の人も巻き込んで経験してほしいっていうのはどういうところから来てるの?

        うーん…自分がそういう経験をしたので他の人にも経験してほしいっていう単純な気持ちですね。


        ―でもそれは自分で旅行をするだけの人と、事業にしたいっていう人の間の決定的な違いじゃないかな。それはどういう事業にしていこうと思ってるの?

        まずはインターネットの世界で事業をおこそうと思っていて、ミッションとしては、今の旅行をもっと豊かにもっと快適にできないかなと思っているんです。

        今の旅行業界ってインターネットを活用してもっと良くできると思っているんですよ。例えば、ツアーとか旅行をする時に使うものって最大公約数的で、みんなが行きたいと思っているところで、どの旅行会社に行っても同じような観光ツアーが売ってます。なので、もっと個人のニーズを満たしたものが作りたいなと思ってます。

        そこで、個人のニーズを満たせるのは誰かっていうことを考えました。例えば、中国に行きたいとするじゃないですか。その時に中国のことを一番良く知ってるのは中国に住んでる人とか中国が大好きで中国によく行く人だと思います。だから、自分が中国に行きたいと思ってこういう旅行がしたいっていうことをあげると、中国に関係のある人からそれだったらこういうところがありますよって教えてもらえるような、そういう場所を作りたいと思っています。


        ―それはそういう情報を提供する側のモチベーションっていうのはどう考えてるの?

        いろいろあると思いますが、1つは郷土愛的なものです。自分の友達がが宮崎に行きたいって言ったら、宮崎のことをすごく紹介すると思うんですよ。自分の故郷なんで。その気持ちはくすぐりたいんですよね。


        ―郷土愛の話はいいねー。おれらも五ヶ瀬の話とかで知ってることがあればめっちゃ書くと思うし。浄専寺のしだれ桜が良いですよとか、夕日の里が良いですよとか。あとはそれこそ学校の生徒に書いてもらったり写真撮ってもらったりしたら面白いんじゃない。それは誰か仲間の人とやるの?

        そうですね。一緒にやる人は私が入社2年目に東京に来た時に一番お世話になった広告代理店の方です。その人も会社を辞めてて、自分が会社を辞めると言ったら、「一緒にやりたい」って言ってくれて。


        ―収入が入ってくるまでどうやって食っていこうと思ってるの?

        貯金と…あとは今カレー屋を始めようと思ってるんですよ(笑)


        ―え、カレー!?なんでカレー屋?

        そのパートナーの人がカレーを作るのがめちゃくちゃうまいんですよ。売れるレベルなんで、昼間はカレーを作ってやっていこうかなと(笑)どうなるか分かんないですけどね。カレー屋で社名とかも売っていこうとは思っているんですけど。


        ―面白いねー。それは楽しみやねー。

        楽しみですけど不安でたまらないですけどね。最近あんまり寝られないですけどね。


        ―そこのリスクをとれるのはすごいよね。




        今回は以上です!

        次回は起業のことについて聞いていきます。

        2012年6月6日水曜日

        五ヶ瀬中等教育学校卒業生インタビュー - 甲斐考太郎さん(3)

        五ヶ瀬中等教育学校2004年卒業生の
        甲斐考太郎さんのインタビューの続きです。
        前回は、仕事で大変なところや面白いところについて聞きました。
        今回は、会社や業界の状況や、
        宮崎と東京の違いなどについて聞いていきます。




        中華街で杏仁ソフトを食べました
        うまいものはうまい!
        ―社員の人はみんな宮崎の人なの?

        アナウンサー以外は全員宮崎の人です。アナウンサーもバラエティーとかの番組ではなまったりしてるんですが、ニュースとかは正確に伝えるということがあるのでなまらないようにしているみたいですね。


        ―社員は何人くらいいるの?

        派遣の人とかもあわせると130人くらいですかね。自分が関わる営業の部署では支社をあわせて20人くらいですね。


        ―他には何をする人がいるの?

        他は報道の記者や制作のディレクター、総務とかどの会社にも共通するような部門などがあります。

        あとは、番組のテープが上がってきてそれをタイムラインにのっける「放送実施」っていう仕事があります。放送事故などのミスがないようにチェックする部署で、20人くらいいますね。裏方ですがとても大事な仕事です。

        他にはイベントをやる部署があります。ジャムナイトとか、スポーツフェスタとか。

        新入社員は毎年3-4人くらいですね。


        ―東京の営業所は今3年目が終わろうとしているところってことやけど、宮崎から東京に来た時の変化って何か感じたことがある?

        ありましたねー。大学は東京にいたんですけど、宮崎と東京では仕事の時間の流れの速さが違うんですよ。私の感覚値だと3倍です。日向時間は3分の1なんですよ(笑)


        ―面白いね(笑)それはどういうところで感じるの?

        打ち合わせ時間は宮崎より東京の方が短いです。宮崎では雑談する時間も多かったですね。それも宮崎の良さなんですけどね。東京はビジネスっていう感じです。最初は結構びっくりしました。東京に来た頃は疲れてましたねー。家に帰ったらすぐに寝てました。


        ―2年目、3年目での変化っていうのは何かある?

        基本的には繰り返しなので段々楽にはなりました。サイクルがわかるので。


        ―業界の雰囲気の変化とかは何か感じる?広告とかもどんどん減ってきてると思うし。

        テレビをあまり見ない人が増えてきましたからね。あとはネットテレビとかも出てきたりと競合も多いので不安感は感じていますね。

        ただ、対策を行っているところもあって、例えばフジテレビはお台場合衆国などの取り組みで収益を上げていこうとしています。また、日テレはフェイスブックと連携して、データ放送でいいね!ボタンを押せるようにしたりとか、そういった試みを行っています。



        今回は以上です!

        次回は起業のことについて聞いていきます。